9 不安な見送り

 数日後、マクレガー家の使いが届けた資料によれば、イアンの記憶はおおむね正しく、シャポックラントは今でこそオウレアスの領土となっているものの、十年前の岩波戦争前までは、マクレガー家の領地であったようだ。


 もともと痩せた土地であり、零細な町であったため、戦中に奪われたまま廃墟の町となった後、領有権を争われることもなく、ただ月日が経つがままになっていたようだ。打ち捨てられた町であるから、一介の民であるサーラやイワンデイルがその名を知らなかったとしても、奇妙なことではなかった。


 シャポックラントの正体が分かったところで、一つ大きな問題がある。日蝕の儀が十六日後に迫っていたのだ。往復の日数だけを考慮すれば式典には間に合うが、少しでも問題が起これば、星の騎士セレスダが日蝕の儀に不在となってしまう。


 王太子が臥せり、星の姫セレイリがオウレアスで襲撃された後であるので、成人の儀は延期となり、日蝕の儀も略式で行うことになったが、それでも星の姫セレイリの片翼である騎士が不在で祭祀を執り行うなど、前代未聞だった。


 そのような状況下ではあったものの、エレナはヴァンにシャポックラント行きを命じた。ヴァンも、それが正しい選択だと同意していたが、二人に意見の相違があるとすれば、一点のみ。


「黒岩騎士の一小隊を引き連れて行くのがいいと思う」

「いいや、それには及ばない。こんな状況で、聖都を手薄にするわけにはいかないよ」

「でもあなたに何かあったら、それこそ星の宮は大混乱になるわ」

「大丈夫。シャーラエルダの町にも危険はなかったし、日蝕の儀があるから少し視察したらすぐに帰ってくるから」

「前回何もなかったから今回も安全って、何を根拠にそう言っているの」


 互いに一歩も譲らぬまま議論は平行線を辿ったが、こうしている間にも時間は過ぎていく。翌早朝、本人の意思を尊重することにしたエレナが騎士を一人で行かせることを決意すると、まだ陽が低い時刻に、星の宮から王宮外部につながる道の上で、しばしの別れの挨拶が交わされた。


 ヴァンの希望もあり、盛大な見送りなどはなく、エレナとその乳母であったメリッサ、それに護衛の騎士が数名だけ。イアンは外出が許可されず、訪れることはできなかったようだ。


 空は薄雲に覆われ、少しすれば小雨が降り注ぐかもしれない。外套を掻き合わせ、手の甲に当たった冷たい感触で、襟元に星の騎士セレスダの徽章が付いたままだと気づく。オウレアスに入るのなら、今回も外しておいた方がいいだろう。ヴァンは慣れた手つきでそれを取り、しばし逡巡してから、エレナに手渡した。彼女はなぜか息を吞んで、それから少しまなじりを吊り上げた。


「持って行きなさい。外していいなんて言ってないわ」

「だけど、オウレアスを忍びで訪れるなら、無駄な刺激はしない方がいい」

「じゃあ見えないところにしまっておいて」


 冷たく言ってから直後、思い直したようにエレナは真っすぐな視線を向けてくる。黄金色の瞳が不安そうに揺れていた。


「ねえ、ヴァンが何を考えているのか、少しならわかるけど……、もし記憶を取り戻したとして、それがどんなものであっても、私はあなたを解任したりしないから」

「……僕が、本当に恐ろしいモノだったら?」

「例えばどんな」

いにしえの魔物とか」

「何言ってるの。そんなものいないわよ」


 敢えてふざけて答えてみると、つんとそっぽを向いた後、エレナは少し表情を緩めた。それでも、心の底には不安が巣食っているらしく、少し突けば泣き出しそうな顔をしている。ヴァンをシャポックラントに遣わすのはエレナだというのに。彼女は、自分の責務の前では心を押し殺すのが常であったが、それを隠すのは決して得意ではなかった。


 永遠の別れでもないだろうに、エレナの言葉と様子に急に胸が苦しくなり、自然と腕が伸びる。柔らかな髪に指先が触れた時、自分の心にずっと前から固く積み上げた堰が崩れる錯覚にいたり、慌てて腕を引っ込める。怪訝そうにエレナが首を傾けたので、代わりにたまには臣下らしくと、膝を折って誤魔化した。


 白い手袋に覆われた細い指を取り、軽く口づける。女性の主君に対する自然な仕草であったはずだが、エレナは意外そうにやや眉を上げたようだった。それに気づかぬ振りをして、ヴァンは主の目を見上げる。


「日蝕までには必ず戻ります。あなたの隣に立つ光栄は他の誰にも渡しません。女神の祝福をいただけますか?」

「……星の女神セレイアの御名において。女神の祝福を授けます」


 いよいよ唇を噛んで泣き出しそうなエレナに背を向ける。たかだか半月の別れだ。不穏な状況下ゆえ、互いに不安は隠せないが、滅多なことはないだろう。


 馬具の点検はぬかりない。雨が降り出す前に、雨雲を抜けよう。幸い、北に架かる雲は星の宮の上空よりは薄く見えた。ヴァンは馬を駆り、再度オウレアスへと向かったのだった。

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