13 シャポックラント、定められた出会い


 国境を越え、イアンから借りた地図を頼りにシャポックラントに着いたのは、六日目の夕刻だった。陽が長い時期だとは言え、宿もない知らぬ土地で夜を迎えることには不安が募る。だから近隣の宿場に滞在した後、早朝にこの廃町を訪れようかと迷ったのだが、結局は一刻の時間も惜しいと思い直し、旅の足でそのまま向かったのであった。


 話に聞いていた印象通りの荒んだ町並みに、既視感があるようなないような。オウレアス訪問も三回目となれば、当初感じていた眩暈や吐き気も、あまり気にならなくなっていた。それでも、人気のない廃墟の列を見回していると、若干の息苦しさ覚えるのは気のせいではあるまい。


 この段階になると、自身の体調不良の原因が、失われた記憶にあるのだろうということは、薄々と理解し始めていた。


 シャーラエルダに似た印象の灰色の町だったが、一つ違うのは、この町が打ち捨てられて久しいということだ。領有しようがしまいが、誰にも気に留められぬ哀れな町。再建されることもなく、住民は去り、ただただ白茶けた土に覆われるのみ。


 人の姿がないので馬に跨ったまま道を進むと、小さな教会の物陰に、濃紺の外套にすっぽりと身を包んだ人影があった。古びた偶像か、はたまた幻覚かと思ったが、それはこちらをじっと眺めた後、背を向けてゆっくりと歩きだす。


 あまりの黒さに束の間、影が動いたのかと錯覚してしまうが、まさかそんなはずはない。ヴァンは馬から降りて、細い道に入った外套の人物の背中を追った。


 馬を降りてみると、相手の身丈はヴァンより若干低い。身長だけでなく、線も細く見えたので、おそらく少年か女性だろう。何者かわからないので、不用意に近づくのは躊躇われたが、歩みの調子から察するに、ヴァンをどこかに案内している様子だ。住民のいない町で佇んでいた目的は、来客の出迎えだったのだろうか。


 しばらく直進した後、案内人は角を曲がる。向こう側に罠が仕掛けられていて、危害を加えられないものかと疑ってみたが、そのような回りくどいことをする必要性もないだろう。ヴァンは歩みを緩めずに右折する。五歩ほど離れた場所に、例の影が佇んでいた。


「お待ちしておりました」

 落ち着きのある低めの声音であったが、女性のようだ。

「どうぞこちらへ」


 彼女が一歩横にずれると、古びた石柱が二本屹立する間に、暗闇へと下る石段が設けられていた。普段は石の蓋で覆われているようで、それをずらした直線が、砂に刻まれている。周囲を観察し、おそらくここには以前民家があり、階段の下は地下室だったのだろうと推測した。


 それにしても深い闇だ。さすがに躊躇なく招きに応じられるほど、不用心ではない。動かぬヴァンをじっと見つめてから、女は外套のフードを下ろした。無造作に編んだ黒髪と、紫色をおびた黒の眼が露わになった。年の頃は、二十代の半ばほどだろうか。


「警戒には及びません。私はアリアレッテ。アリアとお呼びください」


 表情筋がないのかと疑うほどの無表情で、こちらを見据える。整った顔立ちも相まって、まるで彫像のようだ。彼女はヴァンの名前などとっくに知っているのだろう、返答がない客人の様子は意にも留めず、再度促す。


「さあ、こちらへ。あなたの兄君がお待ちです」

 その言葉に、息を吞む。耳を疑った。

「兄?」

「ええ、ただ一人、存命のご家族です」


 聞き間違いではないようだ。天涯孤独だと思っていた。それなのに、急に兄がいると言われても、到底実感が湧かない。さあ、と再三促され、ヴァンは覚悟を決めて脚を進める。その様子を見届けてから、彼女は外套の下に持っていたのだろう手燭を取り出し、周囲を照らしながら、階段を先導した。


 ただの民家の一部だろうと安直に考えていたが、それにしては地下深い。途中で踊場があった様子から推測するに、民家の地下室をさらに深く掘り進み、蟻の巣状に上下左右に地下空間を構築しているようだ。


 アリアの案内がなくては、迷ってしまって元居た場所に戻ることができないだろう。おそらく、それがこの空間の意図であって、迷い込んだ者を確実に仕留めてこの場所に隠された秘密を保持するための構造なのだろう。更に、出入り口が複数あれば、万が一敵に攻め込まれても、別の場所から逃げおおせることができるはずだ。


 どれほど進んだだろうか。暗闇と緊張が相まって、時間の感覚が狂う。おそらく、さほど時は経っていないのだろうが、ヴァンには半刻以上は進んだようにも思えた。


 ある程度まで下に進んだ後は、左右の分かれ道が続く。暗がりの中、手燭が照らす壁面を観察してみたが、目印になるようなものはない。ヴァンが気づけぬだけなのかもしれないが、真っすぐ進行方向から目を逸らさないアリアの様子を見る限り、脳内に地図を展開させているとしか思えなかった。


 やがて、右前方の壁に他より一回り大きな窪みが見え、アリアがその前で立ち止まる。視線に促され、ヴァンは隣に立って、窪みの中を覗き込んだ。砂岩の間に、扉が据え付けられていた。アリアがそれに手を伸ばすと、袖に蝋燭が遮られて、束の間周囲の光度が落ちる。扉が開くのと、明かりがヴァンの目に戻ってくるのはほとんど同時だった。


 室内は、特記することもないほど、平凡な様子だ。印象で言えば、イアンの自室に近い。寝台と執務机と、円卓とそれを挟む一対の椅子。簡素だが、周囲が岩壁だということ以外は、居心地の良さそうな部屋だ。てっきり、兄と名乗る人物の場所に案内をされているのだと思い込んでいたので、拍子抜けた。


「しばらくこちらでお待ちください」

「そんな悠長にしている時間はないんだ」


 アリアはこちらを一瞥しただけで答えず、ヴァンを残して扉を閉じようとする。慌てて爪先を扉と壁の間に滑りこませた。彼女の彫像の一部のような眉が微かに動いたようだ。


「君たちの誘いに応じて来てやったんだ。何の説明もないなんて、あんまりじゃないか」

「あのお方はお忙しいのです。彼のご都合が良い時にお呼びしますので」

「それなら、一回帰らせてくれないか」

「我々の秘密を見たあなたを、軽々しく外になど……」


 ふと、アリアが口を閉ざす。何かに耳を澄ますように目を細めてから、扉を押すのを止めた。急に相手が力を抜いたので、力の均衡が崩れてよろめき、つんのめる格好で外に出る。アリアの視線を追い、ヴァンは分かれ道の左通路からゆっくりと歩み寄ってくる人物を見た。


 心臓が、大きく跳ねる。途端に、先ほどとは比にならない息苦しさに苛まれ、目の奥から頭蓋に鋭い痛みが稲妻のように走り抜けた。次いで、何かが胸の奥から這い出して来る感覚を覚える。


 その男の年の頃は、アリアと同じくらいだろうか。彼も手燭を持ってはいたが、空間に対する光の量が足りない。影になった顔の中で、口の端がくっと持ち上がるのが辛うじて見える。


「風がうるさいと思ったら、やっと来てくれたのか。……初めまして、。弟よ」


 耳鳴りが煩い。誰かの声が……幻聴が聞こえてくるようだ。眼前の男の顔には、二つの藍色の瞳がはめ込まれ、燭の揺れる灯に照らされて、爛々と暗い光を放っていた。深淵のような色合いに、目を疑う。イワンデイルの物よりも遥かに上質な、波の加護の証。


「驚くことはない。そなたも水面みなもに己の顔を映すと良い。とても美しい藍色だ。……嫉妬さえ覚えるほどに」



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