8 王太子と騎士②

 イアンが蟄居ちっきょしているのは、騎士団の建物にある、彼の自室だった。


 北方のマクレガー男爵家の次男である彼は、継ぐべき領地もなく、住まいも現在はこの建物の一室である。彼は星の騎士セレスダ選抜での健闘と、これまでの努力と忠誠心を認められ、王太子の側近として仕える立場にあった。イアンと王太子は年齢も近く、主従とはいえ友人のような関係性であったと認識している。ヴァンで言うところのエレナが事故に遭い、その責を問われ、蟄居していると考えると、その心中は想像に難くない。


 部屋の扉の前には、黒岩騎士団の黒い制服を纏った男が二人、警備にあたっていた。もちろん、室内の人物を守るためではなく、脱走を阻止するためだ。ヴァンは彼らに軽く挨拶をしてから、入室の許可を取る。扉を叩いてから開ければ、機能的で質素な印象の部屋の真ん中で、イアンが蒼白な顔で、ソファーに沈んでいた。


「イアン」


 声をかければ、そこでやっと客人に気づいた様子で、彼は顔を上げる。王宮の内外にまで評判高い整った目鼻立ちはそのままだが、しばらく会わないうちにかなりやつれた様子だった。普段は輝くばかりの銀色の髪も、少し伸びて乱れた印象だ。


 彼はヴァンに気づくと安堵したように少し表情を緩めたが、次いで星の姫セレイリの姿が目に入ると生真面目も腰を上げ、拳を胸に当てて深く礼をした。


星の姫セレイリ。お戻りでいらっしゃいましたか」


 エレナは頷いて応えてから、イアンに着席を促す。それから自身も向いに腰を下ろし、隣にヴァンを座らせた。


「イアン、ひどい顔色だわ。ちゃんと食事はとっているの」

「この状況では、食事も喉を通りません」


 敢えて軽い調子で笑ったイアンの心中を慮り、エレナは口元で無理に微笑んだ。


「あなたがやつれると、世の女性が悲しむわ」

「そのお言葉をそのままお返ししましょう。あなたもかなりお疲れのようです」

「え、私は大丈夫」


 自覚がなかったのか、驚いたように両手を顔に当ててエレナがこちらを見上げるので、ヴァンはわざとらしく肩を竦めた。


「ここ数日ずっと、腹を下した時みたいになってる」

「おい、女性にそんなことを言うな」


 イアンが呆れた様子で忠告するが、このような率直なやりとりは日常茶飯事のことであったから、エレナは気分を害した様子はなく、ただふざけて口をとがらせるだけだ。


「ひどい。こんなことなら、イアンを星の騎士セレスダにすればよかったな」

「イアンじゃ君のお転婆には付き合い切れないよ」

「失礼ね。そんな訳ないでしょ。ね、イアン」


 胸を張って首肯できなかったらしいイアンは、曖昧に首を振っただけだったが、少しだけ表情が和らいだようだった。


 それでも、軽快な調子の会話が途切れれば、重苦しい沈黙に包まれてしまう。王太子の見舞いの後に、軟禁状態の友人を訪ねるのは至極当然のことではあったが、一切の心の準備はできていなかったので、どのように接して良いものか、戸惑ってしまう。ヴァンが頼りにならないと悟ったのだろう、エレナが少し声の調子を下げて、イアンの表情を窺いつつ核心を突いた。


「イアン、その……殿下の件だけど。あなたは、大丈夫?」


 イアンは虚を突かれた表情になった後、すぐに取り繕い、強がる素振りをみせたがそれも長くは続かず、彼にしては珍しく、弱音を吐く。


「大丈夫……と言いたいですが、この通りです。あの日、どうにかして殿下を危険からお救いすることができたのではないかと、悔やまれてなりません」

「気持ちは分かるけれど、自分を責めても仕方ないことだわ。今は前に進まないと」


 微かに震える声で、厳しい言葉を告げる。エレナとしては、イアンと一緒に悲しみを慰め合いたいところだろうが、星の姫セレイリとしては、星の民を鼓舞しなければならない。イアンも星の姫セレイリの言葉に背筋が伸びたようで、小さく頷いた。


「反体制派の仕業だと思う?」

「間違いないでしょう。あなたも、北で奴等に襲われたとお聞きしました。ご無事でよかった」


 先ほどのヴァンの気休めなど一刀両断にされてしまうが、無理もない。エレナが襲撃されたのと同時期に、王太子が事故に遭う。状況証拠からも、その筋以外は考えづらいものがあった。


「私は、ヴァンが」


 ヴァンがいたから大丈夫だった、という旨のことを言いかけたようだが、王太子の護衛であるイアンへの当てつけのようになると気づいたのか、すぐに口を閉ざしてから、首を横に振ってはぐらかした。


「反体制派の目的は何かしら」

星の姫セレイリと王太子を狙ったとすれば、聖サシャ王国の体制を揺るがすことでしょう」


星の姫セレイリにはいくらでも代わりがいるのだからあれは陽動で、おそらくこちらが一番の目的だったでしょうね。私が襲われた後、黒岩騎士団から街道の治安調査に人員が駆り出されてしまったのだし」

「次に狙われるのは、畏れ多くも陛下でしょうか」

「もしかしたら。それと、陛下に忠誠を誓っている波の王オウレスも、反体制派からすれば排除の対象だわ」


 自身の存在など些末なものと言い捨てたエレナから視線を逸らす。彼女が自身を歴代の星の姫セレイリの歯車の一部として割り切っている様子は、その命を守る星の騎士セレスダとしては見るに堪えないものであったが、それはもうとっくの昔に割り切ったことだった。


「陛下もそれは気づいておられるはずだから、警備は徹底しているでしょうね。とすれば早く反体制派を取り締まらないと。ねえヴァン。あなたは例の刺客と話したはずよね。……そろそろ話してほしいな。オウレアスで何してたの」


 何の話かと無意識に身を乗り出したイアンと、問い詰めるような調子はないのに、秘密が許されぬように周囲を固めてきたエレナを代わる代わる見遣り、ヴァンは小さく息を吐いた。


「君には勝てないな」


 もとより、墓場までの秘密とするつもりは毛頭なく、エレナに告げていなかったのは、不確かな情報で動揺させることもないと思ったからで、いつかはもちろん説明する予定だった。ほんの少しだけ、自分の過去の手がかり見つかったことを、エレナに伝えるのが躊躇われたという理由があったのも否定できないが。


 ヴァンは簡単に例の狂人と、シャーラエルダでの話を告げ、懐から波の紋の徽章を取り出した。エレナは石を受け取り、光に透かしたり引っ繰り返したりしてから、イアンに手渡した。彼も興味深そうにそれを観察している。


「それじゃあ、そのシャポックラントって場所を探せば、次の手がかりがあるかもしれないのね。ワーレン司教がいれば、知ってたかも。あの人博識だから」


 幼いエレナの教育係を務めたワーレン司祭は、昨年司教となり、東方の教区に赴任したばかりであった。確かに、歩く辞書と陰で呼ばれていたあの男であれば、シャポックラントが何であるか、答えをくれたかもしれない。ワーレンの教区までどれほどの距離であったかと記憶を呼び覚ましていたところ、意外なところで手掛かりが出る。


「待て、シャポックラントと言ったか」

 眉間に皺を寄せるイアンに、ヴァンは首肯する。


「言ったけど、もしかして知ってる?」

「いや、記憶は曖昧なのだが、確かうちの領地に似たような名前の町があったような」

「オウレアスの町の名前じゃないのか」

「響きはだけ聞けば、北方の感じがするわ」


 ヴァンとエレナがそれぞれに口にするが、イアンは記憶を掘り起こしているらしく、答えはない。しばしの思案の末、彼は溜息交じりに言った。


「我が家の所領は北の国境に面していますから、北方風の地名はいくつもあります。ただ、これ以上は記憶に残っていないので、屋敷から所領に関する文書を持って来させましょう」

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