第七十八話「正しさの末路」
「お、お花……」
スクイは通りを1人歩いていた。
正確には先程まで歩いていたようだ、というべきかもしれない。
今彼はその足を止め、視線は1人の少女に注がれている。
そしてスクイの意識はここから始まったため、歩いてはいなかった。
「夢、ですね」
スクイは状況を即座に理解する。
現実のスクイは現在街を追い出され、ポリヴィティへの移動中である。
そしてここは転移後の世界ではない。
スクイが両親を殺し、その関係者を殺し、行き着いたとある国。
絶え間ない隣国、国内での戦争と、それによる貧困で見るも残酷な世界が映し出される。
夢であり、実際にあった過去。
スクイの原風景の1つ。
「すみません」
夢なんていつぶりだろう。
スクイは思えば両親を救って以来、夢を見たことなどほとんどなかったと思う。
睡眠障害気味のスクイは、まともに睡眠を取れたことも少ない。
まして狂気に侵されすぎた脳では、まともに夢を見るのも難しかった。
そういった現状の把握をしながらも、スクイは少女に歩み寄る。
普通の女の子だ。
年頃は12、3程だろう。
この地域特有の褐色の肌の全身には打撲の痕があり、服はボロボロで布切れと大差ない。
無造作に伸ばされた髪は長いだけで小汚く、先でざっくりと乱暴に切った痕があった。
花とは名ばかりの萎れた雑草を手に、口籠もるようにぼそぼそと花を売っている。
それがスクイに声をかけられ、ビクッと肩を震わせた。
「花を1つもらえますか?」
スクイは優しげに話しかける。
過去のままである。勝手に過去が繰り返されるように、スクイの体は動いていた。
穏やかな声に少女は多少警戒を解いたように見えたが、まだ怯えるような目線は変わらない。
しかしスクイの言葉を聞くと、少し周りを確認する。
客相手に過度に怯えるような表情も、おかしなことではない。
この地域の路上で少女が花を売るというのは、そのままの意味ではない。
「これにします」
少女が場所を案内しようと歩き出す前に、スクイは少女の持つ花の束から一本を抜き取った。
「えっ……?」
少女は不思議そうにスクイを見つめると、差し出された小袋を受け取る。
中身は紙束である。少女のひと月の稼ぎを超えるだろう。
「あの」
「良い花です」
スクイは身をかがめ、少女を見つめながら笑顔で言う。
また、買いに来ます。
そう話し、スクイは少女を優しく撫でるとその場を後にしようとする。
実際にあった過去。
その一部。
「ダメだ」
それではダメなのだ。
スクイは過去の通りに自分の体が動いているのを感じ、抵抗しようとする。
だが身体は、過去の通り少女に背を向け、立ち去ってしまう。
それでは意味がなかった。
スクイはこの話の終わりを知っている。
花売りの少女にお金を渡し、また来る約束をした後を知っている。
スクイはこの後何度もここを通り、その度に女の子を探すが一向に見つからない。
どろりと。
醜悪な感触がスクイの全身に撫でるように絡みつく。
振り返ることは許されない。
「私のことは救ってくれなかったね」
これは夢だ。
現実では女の子は立ち去るスクイに小声で「ありがとう」と言ってくれたのだ。
こんな恨みがましい言葉を、彼女は吐かなかった。
数日後、スクイは少女の亡骸が路上で捨てられていたことを知る。
単純な話である。少女はスクイの渡した金を、その日の稼ぎとして偽りなく父親に渡した。
そして気分を良くした父親は、その金で酒を買い酔っ払った挙句、荷物持ちさせた娘を道端で乱暴し殺してしまったのだ。
大して、珍しくもない話だった。
スクイはそれを知った日、父親の居場所を探し殺害した。
それが何かになったと、彼は思えたのか。
「それとも、あの結末が救いだったの?」
違う。
スクイは否定しようとするが、声が出ない。
死は救いである。
だが、それを免罪符にするつもりはない。
自分は、失敗したのだ。
そう伝えようと、動かない体を無理やり動かし振り向く。
「何してんの?」
からっとした、良い天気だった。
スクイの目の前に少女はなく、またいる場所も汚い通りではない。
目の前には木々が生い茂っており、その中で子どもたちがスクイの方を見つめていた。
場所が変わった。
夢なのだからそういたこともあるだろう。
不思議そうにスクイを見る子ども達に、スクイは微笑みかけた。
「少々立ちくらみしまして。この暑さですからね」
「えースクイってサッカー上手いのに身体弱いんだなあ」
そうおどけるように笑いかける子どもたちの手には、汚れたボールが握られている。
彼らの唯一の遊び道具だ。
休むか聞いてくる彼らに、スクイは首を振る。
「いえ、それよりサッカーの続きをしましょう」
そうだ。
スクイはこの頃、とあるマフィアの雇われになっていた。
珍しくはない。むしろ国を出て傭兵になるまでの間、スクイは基本的にどこかのマフィアと関係を持っていた。
闇の深い部分に入り込み、その情報を得て悪人の救済に役立てる。
所属したマフィア組織を壊滅させ、その手柄を持って他の組織に入り込むことも多かった。
そして今日はその組織の仕事場でもあるカカオ畑に来ていたのだ。
カカオ畑は見たことがないと話したスクイに、話していたボスに見に行ってみろと言われて来た形である。
付き合いも大切である。用事のない日にスクイ1人で見に来たところ、何人かの子どもたちが働いており仲良くなったという流れだった。
「そうしよーぜ!さっきのやつ教えてよ!くるって回ってボール蹴るやつ」
「オーバーヘッドキックは難しいですよ」
そう言いながらスクイはリフティングをしたり、スクイ対子どもたちでサッカーをしたりと時間を過ごした。
身体能力の高いスクイのプレーは子どもたちにも好評であり、魅せられた子どもたちはいつも以上に盛り上がった。
過去と何も変わらない。そうやって遊びを楽しみ、そして日が暮れ、スクイは帰るのだ。
「スクイ!次は負けないからな!」
そう大声で手を振る子どもたちにスクイも笑顔で返す。
「ええ、また遊びに来ますよ。練習しておいてください」
「ああ!あと約束忘れるなよ!」
スクイはそれにも笑顔で頷く。
彼らはチョコレートを知らない。
スクイがこれが甘いお菓子になると話しても彼らは信じようともしなかった。
カカオの収穫を行っている子どもたちだが、そのカカオが何に使われているかなど知りもしないし知ろうともしていない。
何故疑問に思い知ろうとしないのか、そう考えることが傲慢なのだとスクイは知っている。
「食べきれないほど持って来ますよ」
そう言ってまたスクイは背を向ける。
その動きは止められず、スクイはこの夢に干渉できない。
過去の通り進むだけである。
スクイはこの話の終わりを知っている。
この後スクイは、マフィアの人間に高級チョコレートを大量に用意させる。
スクイは組織でも重宝されている。珍しい彼の要望に、ボスは面白そうに笑いながら高級チョコレートの山を用意した。
「嘘つき」
そんな声が、スクイの背後から聞こえて来た。
これも、現実にはなかった言葉だ。
しかし、スクイの耳からはずっと、聞いたこともないその言葉が離れない。
大袋に詰め込んだチョコレートを持ってスクイがカカオ畑に向かうと、子供達の姿はなく。
収穫し終わった畑のみがあった。
スクイは不思議に思いしばらく待ち、収穫を終えてここにはしばらく来ないのかと思いながら帰り、次の日ボスに子どもたちのことを聞く。
「ああ、あいつらなら売っぱらったよ」
そう不思議そうに答えるボス。
よくある話である。
収穫を終えてもそれで終わりではない、子どもたちは労働力としてまだまだ仕事はできる。
他の仕事もあり、いくらでも使い道はある。
しかし、普通の考え、論理的な思考がこの世界では通用しない。
「いや何、ちょうどガキの内臓が売り時だったんだよ。元々そういう予定だったしな」
理屈の通じない話である。
だが、そんなことは日常で。
そんなことが起きると想定できない。
スクイはその言葉を聞いてボスを殺した。
立ち回りとしては最悪だったが、死にかけるも組織の人間を殺し回り抜け出す。
そしてまた、1人になったのだ。
「嘘つき」
後ろから聞こえてくる子どもたちの声は1つではなく、スクイはその子どもたちの声が重なって自分が責め立てるのをただ聞き続ける。
「ええ」
その通り。
スクイはもう振り返ろうともせずにそう答える。
これはスクイの記憶のほんの一部。
救えなかった子どもたちとの思い出の一欠片。
また救えなかった。
病気になった男の子を。
両親を亡くした女の子を。
戦争に駆り出された少年兵たちを。
スクイの記憶には色んな子どもたちの思い出がある。
泣いている子どもに手を差し伸べずにはいられなかった。
それは、きっと過去の自分と重なるからだ。
わかっていた。だからスクイは子ども達に手を差し伸べ続けた。
そしてその全てが、バッドエンドに終わるのだ。
病気が治った男の子は別の理由で死亡し。
女の子の両親の代わりには誰もなれず。
少年兵達は帰還してもまた死地に向かわされる。
世界は不平等で、理不尽で、論理なんてとうの昔に破綻している。
その度にスクイは一瞬放心し、しかし自分を取り戻す。
そしてやっぱりと呟くのだ。
「死だけが、この世界を救う平等なのです」
平等など存在しない。
生の苦痛は万人に不平等に与えられ、生き方も選べず死んでいく。
誰もが幸せになれる世界はなく、誰かの幸せの裏で誰かが不幸になることが要求される。
平等など、弱者の妄言に過ぎない。
「ならば、作ってやりましょう」
それなら、平等な世界が。
誰も傷付かずに済む世界が存在しないというのなら。
「死の救済を、真に平等な概念を」
死を与えよう。
死だけが平等なのだから。
そうすれば、そうでなければ。
「プラスもマイナスも押し並べて0にする。不幸のない平等な世界」
スクイの後ろから声がした。
それはカカオ畑の子どもたちの声ではない。
景色はまた変わっていた。
ここはもう、スクイのいた世界ではない。
「あらゆる不平等を、そしてあらゆる死を経験して来た旦那がそれを求めてしまうのも無理はないかもしれないっす」
スクイは、とある宿屋の一階にいた。
いつの間にかスクイは椅子に座っており、声は目の前の少女から聞こえる。
だがその顔を、スクイは見ることができない。
靄がかかったように少女の顔を判別できず、しかしその声はスクイのよく知るものだった。
「でもその世界には、幸福もない」
不要だと、スクイは言わない。
「天使も言ってましたね。旦那は死を信仰しながらも悪人しか殺さない。むしろ誰かを助けている」
死が絶対の平等で救いであれば、皆殺しにすればいいのに。
「本当は、生きて幸せになれる方がいいって分かってるんすよね」
少女が笑っているのがスクイにはわかる。
それがスクイに不快感を与える。
これは夢だ。
少女はもういない。
「それでも死を信仰するのは、救えなかった子ども達への贖罪ですか?」
あるいは言い訳?
そう勝手に彼女の姿を使って問いかけてくる何かに対し、スクイは彼女の死を冒涜されていると感じていた。
それに。
「なれないからです」
生きて幸せになれる。それが一番いいことくらい当然である。
しかし誰もがそうはなれない。
「だから、幸福も生の苦痛を生み出すパーツに他なりません」
「へえ、じゃあ」
問答が無意味だとわかったのか、目の前の少女は会話を切り上げるように呟く
同時に彼女の顔にかかっていた靄が晴れ。
「私が死んで、旦那は嬉しかったっすか?」
その、涙を湛えた表情に、スクイは何かを返そうとし。
「ご主人様?」
ふと、意識を戻す。
スクイは夢と現実の切り替えを行う。
瞼を開けると、そこは乗り物の中。
目を覚ましたスクイの目の前では、ホロが不思議そうにスクイの顔を覗き込んでいた。
「どうかしましたか?」
スクイがホロに聞くと、ホロは少し焦ったように目を泳がせる。
「えっと、あの、ちょっと荷物の確認をしてくるのでうるさくしちゃったらすみません」
「ええ、構いませんよ」
挙動不審なホロにスクイは疑問を表に出さず、ただ別室に向かうのを見送る。
音を立てるにしても起こす必要はないし、荷物の確認など今しなければならないことでもない。
起こされたことにどうこう思うほどスクイも偏狭ではないが、不思議に思いなんとなしに目元を拭う。
「おや」
その手が湿るのを感じて、スクイは声を漏らした。
涙。
スクイはハンカチを取り出しそれを拭う。
ホロはスクイを起こしたのではなく、涙を流すスクイを見て思わず名前を呼んでしまったのだ。
「気を使わせてしまいましたね」
そう呟きながら、ホロが戻るのを待つ。
ホロは少しして戻り、スクイの布団に入り込んだ。
「なんの夢を見られていたのですか?」
ホロは聞くべきでないと思いながらも、スクイのことを知りたい一心でおずおずと聞いた。
スクイは安心するようにホロの髪を撫で、いつものように、なんでもないように微笑みながら答えた。
「正しさを確信する夢です」
夢の中のスクイは、現実のスクイと同じではない。
夢の中のスクイはまだ、平等とは何か計りかねていた。
しかしもうスクイは、全てを経験し確信している。
そして信じると言う行為は、いつも狂気を孕ませ得る。
それを理解しながらスクイは、世界を想いながら眠りにつくのだ。
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