第九十一話「約束」
暗闇。
スクイの眼前に広がるのはそれのみである。
死の魔法による瘴気?
あるいは理性を失ったことによる盲目?
どちらでもない。
「やはり」
視覚を奪われた。
スクイはそれと同時に理解する。
奪っているのは視覚だけではない。
五感。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚。
味覚は元々ないが、戦闘には関係ないだろう。
つまりスクイは今何も見えず、何も聞こえず、またそもそも自分が立っているのかさえわからない。
通常であれば即座に転倒し、どこへともなく這いずることしかできないだろう。
だが、異常。
五感を奪ってもなお、一切の変化なく走り寄るスクイに僧侶は理解する。
盗賊としての能力は主に奪うことにある。
神聖魔法はそれ以外にも基礎的な肉体、魔法への耐性を大幅に底上げするが、この死の魔法の真っ只中に居続けることは僧侶にとっても自殺行為である。
ならば次に魔力を奪う。
そう切り替えた僧侶の前には。
もうスクイがいる。
「そこですね」
第六感とでもいうべきか。
否、スクイは五感を奪われる前に把握した僧侶の位置をそのままに居場所を推定したに過ぎない。
しかし、一切のブレなくナイフに手を伸ばす姿は、僧侶の目には高い戦闘能力だけでは説明のつかない。
何かがあるとしか思えなかった。
素早い奪取。
スクイの手に彼のナイフが戻り。
同時にスクイから発される死の魔法が霧散する。
「止まって、ください」
ナイフが戻ったことでスクイは元に戻り。
魔力を全て奪われている現状を理解する。
しかし、関係がない。
スクイの強さとは魔力によらない。
不死の魔法に魔力が不要であることもあり、魔力を失ってもスクイはペーネファミリーを皆殺しにするなどわけもない。
それをわかっているから、僧侶は止まるよう懇願する。
「何故」
スクイは僧侶のいうことが一般論としてそれほどズレたものでないと知っている。
道徳感情など贅沢品なのだ。
このような場所の人間がそれを持ち合わせていないのは彼ら自身のせいだとは一概に言えはしないだろう。
だが、関係ない。
むしろ、だからこそ悪人にはその人生から解放を。
死を与える意味が生まれる。
「ここには、悪人も多いでしょう」
僧侶は、言葉に詰まりながら答える。
僧侶のダメージはそれほど深刻なものになるはずがなかった。
それほどスクイの死の魔法は強力である。
魔法の強さはその概念との接触によって強化される。
スクイの死の魔法が、弱いわけもない。
しかし、そこまで濃い瘴気でもなく、神聖魔法使いであればしばらく中にいた程度でさほど苦しむことはない。
しかし、僧侶の腹には大きな穴が空いていた。
僧侶はスクイの出した死の魔法を奪い、丸めて自身の腹に放り込んだのだ。
神聖魔法使いでも耐えられない圧縮された死は僧侶の腹に大きな穴を開けた。
それでも回復できるほど神聖魔法使いの身体能力は高いが、すぐに動くことはできない。
「許せない者もいます。許されないことも多い」
血反吐を吐きながら、痛みを堪えながら。
しかし、と僧侶は続ける。
「人は間違う。多かれ少なかれ、理由があれどなけれど、それを全て許さないと言えば、人は生きられない」
わかるはずだと。
善良なだけの人間などいない。
悪人を皆殺しにした先にあるのは善人だけの世界ではなく。
誰もいない世界である。
「だから、許すのです。正しい人が正しく生きられるために、正しくない人も、正しく生きる機会を」
人ではなく、環境を変える。
世界を救うために。
僧侶のその言葉に、知ったことではないと返すのは、容易い。
殺せる。スクイはそう判断していた。
僧侶の奪う魔法では、不死の自分から何を奪おうが決定打にはなり得ず。
もう弱り果てていることも明白である。
「それで、誰もが幸せな世界が来ると?」
それでも、返答する。
僧侶は、スクイの死の魔法を奪う必要はなかった。
魔力を奪えばスクイは魔法を使えず、出ている瘴気もやがて霧散しただろう。
近隣に被害が出るレベルでもない。
しかし、それを敢えて奪った。
言わずともスクイにはその意図がわかる。
彼女が示したのは覚悟。
スクイの信念を命懸けで受け止める覚悟である。
だからこそスクイはその僧侶の言葉に。
今まで聞いたどの言葉よりも、重みを感じる。
それはスクイが死を語るときにも似た。
狂気に近いもの。
「必ず来ます」
僧侶は、力強く断言する。
スクイの疑問に、痛みなど忘れたように。
その言葉は、今まで僧侶が発してきたような、明るく、楽観的で、能天気な色と。
強い覚悟が、滲んだ。
「だから、殺さないでください」
ペーネファミリーにも悪事の抑制はする。
だから今回は矛を収めて欲しい。
救うために。
信念を語る言葉には、当人の積み重ねてきた重みが乗る。
同じ、救いのための信仰に。
スクイはその過去を、重みを、理解しないことはできなかった。
「なるほど」
異例という他ない。
スクイの狂気の心中に、僧侶の言葉がどう響いたのか。
では、約束しましょう、と。
スクイは、僧侶に語る。
「あなたの街で、あなたが覚悟を持って発した言葉」
一旦、受け入れる。
「私はあなたの言うことを、一度信じます。ただし」
その信念が一度でも揺らぐ時が来れば。
「大丈夫ですよ」
スクイの言葉を、口から流れた血液を拭い、いつも通りの笑顔で遮る。
「私は、この街の方々を幸せにする」
そう約束すると。
僧侶は、もう痛みなど感じないかのように。
いつも通りの幼い少女のような笑みを、浮かべた。
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