第八十二話「住民」

 大通りから少し離れた居住区。

 ボロボロの屋敷を前にスクイとホロは立っていた。


「まあ、こんなものでしょう」


 ポリヴィティの内部は、スクイが思っていたほど治安の悪いものではなかった。

 門から大通りが続いており、逆側の壁際にある大きな建物まで続く。そこは店もあり人通りも活発でありながら喧騒があるわけでもない。


 一本大通りから外れるだけでガラッと空気が変わることにスクイは気づいたが、それでも罪人の流刑地というイメージよりはまともな場所だった。


 しかし、治安はともかく建物は粗末といえた。


 大通りですら崩れかけの建物は多く、壁や屋根に穴が空いているものも珍しくはない。

 出店も、ヴァン国であれば捨てるような設備で出されており、出ているものも金を払えるものは少ない。


 ここらへんが復興途中というところか、とある程度の納得をしつつ、それを熟したという僧侶と呼ばれた女性の手腕を考える。


 彼女が来て数年ということだったが、もし彼女が来るまでのポリヴィティがスクイの思うスラム街のような場所だったとすればその手腕は高いどころか異常とすら言えるだろう。


 門兵ですら元犯罪者と言っていたことを考えれば街の整備や人心掌握は自分以上かもしれないとすら考えていた。


「雨風が凌げているだけ綺麗な方なのでしょうか?」


 ホロもさほど不満そうではなかった。

 元々死にかけの奴隷生活を経験しているだけあって、衣食住にあまり文句はつけない。


「そうでしょうね。掃除や多少の整備は必要でしょうが、街の様子を見る限り聖騎士団の方々が騙しているわけではないかと」


 聖騎士団。

 僧侶を筆頭にするこの街の騎士団である。


 騎士団というだけあってか戦闘だけでなく、スクイの家も彼らが決めてくれた。

 できる限り良い家をという話は、決して違えてはいないだろう。


「2階建て、部屋数は1階が4つ、2階が5つくらいでしょうか」


 広い。邸宅と呼んでも差し支えはないだろう。

 何故外から部屋数がわかるのかと首を傾げるホロに、スクイは窓を指差しながら説明する。


「おや、新しい人かな?」


 家を前にあれこれ話しているスクイとホロに、1人の老人が近寄ってきた。

 杖をついており、今にも倒れそうな高齢である。


 スクイは一歩前に出ながら軽く会釈をする。


「ええ、ヴァン国から来ました。スクイと申します」


「ははは、礼儀正しいな。私はパーダー。そこに1人で住んでおる」


 パーターはスクイの屋敷のすぐそばのボロ屋を指した。

 古く手入れもされている様子はないが、他の家と比べると大きさはあり、家の後ろには庭も見受けられる。


「ご近所さんじゃな。その屋敷は勿体無いことにしばらく使われていなかった」


 前に住んでいた人間は魔物との戦いで戦死したと言う。

 次に功績を挙げたものが住むのか等言われていたらしい。


 見ない顔が来るとは思わなかったが、誰であれ人が入るなら屋敷も喜ぶじゃろうとパーダーは笑った。


「よかったら昼ごはんを食べていかんか?知り合いにパイをもらったのじゃが老いぼれ1人では手に余っての」


「ありがたいお言葉です。私もこの街の話とか聞きたいと思っておりまして」


 断るかとホロは思ったが、よく考えればスクイは人間関係は重要視する方である。

 犯罪者の街という背景を考えれば街の人間にも警戒は必要であるが、警戒しすぎて動かないということはしない。


 むしろ積極的に街の情報を手に入れるべきだろう。


「特殊な街じゃからなあ。心配するのもわかる。まあ今は僧侶様のおかげで随分良くなったが」


 杖をつきながらのっそり家に向かうパーダーに、スクイは横につきながら歩く。


「僧侶さんですか。私も先程お会いしまして。随分慕われているそうですね」


「おお。そう、うぐっ」


 スクイの言葉にもう会ったのかと驚くように声を漏らし、思わず咳き込むパーダー。

 背中をさすりながらスクイは家の扉を開け中に入るよう促した。


「おっとすまんな。随分体も弱くなった」


 家の中は広めのリビングに、キッチン。

 右側にもう一部屋ある平家であった。


「そこに座ってくれ。パイを切り分けよう」


 部屋の真ん中には庭を見ながら座ることのできる机がある。他に家具はほとんどなかった。

 スクイとホロが4人がけの食卓に並んで座ると、パーダーは目を細めながら微笑んだ。


「その、いや」


「どうしました?」


 パーダーの言葉を促すように笑いかけるスクイに、パーダーは少し庭の方を見ながらパイを机の上に置いた。


「僧侶様の話じゃったな」


「ええ」


 スクイも横目に庭を見る。

 さして広い庭ではないが、花が植えられており、手入れもされているように見受けられた。


「数年前まで、この街はもうひどい有様じゃった」


 果物の載ったパイを切り分け、先に一口齧ってからパーダーは話し始めた。

 この街なりの気遣いだろうとスクイは少し感心する。


「まあ当然じゃな。犯罪者の流刑地。それも外は強力な魔物がうろついているともなればまともに人の住めるところではあるまい」


 略奪や殺人は当然。

 街に入ってくるのも罪人や外よりマシだと踏んでやってきた盗賊、そして。


「捨て子も珍しくはなかった」


 一部の地域では口減らしの一環としてこの街に人間を送り込む。

 魔王との戦争最前線で戦えるという名目を使い、罪人でなくとも人間を捨てる風習もあるのだ。


「わしも昔はそうやってきた子どもを預かったりもしたが、歳をとると、まあ自分のことで精一杯でな。住処を守るだけでも厳しい街じゃったよ」 


 人が住める環境ではない。

 そのままの意味で、いつ人がいなくなってもおかしくなかったという。


「そこにやってきたのが僧侶様じゃ」


「僧侶様と聞きますが、お名前は?」


 スクイは手袋をつけかえ、パイを2切れ受け取り片方をホロの前に置いた。

 毒確認の魔道具である。念のためとつけたが、問題はなかった。


 その後荷物からティーカップを3つ、茶葉と一緒に取り出す。


「よければ一緒に」


「おお、準備が良いの」 


 パーダーは感心したようにカップと茶葉を見ると、沸かした湯を用意した。

 随分と家事の手際が良く、紅茶も丁寧に淹れる。


「名前はない。僧侶様は救済のために名前を捨てたとおっしゃっていた。気持ちはわからんが、彼女は自分のことを顧みず他者のために動ける人じゃということは、間違いないじゃろう」


 救済、という言葉にスクイはゆっくりと瞬きをする。

 しかし何も言わず、ティーカップに口をつけた。


「来て早々、争いの絶えぬ街で彼女は力を見せつけた」


「力?」


 少し意外そうな声を、敢えてスクイは出す。

 その反応に気を良くしたように、パーダーは話を続けた。


「そう、僧侶様は街に入って襲ってきた人間全員を、まず丸裸にしたのじゃ」


 神聖魔法、僧侶の力を使ってな。

 そう続く言葉に、ホロは驚きで目を丸くした。


「神聖魔法使いなのですか?」


 ホロは驚きのあまり口を出し、スクイがさほど驚いていないことに気づいた。

 ある程度予想していたのだろう。


 ホロの年相応の新鮮な驚きが面白かったのか、パーダーは気に入ったようにパイをもう一切れ切り分け、すぐに空になったホロの皿に置く。


「ああ、動きもせずに襲い来る人間の衣服も武器も全て奪い血も流さずに戦闘不能にする。そんなことができるのは神聖魔法使いくらいだろう」


 そう聞くと、ホロも納得する。

 その能力が本当であれば、確かに神聖魔法と納得できる強力さである。


 彼女にはどんな武器も無効で、戦力を捨てさせられてしまうのだから。


「そしてその武器を踏み台にして彼女は言ったんじゃ」


 人間になりたくはないか、そう僧侶は群衆に問うたと言う。


「意味のわからない言葉じゃった。しかし、ともすればこれ以上納得のできる言葉もない」


「秩序のない世界の人間は獣も同然というわけですか」


 スクイの理解の速さに、パーダーはにっこりと笑う。


「その通り。まあそれだけで納得できるほどここの奴らには学も思考力もない。最初は見向きもされなかったが、彼女は粘り強く勧誘を続けた」


 そして彼女は目に付く人間を救いに回ったという。

 ここに住んでいるのは悪人だけではない。襲われる人を見ればすぐに駆けつけた。


 その間、僧侶は悪人も含め1人も傷つけることはなかった。


「まあそうやって、恩を感じた者や保護されたい者なんかが彼女についた」


「悪人も受け入れたのですか?」


「ああ。もちろん悪事は許さんが、結局皆この奪い合う生活に疲れておったのじゃろう」


 悪人も含め、徐々に彼女の話に賛同を始めた。

 そして人が増え、活動を広げ、街の復興にまでが及んだ。


「まだ大通りくらいじゃがな。しかし人々に役割と仕事を与え、完璧とはいかんが平穏を与えたのは大きかった」


 そして僧侶は、魔物と戦うことに決めた。


「神聖魔法使いについては知っておるようじゃな。彼女の最終目標は、魔王の討伐にある」


 パーダーは地図を広げながら説明した。


 スクイ達の入ってきた3国側の入り口、そこから大通りを進み逆側の壁沿いに建てられているのが、大聖堂。

 元王城を僧侶が改装したものであり、僧侶の活動拠点となっている。


 そしてその大聖堂が接する、壁の向こうにあるのが、魔王城になる。


「魔王城からは、定期的に魔物の群れが出てくる」


「魔王城の中にいる魔物が襲ってくるということですか?」


 スクイの質問に、パーダーは少し考えるようにしてから、首を振った。


「そうじゃが、正確には魔王が魔物を生み出しているということになるな」


 魔王城に魔物が住んでおり、それと争っているのではない。

 魔王が魔物を生み出し、それが襲いかかってくるという構図である。


「魔王との戦争の最前線。ポリヴィティの大義名分を本物にしようというのが僧侶様の意図じゃった」


 元々魔物との戦いなど誰もしていなかった、というのはスクイの予想通りであった。

 無法地域でわざわざ世界のために魔王城から来る魔物と戦わないのは当然である。


 それを僧侶は正したらしい。

 魔物と戦っているという話は聞いていたので、これもわかっていたことであるが、スクイはとりあえず頷きながら聞く。


「世界のためもあるが、魔王城から来る魔物にはこの街も被害がないわけではなかった。古い街じゃ。壁も穴があるし、空を飛ばれれば意味もない」


 この街の平穏のため、魔物との戦いを始めた。

 そして来るべき勇者の訪問を待つ。


「神聖魔法使いとして、勇者が魔王を討伐に来ればそれに同行する。それが僧侶様の考えじゃ」


「では彼女は、勇者を待っているわけですね」


 大体、彼女の意図はわかったとスクイは感じる。

 明確なビジョンと役割を持たせることで人々を制御する手腕。


 聖人という前提はあるが、能力的には指導者の才。

 そして神聖魔法使いという能力。


「あんたも魔物討伐に参加するんじゃろ?明日も募集してるはずじゃ。落ち着けたら行ってみるといい」


 なんとない言葉。

 それに一瞬、ホロが剣呑な目をするのを、スクイは視線で抑えた。


「そうですね。荷解きが終わっていれば早速行ってみます」


 ごちそうさまでした、と言うスクイにパーダーは残りのパイを包み土産にさせる。

 まだまだ助け合いがないと生きていけない街だと言う彼に、スクイはお返しを考えておくと伝えた。


「パーダーさん!」


 席を立ち帰ろうとするスクイと入れ替わりに、1人の青年が入ってきた。


「おや、お客さん?」


「ええ、もう帰りますが」


 青年は珍しいものを見たような顔をして、破顔する。

 親戚、にしてはあまりに似ていない。他人であろう。


 気さくに声をかけてきただけあって、パーダーは近所付き合いの多い人なのだろうと思う。

 しかしこの環境で人付き合いをしっかりとこなしているのも1つの手腕だろうと、スクイはパーダーを高く評価した。


「そう!また今度は僕もご一緒させてください!」


「こちらこそ。今度は私の家に招待します」


 そう話しながら、2人に手を振りスクイはホロと家を出る。


「さて、掃除しますか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る