第五十九話「隠し針」

「肉弾戦の稽古を増やしたい?」


 時は遡り宿屋にて。

 組織打倒から数日、スクイはホロに勉強を教えていた。


 ホロには特別、学はない。

 炭鉱の生まれから奴隷という人生で基本、勉強というものに触れたことはなかった。

 しかし知性や教養は戦闘力よりも役に立つ。


 スクイは定期的に修行だけでなく勉強会も開いていた。

 ホロの覚えはよく、既に四則演算を終え分数の計算を理解し始めている。


 この国の貴族学校に通えるだけの学力というスクイの立てた目標を達成するのもそう多くはないだろうと、スクイは感じていた。


「はい、私はどうにも魔法頼りの戦法になりがちなので」


 分数の掛け算をなんとか解き終わり、採点するスクイにホロは相談していた。


「確かにホロさんの能力は魔法に特化していますが」


 ホロの魔法能力は並大抵の魔法使いを遥かに凌駕する。

 もはや魔法という枠組みであればスクイより上であるとスクイ自身考えていた。


 修行により洗練された岩魔法、特にその投擲は威力、精度、攻撃範囲と申し分ない。

 岩魔法には及ばないが炎魔法、水魔法も伸びており、組織で使用した混合魔法によるマグマの魔法は極めて高い殺傷能力を誇る。


 さらに愛の女神の加護、これにより元より多い魔力量を底なしのものとしている。


 ちなみにスクイは魔力量で言えば常人よりもかなり少ない部類である。

 もっとも、不死の魔法は魔力を使用しないため、スクイ自身大して魔力を必要としないので本人は気にしていない。


「得意不得意というものはあります。ホロさんは小柄で線も細い。もちろんそれが肉弾戦を伸ばさない理由にはなりませんが、必要な労力を考えればあまり重きを置くこともないと思います」


 もちろん、基礎的な筋力、体力の向上はホロの修行に加わっている。

 しかしそれ以上、例えばスクイのような武術や格闘術の能力を身につけるにはとてつもない時間がかかる上に実践に使えるまでが長い。


「例えばナイフ術にしてもホロさんは魔法で似たようなことができますし、わざわざ時間をかけて学ぶこともないと思いますが」


「それもそうなのですが」


 否定はできないが賛成もできない。

 そういったスクイの考えにホロは口を挟む。


「前回の組織との戦いで感じたのは、実戦では手数が多い方が圧倒的に有利だということです。そのためには実戦で通用する魔法以外の戦い方も持っておきたいと思いまして」


 ホロの意見にスクイは考える。


 一理ある。否、正しい。

 ホロは組織の戦いで元々持った膨大な魔力と、用意した加護による魔力増幅を加えても魔力が尽きた。


 魔力が尽きれば何もできない、こういった状況は今後も起こりうる。


「なるほど、確かに戦法を複数持つのは大事なことです」


 私が浅慮でしたねと謝るスクイを慌ててホロが止める。


「しかし武術を一から身につけるのは時間がかかります」


 スクイはそう言ったが、正確にはホロは武術を学んでいる。

 現在の基礎的な体づくりは武術の基礎でもあり、戦闘に際しての動き方もある程度学んでいた。


 しかし本格的に技を知るというレベルではない。


「やはり難しいでしょうか」


 まだ早い話だったかもしれないと思うホロに対し、スクイは思考する。


「いえ、確かにホロさんが何か武術を極めたいというのであればすぐにできることではありませんが」


 魔法以外の戦法として用意しておきたいということであればやりようはある。

 そう考え、1つの提案をした。


 そしてアキテーヌ邸。

 ホロは武器も魔法も使わず戦うと言い放った。


「失礼だが」


 困惑するアキテーヌ公。

 その傍にスクイが近づき、言葉を遮る。


「失礼ならば言わぬ方が良いでしょう」


 一瞬、アキテーヌ公の脳裏に先ほど吹き飛ばされた騎士がよぎった。


 脅し。

 そうともとれる発言だったが、アキテーヌ公はむしろホロの身を案じた発言をするつもりだった


 ホロが魔法主体で戦うことはアキテーヌ公も知っている。

 それを徒手空拳で、それも複数と。


 試合が成立するのかすら怪しい。


 にも関わらずそう言った疑問を抱かせることをスクイは拒絶した。


 それはつまり、見縊るなということになる。


「ではこうしよう」


 余計な思考を取りやめ、アキテーヌ公はシンプルに提案する。


「うちの騎士団長と一騎討ち。騎士団最強の男に少女が素手で勝てるのであれば、私の騎士団が飾りと呼ばれるのも無理はないだろう」


「良い案です」


 加えて、とスクイが告げる。


「武器を使って欲しいですが余興で真剣も芸がない。しかしそうなると勝ち負けの判定が難しい」


「ふむ」


 その通りだとアキテーヌ公も言う。


 奴隷の見せ物でもないのにここで殺し合えとも言えない。

 武器がない以上武器を手放せば負けとも言えないし、何よりホロは一見可愛らしい少女である。

 殴り合いというのも見栄えのいい話だとは思えなかった。


「なのでこうしましょう」


 騎士団長はホロに触れれば勝ち。

 ホロは騎士団長の意識を失わせれば勝ち。


 その提案にアキテーヌ公は目を丸くする。


「大の大人がホロさんを殴る姿も見栄えが悪いですし、体格差を考えれば騎士団長さんがホロさんに触れる余裕ができれば、実戦ではホロさんの負けでしょう。対してホロさんは魔法抜きに騎士団長さんに触れたところで一撃で倒す術はない」


 ならばしっかりと倒すことが要求される。


 先ほどと打って変わったような、あまりにもホロに厳しい条件をつらつらと提示するスクイに、性格の評判が悪いアキテーヌ公すら閉口した。


「ああ、もちろん甲冑は装備してください。アキテーヌ公からの提供物をアキテーヌ公の御前で無碍にするなど許されませんからね」


「それは」


 言うことはもっともだが、というアキテーヌ公の言葉を遮るようにスクイは手を叩く。


「では早速始めましょう!アキテーヌ公、騎士団の方に指示を」


「あ、ああ」


 少し呆気に取られたアキテーヌ公であったが、手を叩くと騎士団長と思われる人物が現れる。


 全身を甲冑で覆っており、兜をつけているため人相は不明であるが、他と騎士とは装飾も柄もより豪奢なものとなっていた。


「妥当なサイズですね」


 どういう意図か、ホロと対峙する形で立つ騎士団長を見ながらスクイは呟く。

 文字通り大人と子供のサイズ差。カーマより拳1つ小さい程度、つまりかなりの大男である。


 それが鎧を着ている。重量差は大人と子供の比ではない。


 対峙した2人から少し離れた場所に用意された2脚の椅子にアキテーヌ公が座るのを見てスクイも座る。


「では英雄殿、始めても?」


「ええ」


 戦うホロでなく自分に聞くな、とホロを無視した質問に怒りを見せるかと一瞬その場の全員が身構えたが、スクイは極めて穏やかに返した。


 ホロには戦闘に開始の合図などないことは教えてある。

 騎士団長が突然殴りかかってきてもホロは文句ひとつ言わないだろう。


「それでは」


 騎士団長が構えを取る。


 普段持つ剣も盾もない彼の構えは、腰を低く落とし両手を広げたものであった。

 極めて攻撃的な姿勢。触れれば勝ちというルールに即座に適応した構えと言える。


 対してホロは構えない。


 スクイは構えを持たないが、ホロに構えを教えていないわけではない。

 こういった試合形式において構えは一概に否定するものではないとスクイはホロに伝えていた。


 構えから情報を取られる不利益もあるが、やはり初動の良さが変わってくる。

 しかしあくまでスクイをリスペクトし、こう言った場でも構えを取らないホロに対してスクイは、ホロにはこういったプライドの高さがあるとホロを微笑ましく見た。


 両者の思惑を推し測りながら、構えて一瞬。


「始め!」


 アキテーヌ公の声と共に、騎士団長はホロに飛びかかる。


 構えから明白な動き。しかしだからこそ初動が早く、捕まえるという目的には最適の動作であった。

 体格差故に避けられかねない片手での接触でなく、全身で覆うように捉えに行く姿勢。


 アキテーヌ公はもちろん、スクイも騎士団長の判断にそれなりの評価をする。

 実戦経験の少ない訓練部隊の弱点は判断力にあると考えていたが、このような変則的なルールで即座に戦法を考えられるのは優秀と言わざるを得ない。


 しかしホロはバックステップでそれを躱す。


「ほお、まずは避けるか」


 身軽な動きにアキテーヌ公は感心したように言葉を漏らしたが、スクイは特別反応しない。

 構えから初動は読めていたし、そうなれば避けるのは簡単であるとスクイは考えていた。


 もっとも、わかっていても普通の少女どころか、普通の成人男性でも避けられるものではなかったが、ホロの戦闘訓練は並大抵ではないとスクイは分かっていた。


 しかしアキテーヌ公が評価したのは避けたこと以上に避け方である。


 騎士団長はあえて両手を使いホロの頭を抑えにいった。

 すると同時に胴体は無防備になる。


 ホロが身を屈めて避ければ、騎士団長の身体に潜り込み胴体に攻撃ができた。


 しかしそれでは騎士団長を倒すには至らなかったろう。

 そのまま上から抑えられて終わる。


 騎士団長の誘いに乗らず冷静に引いた。


「なるほど、魔法だけではない」


 アキテーヌ公の分析に、スクイは当然という風に言葉を返さなかった。


 随分な信頼だ、アキテーヌ公はスクイに少し呆れを覚える。


 次の行動はホロが速かった。

 空を切る騎士団長の両腕に対し、ホロは明確に、背を向けた。


「それでいい」


 呟くスクイにアキテーヌ公と騎士団長は即座に理解する。


 逃走。


 ホロは騎士団長より体力はない。

 しかしそれは重い鎧がなければの話である。


 もしホロがこのまま走り逃げ、騎士団長が追いかければ先に力尽きるのは騎士団長である。


 そうなればホロでも騎士団長を倒すのは難しくない。


「逃がすな!」


 声を上げるアキテーヌ公に、言われずともとホロに走りかかる騎士団長。


 それを見てスクイは。


 そして見ずにホロは。


 笑った。


 直後、騎士団長の目の前からホロの姿が消える。


「は……?」


 勢いよく飛び出した騎士団長は思わず声を漏らし。


 同時に大きな、叩きつけるような金属音を聞く。


 頭が回らない。

 頭が回らないのは目の前の光景が理解できないから。


 ではない。


 状況を把握する能力を奪われた彼の耳に届くさらに大きな金属音。

 それが自身からなっていると気づく間も無く。


 彼は倒れ伏した。


「見事な選択です」


 スクイが賞賛しながら立ち上がった。


 ホロの攻撃は簡単に言えば後ろ回し蹴りである。

 それも体を翻すと同時に、両手を地面につけた後ろ回し蹴り。


 背中を見せるという弱点を、相手に無防備に自分を追わせる策として昇華する。

 そして相手に背を向け両手を地面につけ、回し蹴りを一撃。


 そして即座にその回転をそのままにもう一撃。


「ふぅ……」


 一呼吸置くホロ。


 この技の利点は小柄というホロの弱点を補えることにある。


 足技というリーチの長さと威力の高さ。

 回転によりさらに威力は増す。


 両手を地につけ頭も下げるこの技は、同時に足技としては高い位置に攻撃が可能となる。


 そして初見ではまず対応できないという部分。


 両手を地面に突くことを前提とした足技など想定もできはせず、うまくいけば一瞬で姿を消したように相手の虚をつける。


 スクイはホロに一から武術を教えるのは時間がかかると考えていたが、このような初見殺しの技をいくつか習得するだけで戦いの幅は格段に上がると考えていた。


 これが魔法以外の戦法。


「もう1つ、相手に走って追わせてから急に反転し、相手の足元に入り込み転ばすという技も教えていたのですがこちらを選択したのは正しかったですね」


「まああの体格差だ。その技では上手く使わないとホロ殿も潰れかねん」


 アキテーヌ公は冷静に返答する。


「どうでしょう。騎士団の方々の中にはホロさんの能力を疑う方もいらっしゃるでしょうが、彼女も」


「甘やかしだな」


 スクイの言葉にアキテーヌ公は遮るように言った。


「確かにホロ殿は強い。しかしその技を十二分に使えるセッティングをしたのは誰だ?」


 ホロの初見殺し的な、一撃決まれば倒せるというタイプの技で最も大事なことは、その一撃を決められる状況を作る技術にあると言える。


 今回はどうか、ホロの身につけた技術を最大限発揮できるルール作り、見くびらせ、余裕を持たせる。

 相手を誘導する言葉選び。


「英雄殿の用意した筋書きだろう。ホロ殿の技は素晴らしいが、その下準備もさせるべきだったな」


「ふふ」


 先程の暴行を見てもなお恐れず、想定外の勝敗を見ても的確な指摘をスクイにするアキテーヌ公。


 スクイは笑う。


「やはり評判以上に優秀な方のようだ」


「ああ、評判など当てになるまい」


 そう言うアキテーヌ公もまたスクイの評価を上げていた。


 身内の甘さは良し悪しであると考えたが、1人の少女をこうも育て上げた能力。

 そして強いだけでなく話術にも秀でている。


 場を用意したはずのアキテーヌ公が、いつの間にかホロの戦闘練習に付き合わされていたと気づいたのだ。


 能力が高すぎると囲い込むのも危険である。

 武器にするとしても取り扱いを考えねばならない。


 アキテーヌ公の言葉を無視するかのようにスクイは戦闘を終えたホロの元へ近づく。


「良い選択でしたホロさん。実戦で2発目も顎に当てるのは難しいですよ」


「ある程度動きを予想できたのでうまくいきました。でももう一度できる気はしません……」


 謙遜するホロにスクイは多人数でも使えるようメニューを変えることを提案しながら少し話す。


 即座に振り返りを行うスクイとホロ、そしてホロの手をアキテーヌ公は見る。

 尋常でない練習量。それは手を見るまでもなく1人の少女があれほどの体術を身につけていることから容易に察せられる。


 ほんの少し前まで死にかけの奴隷だったと聞いていたが。


 同時にアキテーヌ公は倒れた騎士団長を見る。


「全く」


 飾りだな。


 そう言って彼にしては珍しく、ホロに敗北を認めたのだった。


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