第七十話「崩壊」
ホロが目を覚ますと、辺りは黒い靄で囲まれていた。
元の世界に戻ってきた。そう感じる以上に、現状がいかに絶望的か感じさせられる。
ホロを覆う黒い靄。
それは死の魔法。一瞬で現状を理解し、できることをする。
ホロは試しにその靄に大聖堂の鐘の破片を当てた。
「崩壊」
鐘の破片は靄に当てた部分だけが切り取られたかのように消失していた。
それと同時に金色に光る光の粒が宙に舞うのを確認する。
大聖堂の破片が灰になったことといい、この魔法は物を消すのではなく崩壊させるものだとわかる。
それがどう役に立つかはわからない。
それでも、相手を知る。
それはスクイに教わった一番大事なことであった。
「そして余裕もないとなれば」
今にもホロはその靄に包み込まれようとしている。
一瞬という猶予で得た情報に満足するとホロは。
出せる限りの岩魔法を、頭上の一点に撃ち込んだ。
「崩壊は無制限ではない」
同時に自分の出した岩の方向に飛ぶ。
靄は崩壊を行うと消える。
圧倒的な魔力量で無制限に触れたものを崩壊させるように見えたが、実際靄と崩壊させる物質は相殺の関係にあった。
そうであれば初めにホロがされると思った行為が活きる。
「一点突破の岩魔法で靄を相殺し続け脱出する」
ホロは靄を押しのけるように次々と崩壊する岩を出し続け飛び回り。
靄のない空間へと躍り出た。
「やはり上方向」
ホロは下を見下ろしながらそう呟いた。
ホロの魔法を飲み込むスピードを見ても、ミストル司祭の死の魔法はスピードがない。
ならば上方向にはあまり厚く層を重ねていないと考え、ホロはさらに上へと上昇したのだ。
「よく抜け出ましたね」
さして驚いた様子もない。
地上から随分と離れた場所からでも、ホロは彼女の余裕が伝わる。
理由は単純である。
この対応策は根本的なものではない。
死の魔法は物質を崩壊させると消える靄である。当然消えれば新たに出すしかない。
しかしそれは、死の魔法との戦いは結局のところ魔力勝負であると言うことに他ならない。
そしてホロの総魔力は、ミストル司祭に負けていることが前提なのだ。
状況は一切良くはなっていない。
黒く巻き上がる靄、崩壊した大聖堂、余裕を持ってホロを追い込むミストル司祭に、空にいるだけで莫大な魔力を消費するホロ。
状況は一切良くはなっていない。
良くなっていないが。
「考える時間があった」
ホロは、絶望的だとは思わない。
きっと、この程度を絶望とは呼ばない。
ホロはゆっくりと手を上げ、深呼吸すると同時に、勢いよく両手を下ろした。
それはイメージ。
ホロは両手を下げると同時に、全魔法を使い切る勢いで壮大な炎の放出を行う。
玉ではない。巨大なバケツをこぼすような炎の波とも言える火炎の放射は、対象であるミストル司祭を中心に、死の魔法を相殺しながら大きく放たれる。
「高火力によるゴリ押し」
それは魔力量で勝る場合にできること。
一見埒外とも言える方針を、ミストル司祭は笑顔で褒める。
まず、死の魔法が消えたと言うこと。
ホロに届こうとした死の魔法はホロの魔法の奔流に飲み込まれ、相殺以上の量により掻き消えた。
スピードで負けるミストル司祭はそれに魔法で対抗できない。
このまま正面からの力押しで燃やし尽くせるかもしれないという可能性。
それは存在しない。
「確かに死の魔法は靄だけあってスピードは出せません。勢いよく流れてくる炎に対し押し勝つように出すことはできませんね」
しかし、それでも自分の周りくらいは維持できる。
ミストル司祭はホロと対照的に、派手な魔法の展開を止め、自分を丸く、厚い死の魔法で繭のように覆う。
ホロが組織の幹部と戦った時出した部屋のような、密度の高い魔法の圧縮。
炎は通さなくとも温度が貫通すれば、蒸し焼きにできるとホロは考えていたが、物質でない炎は灰も残さず消え、温度すら中には通さなかった。
「私の策は、ここからです」
死の魔法で覆われたミストル司祭が見えないほどの炎を放ちながら、ホロは言う。
「なるほど、窒息」
ホロの声どころか、光も通さない黒い靄の中でミストル司祭は呟く。
この状況では、炎による酸素の消費を言うまでもなく、炎と死の魔法で囲われたミストル司祭の狭い空間の吸える空気はすぐになくなる。
下手をすれば呼吸だけでなく、死の魔法の壁が空気を崩壊させかねないとも考えられた。
「という状況は、流石に想定済みです」
ミストル司祭は懐から一枚の仮面を取り出す。
「期せずしてホロさんも使ったと聞きましたが」
その仮面にはとある植物の根が使われている。
それは空気を浄化する。
「吸える空気が無くなれば、作るだけです」
密室で空気がなくなると言う言葉があるが、正確には空気は無くならない。
酸素濃度が上がり、吸える空気がなくなるのである。
スクイが組織侵入時に、建物内に充満させた毒素を廃するために使った仮面と全く同じそれは、ミストル司祭の正常な空気の確保にも利用できる。
「崩壊という万能に聞こえる能力の欠点は、無いものを無くせないことです」
たとえ火でも水でも、岩であっても掻き消せる死の魔法であるが、無いという状況には何もできない。
その一つ、空気をなくすという行為は一般的で、想定できるものであった。
故に対策はしてある。
「そしてこの状況を作るための短期決戦」
空気浄化の仮面も万能ではない。
こんな状況が一昼夜続けば流石に呼吸は困難になるだろう。
しかしこの状況を作り出すために、ホロは膨大な魔力を消費している。
実の所それはホロの膨大な魔力を常に打ち消し続けるミストル司祭も同じではあるのだが、そうであれば魔力量勝負。
問題はない。
そう考えるミストル司祭の足元から、炎が巻き上がる。
「次策、足元を狙う」
冷静に状況を呟き反芻するホロ。
「足元からの攻撃は不意打ち。決まればよかったけどそこまで甘くない」
これは甘い策だと呟くミストル司祭。
しかしホロの考えはそれだけではない。
足元からの攻撃を守るということは、足元に死の魔法を発生させることになる。
速度で負ける以上新たに発生させるのではなく、今ミストル司祭を覆う厚い靄の塊で打ち消しにかかるだろう。
組織でホロが作成した部屋を操作して、レビータを捕らえたような使い方である。
しかし死の魔法は触れたものを崩壊させる。それは決して単なる壁ではない。
全体を、足元までも死の魔法で覆ってしまえば。
足元からミストル司祭は自分の魔法で塵と化すことになる。
「すごいですね」
炎の魔力によるゴリ押し。
気温上昇による蒸し焼き。
空気の遮断による窒息。
地面からの不意打ち。
死の魔法そのものによる消滅。
並行したいくつもの勝ちへのルートを試し続ける。
正しくスクイのやり方。
それをこうも完璧に実践で行ってみせる。
まして先程知ったはずの魔法に対して、理想的な対策を複数である。
ミストル司祭は足元の炎も、厚く作った死の魔法の繭を操り打ち消し。
出来た黒い球体の中、ゆったりと座り込みながらその能力に笑みを零した。
「死を与えること、この言葉の意味を解読するにあたってこの魔法の特訓は当然行っています」
崩壊対象の選別。
難易度の高い操作ではあったが、ミストル司祭は少なくとも自分を傷つけない程度には死の魔法を使いこなしていた。
そして、そこからは何も起こらなかった。
死の魔法は音も遮断する。
もっとも、魔法の感覚で今も炎を相殺し続けていることから自分が炎の海の中にいることはミストル司祭も理解できていたが、それ以上のことは分かりようがない。
「特に変化と言えるものも無し。文字通り万策つきましたかね」
実際、ミストル司祭の魔力も切れかかっていた。
ミストル司祭の加護は、自分の殺した人間の死体を媒介に魔力に変える。
自分で殺すという行動が伴う代わりに、ホロのように身につける必要がないこの加護は、殺した死体を多く隠し持つミストル司祭の性質と権力あって初めて絶大な効果を発揮する。
しかしそれが消えかけるほどの魔力の押し合い。
ホロの元の魔力や加護による魔力変換量は、ミストル司祭を超えているとミストル司祭自身考えていた。
そして、ゆっくりとその炎は消え。
ミストル司祭は尽きかけた魔力の中、周りの炎が無くなったことを察知した。
「ギリギリですか」
持ちうる死体はほとんど使い切った。
死体自体は大量に持つミストル司祭であったが、自分で手をかけ保存まで行えるものは所持する死体の割合として多くはない。
殺した死体の数が神になれる条件に関係していれば困ると思いながら、辛うじて残った魔力を温存するために即座に死の魔法を解いた。
「これで、最後です」
差し込む光、ミストル司祭は即座にホロを視認する。
先程より近い距離、自分の少し上で飛ぶホロにミストル司祭は警戒する。
この魔法を解いた瞬間、この瞬間にホロが切れたように見せかけた魔力の最後の一振りで自分に岩を打ち込む可能性もあるのだ。
しかしホロは限界と言わんばかりにふらふらと落ちていくと、縁に墜落するように落ちる。
もう魔力はない。少なくとも多くはない。それは同じく魔力が尽きかけているミストル司祭にはわかった。
では最後とは何か。
ホロがいる場所、そして自分の思考を一瞬で反芻する。
縁ふち。
ホロは縁に落ちた。
縁があるならば穴がある。
ミストル司祭を中心とする地面は大きく。
深く抉られたような、すり鉢状のクレーターとなっていた。
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