第七十九話「切り開く者」
「Sランク魔法」
ホロは目の前の存在、愛の神が呟くのを黙って見ていた。
ミストル司祭との戦いの後。
スクイがホロを宿に戻し、領主にことの顛末を話に行く中。
ホロは体力と膨大な魔力消費、そして過度なストレスもあり宿に戻ると同時に気を失うように眠り込んだ。
そして約束通り、愛の神に呼び出されていたのだ。
「本来は神が直々に人間に与える最強の魔法を指すわ」
世界に5つしかない魔法。
そう言われるSランク魔法は現状ホロが知るだけで2つ。
勇者の魔法という、勇者に選ばれた人物の成長限界を取り払う魔法。
聖剣の魔法という、聖剣に認められた勇者が聖剣に認められる程力を増す魔法。
どちらも愛の神の言う定義とは異なる。
「今、5つのSランク魔法のうちこの本来に当てはまるのは1つのみ」
それが愛の神の授ける魔法。
「他の神は死に絶え、後から生まれた2人の与える魔法はSランク魔法の5つに入ってないものね」
その2人の神のうち1人。
死の神の与える最強の魔法が不死の魔法である。
「そしてその魔法をあなたにあげたいというのが、私の話」
「何故ですか?」
ホロはずっと疑問に思っていたことを聞く。
愛の神はホロに、愛と呼ぶにふさわしい感情の存在を感じさせられたと語った。
そうだ。
ホロはもう分かっている。
自分はスクイが好きだ。
それは子ども心による保護者に対する愛情ではないと、ホロは理解していた。
しかし、それが飛び抜けたものではないともわかっていたつもりだ。
スクイは特別な人間だが、この想い自体は誰だって持ちうる。
愛の神に選ばれるような何かはないと思っていた。
「ご主人様も私も、普通とは言いかねるかもしれません。でもことそれが愛の神様に選んでいただける、その」
愛という言葉を少し言い淀むホロ。
その年相応の可愛らしい仕草に、愛の神は悪くないと言う程度に目を細めた。
「ええ、確かにあなたの今抱いている感情は、誰にでも持ちうる感情かもしれないわ」
愛の神はホロを肯定するように話し。
「でもその先にあるものは違う」
少し、どこか冷たく言い放った。
それはその違いを、認めると同時に咎めるような口調。
ホロはそれを聞き、驚くように目を見開く。
それは知られていると言うこと。
ホロの決意を。
「あなたの愛情の先にある決意は、純粋に相手のことを想った者の誰も持ち得なかったもの。本来愛情とは対極にあるはずのもの」
だからこそ、それが愛から湧き出たものなのだとすれば。
その突き詰めた決意こそが、愛なのかもしれない。
「だからこそあなたにもらって欲しいのよ」
それが、あなたの決意に役立つはずだと、愛の神はホロに言う。
「私は」
その言葉に、ホロはゆっくりと口を開いた。
「愛の宗教を重んじていますが、愛の神を信奉したことはありません」
何を信仰するかは、同じ宗教の中でも異なる。
ミストル司祭の言葉を思い出しながらホロは呟いた。
「教義や信仰者の方々が人を救うことはあっても、神は人を救いません」
魔法は、神からの贈り物である。
それが人を救うことはあると、ホロも分かっている。
しかし、それだけ。
神が絶対の存在なのだとすれば、貧困が、苦痛が、差別が、何故看過されているのか。
神がいないのであれば納得もできる。
しかし、神が存在するのであれば。
それほど残酷な存在もいない。
「そうね」
ホロの言葉に愛の神はあっさりと肯定する。
「神々は悪意ある存在ではないけれど、それでも楽しみを理由に人間を作った存在。自分たちの介入なく人間がどうなっていくのかを見たいという気持ちは大きかったわ」
だから神は基本、人間に干渉しない。
それが神々の決まりだった。
「それがどれだけ残酷なことか、私たちは何も知らなかった」
「そうでしょうね」
ホロは知っている。
この世界の不平等を。
そしてそれを人の身で覆そうとする存在を。
スクイが神を嫌うように。
ホロもまた神を信仰はできなかった。
あるいは以前のホロであれば、愛の宗教を信奉する者として愛の神をそのまま信仰の対象とみなしたかもしれない。
しかしスクイの教育で思考することを学び、ミストル司祭とのやりとりで自分の信仰を再確認したホロには、目の前の神を良く思う気持ちは持てなかった
「私はあなたの信仰者ではありません。それでも構わないのですか?」
「ええ、関係ないもの」
あくまで信仰を度外視する神に、ホロは俯く。
別に文句をつけたいわけではないのだ。
ただ、神という存在に対して棘が出てしまう。
それは自分の悲惨な過去以上に、スクイの人生を知っているからかもしれない。
「それじゃあ魔法を与えるわね」
ホロの返答も待たず、愛の神はホロに魔法を伝える。
「Sランク魔法、とはいうけれど私の魔法はそんなに強力なものじゃないの。勇者や魔王みたいな超存在になれるわけじゃない。手を出して」
愛の神はホロに言うと、ゆっくりとホロに近づく。
「必要なのは気持ちよ。そうね、岩魔法を使ってもらえる?」
ホロの手をそっと握る愛の神に、ホロは不思議そうにされるがままになる。
「イメージはそうね、愛する人。本人よりイメージ。あなたの場合、彼のナイフを想像して作ってみて」
「ご主人様の?」
愛を込める。
それは愛の神の魔法としては違和感のないものだ。
ホロはその膨大な魔力を手に込め始める。
気持ちを込めるということは手を抜かないということである。
ホロは一部の隙もないように、岩を圧縮し、変形、ただ形が似るだけでなく鋭く、硬い。
何度も見てきた。
自分を救ったナイフを想像する。
「やっぱりね」
その工程。
そこにあるものを見て、愛の神は確信したように言葉を零す。
どれだけスクイのことをよく見ているかが嫌でもわかる。
本物と限りなく同じ形をした、膨大な質量を圧縮したナイフが一振り。
そこにあるのは、混じり気のない。
美しいまでの殺意。
死を与えるために存在する。
そう確信できるナイフ。
「愛の魔法、私はこれを」
無理心中と呼んでいるの。
そうホロに告げると同時に。
愛の神はナイフを持ったホロの手を握ったまま。
その手に持ったナイフで、自分の胸元を突き刺した。
「えっ……?」
魔力を消費し繊細な作業を行う。
それが終わったことに気を取られていたホロは、その状況を飲み込むのに一瞬時間を要する。
「な、なんで」
人間と同じように、刺された胸から血を垂れ流し。
口からも血を滴らせる愛の神に、ホロは動揺しながら聞く。
「なんで?」
そんなホロの言葉に、痛みなど感じないかのように。
ともすればホロより不思議そうな表情で、愛の神はホロの言葉を繰り返した。
ホロは、知らない。
全ての神々が退屈を理由に終わりを求めたことを。
その中で1人だけ、いつか現れる愛の存在を信じて待ち続けた者がいたことを。
「そうね。そう言われると難しいのだけど」
愛の神はホロを見る。
否、愛の神はずっと、彼女を見ていた。
弱く、幼く、未熟で、天賦の才を何一つ持たず。
生まれも育ちも不運で、愛されず、報われず。
そんな彼女が、自分を救ってくれた人間に報いようとする。
その相手がまともであれば簡単で。
悪人であればもっと簡単だった。
でも相手は狂人で、普通の恩返しなど到底望むべくもない。
彼のことを知ろうとすればするほど、彼が自分とどれほど遠い人間かを知らされる。
そして、それにも関わらず彼は、ずっとホロに優しかった。
恩返しなど、何も求めていないことは明白だった。
「強いて言えば」
それでも、それだからこそ。
ホロはスクイのことを知ろうとし、そして研鑽を積み重ねた。
そして、自分がスクイを救うと決意したのだ。
「私、ハッピーエンド以外は認めないの」
そう呟いた愛の女神の表情は、誰の目にも明らかな。
喜びに溢れた笑顔だった。
「頑張ってね」
その言葉を最後に、愛の神はゆっくりと事切れ。
ホロは神を殺した。
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