第六十一話「奉り」
「死の信仰、死の救い」
ミストル司教は納得したように頷いている。
スクイも神との対話に全く心当たりがないわけでない以上、どうにも否定しづらい。
スクイが天使と呼んでいる者が神で、その転移前の対話をミストル司教が知ったとすればそれはどのような理由だろうか。
「なるほど、もういいでしょう」
ミストル司教はそう言いながら立ち上がると、スクイの方へ両手を差し出した。
「あなたのことはよくわかりました。何かあれば力にもなりましょう」
打って変わって、というべきか真摯な対応。
スクイの目を見て話すミストル司教の目は真っ直ぐで、朗らかな笑みを浮かべていた。
「お互い頑張りましょうね」
何を言っているのか全く理解できていない。
そしてこの場で理解することは恐らく不可能に近い。
早くこの場を去る、スクイがその判断を下すのに大した時間はかからなかった。
準備不足であった。ミストル司祭の情報不足はもちろん、宗教に対する知識不足もあった。
その結果彼女の言動が理解できず、対応もできていない。
一度彼女の発言を噛み砕き、理解し終えてから相手をできる体勢を整え訪問する。
連日の多忙に訪問相手の調査を怠ったことをスクイは反省する。
目に見えた敵愾心を持たれるという形になっていない時点で身を引くべきである。
理解できないということは怒りのポイントを把握していないことに他ならない。
何が失敗に繋がるかわからないのだ。
「はい、頑張りましょう」
そう穏やかに微笑みながら、スクイは早急に話を畳みに入った。
ミストル司教はすでに満足げであったし、アキテーヌ公はもう少し利害について話したそうであったが、今日は顔見せになったと考えれば悪い結果ではないとスクイに思わされた。
次回は少し込み入った話もしましょう。実は折り入って頼みたいこともあるのですと話すと、アキテーヌ公はスクイを取り込む餌を得たと納得したようだった。
そしてしばらく話をし部屋を出る。
アキテーヌ公とミストル司祭は流石に見送りまではしないようで、部屋から出ることはなかった。
扉を閉め、思考を巡らす。
「お疲れ様です」
部屋を出たスクイとホロにマルティール助祭が声をかけた。
「良いお話はできましたか?」
「ええ、ミストル司祭は個性的で面白い方でした」
私の思うつまらない司祭像は打ち砕かれましたねと、笑いながら話す。
個性的な人間は個性的だと言われたがるものだ。
そこを失礼のない程度に驚きで飾って話してやれば簡単に喜ぶ。
スクイにとっては自明の話術であった。
「確かに、司祭といえば敬虔で謙虚な人格者のイメージも持たれがちですからね」
帰りの馬車へ送りながら話すマルティール司祭は、スクイの思い通り少し声を弾ませる。
「むしろ強欲な野心家という意味では司祭らしからぬ方かと思います」
「強欲ですか」
そうは見えなかったとスクイは考える。
確かに奔放で礼儀を知っているとは言い難かったが、強欲や野心という言葉はむしろアキテーヌ公の方だろう。
「そうです。しかし仕える方というものは下を見るのでなく上を向いて進む力強さが大切というものでしょう」
「先陣を切る、ということですね」
リーダーの素質は一概には言えないが、1つの答えだろうとスクイも納得する。
ミストル司教もあれで司教。能力は高いのだろうし、あの奔放さが助祭含め慕われる要因となっているのかもしれない。
スクイの言葉に満足したようにメルティール司祭はゆっくりと頷くと、馬車へ誘導する。
「本日はありがとうございました。またぜひお越しください」
「ええ、こちらこそ」
そう言葉を交わすと、馬車は発進し、スクイは大きく息を吐く。
「どうにも、ミストル司教のおっしゃることはあまり理解ができませんでした」
「私にも何が何だか」
ホロも困惑したように同意する。
これが愛の信者独特のものであればホロも多少役に立てると思ったのだが、ミストル司教の言動はホロの出会った他の愛の信者とも全く異なるものであった。
「わかるのは恐らく、この会合は罠です」
スクイは当然のように言い、流し目をホロに向ける。
ホロも理解していると頷く。
「神との接触。ご主人様がそれをされたと思ったから確認に呼び出したということですね」
「そこあたりの見当が全くついていないのです。わからないことには慣れていますが、これほど支離滅裂だと考えるのも」
支離滅裂、スクイのその言葉にホロは一瞬反応しそうになった。
そう、例えばそれこそが答えなのではないかと。
支離滅裂な人間であるということがミストル司教を紐解く鍵なのではないか。
支離滅裂に見える人間とは、つまり狂気を帯びた人間となり得る。
そして、同種の人物が、あるいは。
今横にいるのではないか。
そんな思考はホロの中で形になる前に消える。
スクイは狂人であるが真っ当で優しい。
ホロはそこを疑う気はなかった。
「とりあえず時間を空けてまた訪問はしましょう。ミストル司教はともかく、アキテーヌ公はもう少し顔を立てておかないと厄介になりかねません」
「対等以上の能力を見せた上で友好的であると判断させるわけですね」
その通りと言いながら、スクイはホロにその策を聞きながら馬車に揺られ宿に戻った。
メイたちのいない宿の厨房で適当に食事を作り、ホロの勉強をしばらく見てからスクイたちは1日を終える。
「では、今日は領地に向かいましょうか」
日が変わり、朝食を取るとスクイはホロに言った。
「はい、しばらくメイさん達にも会えてなかった気がしますね」
「数日ですが、確かに毎日宿でお会いしていたことを考えると久しく思えてしまいますね」
楽しげに語るホロにスクイは優しく微笑みかける。
「あれ?そう言えば今日は」
「はい、昨日店主さんが調理場を完成させる予定だったはずです」
調理場。
スクイの村では料理もまともにできないということで、一旦空き家を調理室とし共同で村の食事を作る予定だった。
「完成といっても最低限料理はできるといった程度ですが、それを記念して今日は村の野菜も使いつつ、メイさんのお父さん筆頭に軽い祝賀会を開く予定でしたね」
要は初調理場利用パーティである。
「私は調理場出入り禁止にされましたが、フラメさんが村で揃わない材料を持ってきてくれたりと豪華なものになりそうですよ」
「そうでしたね!メイさんも張り切ってました!」
調理場の完成と同時に村の発展の第一歩である。
スクイはメイの父親に料理の参加を拒否されていたが、主役になることは間違いないだろう。
「前日から仕込み等行っているはずです。フラメさんは少し遅れるとのことですが、1日お祭りのようになるのかもしれませんね」
そう思うと早く出過ぎたとスクイは思う。
朝に出れば昼過ぎには着いてしまう。激しい祭りになるのなら夜からでもよかったとも考えていた。
「1日楽しみの日ですね!」
しかしホロの顔を見るとそれも無粋かと思い直す。
スクイはもちろんホロもスクイに付いて休む暇などなかったのだ。
勉強、修行、上流階級とのやりとりに個人でギルドの依頼。
息抜きは必要である。そう思うと少しおかしくなった。
まるで自分も、今日を楽しみにしていたかに思えたのだ。
「その通りですね」
スクイは楽しみというふうにホロに笑いかける。
ホロはその笑顔が嬉しかったようにスクイにすり寄った。
「ところでご主人様、今日も大荷物ですが何を持ってこられたのですか?」
「ああ、大したものではないのですが」
スクイはいつも大荷物である。村の復興を考えれば当然であるが、祭りの日まで大荷物というのはホロも違和感を覚えた。
そんなホロの疑問に答えるように、スクイは袋を開けると、一枚の布を取り出す。
少し小さめの、色のついた服。
子供服である。
「先日遊んだ双子の子供たちはサイズに合う服も持っていないようでしたからね。村全体として服が足りていないのです」
双子たちは大人の服をぶかぶかに着ていたし、大人もまともな服装とは言えなかった。
作業着や私服、寝具という括りもほとんどないだろう。
洗濯の土壌があっても服の総数が少ないとサイクル的に不衛生になりがちである。
「服が足りなければ暮らせないとは言いませんが衣食住とも言いますからね。メイさんのお父さんが調理場、フラメさんが家の補修を先導してくださいましたし私はこれを」
そういうスクイの袋には村人に3着ずつは配れるだろう大量の服が詰められていた。
「ご主人様はそれらも先導されてましたけどね」
スクイの自分を下げる言い方が気に食わないように唇を尖らせながらも、良いプレゼントだと喜ぶホロ。
ホロも服は好きなのだ。そう思えば自分も最初に服を買ってもらったと思い出す。
「服は人間らしさです。好きな服を着るだけで気持ちも変わると言いますからね」
と、自分にはない感覚を一般論と語りつつスクイは村の方角を見る。
「まだ静かですね。みなさん準備中でしょうか」
「そうですね。早く来過ぎたでしょうか」
ホロの言葉に返しながら、スクイは村を見る。
準備中にしてもスクイの耳であれば物音くらい聞こえそうなものだが、準備等出かけているのだろうか。
などと、考えた。
「御者さん。ここらへんで大丈夫です。あとは歩きますので」
「ここでいいですか?」
少し歩く位置で馬車を止めるスクイに不思議そうにホロが聞く。
「ええ」
一言だけ言い、スクイは大荷物を抱え馬車を降りる。
ホロも少し不思議そうにしながらその意図を測ろうと考え降りて歩き始めた。
不思議だった。スクイは理由を話さなかった。
それ自体は大して珍しいことではない。
戦闘や会話、スクイはあえて答えを教えず、ホロに考えさせる。
思考力を養うという意図をホロは理解していたし、自分で答えに辿り着きたいという気持ちはホロにもあった。
しかし質問してそれを拒絶するような、言えば無視するような返答は珍しかった。
何か自明のことを聞いてしまったのだろうか。言わずとも分かれということか、あるいは聞くことが失礼だったか。
そういったホロの不安は、しかし即座に打ち消されることとなる。
村に近づいても物音ひとつ聞こえない。
「ご、ご主人様?」
ホロの耳にも明らかな距離、さらに1人も、人を見かけない。
「あの」
スクイは答えない。
黙って歩くだけであった。
ホロはその横を黙って歩く。
静かだった。
誰もいないのではないかという疑問を、村に着いた途端待ち構えるようにした4人の男が否定した。
そういえば初めて村に訪れた時も、4人の男に詰め寄られたのだったとスクイは思う。
よく見れば同じ4人である。スクイと出会い、その正体に気づき、涙ながらに話し始めたのを、スクイは昨日のように覚えている。
ただ当時と違う点があるとすれば。
男たちが流しているのは、否、流していたのは大量の血液であり、2度と話すことなどできないであろうということだけであった。
「は?」
ぽつりと、涙の代わりに。
大きな手荷物とそんな声が、どこからか零れ落ちた。
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