第九十話「本性」

「お久しぶりです。ペーネさん」


 綺麗な笑み。

 貴族等の教養から来る礼儀の正しい笑みでなく、ただただ純粋に喜びを感じさせる。

 子供のような笑みを浮かべながら、僧侶は部屋に入り、すぐの椅子に座る。


 しかしその笑顔も、その部屋にあればむしろ狂気的と言えるだろう。

 部屋の端にずらりと並ぶ、一目見ればわかるカタギでない者達。


 そして、距離をとった部屋の向こう側。


 僅かなすえたような匂いに、正面に座り紫煙を燻らせる顔に火傷痕のある男。

 壮年と言って良い年齢、それも小柄ながら、眼光には繋がりなど決して持てないと確信させられるほど鋭利な殺意が、特等席とばかりに鎮座する。


 怪物の巣。

 一部屋にしては異常な人口密度からしても、人間の部屋と呼ぶよりもこちらの方が遥かに伝わりやすいであろう部屋。

 であればまるで園児に話すような僧侶の明るい挨拶もまた異常なものに映る。


「久しくは、ないな」


 僧侶の訪問を厄介に思う気持ちを少なからず含ませながら、ペーネは煙を吐く。


「初めまして」


 そんな中、スクイもまたこの場に似合わぬ柔和な笑顔で挨拶をする。

 スクイお得意の優しげな笑みも、流石にこの空間では異質にしかならなかった。


「で?」


 スクイの挨拶など無視して、ペーネは続ける。

 連れてきたのが誰かなどどうでもいいのだろう。


 端的に、僧侶に要件を言わせたいのだ。


「本日はですね!ペーネファミリーの皆さんにお願いに来ました!」


 本日も、ではないか?

 という空気を、初めてのスクイすら感じている。


「私の行っているポリヴィティ復興に協力いただきたいのです!体力、戦闘能力、そして何より組織運営力、その他能力の高いペーネファミリーの皆さんが手伝ってくれれば街の復興も一度に近づくことでしょう!」


 僧侶の言葉に、ぺーネは何も返さない。

 聞き飽きている、帰れとも言わない。


 そういった問答は無駄だと、一旦話させようと言う諦念に似た感情があるのかもしれない。


「もちろんタダ働きというわけではありません!ペーネファミリーの皆さんには一等の居住地区を用意しております。教会からも近く活気ある場所です。さらに組織用の建物、倉庫も用意しており、現状の仕事場より遥かに立地、建物のランクは上がると約束いたします」


 これらに加え、成果報酬も出る。

 能力の高いペーネファミリーの皆様であれば高報酬を受け取れるでしょう。


 そういった内容であった。


 茶番である。

 ペーネファミリー全員の顔がそれを表していたが、それを見るまでもない。


 僧侶の提示はそれなりにメリットのあるものである。

 現在の危険な犯罪を止め、特技を活かし、衣食住を保証され良い暮らしができる。


 安心安全引越しプランと言えよう。


 しかし、それはポリヴィティのできる範囲の良い暮らしである。

 僧侶の整備した大通りは未だにしっかりとした流通が行われているとは言い難い。


 復興に物資を優先していることもあり、住民の生活は安定こそすれど最低限のものである。


 対してペーネファミリー。

 3国との独自のパイプと、3国ではできない犯罪行為による貢献、報酬。


 広範囲の支配による彼らの生活レベルは現状のスクイより上ですらある。

 スラム街とはいえ、組織がパイプを作り、手段を選ばずうまく運営すれば贅沢は可能なのだ。


 それらを全て捨て、貧民の中ではマシという生活を送らされる。

 まして住民と対等な存在として、である。


 くだらないことのようではあるが、ここら一帯で逆らうことのできない存在、というレッテルを捨てることは、下手をすれば実利を失うよりも耐えられない。


「いかがでしょう!共にこのポリヴィティを3国に誇れる立派な街に致しませんか!」


 満面の笑みで、もう乗ったも同然ですよねという期待を隠さない僧侶に、ペーネは呆れを見せずに、ゆっくりと口を開く。


「話は終わりか?」


 であれば帰って欲しい。

 そういった続きは不要だろう。


「ええ!もちろん質問あればお引き受け致します!」


 スクイは周りの反応を確認する。

 露骨に呆れを見せる者はいない。精鋭であると同時に、この部屋がいかにふざけることの許されない場所か、本来神経を張り詰めて入るべき部屋かが窺い知れる。


 露骨な反応などできる場所ではないというのが組員の認識であろう。


「引き続きNOだ。また来てくれ」


 前回同様の答えだとスクイでなくともわかる。

 門前払いしないのは僧侶の権力と能力を鑑みているのだろう。


 適当に話を聞き、普通に断ればやり過ごせる。

 仮にも聖職魔法使い。その戦闘力に対する恐れは、現在の僧侶とペーネの座る距離からも察せられる。


 が、僧侶が暴力による強制を人間でないことは知っている。


 あくまで強制でなく協力。

 僧侶がそこにこだわる以上、話が進むとは思えなかった。


「なるほど、まだ条件が弱いですか」


 そういう問題ではない。

 とも言い切れないのだ。例えば今後街が活性化すればより良い住み環境を用意できるようになるだろう。

 もしくは他のマフィアが僧侶につき始め勢力が拡大すれば、早めに傘下に入る必要も出てくるかもしれない。


 ただ今は条件が弱い。相手からすれば様子見の段階であろう。


 逆に言えば僧侶からすれば、まず1つ、きっかけ作りにマフィアを傘下に加えたい。

 そのために多くの組織に当たっているのだろう。


「ではせめて、新しいお仲間の紹介をさせてください」


 僧侶は断られたことなど気にも留めないように、スクイを紹介する。


「先日3国から来られたスクイ・ケンセイさんです。とても優秀な上にお優しく、来られる時に乗ってらっしゃった魔導車を寄贈くださったり、魔物との戦いでは先陣を切って功績をあげてくださいました」


 嬉しそうに、誇らしそうにスクイを語る僧侶。

 スクイは僧侶が自分を連れてきた理由は、協力者の例を出すことで少しでも相手に協力の意思を持たせたいという意図なのだろうと考えていた。


 しかし、僧侶の表情からはそう感じられない。

 単純な誇らしさ、新人でも協力してくれるのだからあなたたちも、という圧力ではない。


 スクイがこの街に来て、物資に貢献し、戦闘に貢献し、交渉に貢献した。

 それが嬉しくて、話したかっただけ。


 歪だ。

 スクイはその純粋さにむしろそう、僧侶の根幹を図る。


「紹介に預かりました、スクイ・ケンセイです」


 そうであれば、駆け引きめいたものは不要だろうとスクイも考える。

 僧侶にも一緒に来て欲しい以上のことは頼まれていない。


 何か策があるのであれば協力もやぶさかではなかったが、そうでないのであれば余計なことはしない。

 もちろんスクイ自身の目的のためにある程度情報を抜いたり、次は1人で来て話せるように布石を打つのも忘れないが、それ以上は必要ないだろう。


「この街の有名人、ペーネファミリーの皆様に挨拶できるとは光栄です。僧侶様の庇護下で暮らしておりますがこちらにお世話になることもあるでしょう」


 今後ともよろしくお願いいたします。

 そう締め括る。


 あとはまた早いうちに訪れてパイプを作っても良い。

 裏の権力者と顔合わせができたことは悪いことではなかった。


「似てるな」


 ぽつりと。

 スクイの挨拶に対して、ぺーネが呟く。


 一瞬、沈黙があった。

 誰が返すべきか、という間である。


 組員から同意が来ることを予想して黙ったスクイだったが、そうでないことを確認し、口を開く。


「失礼、私と似た人物がいらっしゃいましたか?」


「ああ」


 息子だ。

 そう呟いたペーネに、一瞬、場に緊張が走る


「息子さん!ペーネさんお子さんがいらっしゃったんですね!」


 僧侶は知らなかったらしい。

 おそらくペーネの口ぶりからしてもあまり雑談をする機会もないだろう。


 降って沸いた関係性を深めるイベントに、僧侶は喜んだ。

 スクイという同伴者を連れてきた価値も、代わり映えのしない話し合いにアクセントを加える意味があったろうし、そういった意味では成功例である。


「ああ」


 先日死んだ。

 そう、続ける。


「それは……」


 同時に発された言葉に、勢いを失う僧侶。

 しかしスクイはそうは思わない。


 先日死んだ息子に似ている、それほど懐に入りやすい情報もない。


「残念なことです」


「散々でしたねあのガキは」


 僧侶が言葉を選びながら話そうとする中、ペーネの隣の男がボスに声を掛ける。


「急に商売女が小さなガキを連れてきたかと思えば、ボスを父親扱い。敬語も使えず、何か持ってきたかと思えばゴミの塊をボス呼ばわり」


 まあ、ゴミになったのはあちらでしたがねと、笑うと、ペーネは不愉快そうに吸っていた葉巻を机に押し当てる。


「俺がゴミだと言いたかったのか知らんが、鉄屑を俺に似てると渡してきたときにはもう撃ち殺しちまった。礼儀を知らんガキが近づいてくるのは」


 目障りだ。

 お前と同じでな。


 そう続ける前に、そのような緩慢なやりとりは意味をなくす。


「落ち着いてください!」


 僧侶の叫び声はペーネに向けたものではない。

 叫ぶ僧侶の手にはスクイのナイフが握られており。


 距離を置いて話すことを強いられていたはずのスクイは、ペーネの目の前にいた。


「は?」


 そう返すスクイは表情を失っており。

 誰が見ても明らかに、別人でしかない。


 スクイは一瞬でペーネに近づき、ナイフで頸動脈を掻き切ろうとした。

 それに唯一反応した僧侶が、スクイのナイフを奪い対応したのだ。


「返して、もらえますか?」


 ナイフを失った手が宙を掻いた。


 その状況を把握したスクイだったが、スクイはナイフなしに自我が保てない。

 表情を失った顔に痙攣が走るのを感じながら、スクイは僧侶に歩み寄る。


「で、できません!」


 スクイの異常は理解している。

 それでも僧侶は、ナイフをぎゅっと胸に抱えるように応えた。


「気持ちはわかります!でも殺してはいけません!」


「何が」


 わかるというのか。

 その言葉を発するよりも先に漏れ出る。


 スクイの魔法。


 死の魔法はスクイの身体から瘴気を撒き散らし、あたりを風化させ。

 明確な死をその場の全員に与えようとする。

 

 同時に、僧侶は即座に窓から飛び出した。

 6階という高さは彼女には何の意味も持たない。


 では逃走したのか。

 否、同時に僧侶は右手をスクイに差し出す。


「間に合って」


 そう呟くと、ビルの中にいたスクイが、ビルから飛び出た僧侶の目の前に現れた。


「やはり」


 スクイは何かを確信したように呟き、爆発的に死の魔法を撒き散らす。

 その瘴気は僧侶を包みながら、地面に着地した。


「抑えてください!確かに彼らは悪人です!しかし」


 そうとしか生きられなかった。

 そうなるしかなかった。


「人の心も、優しさも、環境なしにはありえません!」


 だから、作らなければならない。

 正しい世界を。


「それは救たり得ない」


 同時に、スクイは頭を押さえながら、僅かに残る理性で呟く。

 目に浮かぶようだった。父親を知らぬ子供、初めて会える父親。


 大人にとってはゴミでも、子供にとっては宝物だったはずの、屑鉄が。

 その亡骸が。


「死だけが、死だけが世界を救済しうる」


 周りの建物がひび割れ、崩れる中、瘴気の中にいるのが僧侶だけであったことは幸運であったろう。

 飛び降りたことでペーネファミリーのビルからは離れ、周りに人は少なく、その人々は異常を察知して逃げおおせた。


 他の人間であれば、この場にいれば間違いなく死を免れ得ない。


「仕方ありません」


 僧侶は、また手を差し出す。

 それは、誰にでも手を差し伸べるという、僧侶のあり方を表したもの。


 ではない。


「あなたにはこの方がいいのでしょう」


 瘴気を発しながら迫るスクイに、僧侶は覚悟を決めたように向き合う。


「止めます!」


「止める?違うのでは?」


 奪うといえばいい。


「盗賊さん!」


 そう、僧侶の。

 本当の聖職魔法を、スクイは吐き捨てた。


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