3 そなたは我が騎士

 室内に戻っても、砂風にさらされていた亜麻色の髪は、ごわごわとして不快だ。それでも、数時間前に行った湯あみをもう一度する気にはならないし、しばしの休息の後に再びあの砂塵さじんの中に戻るのだと思えば、このまま我慢しようという気になる。


 日々の日課どおり、紅茶を飲みながら休息をしたが、気持ちが高ぶり、全く休まらなかった。騎士見習いの姿を見てやっと、自分の騎士を選ぶ日が来たのだと実感する。


 星の姫セレイリと、それに常に付き従う星の騎士セレスダ。どちらかが死するまで、神の力で強く結びつく。星の騎士セレスダは、王が所有する「黒岩くろいわ騎士団」から出向する形で任に当たるので、星の姫セレイリが代替わりすれば岩の王サレアスの守護に戻るのだが、それまでは主と一心同体として扱われる。そんな重要な相棒を選ぶ日が今日だなんて。


 エレナも同世代の少女の例にもれず、騎士というものに少しだけ幻想を抱いている。選抜に出るのは正式な職位を与えられていない、成人前の見習いたちではあるが、将来有望な若者達だ。


 ただ、選べと言われても、武術にうといエレナには、選定の基準はわからない。しばらく候補者たちを見て回ったが、印象に残ったのは試合に圧倒的な有利で勝ち残った者と、逆に惨敗していた者たち。それと強いて言えば、イアンと、戦わない少年くらいのものか。


星の姫セレイリ


 呼びかけられて目を向ければ、しばし離席をしていた騎士団長が軽く拳を胸に当てる敬礼の後、こちらを伺っていた。


「いかがでしょうか。若輩ゆえ至らぬ者が多いとは存じますが、お気に召す者はおりましたか」


 エレナは少し思案し、当たり障りなく返す。


「ええ。さすが黒岩騎士団。若くして、皆素晴らしい才をお持ちの様子ですね」


 八歳の星の姫セレイリの余所行きの発言に、堅物で有名な団長は眉一つ動かさない。


「もったいないお言葉。しばしの後に決勝が始まりますので、その前に出場する者をご紹介しましょう」


 予選を勝ち残った者、計八名が決勝に出場するらしい。勝ち抜き戦の形式で優勝者は決定するものの、星の騎士セレスダに選定される資格は、八名全員にあった。にもかかわらず、なぜ試合が続くのかと言えば、この選抜が若手の出世をかけた戦いの場にもなっているからだ。


 ティーカップをテーブルの端に避け、広げられた書面に目を落とす。騎士の手によるものだろう、筆圧の強いやや武骨な字体を流し読みし、エレナは問う。


「団長、どのように選べば良いのでしょうか」

「歴代の星の姫セレイリは、優勝者を騎士に任ずることが多かったようです」

「では今年の優勝候補は?」

「立場上、軽率なことは申し上げられません」

「じゃあ、一番戦績が良いのは誰?」


 堅物として知られる黒岩騎士団長も、客観的な数値を求められれば、しばしの思案の末、関節の目立つ指で書面を指した。


「過去の戦績も考慮しますと、やはり彼。イアン・マクレガーでしょう」


 銀髪の彼の雄姿が脳裏に浮かび、エレナはうなずく。


「彼の戦いは素晴らしかった」


 きっと人柄も素晴らしいだろう。書面に目を落として、文字を追う。イアンは北部国境付近の出身らしい。下級貴族の出で、マクレガー男爵家の次男だという。貴族といえども、上級の家系しか面識がないため、マクレガー男爵家という家名は初めて耳にした。


「時点ですと、ハンス・エヴァンズ。次いでシャーロット・ノーラ」

「女の子もいるのね」

「はい。いずれも優秀な騎士の卵です。しかし、お選びになるのであればご慎重に」


 ノーラは孤児や私生児に与えられる姓だ。どんなに優秀であっても、ノーラ姓の者が星の騎士セレスダとなると、貴族からの反発が予想されるのだろう。その点、イアンは下級とは言え高貴な血筋であるし、容姿にも華がある。星の姫セレイリの横に常に控えるのであれば、彼は適任だっただろう。


「他には誰かいる?」

「そうですね……。穴馬だと持ち切りですが、彼。ヴァン・ノーラ。三年前の岩波いわなみ戦争の影響で、騎士団にはノーラ姓が多いですね」


 半ばイアンに内定していたため、ついでに聞いてみた程度であったのだが、エレナは秘密基地での出来事を思い出し、目を丸くしたのだった。


 あんなに鍛錬を嫌がっていたヴァン少年が、なぜ決勝に残っているのかという謎は、すぐに判明した。エレナの発言の影響だったからだ。


 いよいよ強くなった砂風にあおられる髪を抑えながら、眼前の試合を見下ろす。星の姫セレイリの鶴の一声によって時間制限のなくなった試合にて、戸惑いがちに剣を振るうのが、くだんのヴァン少年だった。


(痛いのが嫌だって、どういうこと? 全部避けてるじゃない)


 午前中に交わした会話を思い起こし、目の前の情けない試合に、怒りが湧いてくる。それからふと思い至る。痛いのは彼ではなくて、打たれた試合相手だ。ヴァンは騎士の卵でありながら、そんな軟弱な思考で鍛錬を行っていたのか。


 どんな一撃も風に舞う落ち葉のようにひらりと躱してしまうその身のこなしが人並外れているのは、素人のエレナでもわかるほど。打ち出す打撃も力強く、彼が本気を出せば、見習いには太刀打ちできない実力を秘めているだろう。


 それがあんな心持ちで。宝の持ち腐れだ。心根を叩きなおしてやりたい気分だった。もちろん、周囲の反応も同様で、試合時間が長引くほど、不満気な囁きが漏れ聞こえる。


 試合は最終的に、疲労困憊した少年が地に伏したところ、形ばかりの打撃を打ちこまれ、ヴァンの勝利で終わった。次が最終決戦だ。


 試合相手は大本命のイアン。彼の顔を盗み見ると、不満に満ちた険しい表情で、対戦相手を見つめていた。


 慣例通り距離を置いた状態で対峙たいじし、二人は互いに剣を天に掲げ、それから大地に突き刺す。星と岩に互いの健闘を祈るのだ。刃を丸めた剣とはいえ、打たれれば出血することもあるだろう。万が一の時にも、神が守ってくれるようにという祈りだ。


 ヴァンはエレナより二、三歳上のようだが、イアンは更に上の年齢に見える。体格差がある二人ではあるが、一方的な戦いは誰も想像していなかった。ともすれば、最も優勝が有力視されていたイアンが、負けるかもしれない。腹に重い緊張感の中、群衆は固唾かたずをのんで成り行きを見守った。


 開始の合図と同時に、俊敏に動いたのはイアン。決して筋骨隆々という訳ではないのに、振り下ろす一撃は岩をも砕く勢い。対してヴァンは、風にあおられた木の葉のように、ひらりと簡単に身をかわす。


「なぜ戦わない」


 イアンの苛立った声が響く。剣を構えたままの問いかけに、ヴァンは息一つ切らさず眉を下げる。


「意味もなく痛めつけ合うのはおかしいよ」

「意味もなく? おまえは見習いとはいえ騎士だろうこれがおまえの義務のはずだ」

「それは、実際の戦場ならそうだろうけど」

「修練を怠れば、戦場では何も守れず無駄死にするだけだ」

「気持ちはわかるけど、戦場と訓練場は全く違う」

「騎士団への侮辱か」

「そんなつもりはないよ。ただ……」


 遠くてあまり見えないが、イアンのこめかみには青筋が浮いているだろう。それほどに怒気を含んだ声音だった。ヴァンの否定も虚しく、イアンの一太刀がヴァンの頬に赤い筋を残す。


 観衆からは、賞賛の声が上がった。これまで誰も、ヴァンの身体に傷をつけたものはいなかったからだ。また、先ほどのやり取りでヴァンの印象がだいぶ悪くなっていたこともあるのだろう。


 さながら、正義の味方と極悪党の対戦のような空気感だ。周囲を敵にしてまでどうして戦いたくないのか、と、エレナも呆れ返った。それと同時に、彼のかたくなな心をほぐしてみたい気持ちにもなる。


「いいか、ヴァン。俺はおまえに打たれても痛くも痒くもない。だから本気でかかってこい。これ以上の手抜きは許さない」


 ヴァンは小さく肩をすくめた後に、申し訳程度に一撃を繰り出す。その煮え切らない態度により苛立ちを促進されたイアンが、さらに重撃を放つ。


 予想外に、ヴァンは押されているようだった。闘技場の熱気が増す。ヴァン自身も驚いたように目を丸くし、イアンの攻撃を躱していた。その刹那せつな


 イアンの足が、小石を踏んで身体が傾ぐ。すんでのところで体勢を立て直したのだが、あろうことか、剣は横殴りにヴァンの頭部に向かう。意図しない一撃だったが、一歩間違えば致命傷になってしまう。イアンが慌てて止めようとするが、遠心力に抗えず、剣が舞う。息を吞み、観衆から小さな悲鳴が波を打つ……。


 カン……と甲高い音の後、剣が地面に落ちる重い音が、静まり返った空気を揺らす。次いで、イアンが尻もちをつく格好で、砂に沈んだ。その喉元には、ヴァンの剣の切先がぴったりと吸い付いていた。


 目にも留まらない速さだった。不慮の事故で向かってきた鉄の塊を小さな身体で繰り出した一撃が弾き飛ばし、流れるような動作で敵の頸部を突く様子は、素人目にも見事だった。


 風が砂を揺らす音がさらさらと流れた後、ヴァンが剣を下ろし、戸惑った様子で周囲を見回した。その拍子ひょうしにエレナと視線が重なった。思えば、試合の最中もずっと、エレナは彼を目で追っていた。


 彼の茶色い瞳から困惑を感じ取り、エレナは腰を上げる。


「勝者は決しました」


 事前に決められていた口上だったが、幼い星の姫セレイリの声に、場の空気が動き出す。


「勝者に星の祝福を」


 いまだ戸惑いがちな声音で、一同がそれを唱和する。エレナは、場違いな純白の靴で、砂の中を進む。


星の姫セレイリ


 側に控えていたワーレンが、軽卒を咎めるように呼んだが、一瞥もせずに二人の少年の前に歩み出た。


 イアンが慌てて体勢を整え膝を突き、一拍遅れてヴァンも同様にした。


「剣をここに」


 決勝の八名全員に、星の騎士セレスダの資格があるが、改めて選ぶ必要はなかった。なぜなのかは、わからない。どうしてか、気づけば彼のことが気になってしまい目が離せない。何か根源的なものを共有しているような、妙な親近感があった。それこそ、何かに導かれるかのような……。


「剣を」


 再度促してやっと、勝者は自らの剣の柄をエレナに差し出した。汗のしみ込んだ何の変哲もない訓練用の剣を、自ら選んだ騎士の肩に軽く乗せる。ヴァンが小さく震えたのが分かった。


星の女神セレイアの御名において、そなたの健闘を称え、我がここにある限り、我が騎士の称号を与えます。秩序、契約、公平。神のご加護がありますように」


 少し面を上げたヴァンが、苦虫を嚙み潰したような表情をしていたのとは対照的に、意外にも、イアンが清々しい顔をしていたのが、妙に印象に残った。



序幕 終


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