第九十八話「贖罪」

 僧侶の亡骸を持ち帰った街の空気は、鎮痛なものであった。


 大きな期待を寄せられた計画の頓挫、それに留まらない街の被害。

 混乱する街は魔物退治後も荒れ、聖騎士団はそれを止めに行く。


 スクイは遺体を聖騎士団に託すだけで、それに参加しなかった。


「あの」 


 立ち止まることもしないスクイに、ホロはかける言葉が見つからない。

 スクイが僧侶をどう思っていたのか、ホロには推し量れない。


 ただ、メイを失った時とは明確に違う。

 狂気の抜けたような抜け殻でなく。


 むしろ、奥底には狂気に突き動かされるような、力強さすら感じる。


「帰りましょう」


 街の状況など、見えもしないように、スクイはいつも通りの道を戻り家に向かう。

 喧騒、その中にはスクイを責めるような目もないわけではなかったが、スクイの目には映らない。


「やあ」


 家に戻ると、パーダーが待っていたように声を掛ける。


「随分な騒ぎじゃの」


 そう、他人事のようにも聞こえる声で話す彼も、流石に表情は明るくない。

 どこか疲れたような、諦めるような。


 老人の表情。


「僧侶様は」


 パーダーは、確認するようにスクイを見る。


「死にました」


 スクイは、何の感情もないように、そう答える。

 パーダーは、本当だったかとため息をついた。


 この街の治安は僧侶の力で持っていた部分も大きい。

 教会が後を継ぎ、運営するとしてもどこまで同じことができるか定かでない。


 街の今後を思えば暗雲とした気持ちも当然と言えたが、パーダーの纏う雰囲気は少し違った。


「スクイくん」


 頼みがある。

 パーダーはそう、先ほどよりも少し明るいトーンで、少し笑みすら浮かべて話す。


「なんでしょう」


 僧侶の代わり。

 教会の運営。


 そういった継承の話をホロが想像する中。


「ワシを殺してはくれないか」


 パーダーはひどく穏やかに。

 料理の取り分けを頼む時と同じように。


 そう頼んだ。


「それは?」


「何」


 こともなげなことのように、パーダーはスクイの信仰について知っていると話す。

 アビドに聞いたのだろう。死は救いである、悪人は生きるのが哀れな存在であるということを話す。


「ワシも、その悪人じゃからの」


 スクイは、驚かない。

 ポリヴィティにいるのだ。ここで生まれたのでなければ悪人として送られた者であろうし、過去の実力者というパーダーは罪を犯してポリヴィティに来たと考えるのが自然とすら言える。


「はあ、しかし」


 気乗りしないように呟くスクイ。

 現状パーダーは子どもたちを救った老人。


 過去は知らないが、救うべき悪人とは思いにくかった。

 まして今は、スクイも行動的になれない。


「ワシが、昔子どもを殺す極悪人であったとしても?」


 パーダーの言葉を聞くまでは、そうだった。

 ホロが、目を見開く。


「ポリヴィティではない。ずっと、若い頃であるがな。ワシは稀代の連続殺人犯じゃったよ」


 笑みをゆっくりと消し、また暗い表情でパーダーはゆっくりと自分の過去を伝える。


 今の穏やかな性格とは考えられない。

 そんな肩書き。


「何も、感じたことはないどころか、嬉々として殺し、奪った」


 意味など必要ないほどに。

 泣き喚く人々を、笑って殺した。


「子どもだけは助けてくれという母親など、先に子どもを酷く殺して、しっかり見せつけてから後を追わせた」


 パーダーの手が、震える。

 そんな残虐が日常で、それに疑問を抱いたこともない。


 言葉を覚える前の幼児ですら、幸せな家庭ごと壊したことも珍しくはない。


「ポリヴィティに来てもそれは変わらなかったよ。ワシは悪人のままじゃ」


 どうかと。

 そう、聞くパーダーは、思い出したように付け加える。


「スクイくんは、改心を認めないと思っておる」


 それは、殺すからである。

 当然、悪人を見つけ、死を与える以上、悪人のその後などというものはスクイは認めていない。


「ワシは確かにもう悪行をしているとは言えないが、それでも極悪人だった。その時に会っていれば君はワシを殺しただろう」


 ならば、今は生かす必要はない。

 スクイに確認する。


「そう、ですね」


 スクイは、信仰に殉じる前に、問いかける。


「何故、悪事をお辞めに?」


 その質問に、パーダーは少し意外そうにしながら、思い返すように目を細める。


「特別なことはない」


 ポリヴィティでの生存競争の中、自分を慕う子どもに出会った。

 パーダーは強く、そういった者はたまにいたが、いつもなら目障りだと殺していた。


 しかし気まぐれもあり、またポリヴィティは過酷な環境が続いた。

 小間使いとして使えるのであれば、無駄に殺す必要もないのかもしれないと放置した。


「情もなかったよ。育てるどころか道具のように使い、虐待と言っていい扱いしかせず、それでもその子は何故かワシについて回った」


 あるいは、それが彼の生きる術だったのか。

 子どもが何を思いパーダーに付き続けたかはわからず。


 数年、歳を過ごして、目障りだと思うことが減ってきたある日。

 その子は死んだ。


「大した病気ではなかったが、人を殺してきただけのワシには治療の術も、仲間もいなかった」


 そして、その時初めて恐怖した。

 自分がその子どもを、存外悪く思っていなかったこと。


 その子との生活を、気に入り始めていたこと。

 心のどこかにあった、平和に生きたくなる気持ちが、彼の亡骸を見て濁流のように彼の脳内に流れ。


 同時に、自分が奪ってきた幸福を。

 泣きながら子を守る親、絶望しながら殺される子ども。


 それを半狂乱になりながら止めに来る母親と。

 足蹴にする自分。


「吐き気がしたよ」


 愛情と、罪悪感が、同時に堰を切ったように彼の中を溢れ返した。

 一度、正気に戻された彼は、もう殺人鬼に戻ることもできなかった。


「穴を埋めるように、子どもたちを助けた。こんな世でワシに助けられる子どもがいるということが、ワシに助けられてくれる子ども達が、ワシの救いじゃった」


 だが、離れない。


「それでも、ずっと、目から離れないのじゃ」


 子を殺された親が。

 自分が殺した子どもが。


 自分を慕ってくれた子どもを、最後まで愛してもやれなかった自分が。


 違う子どもを助ければ助けるほどに、感謝され、それを心地よく思うと同時に湧き上がる。

 自らへの否定。


「消えないんじゃ。罪が。過去が」


 やがてその矛盾は限界となり。

 彼は育てた子どもたちと暮らせなくなった。


 物を壊し、自傷行為に走り、目の前の人間を傷つけそうにもなる中。

 彼は何もない家で、墓標とともに余生を暮らすことを決めた。


「僧侶様は、そんな中ワシの放り投げたことを、必死で行った」


 街の復興。

 僧侶のその心はパーダーのできなかったことを遥かに超える偉業であった。


「それを見ているだけで、どこか救われたようで」


 救われた気になっている自分が、また嫌になった。


「後生じゃ。スクイくん」


 ワシはもう、終わりたい。


「生きて贖うこともできず、過去の罪に囚われても逃げ場はない。ワシは」


 ずっと、苦しい。

 生きているのが、耐えられない。


「死んで、楽になりたい。何も感じたくない」


 そう語るパーダーの目は、必死ですらあった。


 今なのだろう。

 スクイの信仰への理解、僧侶の失敗による絶望。


 彼の限界を超えた苦痛は、死を頼み込むほどとなっていた。


「ご主人様……」


 ホロは、スクイの裾を握り、不安げに表情を伺う。

 話を聞くスクイの表情は、変わらずの無であり、そこから何かを窺い知ることはできない。


「申し訳ありませんが」


 スクイはそう話す。


「私の信仰の理解は間違いありませんが、今は死しても僧侶さんの下動く身です。死の救済は必要ですが、今の私にはそれができません」


 そう、話すスクイに、パーダーは苦痛に歪んだような表情を見せ。

 諦めるように息を吐く。


 ホロは少しほっとしたように、力を抜いた。

 かける言葉は思いつかなかったが、今は無理に何かを言うべきではないだろう


「すみません。今日はホロさんも手伝ってもらいました。明日も早くから動く必要があるでしょう。もう休みます」


 スクイは引き止める気力も無くなったように押し黙るパーダーを置いて、家に戻る。


 パーダーは、スクイが家に入るのを見送り、しばらく立ち尽くした。


 遠い過去からの長い積み重ね。

 老人の絶望は、誰も推し量ることができない。


 夜も更け、ゆっくりと、老いた体を労るように、パーダーは自分の家へ戻ろうとし。

 背後に立つ人物に気づく。


「ああ」


 スクイの姿は、夜の暗闇に覆われる。


「庭が、いいでしょう」


 見るまでもなく、なにも思わないような表情をしているのだと。

 それでも、配慮ある言葉に、パーダーは感謝を込める。


「ありがとう」


 その心中を、測り。

 背負わせるものの大きさを、パーダーは少し悔いた。


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