第八十八話「商談」

 商談先は近かった。スクイを連れることを前提に家の近くで商談をセットしたのだろう。

 街の中では比較的綺麗な建物、こういった来賓との応接に使う建物の一室を抑えていたらしい。


 先程誘っておいてこの手際である。多少アビドの手のひらの上で踊らされた部分もありつつ、それも悪いことではないとスクイは感じていた。


「あと、一応言いますが兄貴」


 先方は既に到着しているらしい。

 アビドは扉を開ける前にこっそりとスクイに耳打ちする。


「外から来る行商人ってのは、どうも大柄なやつが多くてですね、つまり」


「ええ、心得てますよ」


 要は無礼な扱いを受けることを覚悟してほしいとのことだった。

 ホロもある程度は抑えようと気を引き締める。


「おせーんじゃねえの?」


 扉を開けると、真っ先に目につくのは派手な女性だった。

 ソファに腰掛けているのは彼女だけであり、あとは彼女の背後に3人立ち並ぶ。


 長く広げた青髪に露出の高い格好、それに反するようにダウナーな顔つきだったが、大きな声で軽蔑するように3人を見る。


「早く来たつもりでしたが、お早いお着きで」


 スクイ達も予定時間よりは早く来たものの、向こうはそれ以上に早く着いていた。

 そうやって負い目を作らせ商談を優位に進めるというのは珍しくないやり口である。


 そこに安易に謝罪の言葉を入れないのも、アビドのテクニックであろう。


「商品リストには目を通した。見積もりだ」


 青髪の女性は後ろの男にリストを出させる。

 ポリヴィティでは売値も買値もまず向こうが決めるようで、予めアビドは売る商品のリストを現物とともに提示、別で欲しい物のリストも提示していた。


 あまり合理的とはいえないが、連絡手段も乏しく、立場に差がある中で醸成されたやり方と思えばこのようなものになるのもあり得るのかもしれないとスクイは考える。


 アビドは見積もりを見ながら顔を顰める。

 良い条件は望むべくもないことは承知のはずの中、露骨に顔を顰めたことにホロは不思議に思ったが、一旦顔を顰めて文句をつけるのは前提だろうと思い直す。


「肉の値上がりはいいっすが、卵が、ちょっと高すぎますね。これではとても」


「おいおいここまで繊細な卵を持ち運ぶのがどれだけの労力だと思ってる?」


 案の定状況の悪いスタート、スクイが様子を見るに見積りの苦しさは演技でもないようであった。

 こちらの売値は悪くないが、買値が高いのがネックといった印象がアビドの目線から感じ取れる。


「言いたいことはわかりやすが、それなら鉱石を高く買ってくださいよ。あと今回は虎の子の魔道具も用意してるんです。これはもう少し見てほしいものです」


 スクイがリストを見るに、確かに一品魔道具が入っているがヴァン国で似た魔道具についていた値段と、こちらの物価等考えてもあまり良い値段がつけられているとは思えなかった。


「兄貴はどう思います?」


 突然、アビドはスクイに話を振った。

 先日まで3国にいた身。向こう側のことがわかる立場として商談の相方として連れてきたのはわかっていたが、それ以上に特別指針はない。


 見積もりにスクイのアビドに渡した貴金属は既に組み込まれており、それも良い金額とは言い難かったが値段を気にするつもりはない。


「そうですね」


 一拍置き、スクイは笑顔で頭を下げる。


「挨拶が遅れました。先日よりこの街に来たスクイ・ケンセイと言います」


 スクイの言葉に、少し驚きを見せる行商人と、にやりと笑うアビド。

 アビドの狙いはここである。つい最近まで3国にいた、つまり3国の物価を知るスクイ。


 その前では相場で嘘は吐けない。

 向こうではこんなに高くなかった、この売り物はもっと需要があるから高く買うべき。

 そこまで言わなくとも3国のことを何も知らないカモという扱いを脱せる。


 もちろん先程の運搬の件もあり同額でとはいかないにせよ、商談はかなりマシになるというのがアビドの考えであった。


「向こうのこともある程度知っているということでお互いに良い話をする手助けになれればと思い同席させていただきました。こちらの物価も大体把握しております」


 スクイはアビドの欲しがった言葉を口にする。

 その上で、ちらりとアビドを見た。


「その上で、この見積もりは比較的妥当かと考えます」


 ぎょっとスクイを見るアビドをスクイは無視するように話す。


「確かに私の向こうでの物価の記憶を考えると公平とはいえませんが、ここまでの道中は遠いというだけではありません。先日来た私達からすればその危険さがよくわかります」


 危険な記憶がホロには一切なかったが、それ以上に向こうを持ち上げる意図を考える。


「この街自体もまた安全とはいえません。そんな中定期的に来てくださる行商人さん、色をつけるのは当然でしょう。多少の値上がり程度ならこちらが我慢するのが筋」


「おい!」


 滔々と述べるスクイに、アビドは我慢の限界というように声を荒げた。

 その目にスクイへの怯えは感じられない。


「ふざけてんじゃねえ!こんな見積もり毎回飲んでたら搾取されるだけだ!」


 先程までの計算された話から一転、感情的に怒鳴る。


「ただでさえ街に食料が行き渡ってない!あんたにはわからねえだろうが今も飢えて死ぬ奴はそこらじゅうにいる!街の復興にも物資がいる!こんなの飲んだら次の商談までには俺も街の奴らも生きてられない!」


 スクイは怒鳴るアビドではなく、黙って俯くだけのホロを確認し、口を開く。


「それは行商さんの知ることではありません」


 彼女は慈善団体ではないのですから。

 そう言い放つスクイに、アビドは拳を振り上げ。


「さて、ここからが商談です」


 止まる。

 行商人はスクイの言葉に、話がわかると目を細めた。


 利益を提示する準備がある。

 それが明白だからである。


「私たちがポリヴィティに来るにあたって面倒だったのが、盗賊です」


 実際、スクイは何度か盗賊に襲われた。

 その集団は基本皆殺しとなったものの、そこは伏せる。


「行商に来るにもタダではないのでは?」


「その通り」


 行商人は先程の話と合わせ行商側の理解が深いスクイはありがたいと話す。


「運搬もそうだが、盗賊に関しては契約がある。本来積荷の半分だが、私たちは指定の物資で安全を保証させる」


 中身はおそらく、武器だろうとスクイは推察する。

 盗賊に派閥争いがあったことを考えれば、彼らが欲するのは生活品と同じくらい戦闘の道具を欲したはずである。


「そう、その言わば通行費を取り戻すためにここの取引で代わりにポリヴィティ側が泣きを見る構図になっている」


「何が言いたい?」


 スクイの前置きに面倒になったわけではない。

 むしろ先を気にしたように話を促す。


「私は道中、その盗賊内の情報を入手しました」


 情報。

 中身もまだという状況で、行商人は歯を剥き出すように笑う。


「使えば少なくとも通行費を払う必要は今後なくなるでしょう。使いようによってはそれ以上にもなる」


 当然のことのように言うスクイに、一瞬行商人は表情を消す。


「根拠は?」


「必要で?」


 一言ずつ。

 それで十分であった。


 情報が嘘であり行商がうまくいかなくなれば困るのはポリヴィティなのだ。

 なにせこれが嘘で、騙して買い叩くことで商売を終えれば、行商がポリヴィティに来るメリットは無くなる。


 つまりポリヴィティは物資供給の場を失う。


 この情報交換は両者が得をする構図でなければならない。

 嘘を吐くメリットはない。


「情報料は恒久的な割引です。通行費が今後なくなり商売のチャンスも手に入る」


 あまりにも美味しい話である。

 しかし。


「私たちが情報だけもらって、次から値引きを渋るかもしれないぜ?」


 正直に脅しをかける。

 行商人がそれをしたのはもう享楽のためと言って良い。


 商談はほぼ決まったようなものだ。

 完全にスクイの思う流れにされた。


 そのスクイの反応を見たいと言う気持ちが強かったと言える。


「預かり金制度はどうでしょう」


 割引を渋った場合の人質のような金銭をあらかじめ徴収しておく。

 そのスクイの提案に情報の分割をさらに提案する行商。


 メインの終わった商談の中で、ホロは感情のままに怒鳴ったアビドを見る。


 わざとだった。


 アビドが感情的にスクイに声を荒げたのは、演技である。

 始めはホロも、スクイの街側を考えない発言に怒ったのだと思った。


 しかしそうではない。

 確かにアビドの初めの筋書きは、スクイというお互いの内情を知る一種第三者のような存在をおくことで、取引の平等性を訴え行商人の優位を奪うというものであった。


 しかしスクイは向こうに肩入れした。

 アビドはその後に何かあると気づいていたのだ。


 単にスクイに任せても良かったが、そこで一芝居。

 ポリヴィティの厳しさと言う情への訴え、そしてあまり厳しい取引であれば次はないと言うことを案に示す。


 情の訴えが通じる相手であるかは未知数であるが、次の取引ができない可能性を示唆できた。

 商売の基本は生かさず殺さず。取引できないほど追い詰めれば取引先を失う。

 ポリヴィティが行商を失うのが苦しいのと同じく、行商もポリヴィティとの取引を失いたいはずはない。


 それを避けたい相手は無理な交渉を今後できない。

 そして情に訴える作戦も、次回以降厳しい街の実情を見せるなどすれば利用できる可能性はある。


 要は、行商人に直接言いにくい言葉を、スクイを通して伝えたのだ。

 それも心からの本音という形で。


 無論、行商人も素人ではない。

 全てが思い通りとはいかないが、元より良い形にできた。


 そう、元より良い形、その1番は向こうにも利益が出た点である。

 アビドの計画はこちらの利益を上げる算段であった。


 しかしスクイの用意していたアイデアはそれをそのままに向こうのメリットも提示。

 最もうまい商売は相手を負かすのではなく、むしろ得をしたと思わせる。


 長期の取引が前提である以上それは無視できない。

 だからスクイはアビドの筋書きに乗らなかったのだろう。


 そしてその後もなお進む大人の商談、駆け引き。

 ホロはまだまだ理解が足りないと、こっそりため息をついた。


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