第九十七話「殉教」
逡巡。
街の門前に戻されたスクイは、一瞬にて思考を終える。
否、本来思考する必要もないほどやるべきことは明白で。
あるいはこの一瞬は、動揺に近いものだったのかもしれない。
「魔物が来ます!街の皆さんは家の中に!戦闘員は私から距離を取って門と壁上を死守してください!」
一瞬にして、先ほど送り出したスクイとホロが現れたこと。
遠くで、魔王城に明らかな違和感が目に見える事。
お祝いムードの住民は、不可思議の連続に理解が遅れた。
「先導を!」
スクイは近くにいた聖騎士に指示を出し、門から魔王城方向へ距離を取る。
これ以上指示に使う時間はないだろう。
発現する。
死の魔法。
スクイが紐を使って振り回せる距離よりも遥かに広い範囲に、瘴気を行き渡らせ、一定にて留める。
扉に向かおうとする魔物を逃さない程度の面積を作り、徐々に密度を増していく。
「あの瘴気に触れないで、通り抜けてきた魔物を対処してください!」
前方にて死の魔法の体勢を整えるスクイに代わり、ホロが指示を飛ばす。
状況を理解し、騎士団の一部はスクイの取りこぼしのため門前を固め、あとは住民の避難誘導。
いつも集まっている有志の戦闘員には、門前でなく、魔物が入り込んだ時のために街中にて待機。
「単独で上空を対応できるのはホロさんだけです!そちらを優先的にお願いします!」
スクイの投げナイフでは大型の魔物であれば、即座に絶命とまでは難しい。
他の魔法使いでもそれは同じである。
「はい!」
そう叫ぶと、ホロは岩の翼を用意し、飛ぶ準備を行う。
「何が」
起こっているんだ。
その言葉を、聖騎士団は飲み込む。
この状況でも弱音を吐かない程度には鍛えられている。
しかし、一緒に戦うことは、スクイはしない。
それは、僧侶もそうすべきだった。
前回、僧侶が襲撃に手こずった際もそうである。
魔物の襲撃は、実力に差のある僧侶と騎士団がある程度別行動した方が戦いやすいはずなのだ。
それをあえて一緒に戦う、それはそういったパフォーマンスや、聖騎士団や戦闘員の士気を挙げるため。
つまり、一緒に戦って成果を上げているという感覚を持たせるため。
それが理由で僧侶はフォローに回り、十全の力を出せていなかった。
しかし、それに意味がなかったとは、言えない。
この街を良くする、人々の心を救う。
その1つであるというのなら。
「十分」
瘴気が満ちる。
明確な死の空間。
見る者が見れば目を背けたくなるほど純粋な、生命を否定する空間は、しかしながらここにいる。
死の覚悟を決めた聖騎士たちの心を揺るがさない。
「来ます!」
ホロが叫ぶと同時に、飛来する赤色のドラゴンに音速を超える岩の塊が連射され。
穴だらけになったドラゴンが大きな音を立てながら落ち、スクイの元で腐り上げる煙が。
開戦の合図となった。
「必ず死守しろ!!」
門前で固まる聖騎士団が声を上げる。
スクイは、動かない。
走り回ることよりも死の魔法の空間を保持し、できるだけ密度を上げる方が有用である。
しかしただ立ち尽くすわけではない。
スクイの瘴気に身を削りながらも街への侵攻を続ける魔物の急所に、的確にナイフで切り傷をつける。
死の瘴気は傷口をも蝕み、より早く命を削り取る。
上空の魔物には、羽や目を狙って投げナイフにてサポート。
その場から動かない程度にも、できることはいくらでもある。
そして、そのいくらでもを行ってもなお、減った事を確認できないほどの魔物の数。
それについて、スクイは。
「大したことではない」
そう、呟いた。
スクイの死の魔法の準備。
ホロの強力な魔法による各個撃破。
ある程度の取りこぼしも、準備された死の魔法にて命は尽きかけている。
スクイは足手まといというが、力なくして生きられないポリヴィティで選抜され、さらに鍛えられた聖騎士団が後ろに多く控えている。
大したことはない。
大したことはなくなった。
それは僧侶が、1人で魔王城前に残り、スクイたちを街に返したからである。
「逃げられない状態ではない」
スクイは淡々とした対応に変わりながら、呟く。
僧侶の盗賊という魔法は、奪うことに特化する。
そして奪ったものを自分以外の場所に飛ばせるというのも、条件ありきだろうが、現状からわかった。
しかしおそらく、自分自身を瞬間移動させる能力はない。
同時に湧き出る魔物の軍勢、身体能力の強化もある神聖魔法使いならば逃げに徹せば命くらいは。
あるいは、スクイは考え続け。
振るう腕に重みを感じるようになり。
出し続けた魔法を、維持することすら、危うげとなり。
気を配っていたはずの背後の悲鳴に、遅れて気づくほど。
何百という数だったろう。
魔王城からポリヴィティまで、地面を埋め尽くす魔物の数々。
結果的に門すら突破され、街中にも少なからず被害が出た。
スクイの根回しにより、提携マフィアが戦闘に加わったことで被害はかなり抑えられたものの、ゼロではない。
まさに、戦場。
それを、制しきった。
終戦は、目の前に動かぬ魔物の死骸と。
降り出した雨が、告げていた。
向かってくる魔物たちを撃退し終え、未だパニックとなり阿鼻叫喚の街中に、聖騎士たちが向かう。
反面、スクイは枯渇した魔力に目眩を覚えながらも、街から遠ざかる。
足取りが重かった。
日が暮れるまで、数時間に及ぶ戦闘。
到底魔力量の少ないスクイの持ち続けるものではない。
身体能力にものを言わせて1人、襲いくる魔物の大群の防壁となり続けた。
ホロの広範囲の魔法により支援がなければ、とっくにスクイも魔物の餌だったろう。
そんな思考はとうに終わり。
今はただ、雨に足を取られないように歩を進める。
凄惨。
魔物の死体を踏みながら、スクイは進む。
「街は、大丈夫でしたか?」
スクイは、考えていた。
僧侶は、逃げに徹すればあの状況でも生き延びられるかもしれないと。
「大丈夫、とは言えませんが、被害は最小限でしょう」
十分に復興可能な状況である。
街に魔物が入るという状況に焦りがあっただけで、街中の守りは戦闘員やマフィアもありいつも以上に厳重。
聖騎士が襲撃の終わりを伝えれば落ち着くだろう。
「そう、ですか。ありがとうございます」
安堵した表情の僧侶に、スクイは歩み寄り、そっと傅くように跪いた。
「いえ、貴方のおかげでしょう」
僧侶の周りには、大量の魔物の死体が、山となって積み上がっていた。
どれも、聖騎士団が総出で戦っても1匹倒しきることすら困難な魔物ばかり。
神聖魔法使い、盗賊の能力。
それがどれほど強力であるか、目に見えてわかる現場。
その中に、奪った心臓や、特定の魔物の核。
大量血液や羽といった部位に埋もれるように。
横たわる僧侶は。
臍から下が欠損していた。
「いえ」
左腕は肩から、右腕も手首から先が存在しない。
どういった経緯か、魔法の代償か。
「私が倒せたのはほんの一部に他なりません」
丁寧に整えられていた髪は引き千切れ。
聖女のような白い服は赤く染まっている。
そんな姿でも僧侶は。
いつもと変わらない。
「皆さんのおかげで」
一瞬、意識を失いかけたように言葉を切ると、僧侶はぼんやりと上空を眺める。
「ここまでのようですね」
助からない。
そんなことは、僧侶にとっても、スクイにとっても明白で。
今生きていることの方が、よほど不思議だったろう。
「また、救えなかったのですね」
そう、ぽつりと。
僧侶は、笑みを失った表情で、呟いた。
「何を」
スクイは言う。
街は問題ないと、僧侶のおかげだと言ったではないかと。
そう論理立てて説明することに、意味がないことをスクイは知っている。
「貧しい、生まれでしてね」
僧侶は、焦点の合わない目で空を眺めながら、ぽつりぽつりと。
誰かに話す。
「教会に預けられて、同じ孤児たちと育ちました」
その中では僧侶は少し年上であり。
ほとんど顔を見せない教会の人間に代わって、面倒を見る日々だった。
「回されたはずの生活費は教会の人間の懐に入り、私たちは冬を越すのも恐れながら過ごしました」
明日、隣の子が死んでしまうかもしれない。
餓死か、病死か、あるいは浮浪者に狙われて。
そうなると仮にわかっていても、何もできない日々。
「ある日、教会の記念日がありました」
祝い事の日。
誰も救ってくれない教会の神に、それでも子どもたちは毎日祈りを捧げたという。
「ダメだと、わかっていました。それが、誰かを救えるはずがないのだと」
それでも、僧侶はある日。
「こっそりと、拳ほどのハムを一塊、出店から盗みました」
バレなかった。
人通りの多い街中である。
客商売をしているうちにそっと奪うことは、何も難しくはない。
「それを持ち帰り、みんなに分け与えました」
萎びたパンに、分ければあまりにも小さな肉の欠片。
それでも子どもたちは、生まれて食べた中で一番美味しいと、僧侶に感謝した。
「その日、私は、罪を犯す事を決めたのです」
盗みは、その日では終わらなかった。
もう、貧困で目の前の子どもが死ぬところなど見たくはなかった。
そのためならば、自分の手が汚れるくらい、なんだというのだろう。
「誰も、死んでほしくなかった」
思い出すように、空となった僧侶の目から、涙がこぼれ落ちる。
食事だけでない。
雨風の凌げない教会では、冬が来るだけで命の危機となる。
簡単な怪我でも、処置できなければ命に関わるし、病気になれば治療がいる。
「小さな盗みが、いつか大きくなり、取引を行い」
そして、誰も死ななくていい場所を。
みんなが笑顔で暮らせる場所を。
「そう、思って、数年後、お祝いの日に帰ったら」
みんな、死んでましたよ。
そう、僧侶は自嘲げに。
涙を流しながら、今まで見せたことのないような笑い方をする。
「今日くらいは、贅沢を、なんて抱えていたものが、手から滑り落ちていきました」
僧侶は、盗みを続け、それを換金し教会の保全に使っていた。
しかし、そんな生活は長く続けられない。
盗みの標的か、あるいは僧侶と取引した者かもしれない。
優秀な人間は、取引後危険であれば、処理をする場合もある。
「私は救えなかった」
誰も。
僧侶はその後、何をすることもできず。
ただこれまでの罪を、打ち明けに行った。
もう、罪を重ねる動機がなかった。
「そのときでした。神聖魔法に目覚めていると気付いたのは」
この世界で最も盗んだ額が大きい人間がなるはずの。
そんな盗賊に選ばれた。
神聖魔法とは言わなかった。
それでも強力な魔法を持っていると判断された僧侶は、どういった経緯か異例のポリヴィティ送りを命じられ。
この街にたどり着いた。
「その時、思いました」
今度こそ。
間違ったやり方ではない。
「罪を犯した、生きる理由もない私でも、まだ救えるものがあるのではないか」
そう、強く願った。
そして、この街を、人々を救いたいと思った。
「間違った方法では誰も救えません。罪を犯して誰かを救っても、それは救い足り得ない」
それは、自分の過去からわかっていたこと。
だから、綺麗事を重ねた。
綺麗事でも救えるよう、努力をした。
それは、誰もが知っている。
力を振りかざし、傷付ければ簡単にできることも、僧侶は回りくどく、誠実にあろうとした。
「でも、私は僧侶じゃない」
声が徐々に小さくなる。
「私にあったのは、利害や損得の計算の才能ばかり」
清らかな心や、意図せずとも人を動かすような。
聖人のそれではない。
スクイもわかっていた。この街を成り立たせているのは僧侶の極めて高い経営や統治、能力だと。
人が動いたのも、実利を見せつけたからなのだと。
「結局、私は誰かを救う僧侶でなく、薄汚れた盗賊のまま」
別に、嘘を吐いていたわけではない。
本心から、綺麗事を口にしてきた。
それでも、その裏には小狡い計算が常に走っていた。
「ねえ、スクイさん」
あなたもきっとそう。
僧侶は、もう消え入るような声で、スクイに語りかける。
スクイは、僧侶に覆い被さるように、その言葉を聞く。
「苦しむ人を、悲しむ人を、いつだって救いたくって、救おうとするたびに失敗して、傷つけて」
私たちみたいな人間が。
誰かを救おうなんて。
「きっと、烏滸がましいのでしょうね」
それでもできれば、自分の方法で。
この世界を。
「この、苦痛に塗れた世界を救いたかった」
でもそんなことは不可能で。
でも諦めることもできずに。
私たちは、狂ってしまうしかない。
「そして、失敗した」
ゆっくりと、僧侶が目を閉じる。
人生最後の言葉が、それで正しいと確信している。
それが、彼女の人生の答えなのだと。
「まだです」
スクイは、そんな彼女の体を抱き寄せながら、ゆっくりと話す。
「まだ、計画は終わっていない」
あなたが死んでも。
計画が終わるわけではない。
「あなたをきっかけに、あなたの計画が動き、そして成功する」
そうなれば計画通り。
ポリヴィティは功績を得て。
人々を救うことになる。
「私が、魔王を討伐します」
スクイは、感情のない声で。
それでも、はっきりと、僧侶に誓う。
「あなたが、そう誘ったから、私は魔王を倒す」
私たちは、それで。
「世界を救う」
スクイの言葉に、死ぬ間際で、表情ももう作れそうになかった僧侶は少し笑い。
「ああ、そう。私も、あなたとならって」
そう言って、スクイの腕の中、息絶えた。
【後書き】
今回更新ここまでです。
本作、最終章(第5章)の最終話まで書き終えております。
次回3月後半に第4章完結まで。
4月後半に最終章を更新し、完結予定です。
残る伏線と彼らの行く末に、どうか最後までお付き合いください。
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