第六十六話「変身」

 スクイに場を去るように言われたホロが向かったのは教会であった。


 マルティール助祭の登場から、村壊滅の黒幕は容易に予想がつく。

 であれば、スクイより先に倒しておきたかった。


 スクイがマルティール助祭に負けるなどとはホロも考えてはいないが、スクイの精神状態は不安が残る。

 その現状にさらに拍車をかける黒幕の存在は、ホロの手で早く対応して起きたかった。


「普通に怒っていますからね」


 そう、スクイの存在を除いても怒りをあらわにするホロは、街の教会を即座に飛び回り。


「ミストル司祭ですか?ええ、いらっしゃいますよ」


 街で一番大きな教会、大聖堂の入り口でその存在を確認した。

 1番にこなかった理由はいくつかあるが、ここは街から外れているのだ。


 歩いて来れない距離でもないが、スクイの村と同じく街の中でなく外。

 周りには何もない平野の真ん中に、最も大きく人の多いはずの大聖堂はぽつんと建っていた。


「お呼びしましょうか?」


「いえ」


 笑顔でそう聞く愛の宗教の信者を袖にするように、ホロは無視して大聖堂内に足を踏み入れる。


「場所だけ教えてくだされば」


 そう見もせずに言うホロに信者はただ部屋を教える。


 優しく、弱い。

 当然のように司祭の場所を教える信者にホロは危機感のなさを疑うが、愛の宗教の信者にはお人好しが多いのである。


 人のために自分を犠牲にする自己犠牲を掲げているだけあって、人を疑うなどといった行為は苦手なものが多い。


 自分もそうだった、ホロは少し思いながら歩き。


 ミストル司祭のいるという部屋に、数十という岩の塊を撃ち込んだ。


「あなたが来られるとは」


 崩壊したドアと壁に近くにいた人間が逃げる中、扉のあった場所越しにミストル司祭が話す。

 部屋の中はホロの攻撃により見るも無惨な状態と成り果てていたが、ミストル司祭は椅子に座ったまま、何事もなかったかのようにホロを見ていた。


「てっきりスクイさんの方が来られるとばかり」


 ホロは返さない。

 これ程度の奇襲で死なないことは想定済みである。


「となると彼女をあちらに派遣したのは我ながら名案というか、いやはや」


 その呟きをかき消す爆音。

 ホロは耳を貸すこともなく魔法を展開する。


 炎を纏った岩の射出。


 本来、ホロの岩の塊を飛ばす魔法はそれだけで十分な破壊力を持つ。

 炎を纏わせるなどといった小技は大した威力アップにならない。


 だが構わない。

 普通に撃ってダメなら別の手を、粛々とした戦闘での次策の実行はスクイを見習うところであった。


「まあまあ」


 少し落ち着いて、と。

 そう話すミストル司祭の体には。


 黒い靄が渦巻いていた。


 ホロはそれが自分の魔法を止めたと理解する。


 即座にその魔法について推測を始める。

 ホロの魔法はその靄に触れた瞬間、かき消されてしまっていた。


 破壊や防御ではない。消滅。

 あるいは崩壊、転送。


「この魔法のことも知らないのですね」


 対峙した魔法の性質に対して頭を回すホロに、ミストル司祭は少し揶揄うように笑いかけた。


 ホロは返事をしない。

 この人間が村の人間を殺した。


 この人間がメイと父親を殺した。


 この人間のせいでスクイが苦しんでいる。


 問答は不要である。


「単純ですね」


 面白みもなさそうに黒い靄を燻らせながら、ミストル司祭は呟く。


「スクイさんなら私の行動から不可思議な点をいくつも見つけ出し、情報を得ようと画策したでしょう。なのにあなたはただ殺すことしか考えていない」


 それが教義かもしれませんが、つまらない。


 その言葉に、ホロは露骨に嫌悪感を剥き出す。


「お前が、ご主人様を語るな」


 初めて口を開いたホロに、ミストル司祭は薄く笑う。


 スクイにとって死がキーであるように、ホロにとってはスクイがキーなのだ。

 スクイについて言われれば無視できない。


 それはホロも自覚している。

 した上でそれを弱みとは思わない。


「いいですね。純粋な怒り。それを表に出せる人間は意外と珍しい」


 まして優秀な人間となるとね、と言いながらミストル司祭はホロに背を向ける。


「しかし、あなたはスクイさんについてまるでわかっていない」


 例えばこの魔法。

 ミストル司祭は黒い靄を指しながら言う。


「何やら考察していたようですが、この魔法はスクイさんも使えますよ」


「ご主人様が?」


 驚き。

 ホロは一瞬で自分が対話のテーブルに乗せられていると気づいた。

 しかしもう遅い。


「死の魔法。存在しないはずの魔法。知りませんか?」


 ホロは一切知らない。

 当然である。スクイ自身が自分の魔法を理解していなかったのだ。


 ホロも知りうるはずもない。


 しかしスクイについて自分が知らないことを、目の前の女は知っていると言う現実に何も思わないほどホロは無感情ではない。


 ホロの様子を確認すると、ミストル司祭はホロに背を向ける。


「少し、話しましょうか」


 そう言いながら壊れた部屋の残骸を黒い靄に当てながら崩壊させていくと、黒い穴があった。

 地下に続く入り口。


 ミストル司祭は振り返りもせずにその中に入り、階段を降りていく。


 ホロはほぼ同時にミストル司祭の後を追った。


「信仰には幾つかの形があります」


 ミストル司祭は長い階段をゆっくりと降りながら話し始める。


「神々に対するものばかりと思われがちですが、よくよく考えれば教義に対するもの、概念に対するもの、人に対するものもあります」


 マルティール助祭は典型的な教義に対するものでしょうね。自己犠牲が何かを得るための最善と思っている模範的な信者であるといえましょう。


「スクイさんは概念に対してです。死の神を知らないようですし、その魔法にも関心がない。ただ死という概念に対し並々ならぬ信仰を抱いている」


 今更なことを言う、そう思うホロの心をミストル司祭は理解する。


「神を愚弄するものは奈落の底に落とされる、なんて言いますが」


 彼の信仰の強さは空を飛びかねません。

 そう冗談めかして笑う。


「私はあなたに興味がある」


 あなたの信仰はなんですか?


 ミストル司祭は問いかけた。


「あなたが敬虔な愛の信者であり、同時にスクイさんにより、奴隷時代の苦痛もあり死を信仰するようになったことも聞いています。その根源を聞きたい」


 同じ信仰でも中身は違う。

 愛の信者と一言に言っても、信仰対象すら違うように、細分化すれば人の信仰は決して同じではない。


 信仰について、ホロは激情を捨て一瞬考える。

 この宿敵を前にした状況での冷静な思考、応答。


 それはあるいはホロの信仰への生真面目さが要因と言えるだろう。 


 それを読み取りホロの信心深さを高く評価するミストル司祭に、ホロは少し考えながらゆっくりと話す。


「私は、そういう意味では愛の信者としては教義よりかと」


「ほう」


 スクイへの愛、つまり人への執着を感じていたミストル司祭は意外そうに反応する。


「奴隷時代、本当に苦しい時私は思っていました」


 それは家で見た愛の宗教の教義についての話。

 断片的なその話をホロは何度も飢えの苦しみの中で反芻した。


「自己犠牲は尊いものである。そうであれば今私のこの苦しみにも、私の地獄にもきっと意味があって、それが正しいと思えるようになるんじゃないかって思いました。そう思うと苦痛にも耐えられる気がしたんです」


「ふむ」


 よくある信者の思考だとミストル司祭は思う。

 苦痛を肯定してくれる。それは苦しむものへの1番の甘やかしである。


 だから貴族社会なこの街では愛の宗教が流行るのだ。

 庶民が自分の境遇に反発しないように、格差社会の理不尽から目を背けるように。


「でもそんなことは起こらなかった。わかっていました。ただ苦しまされて、死にかけて、そんなことになんの価値もないって」


 でも、そうではなかった。


「そんな中で死んでいく私にご主人様は手を差し伸べてくれた」


 抱きしめてくれた。

 笑ってくれた。

 肯定してくれた。

 尊重してくれた。


「私の苦しみに意味なんかない。苦しめば何かになるなんて嘘だと思います」


 でも、それに意味を与えてくれた。


「私の苦痛に意味を与えてくれた。だから私はたとえ欺瞞でもこの宗教が好きですし、ご主人様に感謝していますし、死にも信仰を捧げるのです」


 つまり、教義であり人。

 それでも。


「どれか、でいうのならきっとあなたの信仰はスクイさんという人になるんでしょうね」


「そう、思います」


 ホロは頷く。

 目を逸らすつもりはない。ホロは自分がスクイを全肯定することで救われているだけなのだとわかっていた。


「では死の信仰もスクイさんが信仰しているからしているだけなのですか?」


「そうではありませんが」


 ホロは否定する。


 世界は不平等だ。

 悪人は笑い、聖人は足蹴にされる。


 今もどこかで生きるために死ぬ以上の苦痛を強いられている。


 ただ、ホロは。


 スクイが死んで自分の目の前からいなくなれば。


 それを喜ぶことなんてできないとわかっていた。


「ご主人様は悪人を殺すとおっしゃってくれました」


「いい答えです」


 ミストル司祭は意味を含んだホロの回答を満足げに聞き、少し黙る。


 後ろ姿しか見えないホロにはその意図が読めない。

 自分から言うこともなく、ホロも黙る。


「私の信仰ですが」


 しばらくの沈黙ののち、ミストル司祭は明るく言い放つ。

 ホロは一瞬、聞かれたかったのかと訝しんだが、黙って話を聞いた。


「スクイさんやホロさん、そしてマルティール助祭のような過去や思想のあるものではないのです」


 ミストル司祭はどこか嬉しそうに自分の信仰を語る。


「私の信仰は単に愛の宗教、その神。愛の神に対するものなのです」


 神そのものに対する信仰。

 言えば一番シンプルで、異論の挟みようのないものに聞こえた。


「自己犠牲という教義が合わないのは前話しましたかね。仰々しい神事や教本の内容も本当はどうでもいいのです」


 ただ愛の神の宗教がそうなっているから倣っているに過ぎない。


「まあ、好きな人の好みに合わせて自分の好みでない服を着ていますみたいなものですね。私は愛の宗教を信仰しているのではなくて、愛の神を信仰しているのです」


 それは同じではないか。

 ホロはそうは思わない。


 しかし。


「何故ですか?」


 神とは会えない。


 その存在こそ確実と言われても、神と出会った人間などいないはずである。

 否、勇者にはその権限があるとされるが、それも真偽の程は定かではない。


 その中で神とは宗教としてしか出てこない。

 それを飛ばして神そのものへ想いを持つ。


 純粋な気持ちであるとホロも思ったが、宗教を蔑ろにしても神は信仰するというのは少し納得のいかない話であった。


「私からすれば単なる宗教に目を曇らせる方々の方が不思議です」


 ホロの疑問にミストル司祭は笑った。


「だって神ですよ?人智を超えた存在。世界を、人間を作り、魔法を与え、教え導く超常の存在。何故その存在の凄さに目を向けないのですか」


 素晴らしさではなく凄さ。

 そう言ったことにホロは目を向けた。


「愛の神に限りませんよ。神。なんと恐ろしく、魅惑的か。それがわからないわけではないでしょう」


「ええ、まあ」


 ホロは訝しげに答える。

 言ってしまえば、憧れであるのかと感じた。


 自分より上の存在、ホロがスクイを見るときに思うのと近い。

 自分ではできないことを軽々とやってのける。


 確かに、ホロは認めたくないがホロとスクイの能力差と、ミストル司祭と神の能力差では後者の方がはるかに大きいだろう。


「そんな大いなる存在に対する畏敬。もっと知りたい。もっと近づきたい。そんな想いが私の信仰なのです」


 ホロは特別何も思わなかった。

 聞けば普通のことである。尊敬する人に置き換えてみればわかりやすい話で、別に同じような考えの人はいくらでもいるだろう。


「だから私は、神託に尋ねたのです」


 しかし、期待外れに目を細めるホロの思考は一瞬にして反転する。


「神になる方法を」


 神託。

 神に対する質問機。


「答えは極めてシンプルなものでした」


 返答はただ一言でした。


 ホロは目を見開いた。

 答えがわかったからである。


「死を与えること」


 地下の扉の前に着く。

 ホロがその答えに対し考えを巡らせる間もなく、ミストル司祭は扉を開いた。


 中は大きな空間となっていた。

 あまりに大きい。大聖堂の敷地の下全てがこの地下となっているのではないかと思うほどの広さ。


 そして目の前には壇上に、美しい、大きな鏡が置かれている。


 聞くまでもなく、これが神託を受ける道具なのだと、誰もが理解できる神々しさ。


 しかしホロの視線は一切、そちらに向かない。


 死体の山。


 大きな空間には溢れかえるような死体が所狭しと並んでいた。

 否、転がっていた、積んであったというべき乱雑さである。


 歴戦と言えずとも、いくつかの死線をくぐり抜けてきたホロが、思わず吐き気を抑え込む。


「死を与えよ。この言葉の意味を理解するのに膨大な時間と手間をかけています」


 ホロは目線を動かす。

 腐乱死体から骨になっているもの、バラバラの肉片まで、死に関する全てをかき集めたような中には。


 まだ新しい、アキテーヌ公の死体も転がっていた。


 殺したのか、何故、そんな言葉をホロは飲み込む。


 狂気だ。ホロにはそれ以外の何も感じられない。

 一瞬にして、目の前の女性に対する理解が崩壊する。


 死体に大して目もやらず、ミストル司祭は話す。


「殺したり、死体を集めたり、殺し方を考えたり、死体をいじってみたり」


 そういえばホロさんのいた奴隷商。

 あそこもうちの関係なんですよと話す。


「パトロンとしてもそうですが、死体の回収を受け持っていたりね」


 だからホロがスクイに奴隷商から救われたことを知っていたのか。

 そんなことはまるで考えられない。 


「スクイさんに壊滅されましたが、まあそれも些細なことです」


 ホロは恐れをなしていた。

 同時に自分の直感が正しかったことに気づく。


「神は凄い。これは当然。ならばなりたい。これも当然」


 それはつまり彼女を紐解く鍵はその狂気にあるのではないか。


「なれるヒントは得た。となればあとはいろいろ試してみる」


 支離滅裂とも言えるその狂気。

 スクイと同質とも言えるその性質こそが彼女の正体なのではないか。


「そのために多少の犠牲は気にしない。司祭や王様になるために大量殺人をすればそれは異常ですが」


 だって神ですよ?


 そう言いながらこちらを振り返るミストル司祭にホロは。

 スクイと同じ、底なしの狂気を、その目に見たのだった。


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