2 晩餐にて


 星の騎士セレスダは、その生まれや経歴によらず、その任に就いた瞬間より、星の姫セレイリの片翼として扱われる。岩の王サレアスを前にしてすら、星の姫セレイリと同列に並び、神殿の要職として、言葉を交わすことができる。エレナが許されることであれば、大抵のことがヴァンにも許されるのだ。


「王都は統制が利いている様子でしたが、昨年話題になった反体制勢力自体は一定数潜伏しているようでした。滞在は最低限の時間に抑えた方が無難でしょう」


 冷菜を口にするエレナの斜め後ろに控えたままヴァンが言うと、長い食卓の角で額に拳を当てて思案していた岩の王サレアスはやっと、深く嘆息した後に、フォークを手に取った。それから感情の読めない視線で騎士を一瞥する。それが、寡黙な王の「続けよ」の合図だった。


星の姫セレイリの滞在は民衆を前にする日と、長くてもその前後一日。いえ、可能であれば日帰りだっていいでしょう。先遣隊せんけんたいの滞在はその前後の短期間が良かと存じます」

「そうは言うが」


 王は視線を銀食器に向けたまま、低くごろついた抑揚の少ない声で返した。


「もろもろの準備もある。余とてあれを危険にさらすつもりは毛頭ないが」

「それであれば黒岩騎士団からもう一隊お借りできませんか」

「無論、星の姫セレイリには精鋭をつけるつもりだ」


 一連の流れを、ポタージュを掬いながら聞いていたエレナは、口を挟みたい衝動を抑えながら、一口その濃厚な液体を口に含む。星の宮とは料理長が違うため、岩の宮の食事は味覚に新しく、とてもおいしい。もちろん、エレナの好みを知り尽くしたいつもの料理には負けるけれど。


「ご配慮感謝いたします。いずれにせよ、我々としては最短の予定を組む予定です」


 本当は観光くらいしたいけど、と心の中で呟いてみたものの、言っても周囲を困らせるだけなので口をつぐむ。王宮からほとんど出たことがないエレナは、幼少の頃には不自由さに反発したものだが、今はもう無理な主張を声高にする年齢でもなかった。翌月には、成人の儀を経ておおやけに成人するのだし。


 その場にいながら、当事者であるのに一言の発言もないエレナの様子を哀れに思ったのか、向い側に座っていた黒髪の青年が、口元を軽くぬぐって言った。


「まあまあ。以前に比べて世情も落ち着いてきてはいるし、少しくらいエレナに自由をあげてもいい気がするけどね」


 予期せぬ味方の登場に顔を上げると、青年は軽く片目を閉じて微笑んだ。つられてこちらも頬が緩む。一方、過保護な二人は固い表情だ。


「しかしな、イーサン。オウレアスは」


 王は息子の名を呼んで何かを言おうとしてから、エレナを一瞥して口を閉ざす。皆まで言わずとも、何を口にせんとしたのか、一同にはわかっていた。オウレアス王国は、星の姫セレイリを憎んでいる。先の戦争のになったから。


 幼過ぎて記憶は朧げだが、なんでもエレナの食事に毒が盛られる事件があり、侍従の一人がオウレアスの指示で行ったと自白をしたことにより、開戦となったそうだ。幸い、毒を口にする前に判明したので大事には至っていないものの、このような暴挙は許されるはずもなかった。


 次に給仕された白身魚の香草ソース焼きを一切れ口にしたはいいものの、いよいよ食欲が減退してきた。なにも食事の場で、物騒な話なんてしなくてもいいのに。その点、エレナを妹のように思ってくれているイーサン王太子は、怜悧れいりさを醸し出す容貌からは予想外なほどの温かさで、配慮を見せてくれる。


「他国での祭典の計画はひとまず後にして、国内のことについて話ましょう。エレナ、ドレスはもうできたのか?」

「はい。侍女長の実家のつてで、良い職人にお会いできたのです。といっても、母が成人の儀で着たものを少し調整するくらいですけれど」

「遠慮せず新しいものを用意すれば良いではないか」


 配慮に欠ける無骨な王の言葉に苦笑しつつ、エレナはもう一切れ魚を切った。


「良いのです。費用がもったいないし、それに母の数少ない遺品ですから」


 聖なる儀式である日蝕の儀とは違い、俗人として行う成人の儀においては、いつもの重苦しい白の貫頭衣かんとういは不要だ。エレナの成人の儀と日蝕の儀が一纏めに議論されているのは、性質が似ているからではなく、たまたま時期が重なるからに他ならない。


 予定では、まず属国であるオウレアスにて略式の日蝕の儀を行い、帰国後、三日かけて国内の重鎮を招き成人の儀を行った後、日蝕が起こる日程に合わせ、国民に向けて儀式を行う。なんとも忙しい月になりそうだ。


「母君……先代の星の姫セレイリか。お会いしたことがあるはずだが、幼かったのであまり記憶にないな。父上は、先代をよくご存じですよね」


 香草ソースを絡め、魚を口に運ぼうとしていた岩の王サレアスの手が、止まったようだった。それも一瞬のことで、次の仕草には違和感なく、口内のものをを咀嚼し嚥下えんげした後に、彼は答えた。


「強い信念を持った、尊敬に値する人物だった」


 亡き母の評価については、誰に聞いてもおおむね同じような当たり障りない回答しか返ってこない。実子であるエレナに変に気を使っているのであろうか。この機会にもう少し母について知りたい。


「母ともこうして食卓を共にされていたのですよね」

「うむ」

「親しかったのですか。母の成人の儀はどんな様子でした。神殿の祭事の様子は司祭からよく聞きますが、それ以外のことは彼らもあまりわからないようで」


 岩の王サレアスは暫しの沈黙の後、珍しく口元を緩めた。しかしながら、後に出た言葉は、質問を拒絶するような内容だ。


「王太子と星の姫セレイリほどには親密ではなかった。少なくとも、二人で宮殿から抜け出して野草を満腹まで食べて帰ってくるような仲ではな」


「父上、いつの話をしているのですか」

「陛下、野草ではありません。野苺です」


 恥ずかしい幼少期の話題を持ち出されて赤面する二人だが、もっぱら堅物と噂される王は、なぜ二人が慌てるのか理解できなかったようで、パンで香草のソースを拭っていた。


 ヴァンしかり、岩の王サレアスしかり、なぜか今日は昔の恥ずかしい話ばかり話題に上がる。成人という節目を前に、そういう時期なのだろうか。早く、素敵な大人になりたいものだ。

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