第八十六話「悪人」
「お断りします」
即答。
魔王討伐という人類の悲願を語る僧侶に対し、スクイは大きな反応も見せず答える。
提案される可能性がないわけではないとスクイは考えていた。
ポリヴィティを束ね、魔物と戦う神聖魔法使い。
日々力を増す魔物に対し迎撃だけでなく、根本の魔王を倒したいというのは当然とも言える。
しかし、不可能である。
スクイは冷静に判断する。
スクイですら勝ち目が薄いと感じる神聖魔法使いが複数と、それを上回る勇者を連れて倒す相手。
現状のこの街の勢力では戦いにすらならないだろう。
魔王も悪である。救いをと思わないわけではないが、人間でないこともあり現状不可能を押し切って優先することではない。
「そう、ですか」
そういった至極当然の答えに対し、僧侶は少し寂しそうに目を伏せ、呟く。
スクイの返答は予想していただろうが、その実力と協力的な姿勢に希望を見出していたのだろう。
断りこそすれど角を立てないようにと、そして内情を探りたい思いでスクイは口を開く。
「魔王討伐。この街にいれば誰もが夢見ることでしょう。しかしそれは勇者の来訪を待ってでも遅くはないのでは?」
不可能である点を敢えて指摘せず、提案する。
「魔物の侵攻が激化している話は聞きましたが、私も協力します。聞くところによると勇者はベインテの革命に成功したと。であれば魔王討伐に向かうのも時間の問題でしょう」
「おっしゃる通りです」
筋の通った提案。
そしてそれを僧侶がわかっていないわけがない。
「しかし、それでは」
僧侶は少し口籠るように、逡巡ように、目線を逸らす。
ここが、僧侶の本心だ。
スクイは確信する。
協力しないと言った手前、事情を聞くことは困難であるが、それは一般論である。
スクイは僧侶の言葉を、にこやかに待つ。
僧侶の中に話したいという意思が僅かでも見えた以上、スクイにとって聞き出すことは容易である。
「そうですね」
ゆっくりと、僧侶は時間を空けて口を開くと、いつも通りの優しげな笑顔をスクイに向けた。
「すみませんスクイさん、少し外を歩きませんか?」
そこには迷いはなかった。
スクイは他の騎士団の反応を確認する。
特別動きはない。そちらから感情を読み取ることは難しかった。
「ご主人様?」
ホロは警戒を露骨に表す。
スクイはそっと頭を撫で、意図を伝える。
「ええ、是非」
その返答で、ホロは一旦離脱すべきと判断した。
スクイは過保護であるが、変に出歩かなければホロがこの街で危険に会うことは考えにくい。
念の為大聖堂で待つ形で、ホロはスクイから離れた。
「すぐに戻ります」
僧侶はそう騎士達に告げると、ゆったりとした足取りで部屋を出た。
「ホロさんをお願いしますね」
スクイもそれに続く。
扉を閉めるスクイのその言葉に少々脅しが混じるのを、騎士達は僅かに、そして確実に感じていた。
階段を降りる僧侶の後ろを歩き、外に出る。
その間何も話さない僧侶。スクイもまた言葉を待った。
「良い天気ですね」
外に出て、僧侶は風になびく髪を押さえながら、スクイに振り返り笑う。
「ええ。戦いやすく良かったです」
意図を計りかねながら返すスクイに、僧侶は満足でもしたように歩を進める。
僧侶の人気は絶大であった。
大通りを進めば多くの人が声をかける。
スクイと一緒ということもあって直接話しかけるものは少なかったが、それでも手を振ったり、挨拶をしたり、感謝や好意を伝える者は絶えない。
「良い街ですね」
スクイは半分本心から称賛する。
もちろん僧侶の喜ぶ言葉を選んだ部分はあるが、それでも偽りではない。
「ありがとうございます」
ポリヴィティは特別良い街ではない。
スクイのいたオンズの街の方が圧倒的に治安も、流通も上である。
しかし、元の状況を考えればこの街の現状は奇跡と言っても過言でないほど、良い。
僧侶の感謝はそれを踏まえたものだったろう。
「この街は、私の誇りです」
僧侶の言葉に嘘はない。
スクイはうっすら目を細めながらも、大体は僧侶という人物が掴めてきたと悟る。
「だからこそ」
この街の人々で魔王を倒したい。
僧侶は立ち止まり、スクイに振り向きながら訴える。
「この街の人々が、素晴らしいと、立派なのだと証明したい」
「立派?」
少しひっかかりを見せるスクイに気づかぬように、僧侶は再び歩きながら言葉を続ける。
「この街にいるのは過去に過ちを犯した人たちです。でも人は変われます」
それは証明されたとすら言える。
なにも整備された街の風景だけではない。
誇りを持って仕事をする門兵。
親しげな住民。
街のために命懸けで戦う騎士や有志の戦闘員達。
そしてそれを成した僧侶への人々の感謝の大きさ。
ここで生まれた者も多く全員が元罪人というわけではないが、犯罪者の集まる街とは思えない良識ある人々。
「私はそれを世界に伝えたい。ただ盾として魔物に襲われるの生贄ではない。誇りを持って戦い、魔王を打ち倒し、世界を救う」
それを以って、この街の素晴らしさを証明したい。
「だからあなたにも手伝って欲しいのです。あなたも罪を犯したと聞きました。それがどのようなものかは知りません。それでもあなたが立派な人であることは間違い無いと思います」
何故なら、そう熱が入りかけた僧侶を遮るように、大きな物音がした。
「おい!」
人々の大声、喧騒。
2人がそちらを確認すると、浮浪者のような男が商品を奪い、出店の店員を殴りつけていた。
盗賊、というのも違うだろう。
本業として悪事を行う者のやり口ではない。
こんな大通りに1人で、どう足掻いても逃げきれない。
焦点の合わない目、緩み切った口元。
見た目からしても酒や薬でおかしくなった者が急に起こしたものと誰もがわかる。
「おやめなさい!」
大通りの人間ではないのだろう。
治安整備の行き届いていない地域からふらりと大通りに入り込んだと見える。
それ故に僧侶の言葉に耳を傾ける様子はなかったが、僧侶はその男に近づこうと踏み出し。
目の前で男の胴が、上下に分かれるのを見ることとなった。
「っ!」
驚き。
そして理解。
僧侶がスクイに振り返ると同時、街の人間は一瞬混乱したようにざわめき。
しかし先ほどよりも落ち着きを取り戻す。
こんな街である。死人に衝撃は受けない。
むしろこのようなことは定期的にあるのだろう。
ざわつきこそすれ、多くの者が用意した武器を手に取ろうとしていた。
急な死人より、身の危険から逃れた安堵が勝ったのかもしれない。
少々の驚きはあれど、数名が手慣れたように死体を運び始める。
そんな中、動揺を隠していない人間が1人。
僧侶であった。
「何故」
「何故、殺したのか、ですか?」
スクイに向ける僧侶の目を、スクイはゆっくりと吟味する。
非難ではない。全くそれが混じっていないとは言わないが、さまざまな感情の入り混じった目。
総括すれば、悲しそうな目にも、見える。
「街の危険です。大通りは整備されたとはいえ、まだまだ危険人物は多いと聞きます。そういう方が大通りに入り込み迷惑をかけようとした。見ればわかりましたので、手助けをと」
「しかし、殺す必要は」
「いえ、でも彼も苦しいでしょう」
だから救いを。
そのスクイの言葉に、僧侶は目を見開く。
「あなたは、死で人を救ったというのですか?」
「ええ。人を苦しめてまで生きようとする生への間違った執着。生に苦しむ哀れな悪人です」
それが私の教義です。
死の信仰を、躊躇いもなくスクイは語る。
「そんな、だからと言って殺す必要はありませんでした」
繰り返す僧侶の言葉に、スクイは笑みを失う。
それが一歩間違えれば、死への否定に繋がることが明白だからである。
「何故」
スクイが今度は疑問を呈する。
その目は黒く、まるで何も映していないように。
しかし確実に僧侶の言葉を待つ。
僧侶はなんと答えるべきか、逡巡するそぶりを見せる。
「人は、変われるからです」
それは、スクイの質問にそのまま答えたものではない。
むしろより深く、スクイの言葉を読み取って返したと言えた。
「だから?」
その真摯な言葉にすら、スクイは端的に、疑問でしか返さない。
黒い。
なにも見ていないような、真っ黒な目。
「だから」
そう突いて出た言葉の続きが、出てこない。
異質とも言えるスクイの目に、悪人とも異なる闇が見えた。
「だから見逃す?」
なにも見ていない、のではない。
スクイは目の前の光景を見ていないだけである。
例えばそれは、この整備された大通りの裏。
未整備な無法地帯。
「悪人を?」
小馬鹿にする、という雰囲気とは少し違う。
しかし明白な否定。
「人を、傷つけた過去をなくして?」
ともすれば、酷く真っ当にも聞こえる言葉。
しかしそれが、歪んだものであると疑わない者はいないだろう。
「ええ、ですが」
人を傷つけることは悪である。
しかし、そんな人間も改心できる。
傷つけた以上に多くの人を救えるかもしれない。
そう続けることを、スクイの目は許さなかった。
「私は立派ではありません」
この街を、犯罪者の巣窟から統率の取れた街に変えた手腕は立派である。
しかし、犯罪者は違う。
「悪人も同じです。人を傷つけてまで生にしがみつき、誰かを貶めなければ存在することもできない」
なんと哀れで、愚かな存在か。
「何故それが立派な存在か。むしろ生きるべきでは無い」
それはこの街でも未だに多く存在する。
僧侶の手の届く範囲はこの大通りだけであり、街の大部分は犯罪者の温床。
そこには秩序のない悪が栄えている。
早く死を与えてあげなければならない。
そのなんと甘美で、慈愛に満ち、幸福なことか。
スクイの表情が、徐々に恍惚に染まっていく。
「無理に生きるのが正しいなど、盲信も甚だしい。一度人を傷つけ生きながらえておきながら、まだ生きることが正しいと過ちを繰り返す。誰かが救ってあげねば」
ねえ。
そう呟くように語りかけるスクイに。
僧侶は、怯えた表情はしなかった。
「それは違います」
好青年の皮を脱ぎ捨てたスクイに、目を見て毅然と返す。
その口調には先程の言い淀みは感じられない。
「確かに誰かを傷つけてまで生きようとすることは間違いかもしれません。でもそんな人にも幸せに生きられる選択肢がある。誰かを救える未来もある。それを正してあげることが」
「正せば、傷つけられた人は幸せになれますか?」
スクイに怒りはない。
否定されたと感じていないわけではないが、それ以上に死の素晴らしさを説く悦びに満ちていた。
しかし、僧侶には悦び以外のものが見えた。
悪人を見逃すこと、その危険。
見逃した悪人が罪を重ねたか。
あるいは見逃された悪人に大切な人を傷つけられたか。
それ故に確信しているのだ。
死の正しさを。
「それは、なりません。しかし一度の過ちでその人の人生を否定することは非常に愚かなことです。私は、人の可能性を信じます」
「そのために罪のない人間にリスクを背負わせている」
街をよりよく変えていく。そのために時間をかけ悪人を更生させる。
善良で、極めて理にかなったやり口である。
将来的にはより多くの人々を救える選択肢である。
だがそれは、その間に傷つけられる人々を見捨てることにもなる。
更生に失敗した人間が、多くの善良な人間を傷つける例もあるだろう。
時間をかけてこの街を守る間に、手のついていない所で多くの人間が苦しんでいるのは想像にかたくない。
その苦しみを生み出す人間もいつか許し、幸せを与える。
今苦しむ人間のことは気にも留めずに。
「そこまでして生きること、生かすことが正しいという思い込み。なんと愚かなことでしょう。やはりあなたも生の信奉者。死の素晴らしさに気づけないのですね」
スクイは、にっこりと、僧侶の目を見据えた。
「みな、死の下に平等だというのに、生の不平等の中で困窮し、過ちを犯し、許しを乞い生き長らえる」
その繰り返しから目を背け、生の美しいところを絶対と思い込む。
生は可能性、その通りである。
良くも悪くもなる。
死とは違う。
死は絶対で、良いも悪いもない。
完全な平等。
「まあでもあなたがそうおっしゃるのなら」
あの騎士団。
皆殺しにしましょうか。
酷く簡単なことのように。
スクイは言う。
「そのあと私を許せるか、それを確かめればいい」
私の可能性を信じられるか。
想像してみてください。
「させません」
僧侶はそれでも、引かない。
「私は、誰も殺させません。悪事は、私が起こさせません。そして、あなたにもわかってもらうのです」
そこには怒りも、怯えもない。
一貫した、スクイの話を聞く前から変わらぬ、使命感のみ。
「この街の人々の素晴らしさを。一度道を踏み外しても、人は努力で変われると言うことを」
それは、世界に対して証明する僧侶にとってはスクイ1人に証明できないと思うはずもない。
当然の思いであった。
「あなたのようにですか?」
その僧侶の目が、一瞬見開かれる。
スクイはさして興味のない口調で、続ける。
「救うほどの、悪人ではありませんがね」
一瞬黙った僧侶だったが、会話の終わりを感じたように目を伏せる。
「また、来てくださいね」
「はい。喜んで」
スクイの言葉には先程までの含みはない。
そして、何もない。
空っぽの善意が、僧侶には恐ろしくも、気味悪くもなく。
ただ寂しく映るのみであった。
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