11 星の騎士と岩の騎士②
二人は手に手を取り合い、傍から見れば友人同士のように一目散に駆け出す。ハーヴェルが背後で何やら声を上げていたが、振り返る余裕はなかった。王宮内に作られた池の外周を駆け抜け、星の宮と岩の宮の間の庭園をがむしゃらに走り、気づけば二人は地下水道の脇の茂みに隠された小さなくぼみの前に来ていた。エレナと初めて出会った、あの秘密基地だ。
「この中に隠れよう」
言ったものの、ヴァンよりも年長で身体の大きなイアンは、肩がつっかえて苦しそうだ。
「入っちゃえば中は広いから」
後ろから尻を押してやるとやっと、イアンは奥まで進むことができたようだ。ヴァンの方も、成長期であるからか、前回よりも苦労しつつ薄暗い窪みの中に身体を押し込んだ。記憶にあるよりも狭い洞穴内で、むき出しの岩壁に頭をぶつけたり、お互いの腕や足が当たって悪態を吐く声が反響する。
「ちょっと、いきなり動かないでくれよ」
「お前の方こそ、脚を伸ばすんじゃない」
ひとしきり身じろぎして腰を落ち着けると、水滴が滴る音が耳に届く。薄闇の中でイアンの青玉のような瞳を眺めれば、いったい何が楽しくてこんな狭い空間に気の合わない男と二人っきりでいなくてはいけないのかと思えてくる。おそらく、イアンの方も似たようなことを考えたことだろう。
「……後でハーヴェル卿にどんなお仕置きされるだろう」
「明日は走り込みでは済まないだろうな」
「誰のせいだよ」
「俺のせいだって言いたいのか。……間違ってはないな」
殊勝な最後の呟きにヴァンは答えず、背中を岩肌につけて脱力した。これほどまでに感情を
「……記憶がないんだ」
思わず口をついて出た言葉は、自分でも意外だった。イアンはちらりとこちらに視線を向けて、何も言わずに耳を傾けてくれる。
「気づいたら、血の海の中にいた。覚えているのは、自分の名前と年齢と、あとは言葉とかそのくらいで。……僕の中には、何かおかしなものが住んでいるみたいなんだ。時々、それが
「多重人格みたいなものか?」
返答に困った様子のイアンに曖昧に首を振る。ヴァンにもよく分からない。ただ、それが自分の人格の一つだとは思えなかった。多重人格者とは総じてそういうものなのであれば、イアンの言葉はあながち間違いではないのかもしれないが。
怖かった。己が何者なのかわからない上に、時折、自分の身体が自分のものではないようになり、残虐に敵を排除する。いつそれが意識を奪ってくるのか、ずっと怯えていた。
「
「何を甘えたことを」
イアンが吐き捨てた言葉に、ヴァンは眉を寄せる。反論しようとしたところを片手で制され、仕方なく口をつぐむ。
「よく考えろ。仮にお前がどこかの農村で一生を終える人間だったとしても、天災や不作に襲われれば、平穏とは言えない。商家だって、うちの家みたいな末端の貴族だって、同じようなもの。生きるためには、平穏に甘んじている訳にはいかないんだ」
突然の正論に反応できずにいるうちに、イアンは少し躊躇してから続けた。
「マクレガー男爵家は、没落した家だ。借金だらけだし、跡継ぎの兄上は頭はいいが病弱。俺が外で出世して、マクレガー家を支えないといけない」
次男だし、受け継ぐ屋敷も所領も爵位もないし、と小さく笑うその横顔が、知らない人のようにも見えた。銀髪碧眼の涼やかな容姿とは正反対の、ただの暑苦しい少年だと思っていたが、それだけではないのかもしれない。
「ヴァン、お前は今孤児として騎士団にいる。この環境で平穏に生きるのなら、相応の力と地位が必要だと思わないか。騎士団の末端に居座り、誰かのおこぼれに預かってただただ目的もなく生きていくのか? 俺は絶対に嫌だ」
「だから、
しかしながら、イアンは予想に反して首を横に振る。薄闇の中で、微かな光を反射する銀色の髪が揺れた。
「いや、今はそうは思わない。別に今のままでも、出世はできるだろうし」
「意外だ」
「選抜の時は、選ばれたいと思ったものだが」
イアンは少し間を空けてから、心底気の毒そうに言ったのだった。
「俺にあの姫様のお付きは無理だよ。熊の根城に飛び込んで行かれても困るし」
虚を突かれて思わず黙り込んでしまったが、初めて聞いたイアンの弱音が、女の子に振り回されるのが嫌だという趣旨のものだったので、次第に笑いが込み上げてくる。最初は不服そうにしていたイアンだが、だんだん彼自身も自分の心持ちが可笑しくなってきたようで、二人して声を抑えて笑い合った。
声量を抑えた甲斐もあり、秘密基地の場所は誰にもばれなかったのだが、永遠にここに籠っているわけにはいかない。結局、日が暮れ始めた頃合いで二人は穴から這い出て、騎士団に向かいハーヴェルのお説教に頭を低くしたのだった。もちろん、翌日の鍛錬は地獄のような内容であったことは言うまでもない。
それでも、イアンと若干なりとも打ち解けられたという成果のある一日だったので、後から思い起こせば微笑ましい思い出として、ヴァンの心には刻まれていたのである。
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