第五十五話「帰る場所」
「ここが旦那の領地っすか!」
目の前の女の子、スクイの泊まっている宿の娘メイは村を見るに嬉しそうにはしゃいだ。
「ええ、みなさん私と同じく死を信仰する素晴らしい方々です」
スクイの言葉をメイは無視し村の人に駆け寄って行った。
スクイはため息をつきながら思い返す。
なぜこのような騒がしい事態になったのかを。
昨日のことである。
スクイは久々に予定がなかった。
最近では社交会や貴族との対応、爵位贈呈に必要な書類、そして与えられた領地のことで移動の多い日々を送っていた。
やることこそあれ行かなければならない場所はない。ならばと宿でのんびり過ごそうというスクイに賛成しホロと、暇を持て余したメイがティータイムに参加した。
「旦那も大忙しっすね!聞きましたよ悪党を成敗して領主様に認められたって!」
「ええ、ありがたい話です」
メイは目を輝かせて話を聞きたがった。
メイのいう悪党はメイの父親を借金により縛り付けていた存在であり、スクイの活躍とその後の処理により父親は借金問題から解き放たれたのだが、メイはそんなことは知りもしなかった。
さらにいえば組織の存在も知らなかった。
裏社会で有名な犯罪組織とはいえ、一介の宿娘の知るところではないのである。
「やっぱ旦那でも苦戦しました?どんな強い奴らがいたんですか?」
「苦戦どころか見ようによっては負けてましたね」
スクイにはフェルテと戦った一部の記憶がない。
記憶がなくなる前の状況で言えば負けていてもおかしくはなかったはずである。
記憶がなくなるレベルのトリップ。スクイでも初のことであった。
「それよりホロさんの方が活躍したと言えるでしょう。幹部を3人同時に相手取り撃退。いつもホロさんは私の想像以上の成果を発揮してくれます」
「幹部3人と戦ったんですか!」
驚くメイ。もちろんメイは幹部という存在がどのようなものかわかっていない。
強いやつ3人相手だったんだろうなという程度で驚いている。
「それは、その、運にも助けられたので」
「それでもとんでもないっすよ!ホロさんも旦那くらい強いんすね!」
そんなことはと縮こまるホロに、戦いの様子を聞くメイ。
実際ホロの能力の高さはスクイの想定を遥かに上回った。
加護の力あってのことと聞いているが、スクイはその加護を使いこなし複数の魔法を行使することへの難しさを理解している。
魔法の使用技術ではスクイよりも上、天性のセンスと努力が花開いたものと考えていた。
「旦那も魔物討伐で生計を立ててきただけあって強いとは思ってましたが想像以上っすよ!そこに同じくらい強いホロちゃんとなればもう魔王くらい倒しちゃうんじゃないですか?」
「魔王は勇者にしか倒せん」
景気良く騒ぐメイを遮るようにメイの父親が机に食事を置く。
この宿は朝食しかサービスがない。しかしスクイが組織を潰してから、メイの父親はスクイが宿にいる時はスクイの分の食事も作っていた。
今までの朝食からは考えられないほど手のこんだ料理、今はティータイムということで菓子が並べられる。
そして父親も座る。スクイは紅茶を淹れると、メイの父親の前に置いた。
「わかってるって」
むすっとしたように菓子を摘むメイ。
魔王は聖剣を持った勇者にしか倒せない。
スクイもよく聞く話だった。
「そんくらい強いってことだよお父さんはわかってないなあ」
「流石に魔王に勝てるほど強いとは思えませんけどね」
スクイは親子の会話に口を挟む。
勇者がA級の魔法を持つ役職魔法使いを複数連れて倒す敵。
A級魔法使い単体にすら勝てないと思っているスクイには勝てると思えなかった。
「旦那まで。冗談のわからない人たちっすね、ホロさん」
「え、私は」
急に話を振られたホロは少し考えるようだったが。
「私はご主人様なら魔王も倒せるかと……」
「でしょ!」
ほらみたことかと言わんばかりにスクイの方を振り向くメイ。
スクイは困ったように笑いながら、「ホロさんは私を高く評価しすぎる傾向にあります」と謙遜する。
「まあ、魔王はいいんすよ!」
自分で挙げた話題を即座に捨てる。
「それより褒章はどうなったんすか!悪の組織壊滅。領主様直々にお褒めの言葉を預かる。旦那も上流階級の仲間入りっすよね!」
「そこまでではありませんが」
そう言いながらもあながち最近の生活を思い返すとメイの指摘は間違いでもなかった。
爵位贈呈が確定すればスクイは貴族になる。
「わずらわしい物を押し付けられたといった方が大きいですよ」
「まあ根なし草の放浪生活してた旦那には地位や名誉なんて邪魔なだけかもっすけど」
お金に困った生活をしてきたはずのメイにはそうは映らなかったのだろう。
そう思うと不用意な発言だったかもしれないとスクイは目を細め考える。
「領地をもらえたのは結果的によかったですかね。先住されていた方々がいらっしゃったのですが、良い方々でうまくやっていけそうです」
「領地!それって領主になるってことっすか!」
「まあ小規模ながらそうなるんですかね」
一応領主はスクイにあげると明言していた。
書類手続きでもあの領地は監督を任されたという形でなく、スクイ個人に権利が譲られていた。
つまり領主なのだろう。
「とはいえ領主として何かをするわけではありませんよ。先住の方々の手伝いを少ししてたまに見にいく程度です。税を取れとも言われてませんしね」
そうは言うもののスクイはかなり村のために動いていた。
寂れた村である。何も豪勢な街に変えようと言うわけではないがまだ生活に不自由する面も多い。
褒章として金と人脈を使いながらスクイはよく村を訪れていた。
ちなみにあの村に村長はいない。上下関係はないのだ。
全ては死の下に平等。その考えは村人も持っていた。
もっともスクイに対する感謝の念だけは大きく、敬われていた。
「でも立派なことっすよ。どんな村なんですか?」
「小さな村です。10人ほどが主に農作業で自給自足してて、それを売って必要な物を買う流れを整備したいとは」
あくまでただ物をあげて援助するというより、今の生活のままレベルを上げる。
そこにスクイがいなくても良いようにしたいとは思っていた。
フラメにも手伝ってもらおうか。貴族との繋がりができたとはいえ信頼できる商人の助けは欲しい。
その前に彼の店を復活させないと、そう考えてスクイはメイの目が変わったことに気づいた。
「え!農業やってるんすか!」
「ええ、土壌は残っていたらしく」
使われていた農地を整備し通りがかりの商人から苗を買い、魔法で補助。
簡単に言うものの並大抵のことではないはずである。
「あの村でできる産業が農業だけだとは思いませんが、一番ではあるでしょうね」
他にも仕事を斡旋してもいいが、それは後の作業だろう。
そう考えるスクイの言葉を聞いていないかのように、メイは大声を上げた。
「行きたいっす!何育ててるんですか?どのくらいの規模なんすか?うちと同じものありました?」
質問攻めに合うスクイ。正直スクイはまだこの世界の野菜の名前に疎い。
もらった植物図鑑には食用のものは少なかったのだ。
「ありましたよ。たしか」
「いや説明はいいっす!とりあえず見に行きたいっす!次いつ行きます?私も詳しいんでお役に立てるっすよ!」
質問しておいて言葉を遮られる。
スクイは否定が頭に浮かんだが、しかしメイ自身はもちろんその繋がりは農業をしていく上で馬鹿にできない。
スクイも植物屋を紹介してもらったし、村の人間も元々農業に詳しいと言うわけでもなさそうだった。
メイは小規模であるが宿で出せるほどの野菜を育てている。
案外連れて行き話をすれば身になることもあるかもしれなかった
「そうですね。いつでもいいですが」
スクイはちらりとメイの父親の方を見る。
連れて行ってもいいか?という質問を、彼は目線だけで理解した。
「俺も行く」
「えーお父さん来るの?」
少し嫌そうにするのは年頃の娘としては当然の反応である。
しかし知らない未開の村に娘を行かせるのが心配だと言う父親にスクイは寄り添うことにした。
「せっかくですし村の人たちも料理を教わりたいでしょう。料理道具や設備の面で話を聞けるのも助かるでしょうから」
私も生活力のある方ではないのでそういった助言は助かります。
そういうと、メイは引っ込んだ。
同時に悪くない顔をする。なんだかんだ父親の料理の腕は誇らしいのかもしれない。
手の抜いた朝食を出さなくなった日からメイは素直に喜んでいた。
「じゃあしょうがないっすね!」
「じゃあ2日後でどうでしょう。メイさんは早く行きたそうですが同時に準備もあるでしょうから」
「村の人たちに農業のなんたるかをお伝えしてあげるっす!」
そう言いながら急いで支度をしたいと立ち上げるメイ。
父親もそれで構わないと無言で頷いた。
「どうしよっかなー村の人どんな肥料使ってるんすかね。植物屋のおばあちゃんの手製のものみたらびっくりするかもっす!魔道具は流石に買ってないっすよね。便利なのがあるんすけど高いし」
うきうきしながらメイは考える。
素直に農業の話ができるのが嬉しいのだろう。
教える立場でいるのもかわいらしいものである。
「しかし農村かーちょっとした憧れはありますね。宿ももちろんすけど育てた野菜で生計を立てるってのも。旦那もいい場所をもらったもんすよ」
そう言いながら、メイは嬉しそうな表情を少し変えた。
「あの、旦那」
「どうしました?」
少し言いづらそうに目線を逸らすメイ。
スクイは心当たりを考え始めた。
「その、えーと、領地もらって、お金もできて、その旦那は」
メイは言葉に詰まる。
しかしそこまで聞けば言いたいことはわかる。
スクイはホロと目を合わせると、小さく頷く。
「そういえばそろそろなんで」
そう言いながら懐から袋を取り出した。
明らかな重量。
スクイはそれをメイの父親の前に置くと、口紐を解く。
大金であった。
「受け取れん」
いつまでこの宿にいてくれるのか。
去ってしまわないか。
商魂逞しい宿の娘としてだけではなく、寂しさ。
地位や財産を手にしてもこんな宿に愛想を尽かさないのかという気持ちの入り混じったメイは大金を見て目を丸くしたが、同時に受け取れないと即答する父親にさらに驚いた。
しかし父親の言葉は当然でもある。スクイは組織を潰し、その後後片付けの一環で父親の背負っていた借金を帳消しにした。
その上でフリップに話をつけギルドの調理場という仕事場まで用意していたのだ。
借金だけ見ても目の前にある金額より大きな恩である。
その人物から宿代など受け取れないと思うのは妥当であった。
「いえ、払わせてください」
お金はありますからねと笑うスクイ。
実際スクイの使える金額を考えればこの金貨も大した額ではない。
「他の宿も家もいいですし、自分の領地に住むのも楽しいとは思いますが」
メイの思っていた不安先を全て列挙する。
「まあ、でもここを帰る場所にしたいと思っているのもあるんですよ」
そう呟くと、父親は少し苦い顔をする。
そう言われて受け取らない訳にはいかない。
「そ、そうなんすね」
メイは動揺したように言葉を発する。
その顔は赤く、困ったようで、何かいいたげで。
今にも泣き出しそうだった。
「じゅ、準備してくるっす!」
そう言いながらメイはカウンター裏の方に走り出し、部屋の中へと消えた。
スクイはそれを、ただ見守った。
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