第九十九話「裏切り」
「行かれるんですね」
日の開ける直前。
ベッドから出たスクイに、ホロはそう尋ねる。
「はい」
誤魔化しは効かない。
そうわかっていたスクイは端的に返す。
魔王討伐。
僧侶との約束を果たしに、スクイは向かう。
「止めますか?」
スクイは、にこやかにホロへ尋ね返す。
止めても意味はない。ホロがそう理解していると、知っていても聞く。
「いいえ」
ホロもまた、その意味のない質問に、端的に返した。
ホロにスクイの意図はわからない。
それでも、スクイに譲れない理由ができてしまったことは察していた。
だから、止めない。
「お供します」
代わりに、そう伝える。
当然の言葉。スクイからしてもホロからしてもそうであり。
「そう、ですね」
スクイを困らせる。
寝ているうちに出ようとしていたのだ。ホロを連れて行くつもりがなかったどころか、来させまいとしていたのは明白である。
しかし。
「わかりました」
断るだろう、そう思い返す言葉を考えていたホロは、少し驚く。
いいのか?
そういった考えを飲み込んだ。
自分は、魔王討伐に同行する価値がある。
そういったスクイからの評価であるならば。
異論などないと。
「では、いきましょうか」
スクイとホロは、戦闘の準備を済ませ、足早に街を出る。
明け方とは言え人のいない街ではない。
魔王城へは教会を通る必要があったが、常に見張りがいることもあり通ることはできた。
「僧侶に託された仕事がある」
そう言うと、聖騎士団はスクイを通す。
内容など問いたださない。
僧侶の亡骸を持ち帰ったスクイを見た者であれば。
誰も異論は挟めなかった。
「少し、歩きますね」
前回魔導車を借りて行った程度には、魔王城までは時間がかかる。
ホロの体力を気にするスクイだったが、特に疲れた様子もない。
「そうですね!その間に作戦を立てましょう!」
ホロは前回組織で使ったような、近接と遠距離の分担分けを提案する。
ホロの魔法操作であれば、スクイの戦闘の邪魔にならず、確実に援護ができる。
「そうですね。それがいいでしょう」
対したスクイは、頷くばかりでさほど意見を出さない。
もっとも、役割の完全に違う2人であることを考えれば、ホロの意見はもっともである。
嬉しそうに自分の最近会得した技とスクイの技の相性を語るホロを、スクイは嬉しそうに聞いた。
「ここですね」
魔王城前。
僧侶の倒した魔物の死骸が残る中、スクイとホロは門前まで着く。
「流石に、また魔物が出てくると言うことはありませんでしたね」
「ええ。たまたま周期が早まったのか、罠だとしても連続ではないのでしょう」
実際スクイが僧侶に会いに来た時も扉は開かなかった。
どちらだとしても僧侶なき今、魔物がいつ来ようがポリヴィティが存続できるかは怪しいところである。
であれば、今すぐ魔王を討伐しなければポリヴィティの未来はない。
「開きましょう」
ドラゴンが数匹通れる巨大な扉。
しかしスクイは、今は開けられると推測する。
「開きますね」
軽くはない。
しかし、明らかに見た目程の重量を伴わない扉は、ゆっくりと開き始める。
「全開にする必要はないでしょう」
スクイは、2人が十分に通れるだけ扉を開けてから、中に入る。
暗い。
元々足音の一切しないスクイである。
ホロは足音から中の広さが掴めず、躊躇いなく中に進むスクイについて中に入り。
後ろで扉が閉じるのを感じた。
「そん、」
驚愕。
ホロの表情は、扉が閉まったことではない。
自分の消しきれなかった足音から、部屋の全貌にある程度察しがついたのだ。
そしてそれは、外から見ただけではわかりえないこと。
灯が灯る。
扉から十歩ほど歩いたところにいるスクイとホロは、自分たちが入り口から続く絨毯の上を歩いていたことを確認し。
その先、広い部屋の向こう側に、玉座にでも座るように腰掛ける1人の少年。
「やあ」
挨拶するその様子は、普通の人間とさして変わらない。
それを含めて。
この部屋はこれで終わりで。
この城はこれで終わりだった。
「勇者じゃないね」
ホロは一歩も動けない。
それは、目の前の相手が強そうだとか、緊張しているからといったものではない。
魔王城が、入れば1フロアでそれしかない。
そんな驚きなど、とうに消える。
わからないのだ。
「可哀想に」
目の前の存在のことが、何一つ。
人間の容姿で、人間の言葉を話している。
内容だって、この状況からすればさほどズレた物ではないだろう。
それを踏まえて、わからない。
何がわからないのかもわからないほど、掴む実体すらないほどに。
言葉が耳に入って、脳をすり抜ける。
それほどに、異質。
それは、スクイよりも。
理解不能な存在。
なにもわからないから、なにもできない。
指一本、動かすことでさえ。
「じゃあ、始めようか」
目の前の少年。
魔王は、いとも簡単に始まりの言葉を口にし。
「ホロさん」
スクイはホロの名前を呼ぶ。
「はい!」
しかし。
ホロには、それだけで十分であった。
理解不能な存在。自分が何をすべきか、わからなくなるほどの異質。
それがなんだと言うのか。
スクイがそばにいる。
名前を呼んでくれる。
それがわかっていればいい。
それ以上に、必要なことはなかった。
「わかってます!魔王、倒し」
自分は動揺などしていない。
むしろ、意気込んですらいる。
そう見せつけるように、大声をあげるホロの手に。
スクイはそっと、自分の手を重ねる。
それにホロは、思わず言葉を止めた。
こんなときであるが、こんなときだからこそだろう。
元気付けてくれているのだと、少し照れながら、ホロはスクイの顔を見て。
「さよならです」
その表情が、いつもホロに優しげな表情を向けたスクイが。
今までで一番、慈愛に溢れ。
それでいて一度も見せたことのないような。
少しだけ、寂しそうな。
名残惜しむような。
そんな、それでも笑ってみせたような表情で。
ホロは全てを理解する。
「嫌!」
今までの、幸せとは言えなかった人生の、どんなときよりも。
激しい拒絶感。
この瞬間、自分という人間が終わってしまうと言うほどの嫌悪感。
それに思わず、ホロはスクイに背を向け。
同時に、その姿を消す。
「転移」
転移の指輪。
魔力を流すことで指定の場所に転移する指輪に。
スクイの魔力を流し、ホロを強制的に転移させた。
「いいの?彼女は嫌がってたみたいだけど」
「ええ」
大したことではないように、スクイは答える。
「どちらにせよそのつもりでしたが、あなたを見て早まった」
魔王。
「そうかな。まだそんなに強そうなところは見せてないと思うけど」
見た目も人間だしなあと、自分の姿を確かめる彼。
しかし、度を超えた狂人には僅かにわかる。
そう話す言葉一節一節が、異常なのだと。
「そうかもしれません。しかし貴方」
スクイは、少し、ほんの少しではあるが確実に。
恐れと呼ばれる感情を抱く。
「理性が、ないのでしょう」
混沌とした狂気。
本来であれば言語の通じないそれのみで構成された何か。
それが、まるで普通のように受け答えをする。
しかしその受け答えに意味などない。
狂気の漏れ出た音が、たまたま人間の発する言葉と意味を同じくし、たまたま意味が通っているだけ。
会話という錯覚に過ぎない。
「純然な、狂気の塊、それが魔王というのであれば」
狂っているという点において。
スクイすらも上回る。
「ははは。それもそうか」
普通のように、それ、は笑い。
「じゃあ、先に自己紹介」
魔王城に封印された。
神々の失敗作。
「魔王、名はないよ」
「死の信奉者、スクイ・ケンセイです」
では。
そう呟く。
彼に構えはない。
しかし、ずるり、と。
スクイの全身から狂気と共に、黒い瘴気が纏わりつくように現れ。
一歩踏み出したことが戦闘の開始であり。
同時に魔王からはどす黒い泥が吹き出す。
「始めよう」
大量のそれが、部屋を埋め尽くしかねない大きな魔物の軍勢を産み出す中。
魔王は、そう告げた。
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