第七十二話「魔法」

 スクイが大聖堂に着く頃には全てが終わっていた。


 予想できなかったとは言えない。スクイはそう思う。

 ホロがスクイの身を案じ、そしてメイや村の人々の仇を討つために自ら大聖堂に乗り込みミストル司祭を殺すことは順当な流れとすら言えただろう。


 しかしそれを考慮に入れられなかった。

 というよりは、それを考えるよりホロをあの場から遠ざけることが最優先であった。


 何も知らない愛の信者を殺さなければならない状況、それが頭に浮かんでいた以上、そこにホロをおく方がホロの今後に差し障る。


「にしてもやりすぎましたね」


 大きな怒り故か。

 ホロは恐らく、感情的になりにくいスクイといるからこそより強い感情を内に秘めるようになった。

 スクイの代わりにという想いが根底にあるからだ。


 それがスクイのことを想ってだとスクイも分かっている。

 わかっているが、これはあまりいい傾向ではない。


 ホロとしても、そしてこの後の展開としても。


 クレーターに近づき、軽い跳躍で中に入るとそのまま滑るように底へと降りる。


「ホロさん」


 スクイが声をかけると、ホロは今気づいたようにスクイの方を振り返る。

 近くには首を切られたミストル司祭の死体がある。


 ホロは怒りとも疲れとも言える表情をしていたが、スクイを見るなり花が咲いたような綺麗な笑顔を見せた。


「早かったですねご主人様!先に村を荒らした悪人は私が救っておきましたよ!」


 ホロはスクイを慮るように説明する。

 傷だらけの身体をものともしない、ただ嬉しそうな表情。


 この状況で、スクイに会えて純粋な喜びだけが彼女にはあるのだ。


「そうですか。流石ホロさん。仕事の早いことです」


 死への信仰故ですね、とスクイはホロの頭を撫でる。

 スクイはホロのその異常性を指摘しない。


 ホロはスクイに褒められながら、頭を撫でられることを堪能するように目を瞑った。

 その表情は単に可愛らしい小さな少女のものと、なんら変わりはない。


「ところで」


 どうして彼女はこのようなことをしたのでしょうか。

 そう呟いたスクイに、ホロは満足げに閉じていた目を開いた。


 ミストル司祭の目的、話すべきかどうかホロは少し考えたが、スクイであればある程度の予測は立てているだろう。

 あまり考えてほしくはないというのがホロの心情であったが、黙っていてもスクイは考える。


「どうにも、神になる方法のせいだそうで」


 神になる。

 大まかな予想をしていたスクイも想像していなかった言葉に、スクイは首を傾げる。


 ホロはミストル司祭が神になりたがっていたこと、その方法として神託から死を与えることという答えを得たことを話した。


 そしてだから無作為に人を殺していたのだとも付け加える。

 スクイをライバル視していたとは言えない。


 言えばスクイは、自分が村の崩壊のきっかけだと思うだろうと、ホロはわかっていた。

 そして、そこを明言せずとも、スクイは気づいてしまうことも。


「なるほど、死を信仰するものとしては死と神の繋がりは気にならないでもないですが」


 それより先に気にすべきことがありますね。

 そう話すスクイの目線の先には。


 大きな鏡があった。


「あ、あれです。神託を与えるという魔道具です」


 この大聖堂での戦いにおいて壊れていない。初めのホロの炎で吹き飛んでいたようだが、クレーターに散らばる瓦礫の中にそれは傷ひとつなく残っていた。


「魔道具ですからね。私のナイフと同じく傷つかないようにできているのでしょう」


 ホロの手を引きながら、ゆっくりとそちらに近づく。


 大きな鏡である。身長の高いスクイよりも頭三つは高い。

 魔道具であることを差し置いても、高価な鏡に違いなかった。


 ホロは鏡に興味を示したスクイには疑問を抱かなかった。

 今回の元凶という点を除いても、神託、神の声を聞ける魔道具。


 気にしない人間はいないだろう。


 ただ同時に疑問が湧く。

 スクイはこの鏡になんの用があるのだろうと。


 神に聞きたいことがあるのだろうか、ホロはその内容を考えた。


「これが神託を受けることのできる鏡ですか?」


 スクイは単純な質問を鏡に向ける。

 見れば鏡には何も映っていない。先程まで反射する景色を写していたように見えたが、スクイたちが近づいてからはまるでただの板のように、黒い世界だけが映っていた。


 はい。


 そこに文字が映し出される。

 ホロは少し驚いたように鏡を見る。


 しかしスクイは想定通り、むしろここからという表情で鏡を見ていた。


「魔物を倒す方法を教えてください」


 スクイの言葉に鏡は反応する。


 魔物も動物と同じく多種多様で一辺倒な倒し方はありません。しかし同じく人の武器や魔法で殺すことができます。


「魔物を滅ぼす方法を教えてください」


 魔物は魔王が生み出しています。魔王城の魔王を消し去れば魔物は消えるでしょう。


「魔王を倒す方法を教えてください」


 聖剣に選ばれし勇者と、神に選ばれし役職魔法使いで力を合わせることです。


「勇者でなければ魔王は倒せませんか」


 魔王は強大です。勇者の力でしか倒すことはできません。


「昨日の夕飯はなんですか」


 ホロはスクイを見た。


 淡々と、一般的な質問を繰り返すスクイに魔王への興味が湧いたのかと思っていたが、唐突に理解のできない質問が出たのだ。


 しかしスクイは、この質問が本命であったかのように真剣に鏡を見ている。


「魔法の習得方法を教えてください」


 魔法の元となるものに接し続けることです。


「何故そのような習得方法にしたのですか」


 鏡は答えない。


「魔法の習得方法を魔法の元に触れることにした理由を教えてください」


 火を扱えないものでなければ、火の魔法を扱うには危険だからです。


「魔法は神が人間のために与えたのですか?」


 はい。


「水の手に入らない人間にこそ水の魔法が必要なのでは」


 鏡は答えない。


「何故人間を生み出したのですか?」


 鏡は答えない。


「適切な肥料を作る方法を教えてください」


 鏡は答えない。


「魔法の習得方法を魔法の元に触れることにした理由を教えてください」


 火を扱えないものでなければ、火の魔法を扱うには危険だからです。


「魔法の習得方法を魔法の元に触れることにした理由を教えてください」


 火を扱えないものでなければ、火の魔法を扱うには危険だからです。


「魔法の習得方法を魔法の元に触れることにした理由を教えてください」


 火を扱えないものでなければ、火の魔法を扱うには危険だからです。


「魔法の習得方法を魔法の元に触れることにした理由を教えてください」


 火を扱えないものでなければ、火の魔法を扱うには危険だからです。


 何度も同じ質問を繰り返す。


 それに同じ返答が返ってくる。


 スクイは、自分の考えが間違っていなかったことを理解した。


「神になる方法を教えてください」


 鏡は答えない。


 一瞬遅れて、その反応がおかしいとホロが気づく。


 前提が違う。

 ミストル司祭は神になる方法を神託で聞き、死を与え始めたはずだ。


「もういいでしょう」


 スクイはそう言うと、ホロに向き直った。


「いいですか、ホロさん」


 この魔道具は、自動回答です。

 いえ、それだけでない。


 そう告げようとするスクイの視界の中で、ホロの顔がゆっくりと、驚愕に変わる。


 その言葉の意味をどこまで理解したのか、わからぬうちにスクイの視界からホロは消え。


 真っ暗な世界にいた。


「あなたは天使ですね」


 こうなることはわかっていた。

 3度目の、スクイが転移前に来た世界。


 どうせすぐ会うことになるという言葉の通り、スクイはまたこの世界に来ていた。


「ええ」


 スクイの目の前に現れた女性。

 羽の生えた女性は簡単に首肯する。


「神々によって作られた、神々の僕。私は神ではありません」


 それももう私しか残っていませんが、そう呟き。

 わかっていたことでしょうと、天使は言う。


「神々は死んでいるのですね」


 スクイは、単純に、この世界の結論を述べた。


 この世界。

 この、終わった世界の結論を。


「はい」


 この世界はかつて、神がいた世界。

 それがもう、神々は死に、この世界には何も残されていない。


「神には死という概念がないと聞きましたが?」


 そう聞くスクイに天使は、目を伏せる。


 悲しんでいるのか、そう思わせる素振りだったが。

 明確にその目は、怒りを宿していた。


「一から説明致しましょう」


 天使は、神々の存在を語る。


 神々とはそれぞれが神にとって存在する概念を冠する存在。

 炎の神、水の神、岩の神。


 あらゆる神がおり、それぞれが世界を構築し、理想的な楽園となっていた。

 神々は自分の関した概念に関してできぬことはなかった。


 理想郷を作り上げるなど造作もないことであった。


 そしてそんな中、悠久とも言える時間を過ごし、様々な歴史があった。


 とはいえ何も悪いことがあったわけではない。楽園では争いも起こり得ず、欲しいものは欲しいだけ、したいことはしたいだけ、理想は叶うのだから。


 そしてその中で天使と呼ばれる従者が生まれたり。

 人間界という世界が作られたりした。


「神々の戯れの一つ、というわけですか」


「そうですね」


 もっとも、神々は善良である。

 天使は神々を心から慕っていた。


 人間界にも遊びで適当に作るのではなく全ての神が力を合わせ作り上げた。

 そこは神々の住む理想郷とは遠いものであったが、そこで懸命に生きる人間達を神々は愛しんだ。


 そして自分たちの力を使いこなせるようであれば使えるように提案したり。

 気に入った人間にはさらに強力な力を与えた。


 魔法である。


「今は全自動ですね」


 天使は頷く。

 神が魔法を与えている。それにしては選別も何もないとスクイは感じていた。


 善人も悪人も要件さえ満たせば、人間のために神が与えたという魔法が簡単に手に入ってしまう。

 神が人間のために与えているとすれば少し違和感がある。


「元々1人1人管理して与えていたわけではありません。神々がいらっしゃったときもそれは変わりませんでしたよ」


 神々1人に1つだけが持つ、特別な魔法を除けば。

 人間がSランク魔法と呼ぶ特別な魔法は、本来それぞれの神が認めた1人の人間が得られる魔法であった。


 今や例外と変わらぬ数となっているが。


「滅多に得られるものは現れませんでしたがね」


「魔法の話はいいのです」


 本題から逸れた話を、スクイは修正する。


「理想郷で人間を愛でながらなんの不満もなく過ごしていた神々が、何故死ぬことになったのか」


 それはとある1つの存在。

 1人の神によるものと。


 天使はその美しい顔を歪ませ、怒りをあらわにしながら、その存在について語った。


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