第百話「魔王」

 魔王が魔物を産んでいる。


 それはこの世界であれば当然の認識で、魔王が魔物を産み、それを使役して戦闘することもまた極めて一般的な魔王の戦闘方法への推測である。


「まずは、といったところですか」


 ドラゴンやヒュドラといった、伝説級の魔物が部屋中を埋め尽くす中。

 スクイは冷めたような目であたりを確認する。


「そのまずですら、勇者と神聖魔法使い複数必要なんだけどね」


 魔王はのんびりと、眺める。


 そのくらいには普通の攻撃ではかすり傷さえ負わせられない、強力で巨大生物の群れが。

 押せば潰れそうなスクイに、一定以上近づくことができない。


「へえ」


 戦場。

 スクイの能力を前の世界で、飛躍的に伸ばした場所。


 それをこの世界でも経験し。

 死すらも超えた先。


 スクイの紐で振り回せる範囲に入る魔物は、その瞬間その部位を切り離され。

 細切れにされる。


 段違いのスピード。

 もはやどれほどの強敵だろうと寄せ付けるものはない。


「でもさ」


 魔王は笑みを浮かべながら様子を見るのみ。


 魔王の召喚した魔物は何も、突進するだけの力自慢だけではない。


 空気が蠢く実態のない四足歩行の魔物。

 触れたものを超重力にて粒に変える息を吐く猿。

 衝撃を受けると街一つ飲み込む量の、全てを溶かす酸を撒き散らし爆破する虫の群れ。


 伝説級に名を恥じぬ魔物ばかり。

 ただ速い攻撃を振り回すというだけでは、その全てに対応したとは言えない。


「わかってますよ」


 スクイの無軌道に見えるナイフは、確実に相手を選んでおり。

 そしてナイフで対応できない相手のために。


 用意されている。


「死の魔法」


 開戦直後から発され続けたそれは、スクイの周りの魔物たちの動きを僅かに鈍らせる程度には濃度を上げていた。

 本来高等魔術の一斉射撃にすら怯まない魔物たちであることを考えれば相当な魔法である。


 しかしスクイのナイフの異常と言える速さを考えれば、魔物の動きの速さはもはや関係がない。


「ここからですね」


 準備ができたように雰囲気を変えるスクイに反するように、スクイの周りから死の魔法が消えて行く。

 瘴気は晴れ、魔物たちは同時にスクイに襲いかかり。


 その体を灰へと変えた。


「圧縮」


 その極地。

 魔王の言葉に、スクイは返さない。


 スクイは、放出した死の魔法の瘴気を、自分の身に纏う程度にまで圧縮した。

 常人が直視すれば発狂を免れ得ないほど、密度の高い死そのものとすら言えるそれは。


 触れたものの時を死に近づけるという魔法の濃度を限界まで引き上げており。

 触れたものが即座に灰になる程であった。


 スクイの死の魔法はミストル司祭のように相殺ではない。

 どれほどの巨体も、魔法も、スクイの前では。


 無と化し。

 死以外の選択肢を残されない。


「時を加速させる」


 スクイの死の魔法に魔王は目を細める。

 体を包み込むオーラのような形態へと化したそれは、もはやどんな魔物ですら触れることを許されない。


 全ての魔物を倒しうる。

 魔王との戦いにおける大前提であり、勇者が神聖魔法使いを引き連れなければならない理由の一端を。


 たった1人で解決する。


「死へと向かう能力ね」


 魔法は、神からの与えられた権能。

 そこには、当人の望みや性質が多かれ少なかれ含まれる。


 つまりスクイの望みは。


「いいよ」


 魔王が何を思ったか。

 魔物が全滅するのを確認し呟くと同時に、スクイの目の前に現れる。


 移動、ではない。

 それを見逃すはずがないと、スクイは確信を持つ。


 瞬間移動。


「醜い望みだね」


 魔王は、ゆくりと手を上げる。

 当然、意図のない行為だとスクイは思わない。


 攻撃であると察し、バックステップで避けようとし。


 自分の体が動かないことに気づく。


 瞬間、スクイの目にはのっそりとしたようにすら見えた魔王の手は、数多の魔物に触れることすら許さなかったスクイの身体を、左肩から右腰にかけて袈裟斬りにした。


「早く死んでしまいたい、なんてさ」


 魔王の呟きと同時。

 斜めに分担された身体を、スクイは右手で左脇腹を抱えるようにして寄せ、修復する。


 綺麗な切り口は、不死のスクイにとってむしろ回復しやすいものと言えた。


「なるほど、死の」


 2種の死の魔法。

 少し驚くような声を上げる魔王を、スクイは確認する。


 スクイの瘴気に当てられたはずの右腕は、ダメージを負った風には見えない。

 そして、瞬間移動や、障害物でもあったように動けなくなったスクイ。


「狂気故、というわけですか」


 時を進める。

 100年生きる魔物が、触れる機会も与えられず灰になるスクイの魔法。


 魔王は当然だろうといった表情でしかない。


「君ならばわかるはずだ。僕が本当の狂気でしかないのであれば」


 それは、たとえ時が何万年。

 何億年あっても風化することはない。


 しかしそれほどの狂気。

 その真髄。


 ゆっくりと全貌が見えてきた魔王という存在。


「道理でしょう」


 狂気の一端は、執着。

 時を進めた程度で消えて無くなるほど、簡単なものではない。


 納得と同時に、今度はとてつもない速度で魔王の両手が、スクイの腹部に差し込まれんとする。

 戦士の神聖魔法使い、ゲーレの攻撃を見たスクイが、それ以上と断じるスピード。


 不死にとって刺突は大したダメージにならないが、確実に体が爆散する速度を。


 スクイは自身の両手の平に突き刺させることで、止める。

 そして、離さない。


「へえ」


 異例の手四つ。


 体が爆散するほどの衝撃を、死の魔法で消失させた。

 そこに魔王は驚かない。


 可能としたのは、戦士の魔法すら超える魔王の身体能力への対応であり。

 それは攻撃に後手で対応していては確実に遅れるもの。


 先読みしているだけではない。

 ある程度、動きをスクイによって誘導されている。


「これが」


 人間という種の、戦闘を極めた者。

 この世の頂点、魔王にすら通用する武に、感慨深さすら滲むその言葉。


 しかし、その言葉にすら、意味などない。


 手四つとは言え、スクイも力比べをするつもりはない。

 捻りを入れ、両手をへし折りながら、体勢を崩させたスクイはそのまま右脇腹に蹴りを入れ魔王を吹き飛ばす。


 壁に激突するほどの衝撃。

 しかしそれで倒れてはくれないだろう。


 魔王の見た目は人間でも、中身はまるで違う。

 一対一でも絞技や組技が選択肢に入らない理由である。


 追撃を、と駆けようとするスクイの前に。


 一枚の壁が現れる。


 単なる壁一枚。

 スクイであれば文字通り障壁とは言えず、死の魔法を纏う今自らの手で壊す必要すら感じられない。


 しかし、その壁にスクイは激突した。


「何故」


 理由を考える暇もなく、スクイの左右、後ろと同じ壁が現れ。

 閉じ込められたスクイの頭上には、その穴を埋めるような。


 縦に巨大な塊が、スクイを押し潰そうと落下する。


 その全てが死の魔法を受け付けることはせず。


「作れるのは、魔物だけではないと」


 スクイは、直前にてその作られた密室から脱出する。

 死の魔法が効かずとも、スクイのナイフは絶対両断であり。


 それは死の魔法の効かない物質についても同じであった。


「まあ、そうだね」


 壁に打ち付けられ地面に倒れた魔王は、無傷で立ち上がる。


 違和感はあったが、絶対両断の魔道具かと。

 納得したように、興味深げに観察する。


 ナイフの性能に対して、スクイの技量の高さが目隠しとなっているのかと。


「しかし、ちょっと違う」


 魔王は、指を立てながら、説明する。


「世界改変」


 そう、呟くと同時に、部屋中を巻き込む爆発。

 突然の轟音と、部屋を埋め尽くす炎。


 しかしスクイにはダメージひとつない。


「爆発は通用しないか」


 こともなげに、ここが魔王城でなければポリヴィティまで更地となっていたであろう爆発を試す魔王。

 この魔王城の中身に反した巨大さは、この頑丈さを維持するためであることは明白であった。


「世界、改変」


 スクイは、魔王の言葉に、その内容に、行きあたる。

 それは、最悪とすら言える。


「それは」


 この世界を作り替える行為。

 そしてそれは、その権能は。


「神々の、権能」


「その通り」


 狂気の塊。

 魔王の正体がそれであれば、その狂気はどこから現れたものなのか。


 混沌とした、スクイをも超える、入り混じり判別のつかないまでに練り上げられた。

 怨嗟の叫びの集合体。


「魔王とは、神々の負の感情」


 その塊。


 魔王は全身を捻るようにスクイに両手を打ち付けようとする。

 その両手には、巨大な槌が現れた。


「八百万の神々の、狂気の寄せ集め」


 それは、スクイであっても到底敵わない量の、狂気の渦。

 ナイフにて槌をバラバラにし、その欠片を振るうように魔王に当てながら。


 スクイは納得する。


 魔王が、人間に害をなすために神々の意図で送られたとは思えない。

 恐らくは偶然の産物。


 思うだけで全てを手にできる神々故の、想いが形となってしまった負の結果。

 だからこそ、人間に不要に手を貸さない神々が、過剰に手を貸した。


 神々が理由なれど、人間界の事件。

 その折衷案が、魔王を倒すための魔法。


 勇者。


「混沌として、何一つとして重なり合うこともない、無数の狂気が無理矢理一つの形となったのが、魔王」


 そしてその狂気は。

 神々なき今ですら、消えることはなく。


 むしろその抑えが緩まるように。

 狂気の産物。


 魔物を吐き出し続ける。


「そして誕生から無数の時を経て、無数の狂気はやがて一つの何かに集約されようとしている」


 つまり。

 魔王が完成しようとしている。


「これは、その証だろうね」


 神々の権能の使用ができるということ。


 散弾の雨にも、怯む様子はない魔王は。

 今度は一本の刀を精製する。


「世界開闢より、一切変わらない物質、を世界を改変し手元に」


 そしてその形も自在。

 さらに。


「こういうこともね」


 魔王がスクイから距離を取って、その刀を振るう。

 スクイは、魔王の意図を察し防御を取るが。


「瞬間移動」


 魔王の目の前に現れていたスクイは、縦に両断され。

 対応するまもなく、目の前にいたはずの魔王に、後ろから横薙ぎに斬られる。


 現実改変。

 神々の権能だからこそだろう。おそらくは人間そのものに干渉はできない。


 しかし、その間の空間や、魔王自身の移動くらいであれば訳もなく。

 戦士以上の身体能力、先程の爆発にも傷一つ負わない魔王という前提に。


 スクイと魔王自身の位置どりは即座に魔王の思うままに変わり。

 スクイの魔法は魔王どころかその産み出した物質にすら効果はない。


「完成された魔王が、どうなるのか」


 神々の狂気から産まれ。

 狂気の産物を産み出し続けた。


 その無限に溢れる泥の泉。


 それが、それ故に神々の権能を持つ。


「それは、神々の狂気の、答えということになるだろうね」


 バラバラにとなったスクイに、そう語りかける。

 回復は遅々として進まない。


 それ以上に、魔王はスクイを細切れにしたのだから。


「なるほど」


 しかし。

 そんな中でも、スクイの口からは声が漏れ出る。


「狂気とは混沌、それは一つでしょう」


 しかし。

 スクイの答えは違う。


「混沌とした、あらゆる地獄を繋ぎ合わせ、答えのないはずの問題に答えを見つける」


 そしてその答え。

 1つの何かへの執着。


 それが、狂気と呼ばれるものであり。


「神々の狂気の塊、それもまだ実際は狂気と呼べるに値しない」


 そして誰もが、人生を賭けた答えを出すのだ。

 それは、正解などないと一般的にされ。


 狂人だけが、己の答えを。

 世界の答えと確信する。


 強さ。

 信仰。


 形はどうあれ。


「未だ自分の混沌に答えもないようでは」


 人間の狂気に遠く及ばない。


 魔王という世界の頂点。

 それを相手に、点在するスクイの身体は突然高速で再生しながら告げる。


 バラバラになったパーツ一つ一つが、スクイとなり。

 無数の群れとなる。


「貴方に死を教えましょう」


 その声色は、出来すぎたくらいに。

 一致した。


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