第六十四話「犠牲」

 スクイが村の中に向かっている間、ホロは入り口で立ちすくむしかできなかった。

 村の入り口にある死体、音のない村。


 そしてメイとその父親が村にいたはずであると言う事実。


 それらと死への信仰が入り混じり、今すべきことがわからない。

 挙動の全てが致命的なミスにつながるのではないかと言う恐怖がホロを縛り付けていた。


 やがてスクイが戻ってくる。


 彼の、そこにあるはずの感情を、ホロは読み取れない。


 ホロはスクイが死を信仰している狂人だと理解している。

 これまでもその信仰が口だけでないことをスクイは証明し続けてきたし、死を救いと感じることはホロにも共通するものであった。


 しかし少なくともホロは今、少なくとも村人が死んで嬉しいなどとは安易に思えなかった。


 スクイがこの村を復興させるためにどれだけ尽力していたのか、一番見ていたのは他でもないホロである。

 それに応えようとスクイを敬愛する村の人々も力を合わせ、より良い村づくりを行ってきたのだ。


 それはつまり、生きようとしていたのだ。

 それが何もわからぬまま全てを踏み躙られた。


 そして、ホロはもう気づいていた。


 その中には、メイとその父親も含まれているのだと。


「ご主人様」


 ホロはスクイの表情を読み取れない。


 自分を慕い共に活動した村人の死を悲しむ様子も、この世界に来てからずっと自分を明るく持ち上げ続けてくれた少女の死を喜ぶ様子もない。


 何かが彼からすっぽりと抜け落ちてしまったような、そんな表情。


「これは、その」


 ホロを縛り付けているのはこの惨劇だけではない。


 つまり、喜ぶべきか、悲しむべきか、ホロには判断がつかないという点にあった。


 死の信者とすればこの村の惨状は救いであり、喜ぶべきことである。

 実際死を信仰する者達の作り上げた村であったし、それが叶いよかったと言うのも考えようによればむしろ順当であるとさえ言える。


 ホロにはそう思えなくても、スクイがそう思うのであればホロはそう合わせただろう。

 しかし、スクイからは喜びも悲しみも感じられない。


「村の人々は皆殺されていました」


 スクイは極めて無感情に、淡々と口を開く。


 殺されていた。


 ホロは一瞬、それを理解し損ねる。

 しかし、そう。村人達はただ死んだのではない。


 何者かが、村を襲撃し、殺害したのだ。


 それは傷口からも一目瞭然。


 目の前にある3人の死体。どれも鋭利な刃物で切りつけられている。

 魔物の仕業ではない。


 そして村に残る足跡。

 普通の人間のものではない。足跡は深く、形も普通の靴ではない。


 重く一般的でない、例えば甲冑。


 そして統率の取れた足取り、例えば騎士団。


 容易だった。あまりにもわざととしか思えない痕跡の残し方。

 その意図はホロの預かり知れぬところであったが、わかったからどうとも今のホロには思えなかった。


 犯人探しより気にすべきことがホロにはあったからである。


「それは、」


 それは、救われたと言うことですか?

 そう聞きたい。


 しかしホロはその言葉をまともに発せない。


 何故なら到底そうは思えないのだ。これからあったはずの幸福な未来。

 それは死人にとってもスクイにとっても、みんなで積み上げるはずであった幸せ。


 それを無にされてよかったなどと言えるはずもない。


 しかしこの殺人も救いであれば、スクイは復讐などしない。


 死を与えてくれて感謝こそすれ、それを悪事と看做し攻撃するのであれば、スクイは死を冒涜することになる。


 ただ、喜ぶしかない。

 この村を、みんなで作り上げたはずの村を。


 もうメイの笑顔を見ることはできないという現実をただ感謝することしかできない。


「そういえばホロさん」


 絶望のまま帰路に着こうとするホロに、スクイは声をかける。


「この村では今日お祭があるはずでしたね」


「えっと、はい」


 困惑するホロに気づかないかのように、スクイは言葉を続ける。


「村の襲撃の際でしょう。お祭りで振る舞うはずの大きな鍋がひっくり返され中身がダメになっていました。おそらくわざとでしょう」


 よく考えれば畑も踏み荒らされていましたね。

 食べ物や自然を尊重できないなんて。


「そんな悪人は、救わなければ」


 どこも見ていない目。

 しかしゆっくりと、スクイの目に光が戻るのをホロは見ていた。


 それでいいのですね。


 ホロは何も言わない。

 ただ、スクイがそう言うのであれば。


「では、いつも通りこの村を襲った悪人には」


「はい、救いを与えにいきましょう」


 ホロの中に、ほんの少しの火が灯る。

 今のスクイは、不安定である。


 村の現状を、死をどう捉えているのかホロにもわかりはしない。

 いつものように死を肯定し喜ぶ姿も、普通に知人の死を悼む様子もない。


 ただ、いつもと違うことだけは明白であった。


 だから自分が動かなければならない。


 もしスクイが村人の死を、その信仰ゆえに悲しむことができないのなら。

 仇も討てないもできないと言うのであれば。


 そのときは自分が仇を討とう。


 そうホロが決意した瞬間であった。


「やはりそうなってしまうのですね」


 気づかなかった。


 ホロは目の前に1人の男性が立っていることに気づく。


 大きめの衣服に身を包み、閉じた柔和な目だけが覗き見える。


 愛の宗教、助祭。

 マルティール助祭であった。


「死を救いとして信仰すると聞いていたのでこの惨状も救いとして喜んでくれるかと少しは思っていたのですが。」


 揺れているのかと小首をかしげるマルティール助祭。

 不思議そうにこちらをみる姿は、村の惨状などないかのように柔和で、平和的なものであった。


「前情報ほど強固な信仰ではなかったと言うことでしょうか。失ったことをより誇れば良いと思いますが」


「黙ってろ」


 自分の、喉から出たとは思えないほどの黒い声。

 ホロは正気を失いかけるほどの怒りをマルティール助祭に向ける。


 この惨状が愛の宗教、ミストル司祭率いる薔薇の騎士団によるものであることくらいホロにもわかった。

 だがその怒りではない。


 今のスクイに軽薄に声をかけることを、ホロは許せない。


「可愛らしい少女の出す殺気ではありませんね」


 そう言いながらも、マルティール助祭は大して気に気にも留めないようにゆっくりこちらに近づいてくる。


 ホロは即座に決断する。


 殺す。


 もう決めていた。スクイの代わりに自分が動かなければならない。


 ホロはわかっていた。


 スクイはできるだけ、ホロに人を殺させないようにしている。


 その真意を。


「ホロさん」


 マルティール助祭を原型の残らない穴だらけの肉塊へと変える。

 それ自体は過去に2度経験している。


 そのための岩を撃ち出そうとするホロに、スクイは声をかけた。


「あなたは、このまま帰ってください」


 スクイの言葉にホロは振り返る。


 スクイはマルティール助祭の存在など気づいていないかのように、ただ別の方を見てホロに語りかけていた。


 それは村人の死体。


「しかしご主人様」


「お願いします」


 スクイの懇願。

 その目は依然としてホロもマルティール助祭も映してはいない。


 しかし、ホロは顔を歪めて動きを止める。


 卑怯だ。ホロはそう思った。

 スクイに懇願されて、断れるはずがない。


 懇願させてしまったことが自分のミスなのだと、ホロは思ったのだ。


「ここから先は」


 ホロさんにはまだ早い。


 スクイの呟きを聞くと同時に、ホロは歯を食いしばり岩魔法を展開する。

 羽のようにホロを支える岩の塊を動かすことで、ホロは高速での動きを可能にしていた。


 それをただ帰るために使う。


 いつだってそうだ。

 スクイはその本心を自分に話してくれていない。


 露悪的なまでの言動、卑屈とすら言える謙遜。

 誰にも、彼の傷口も、弱さも、その優しさも見せようとはしてくれない。


 それがいつも誰かのためであるとわかっていて。

 そしてその多くが自分のためであるとホロはわかっていて。


 それが歯を食いしばるほどに悔しい。


 しかしスクイにそう言われれば、今この場でホロができることがないのも確かなのだ。


 ホロは何も言えず、ただこの場を去る。


 マルティール助祭もそれを止めることはなかった。

 ただ黙って見送り、ホロの姿が見えなくなったのを確認してから口を開く。


「あなたを殺すように言われています」


 マルティール助祭は至極簡単にそう話した。


 スクイは黙ってそれを聞く。


「理由は要りますか?」


「いえ」


 理解していた。

 村を襲った理由も、スクイを殺す理由も。


 だからスクイはホロを帰したのだ。


「では」


 マルティール助祭がそう呟くと、地面に光が灯る。


 それは複雑な魔道具と魔法契約による極めて大きな魔法。


 召喚。


 スクイの目の前には瞬時に薔薇の騎士団が現れる。


 当然であろう。マルティール助祭1人で、組織壊滅の英雄スクイを倒せるなど思っていないはず。

 薔薇の騎士団が来ることはスクイにも想定の範囲内であった。


「なんだ?ここ」


 そして同時に現れたのは、なんでもない普通の人間。


 その数は薔薇の騎士団数十名よりも遥かに多い。


 一瞬にして薔薇の騎士団と謎の一般人の集団、100を超える人間がこの場に召喚される。


「さて」


 召喚と同時にそう呟くマルティール助祭の首元には、ナイフが突き刺さっていた。


 無論スクイの投げナイフ。


 突如、自分とマルティール助祭の間に現れた騎士団と一般人に動揺することもなく、その極めて小さな穴を通すように。

 スクイはナイフをマルティール助祭の首元へと届かせる。


「神域」


 首元のナイフを見ながら、マルティール助祭は笑う。

 彼の発声は喉に依存しない。


 極めて明瞭な声は大勢の人間を隔てていてもスクイに届き。


 目の前の騎士が首から血を流して倒れ伏した。


「愛の宗教の教義は自己犠牲」


 喉に刺さったナイフを血の一滴も流さずに抜き取り。

 大きめのローブをゆっくりと脱ぎながら、マルティール助祭は呟いた。


「その中には他者の身代わりになるものもあります」


 大きめのローブの下には、普通の神官が着るような一般的な修道服。


 そしてその身体には、スクイの想像した通り耳はなく。

 開いた口には舌も、繋がった袖の下には腕もない。


「ここにいる約100名。覚悟を決めた騎士団とそうでない一般人」


 全員殺して私の命に辿り着けますか?


 一拍間を置いて、事態が単に愛の宗教を教義としているだけの一般人にまで理解が及ぶより早く。


 スクイは周囲にナイフを振るった。


 当然であろう。たかだか数十人の、実戦経験の浅い騎士団程度で組織壊滅の英雄スクイを倒せるなど思っていないはず。


 一般人という盾が来ることはスクイにも。


 想定の範囲内であった。


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