第六十話「神託」
「アキテーヌ公」
試合が終わりスクイがホロに戦闘の講評をしている最中、行き先側の扉から1人の男性が現れ、声をかける。
「おお、そうか。そなたがおったな」
急に顔を綻ばせるアキテーヌ公に、少し困ったように首を傾げる。
奇妙な男性であった。ダボついた白い服、襟が高く口元は見えず、袖同士が縫い合わされており腕が出せない。
フードで頭も隠れており、かろうじて人の良さそうな柔和に閉じられた目のみが覗いている。
「彼はマルティール助祭。ミストル司祭の右腕のような者で」
その目つきでホロは理解する。
マルティール助祭と戦ってみてはどうか、次はそんな話になると。
そなたがおったなという言葉、それは彼ならばホロに勝てるだろうという意味に他ならない。
舐めてもらっては困る。次は魔法も込みで圧勝しようと考えるホロの前に、スクイは静かに立つ。
「ご主人様?」
「困りますアキテーヌ公。余興はともかくミストル司祭をお待たせしていることをお忘れでは?」
ホロを庇うように前に出たスクイにホロが疑問を抱くより早く、マルティール助祭はアキテーヌ公に苦言を呈した。
「ああ、それもそうだな」
ホロの前に立ったスクイを見て戦わせる必要はないと判断したのか、アキテーヌ公はあっさりと承諾する。
それはつまり、戦えばホロはマルティール助祭に負けるとスクイが思っていることを認める形になる。
ホロはそんなことはないと示したかったが、無為に戦うためにきたわけではない。
スクイが止めるのであれば何かしら意図があるのだろうとホロは自分を納得させた。
そして、確かにマルティール助祭からはどこか、スクイに似た異様な雰囲気を感じる。
只者ではないことはホロにも感じられたのだ。
「お待たせしているのであれば急ぎましょう」
スクイはこの場で行き交った思惑を全て無視するように話し合いの場へ、つまりマルティール助祭の方へ歩を向ける。
「英雄殿の言うとおりだ。良い余興であった」
アキテーヌ公が騎士団を労いながら先行する。
マルティール助祭は話し合いに参加しないらしく、扉を潜る3人を静かに見送った。
目と耳がない。おそらく舌も。
スクイはすれ違いざまにそう確認する。
義眼を入れていないのだろう。瞼の形で眼孔が空だとわかる。
フードの奥もスクイの目であれば見通せ、耳がないとわかった。
さらに話すたびに口元の服や顔の筋肉に一切動きがない。
そういった魔法か、だとすればどのような意味があるのか。
理解はできないが、理解できない相手であると言う理解は重要である。
そしてそれを従えるミストル司祭、愛の宗教。
警戒すべきかと思案する。
少し歩き、3人はミストル司教が待つ部屋に着いた。
「失礼する」
アキテーヌ公が扉を開けると、そこにいたのは1人の女性であった。
まだ若い。褐色の元気そうな肌は30手前といったところだろうか。
量の多い燻んだ小麦色の髪を頭の上で束ねている。
「お待たせしたミストル司教。こちらがかの組織を壊滅させた英雄、スクイ殿とホロ殿だ」
想像していた司教のイメージとまるで違う。
かろうじて白く清らかな、教会で他の神父等も着ていたような服装をしているものの、吊り上がりこちらを見る目はむしろ裏社会の人間に近い。
人を値踏みする目である。
「あーはーこれはこれは」
ミストル司祭は立ち上がると、スクイとホロに近づき手を差し出す。
「初めまして。私がミストル司教です」
敬語を使ってこそいるが、丁寧な動作ではない。
片腕はだらりと下げたまま、2人を舐めるように見る。
「お初にお目にかかり光栄です。私がスクイ・ケンセイ。こちらがホロさんです」
「ほう、あなたがスクイさん」
そしてホロさん。そう当たり前の確認をし、返す言葉も待たず彼女は元いた席にどかっと座る。
アキテーヌ公はそんな態度には慣れたように彼女の横に座ると、対面の席にスクイたちを座らせる。
「お噂は聞いておりますよ。組織壊滅の腕前。アキテーヌ公のことですから腕試しでもあったでしょう」
所詮騎士団では太刀打ちできんでしょうが何をしたのかは気になると言う彼女に、スクイは試合の形式を述べる。
「ホロさんと騎士団長さんの素手魔法抜きの一騎打ちでホロさんが見事倒しましたよ」
「ほう」
一瞬アキテーヌ公の表情を確認したミストル司教は、そこから概ねの展開を予想したのだろう。
少し悔しげなアキテーヌ公に、ミストル司教は満足げに笑みを浮かべる。
そして興味深げにその目をホロに向けた。
「流石かの英雄スクイ・ケンセイのパートナー。聞くに我ら愛の宗教にも関心を持っていただいていると」
「関心だけですがね」
愛の宗教の教会に足を運ぶホロのことはミストル司教も知っていたらしい。
どこか嬉しそうに話しかけるミストル司教に、スクイは反対するように口を挟んだ。
「関心だけで結構。我々も宗教に厳しさなど求めませんからね。心の平穏、生きる指針、私も仕えるとは言うものの宗教など人のためにあるべきだと思いますよ」
人が宗教を支えるのではない。
宗教が人を支えるべきだ。
「信仰が信者を苦しめるなど言語道断でしょう。宗教などは使うべき道具とまで言い切っても、私は否定しません」
もっとも、その素晴らしさを理解してのものですが、と言う。
「いえ、私は」
ホロは言い返そうとして言葉に詰まる。
敬虔な愛の信者であるホロはミストル司教の宗教観に異議を唱えたかったが、スクイの手前あまり他の宗教を持ち上げられない。
「宗教を利用すると言うのは少し、気が引けると思います」
かろうじて、愛の宗教という点を語らず言い返した。
「真面目な考えです。司教の私よりね」
大抵はそういうものなのですと言いながら、ミストル司教は気にした風もなく上を向いた。
「存外私やアキテーヌ公みたいな俗物が宗教では上にいるものです。その点彼女は立派な教徒でしょう」
そしてあなたも。
ミストル司教は上を向きながら、目だけをスクイの方に向ける。
「死を信仰する。死の神でなく死そのものを信仰するとお聞きしましたが」
「その通りです。死の神はいないそうですしね」
スクイは当然とばかりに返すが、少し違和感を覚える。
何か、目の前の司教は確かにおかしい。
女性という点は特別おかしくない。若いという点も、明らかに変人であるという点もさほど気にすることではない。
信仰か?
確かに彼女の信仰はあまり褒められた態度でないが、しかし彼女は宗教の見方がスクイと違うだけで信仰がないというわけではない。
言い方が極端に聞こえるだけで、宗教は人のためにあるというのもあながち少数派ではないはずである。
であればスクイの持つ違和感は何か。
スクイはゆっくりと吟味する。
「確かに死の神はいませんね。生の神もいませんし、神々にとって生や死などは存在しないということなのでしょう」
神の持ちうる概念が、神として存在している。
そしてその神々がそれぞれの冠する概念から人間界を作った。
そしてそれぞれの冠する概念に冠する魔法を人間に与えた。
「哀れなことです」
スクイはそう呟く。
死の救いを得られず生きるとも死ぬとも言えず永久に存在する。
スクイからすれば地獄のような話であった。
「ではスクイさんは救済に人を殺すので?」
「ええ、組織の壊滅もそれが目的です」
至極当然のことと話すスクイに、アキテーヌ公は目を見開いた。
当然である。まさか史上最強と謳われる犯罪組織の壊滅が、正義感や強さの証明でなく、死という救いを与えるためだというのだ。
そして死を救いとしての殺人を平然と肯定する。
狂信者。
殺人鬼。
目の前の男が本当のことを言っていると思いたくないと同時に、アキテーヌ公はありありとスクイの言葉からその真剣味を見出した。
ホロは少しスクイの発言の過激さを気にしたが、対するミストル司教は動揺する素振りも見せない。
否、むしろ納得したようですらあった。
「信仰の是非はともあれ、ここまでの殉教者はそういないでしょう」
別のものを称える身でこそあれ、その殉教精神には敬服しますねとミストル司教は余裕を持って話す。
「ところで、前々から気になっていたのですが人々は神々のことをどうやって知っているのですか?」
スクイは意図したように話題を変える話をミストル司教に聞く。
「死の神はいない、生の神はいないなど。私は今のところ神にお会いしたことはないのですが、やけに確信を持って神々の話を聞きます」
「ああ、英雄殿は宗教に詳しくないのだったか」
アキテーヌ公は一瞬不思議そうな顔をした後、納得したように言う。
独自の宗教を持ち既存の宗教とも相性が悪いとなれば情報もあまりないのだろうと思ったのだ。
「神託ですよ」
ミストル司教は拍子抜けしたように、当然のこととして答える。
「一部神官、私もそうですが、とある魔道具によって神の声を聞くことができるのです」
神託、スクイは聞き覚えがあった。
確か勇者の魔法や聖剣の魔法がSランクだと告げたのは神託であったと。
神聖魔法、役職魔法が勇者の仲間をし魔王を討ち滅ぼすためにあると告げたのも神託と聞いた。
しかし肝心の神託についてあまり触れなかった。
スクイは他の宗教に対して、意図的に避けようとする節がある。
「要はある程度質問ができるのです。すると神のお答えをいただける。魔法を得るにはどうすれば、魔物に立ち向かうにはどうすれば、人間はこうやって神のお言葉を聞き進歩した経緯もあります」
そうやって魔物は魔王が生み出していると聞ける。
魔王の対策としての勇者や、神の存在についても聞ける。
随分親切な話だとスクイは思う。
神がいると確信できることが心の支えになるのは明白である。
「無論答えてもらえないことの方が多いですが、神々の意見をいただけるほどありがたいことはありません」
混じり気のない感謝、スクイは確実にその感情を彼女から見出した。
もちろん利益あっての感謝である。
しかし、何かをしてもらってありがたいから感謝し、信仰する。
それを俗だと切り捨てるのは難しいだろう。
「まあ勇者のように直接神と対話できる存在もいるそうですが」
「神と対話ですか」
少し、スクイは考えた。
それは一瞬、思ったのは転移前のこと。
天使としか形容のできない存在との対話、スクイを死から遠ざけ、この世界に送り込んだこと。
あれが神であったのか?
その一瞬、スクイは気を抜いたつもりはなかった。
初対面の人間を相手に注意が逸れるほどスクイは無警戒ではなかったし、並行して複数の事柄を思考できるスクイからすれば、思考の一部が過去の記憶に思い当たったとしても表に出るほどのことではない。
しかし、明白に、スクイが過去の出来事を想起した瞬間。
ミストル司教は、うっすらと、笑った。
「ああ」
そしてスクイはその表情を見て、違和感の正体に行きあたる。
ミストル司教に対する強烈な違和感。
彼女は自分たちの戦闘力や政治的発言力になんら興味を抱いていない。
何故?スクイは考える。
それが目的の会合のはず。まず間違いなくアキテーヌ公はそう思っている。
しかし今までミストル司教が振った宗教に関する会話は導入のようではあったが、スクイは同時に明確な興味を感じ取っていたのだ。
彼女はスクイとホロの信仰に興味を示している。
その狙いは何か?
愛の宗教への勧誘という可能性を即座に払う。
そう単純な話ではない。
今のミストル司教の笑みからスクイは考察しようとするが、明らかに情報が足りていないと感じた。
神託が関係するとしても、スクイは神託の詳細を今知ったばかりである。
後手に回った、スクイは自分の気の抜きように戒めを覚える。
「やはりあなたは神と対話したのですね」
しかし、続くミストル司教の言葉はスクイの想像していないものであった。
「神と?」
スクイは再び天使のような存在を思い浮かべたが、あれが神であったかは判断がつかない。
そしてその後、神などという高位の存在と接触した記憶もなかった。
「いえ、私は死の敬虔な教徒ではありますが、神に仕える気は」
同時に思考を巡らす。
やはり、彼女はそう言った。
つまり彼女はスクイが神と対話したと想定していたということになる。
となるとこの会合の目的はその確認。
そしてその裏を、今彼女が勝手に取ったことになる。
状況を整理し、推測し、導き出す。
ミストル司教の考えは見当違いである。そう伝えるにはしかし、天使とは会いましたと答えるべきだろう。
しかし転移から何から話し、真っ当に受け入れられると思えるほどスクイも楽観的ではない。
第一あれが天使か神かスクイには判断できない。
そして恐らく、この勘違いは致命的な結果を生む。
もし最悪なことがあるとすればスクイには、その致命的な結果が見えていなかったことに他ならない。
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