第百八話「万感」

 漏れ出す。


 狂気が死が。


 スクイの全てが、泥となって溢れる。


「ああ」


 素晴らしい。

 スクイは感動すら覚える歓喜の表情を浮かべる。


「これでやっと、世界を救える」


 スクイの無限に流れる泥は、魔王と違い魔物に変わらない。

 しかし魔王城を破壊し、その上空のスクイを包み込むように溢れる泥は。


 溢れるように地に流れ。

 その命を奪う。


 死の泥。

 スクイの魔法を混ざり合ったそれは、スクイの魔法と比較にならない速度で生命を死に向かわせる。

 それを撒き散らし前進するスクイ。


 上空より流れる死の泥は、ポリヴィティへと流れこむ。


「あれが」


 魔王。

 死の体現。


 魔王城の爆発から、ポリヴィティの者たちはその様子を見て。

 僧侶を失った絶望の中。


「私たちが」


 失意の中で。


「僧侶様の、仇を打つ!」


 奮起した。


 僧侶の死に打ちひしがれる住民も、戦闘員も関係がない。

 善も悪も、全ての人間が、武器を取る。


 あるいはそのまま、僧侶の死に絶望し、闇に戻るしかなかったはずの住民に火をつけ。

 そして。


「俺たちが」


 なんと言おうとしたのか。

 わからないままに。


 スクイの知り合いも。

 これから関係を持つ予定だった者も。


 善人も悪人も。

 幸福な者も不幸な者も。


 外壁より高くから降り注ぐ泥の波は、一瞬にして街を満たし。

 その街にいる人物の命を。


 1人残らず、奪い去る。


「ふふ」


 少し、愉快そうに笑いながら、スクイはポリヴィティを横断する。

 死の救い。


 街そのものに変質はなく、人間のみが死に至っている。

 それは意図的なものか。執着か。


 3国に向かう間も、その道中を死で満たす。


「素晴らしい」


 望み通り。

 ポリヴィティでの惨状に対し、呟く。


 仲の良かったアビドや、良く接してくれたソプラ。

 変わろうと藻掻くペーネ。

 慕ってくれた騎士団。


 それももう、死に目すら見ることはない。

 他の、知りもしない人間と同じ。


 それでいいのだ。

 それこそが、平等。


「ん?」


 道中の盗賊たちが住む森を死で侵しながら、スクイはこちらに高速で向かう存在に気づく。


「ああ」


 スクイが気づいてすぐ、そのくらいの速度で。

 スクイの目の前に、飛来する。


「ホロさんですか」


 人の良い笑み。

 しかしそれがいつものように相手のために作ったものでなく。


 解放されたような。

 いつもの笑みが、苦痛の中無理やり作っていたのではと思うほどの。


 安らかな笑み。


「その腕」

 

 ちらりと、ホロの失った腕を見て。

 スクイは呟き。


「先程は急に飛ばしてしまい申し訳ありませんでした」


 無視したようにスクイは、魔王城でのことを謝罪した。


「見てください。この力を」


 そして、そんなことは些事かのように、話を続ける。


「死の魔法、そして魔王の力。その力によって私は気付かされました」


 世界を救う方法を。


「死です!死こそが救済!この世界で唯一の平等!であればこの世界に死をもたらすことこそが真の救済!」


 変わらない。

 神々の狂気に侵されても、元々狂気の塊であるスクイ。


 目に見えた言動の違いは少なく見え。


 ホロにはその小さな違いが、痛いほどによくわかる。


「そうです!ホロさんもご一緒しましょう!」


 同志。

 スクイはホロをそう扱った。


「共に世界に死をもたらし、共に世界を救いましょう!」


 我々は対等だと。

 スクイはいつだってそう接した。


「さあ」


 手を差し伸べ、いつもより優しくスクイはホロに微笑みかける。


 いつだって彼女は、スクイのこの姿に。

 救われてきた。


「ご主人様」


 ホロは、失った腕をゆっくりと伸ばし。


「ご主人様は、死を信奉されています」


 その気持ちは、痛いほどよくわかる。

 ホロ自身も、そういう気持ちがないわけではない。


「しかしご主人様は」


 スクイの背後で、人1人残らない街。

 それが、目の前のスクイ以上に印象的で。


「だからこそご主人様は」


 バサリと。

 ホロのローブが動くほど。


 ローブの内側から物が消える。


 それは、作り続けた物。

 大量の、スクイのナイフを模した。


 神をも殺したナイフ。


「誰かの幸せを踏み躙ったりはしなかった!」


 失った、自分を包み込む想いの塊と反するように湧き上がる。


 膨大な魔力。

 加護の発現と同時に、その魔力は赤く、可視化するほどの濃度となってホロを包み込み。


 スクイの泥すらも、その余波で波打つように揺れる。


「これほどの」


 スクイが驚きを見せる。


 上限のない、愛の加護による魔力増幅。

 その効果は、魔法と同じく術者に依存する。


「魔王の狂気を得たご主人様は、間違っています」


 ホロから発される。

 神聖魔法使いすら、上回る魔力。


「だから、私があなたを」


「止めると?」


 スクイの、水を差すような言葉は。

 ホロの表情を歪ませる。


 それは、覚悟を試すようで。


「救う!」


 導くようで。

 いつものスクイのようで。


「死によって!」


 覚悟と共に、湧き上がる魔力が。

 失った腕によって即座に魔法に変わる。


 2人を包み込むような、岩の弾丸。

 小さな山一つに匹敵しかねない量のそれは。


 触れるだけで蒸発しかねないほどの熱を帯びている。


 圧縮された、マグマ。

 それが同時にスクイに襲いかかる。


「それが」


 不意をついて出た攻撃かと。

 スクイは落胆するように声を上げる。


 ホロの、街一つ消し飛ばす攻撃も、スクイの死の泥の前には消えることしかできず。

 質量も、熱量も。


 意味を成さない。


「対策は、してこなかったのですか?」


 仮にも、自分が戦いを教えた相手。

 適当に技を放つだけではスクイには勝てない。


 感情のままに突撃してきたわけではないと思っていたと、スクイは残念そうに語り。


「してきましたよ」


 万全に。

 そう、ホロが言う前に。


「では、これも」


 スクイが、即座にホロの目の前に現れる。

 泥を使った高速移動。


 泥による移動自体の動きは遅い。

 それだけであれば、ホロの飛行能力はそれ以上であるが。


 そこから飛び出るスクイのスピードは僅かに纏った泥により空気抵抗すら殺し。

 人間の反応速度を超える。


 そしてそこから繰り出されるのは。


 人外の速度。

 ゲーレの剣が、遅く感じるほどの。


 ナイフ。


 ホロを救った。

 スクイの象徴。


「待って」


 それが今、初めて自分に向けられる。

 ホロが対応するまもなく、そのナイフはホロの首に押し当てられ。


 首を跳ね飛ばそうとする中で。


 ホロがスクイに。

 初めて見せる。


 狂気の目。


「待ってましたよ」


 その目は、狂気に侵されたスクイですら、異質。

 そう呼べるものであり。


 スクイの手からは、ナイフが消える。


「何故」


 スクイは、知らない。

 ホロが組織、オールと戦った時。


 あえて攻撃を誘ったことを。

 

 そして。

 相手の武器を、魔力に変えたことを。


「聖剣を使うことも考えましたが」


 勇者の剣。

 それと同等とすら言える。


 魔王のナイフ。


「こちらの方が、それらしい」


 スクイの武器を奪い。

 加護により増幅した魔力の塊は。


 スクイの泥を圧倒的に凌駕し。

 真っ赤に燃えるかのように可視化された濃度と、身体の周りに留められないほどの量は。


 爆発するように、辺りを埋め尽くす。


 魔力こそ、人間に与えられた神々の権能。

 その一片。


 人類の与えられた、可能性。


 そして人類史上、最高の魔力量を大きく上回る。

 ホロの放つ魔法。


「使います」


 それは。


「無理心中」


 神に与えられた、最高峰の愛の魔法。

 ホロの言葉と同時、ホロの発した膨大な魔力は消える。

 

 突如と消えた、膨大な魔力に対し。

 スクイの身にも、ホロにも、変化は見られない。


「何」


 スクイが、その意味を問う前に。

 スクイの身体を、岩の塊が撃ち抜く。


 泥から抜け出した故に纏った泥の濃度が少なく。

 攻撃を許したが、関係はない。


 スクイはまた泥の塊に戻り。

 不死の能力で身体を癒そうと考え。


 気づく。


「なるほど」


 スクイの身体に空いたいくつかの穴。

 そして傷が。


 癒えない。


「そういう魔法」


 無理心中。

 愛の神が与える最も強力な魔法であり。


 この世で最も強力な魔法、Sランク魔法の1つ


 自己犠牲を教義とする愛の宗教の信奉する神の与えるそれは。

 その体現とも言え。


「等価交換、否」


 その効果は。

 自己犠牲の対価を。


 相手に強制的に要求する。


「膨大な魔力を差し替えに、不死を失わせる」


 それは例えホロの魔力がどれだけ大きなものであっても釣り合ってはいない。

 スクイの不死もまた、数に入らないだけで死の神が与える最も強力な、Sランク級の魔法。


 それを消す。


「素晴らしい、能力ですね」


 死を信奉するスクイは、癒えない自分の身体を見ながらも、喜んだようでしかなく。

 同時にホロは接近する。


 スクイのナイフから得た膨大な魔力を消費しても。

 ホロの魔力量は依然異常であり。

 

 触れれば死ぬ泥すらも。

 ホロは無理心中で自身の魔力と相殺できる。

 スクイの周りの泥を消せば、空中でスクイは身動きが取れず。


 届く。


「これで」


 ホロは、万感の想いと同時に、手に作り出す。

 それは愛の女神を殺したものと同じ。


 先程失った。

 スクイのナイフと同じもの。


「あなたを殺して」  


 そして。


「私も、死ぬ」


 その言葉に、スクイは目を見開く。


 ホロの覚悟。

 愛の女神認めたホロの愛。


 それはスクイを救うこと。

 しかしスクイはもう、死ぬことでしか救われず。

 そのためホロは。


 愛する者を、愛する者のために手にかけなければならない。


 そしてホロにとって。

 スクイのいない世界に、意味などない。


「さようなら」


 ホロの一撃は、スクイの胸を貫こうとし。


「はい」


 さようなら。

 そう返したスクイの手は、ホロの心臓を貫き。


 ホロのナイフは。

 ただ。


 スクイのスクイの身体を、空振った。


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