第六十七話「覚悟」

 伏兵。


 スクイは割れ落ちる地面を冷静に見る。


 一度の跳躍では安全地帯に行けないほどの大きな割れ。

 割れ落ちる地面の中でも安定感のある岩を選び飛び移る。


 瞬間、スクイが飛び移った岩の塊は粉微塵と化した。


 スクイは目を細める。


 脆い岩を選んでしまったと即座に思考を切り替え、ナイフを崩壊外の地面に突き刺す。

 そしてその紐にぶら下がる形でことなきを得た。


 落ちても死なないとは言え明らかな攻撃。

 即座に体勢を立て直す必要がある。そう思いながら紐を引っ張り安定した地面に立つ。


 見れば先ほどまでスクイと向かい合っていた騎士団も一般人も、当然マルティール助祭も含めて崩壊した地面と穴の中に落ちていってしまっている。


 地盤が緩かった?スクイは考えるが少なくともいきなりこのような大規模な地盤沈下が起きる予兆はなかった。

 村の近くということもあり、そこに間違いはないと感じる。


「これくらい回避するわな」


 となると必然、人為的なものであると考える。


 どこからか聞こえていた声は今度はスクイから少し離れたところから聞こえていた。


「いいねえ。高い能力、鋭い分析、おまけに顔もいいときたもんだ。抱っかれてぇ」


 そう舌舐めずりをしながら話す女性を、スクイは見たことがない。

 美人である。背は高く、ブロンドの量の多い髪を溢れさせるように腰まで伸ばしている。


 にんまりと笑った表情はそれが標準と言わんばかりで、そのふざけたような表情と同じくふざけたような露出の多く、サイズの大きな緩い服装からは並外れて豊かなボディラインが見え隠れする。


 素性がしれない。

 スクイは対話をしない。


 距離からしてナイフは届かないと考え即座に投げナイフを投擲する。


「ああ、無駄無駄」


 しかしスクイの投げナイフは女性に当たることなく、ただ純粋に外れる。


 妨害でも防御でもない純粋なナイフのミス。

 スクイはそれがありえないことを知っている。


「私に攻撃は当たらないんだ」


 そう当然のように話す女性はスクイに恐れることなく近づく。


 何者か、スクイは考える。

 愛の宗教の信者ではない。それは在り方からもわかるがこの状況で現れたということは関係者ではあるだろう。


 そして先程の戦闘やスクイのことを知っていながらも余裕のある態度。

 それは攻撃が当たらないという確信だろうが、よほど強力でなければこれほどの油断は生まれない。


 つまり愛の宗教が信者でなく持っていた戦力。

 そしてマルティール助祭を凌ぎ、スクイより格上。


「Aランク魔法使い……?」


 スクイの呟きに、女はピタリと歩みを止める


「すっげなんでわかんの?そうそう私はAランク魔法使い。そして神聖魔法、遊び人の使い手。シオネ・ドンナイオーロなわけよ」


 遊び人。

 勇者と共に魔王を倒すとされる最強の魔法の一つ。


 習得方法不明。歴代使用者不明。能力不明。


 その理由の一つに、魔法すら遊んでいるせいで誰も存在に気づかないとさえ言われる神聖魔法の中でも特異な魔法。


 最悪の最悪が当たった。

 スクイはAランクの魔法使いに勝ったことがない。


 戦士に対しては魔法を使われた瞬間手を振るだけで首から下を持っていかれ、狩人に対しては撤退こそさせたものの戦いにすらならなかった。


「能力は、確率操作ですか?」


「お、難しい言葉使うね。その通り」


 確率操作。

 その確率さえあればどんな事象も引き起こせる魔法。


 地盤沈下の可能性があれば、岩が崩れる可能性があれば、ナイフが外れる可能性があれば。

 彼女はそれを選択できる。


 最強を名乗るにふさわしい魔法。

 しかしそれを理解できただけでも確実に勝機はあるとスクイは考える。


「ずいぶん頭を回してんねえ。ああ、戦う気なのか。そっかそっか」


 そんなスクイの想像を小馬鹿にするように、シオネは話す。


「ごめんごめんさっきのはちょっとした遊びだよ。別に攻撃とかする気ないから」


 安心してね、とシオネは適当に手を振る。


 だが、スクイには関係がない。

 敵意はどうあれ彼女が村の壊滅に関係するのであれば。


 悪人である。


「あと、そうだね。言っとかないと」


 私はこの村の殺人には関与してないよ。

 そうシオネは簡単に言い切った。


「愛の宗教、というかミストル司祭とはちょっと面白そうだったから絡んでたし、今回の件も見には来たけど、こういう悪虐非道みたいなのは引いてるからね。流石に村の人たちも君達も凄惨な被害者だ。むしろ慰めてあげようかと思ってたんだけど」


 その必要はなさそうだ。


 少し、ほんの少しだけ。

 今まで適当に話していた彼女の声色に感情が乗る。


「死を信仰する青年は親しい人間を殺されてどう思うのか、誰もが疑問に思うことだけど、君の人生は私が思っている以上に」


 地獄だったんだね。

 そう言いながらスクイの目を見る。


 いつも通りだ。シオネは元のスクイに詳しいわけではないがそう感じる。


 村を見て、親しい人間の死を目の当たりにした時は傷ついたかのようにも見えた。

 しかし今は、ただ微笑んだり話しかける相手でないため無口なだけで、いつも通りのスクイに戻っていた。


 慣れている。


 愛する者の死が。

 救おうとした相手の死が。


 否応なく降り注ぐ現実を、もう何度も。

 こんな目に遭い続けている。


 むしろ、だからこそか。

 だからこそ彼は。


 死が救いだと、思わずには前に進めなかった。


 自分が誰も、生きて救えなかったのだ。


 シオネはそれを理解する。

 彼の信仰は死が救いだという以上に、死が平等だという前提があった。


 誰よりも不平等を見てきたから。

 不平等な世界に絶望したから。


「幸せ者には理解のできない宗教か」


 そう、憐れみを覚えながらスクイに相対する。


「随分な真面目ぶりだ。世の邪悪から目を背けてこなかった人間の末路ってことだ」


「真面目なつもりはありませんよ」


 スクイは目の前の女性が単なる適当な人間ではなく。

 自分のことを、心の内を読まれたことを理解して言う。


「これ以外知らないだけです」


「そう」


 さして、興味がないかのような答え。

 問答がしたかったのか、それだけであればもう十分だろう。


 スクイは笑顔を作った。


「とんだ勘違いをしました。私はまだ救わねばならない人がいるのでこれで失礼します」


 そう告げ、その場を去ろうとする。

 Aランクの魔法使い。勝てる勝てないで相手を決めるスクイではないが、今回の件に関係なくただ愛の宗教と関わっているだけであれば戦う必要もない。


 まず向かうべきは大聖堂だ。

 スクイがそう思いながらシオネの脇を通り過ぎると同時に、シオネは口を開いた。


「わかんねえな」


 スクイは足を止めない。

 ただ声を発したと言うだけでスクイの行動を制限はできない。


「世の中は不平等で、理不尽で、生まれながらにして救われない人間ばかりで、どころか悪人が平気で救われる」


 そんなこと、関係ない。

 無視して幸せになればいい。


「そして何食わぬ顔で、何も知らずに偉そうに言ってればいいんだ。」


 まあ、生きてりゃそのうちいいことあるよって。

 死ぬのが一番ダメなんだからって


 その言葉に、スクイは歩みを止めた。


「そうは、できねえんだな」


「ええ」


「なら」


 シオネは自分の方を振り向かないスクイに、言う。


 訂正だ、と


「いっちょ、殺し合うか!」


 そう遊びの開戦のように、明るく、朗らかに、楽しく。

 彼女は叫んだ。


 瞬間、地面が割れる。

 周囲見渡す限りの地面がひび割れ、樹木はへし折れ、その破片がスクイに向かう。


「できないなんてことはあり得ない。なら全てのことは起こりうる」


 お前と違って前向きなんだ。

 それが遊び人だ。


 シオネはそう言いながら飛ぶ。


 全てが偶然。

 たまたま地面が割れ、樹木がへし折れ、突風がそれらをスクイに向かわせる。


 そしてたまたま発生した上昇気流がシオネを持ち上げた。


 スクイはその攻撃を避けもせず、投げナイフを投げる。


「当たらねえよ」


 その言葉の通り、スクイのナイフは先ほどと同じく虚しく空を切った。


 同時にスクイの胴体を一本の木が貫通する。


 血反吐。

 吐き捨てながらスクイは絶えず自分を襲う災害の中。


 ゆっくりと、研ぎ澄ました。


「さあ、どうくる」


 あからさまに楽しむシオネ。

 興味を持った。スクイという人間に。


 笑いながら見守るシオネに、スクイはまた投げナイフを用意する。


 芸がない、そう彼女は思わない。


 スクイはそのナイフを投げると同時に、シオネの元へ走る。


 シオネがその行動の意図を考えるよりも早く、スクイのナイフは。


 彼女の脇腹に突き刺さっていた。


「ないと、思いましたか」


 近くにスクイの声が聞こえる。

 あり得ない。スクイがこちらに来ないことに、シオネは魔法を使っているのだ。


 しかし現にナイフを刺さり、スクイはシオネの元にたどり着いている。


「覚悟を決めた人間に、100パーセントが」


 確率操作。

 シオネは思わず笑みを浮かべずにはいられなかった。


 世のあり得る全ての事象を持ってしても、この男の行動を制御しきれなかったと?

 あるいは、全ての事象に対応した答えを持ち得たと?


「こりゃ勝てんわ」


 神聖魔法を持ってしても、そう確信したシオネは、自分を遠くに吹き飛ばした。

 開始直後で逃げの一手である。


 同時に、この場で起きていた天変地異は全てピタリと収まった。


 上昇気流に乗ったスクイも地面に叩きつけられる。


 逃げるシオネを見ながら、スクイはため息をつく。

 おそらく彼女は、戦士や狩人と違って魔法を鍛えるということをしていない。


 そこに付け入る隙ができただけだと。


 しかし同時にシオネは呟いていた。


「いるもんだな。絶対の人間ってのは」


 それはむしろ憐れみ。

 ここまで完全に覚悟を決めた人間には、魔法も言葉も通用しない。


 しかし彼女はその感情を長くは持ち得ない。


「さて、ミストルと遊ぶのにも飽きたし」


 次の遊び場を探すかと、彼女は飛んだ。



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