第六十九話「不本意な異世界召喚」

 ホロが気がつくとそこは真っ暗な部屋だった。


 否、部屋ではない。上にも横にも光を阻むものは何一つなく、正しく形容するならそこは真っ暗な空間、あるいは世界だったと言うべきだろう。


 ホロは何かに座っているようだが、その何かは見えず、また首も手も指一本すら動かすことはできなかった。


「初めまして」


 そんな声がしたかと思うと、光のないはずの世界で目に見える人物がホロの眼前に現れた。

 燃え上がる炎を思わせる真っ赤な髪、陶器のような肌、そして血のような真っ赤な目。人間の理想の女性を作ればこうなると言わんばかりの女性が、そこにはいた。


 ただ一点、その美しさを否定するものがあるとすればその退屈そうな顔であろう。

 退屈な表情が顔になってしまったように彼女はずっとその表情を崩さなかった。


「私は、愛の神です」


 女性は、そんな表情とは裏腹に少し明るい声でそう話した。


 ホロは現状を理解できていない。

 今自分のいる場所も、状況も。


 先程まで窮地に立たされていたはずだと言うことだけが理解できていた。

 死んだのか、そう考えるホロを否定するように愛の女神は話す。


「あなたの身体をこの世界に転送したの。ここは死後の世界でも救済の世でもない、単なる終わった世界」


 こちらの時間の進みは向こうの世界とは断絶してるから安心して。

 そう言って神はホロの目の前まで歩を進める。


「状況が読み込めてないみたいだけど長話する気はないの。私、やりたいことをやるだけだから」


 やりたいことをする、というよりなにもしたくないという風体ではあったが、はっきりと彼女は意思を告げる。


「まず、時間の進みが止まっているとは言え、現実あなたが死にそうなことに変わりはないわ」


 神を名乗る女性はホロを無視して淡々と話を進めた。


 ホロは気が動転しており、話を飲み込むのもやっとであったが、目の前の神を名乗る存在が決して偽物でないと理解できた。

 こんな状況が起こせると言うのも一つではあろうが、それ以上に存在感。


 人間の上位としての存在だと、見ればわかってしまう。


「だからあなたに力をあげようと思って」


 もうたった5つしかなくなってしまった魔法。


「私、あなたのこと気に入ってるの。こんなことは人類史初めてなのよ?」


 その言葉に、やっとホロの理解が追いつく。

 神が自分を助けるためにこの場所へ呼んでくれたのだ。


 愛。

 それが存在するのかどうか。


 それは神にすら断定できない。


「愛の神として存在する私ですらね。でも、もしかしたら、あるのかもしれない。愛と呼ぶにふさわしい感情が、その輝きが」


 その可能性を、ホロに感じている。

 だから、力を授ける。


 それはホロが憧れたスクイと同じ。

 神に選ばれると言うこと。


 そして、それだけでなく神の力すら得て。

 簡単に理想を叶えられる。


「幸い、敬虔な愛の宗教の信者で加護を持つほど。そういった面でも問題ないでしょう。これであんな司祭」


「いりません」


 どこか浮き足立つような神の言葉。

 それを遮って、ホロは真っ直ぐに言う。


「え、いらない?」


「はい」


 何故。

 そう言おうとする神の目には、ホロの表情が映る。


 それは転送前から変わらない。

 強いて言えば冷めたような。


 否、抑え込んだ怒り。


 愛の神は理解できなかった。

 自分の想定通りにいかない事態に遭遇した経験がないかのような目に見えた困惑。


「えっと、何故かしら。今あなたは強い敵と戦ってて、負けて死にそうなのよね」


「はい」


 即答するホロ。


 動揺。

 今度は神が少しそれを見せる中、ホロは状況などどうでも良くなったかのように、ただ明白に苛立った表情を見せる。


「じゃあ、私に力をもらった方がいいじゃない。神、わかる?あなたの敵が会おうと生涯をかけて会えもしなかった存在が今あなたの目の前に」


「ちょっと最近気に入ってる人間が大変そうだ」


 神の言葉に我慢できなくなったかのように、ホロはゆっくりと口を開く。


 窮地において。

 敬愛する神に選ばれ力を与えられ。

 敵を打ち倒す。


「だから簡単に力を授けて解決させてあげよう?」


 その幸運に、苛立っていた。

 それが何故か、ホロにもわからない。


 矛盾しているとも思う。

 それこそ支離滅裂で、自分の感情が理解できない。


 それでも。


 ただ口をついて出た言葉があった。


「馬鹿にしてんなよ」


 声が震える。

 それが怒りからか、神に反抗する恐れからかはわからない。


「私たちは、いつだって!積み上げてきたんだ!」


 魔法を、技術を、戦闘を。

 ほんの少し、目に見えないほどの違いを繰り返し。


 大きくしてきた。

 それが理不尽に突き崩されることがあっても。


「それを気まぐれみたいな理由で上からくれてやるなんて」


 ふざけんな。

 そんな不平等があって。


 そんな理不尽があって。


「そういうのが嫌いだから私たちは頑張ってきたんだろうが!」


 ホロの言葉に、神は目を見開く。

 だが、そうだ。


 ホロはいつも、スクイの努力を見てきたから。

 平等への願いを見てきたから。


 こんな、超常的な、いきなりもらえるような力で壁を越えたいなんて思えるはずがない。


 だから、そんな泥臭い彼女だから。

 可能性を感じたのだと。


「一応、今までのあなたの行いを見た上で私が認めたんだけど」


 それも積み重ねたあなたの努力じゃない?

 もっともな理由で聞く。


「それはありがたい話です」


 ですがいりません。

 ホロは頑なに断った。


「それで目的を果たしても、私は」


 ご主人様に頑張りましたと言えない。

 そうすれば。


「ご主人様に頭を撫でてもらうのが、嬉しくなくなっちゃいます」


「そう」


 神は、ずっと退屈そうだった表情を、少し歪ませた。


「なら仕方ないわね」


 それは少し、笑顔に似ていた。


「あ、で、でも声をかけてくれたことは嬉しくて、その」


 今になって、自分の信仰する神に啖呵を切ったことにホロは気づいたように慌てふためく。


「わかっているわ。じゃあもし」


 この戦いが終わったら。


 そしたらこの壁を乗り越えた証として私の話を聞いてくれる?


 ホロは少し黙って、神を見つめる。


「はい」


 喜んで、そう返すと神はゆっくりと目を瞑り。


 では、戻りなさい。

 そう、呟いた。


 彼女がやがて、誰かを救うと感じながら。


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