第34話 ふたり
美沙希は波の荒い湖に落ちた。
ほとんど全身が水没しているが、左手でかろうじてテトラポッドをつかんでいる。
その手に持っていたランディングネットは湖底に沈んだ。
右手はまだロッドを持っている。
「美沙希、竿を捨てて! 片手では這い上がれないわ!」とカズミが叫ぶ。
「でも、この竿には50アップのバスがついているのよ!」
「あきらめて! 50アップはまた釣れる。でも命は失ったら、絶対に戻ってこないのよ!」
美沙希は逡巡したが、ロッドを捨てた。
デカバスとロッドは湖の中に消えた。
美沙希はテトラポッドの上に這い上がろうとした。
そのとき、ひと際大きな波が来て、彼女に覆いかぶさった。
波が去ったとき、美沙希の姿も消えていた。
カズミは呆然としていた。
水面を見つめ、美沙希の姿を探した。
どこにも見当たらない。
「美沙希ぃーっ!」
声の限りに呼んだが、答えはない。
カズミはためらわず、湖に飛び込んだ。
潜水して、美沙希を探す。
カスミガウラの水は濁っていて、見通しが悪い。
しかし、水中でもがいている美沙希が見つかった。
カズミは泳いだ。
美沙希は水を飲んでしまっているようで、パニックに陥っている。
カズミは溺れている少女の左手首をつかんで、岸に向かって泳いだ。
美沙希のパニックは続いている。
カズミにしがみつこうとしている。
このまま絡まれたら、ふたりとも溺れてしまう。
カズミはいったん手を離し、美沙希の背後に回って、その腰をつかんだ。
無我夢中で泳ぐ。
美沙希の手がテトラポッドに届いた。
「ぷはっ」
カズミは顔を水面上に出して、息をした。
その隣で、美沙希もまた、荒い息をしていた。
しっかりと酸素を身体に取り込んでから、ふたりはテトラポッドの上に這い上がった。
ふたりは安全な防波堤まで避難した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
美沙希はまだ肩で息をしている。
「助かったわね……」
カズミがぽつりと言った。
「まだ助かってない」
美沙希は防波堤の上に横たわり、目を閉じた。
「私は意識不明」
「しゃべってるじゃん! 意識あるよね?」
「意識不明で呼吸停止。人工呼吸が必要」
美沙希はぐったりと横たわり、死んだふりをした。
カズミはそんな美しい少女を切なげに見つめて。
マウストゥマウスで息を吹き込んだ。
カズミは自分の唇を美沙希の唇につけた。
胸がドキドキしている。
ついにやってしまった。
簡単には唇を離さなかった。
愛しい人の唇を味わった。
やわらかくて、ひんやりとして、少しだけ甘い。
美沙希は陶然となって、カズミの唇を受け入れていた。
熱い。
カズミの唇が熱い。
自分の顔と胸も熱くなって、その熱はやがて身体中に広がっていった。
カズミがゆっくりと唇を離した。
その目は名残惜しそうに美沙希の顔を見つめていた。
「人工呼吸終わり」とカズミは言った。
「すてきな人工呼吸だった。キスみたいだったよ」
「もしキスだとしたら、あたしのファーストキスになる」
「私もファーストキスになっちゃう」
ふたりは見つめあった。
そしてどちらからともなく顔を近づけ、2度目のキスをした。
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