第三十八話「侵入」
「この建物ですか?」
準備の次の日、スクイとホロは廃墟街の建物の中にいた。
組織の建物は魔法により廃墟街の一部にしか見えないが、かといってこの廃墟街を歩けば見張りに見つかる可能性はある。
スクイは夜暗くなってから、廃墟の建物の中や屋上を飛び移ることで組織の拠点に近づいた。
「そうですね。問題は中に入るまで中の様子がわからないことです」
幻覚の魔法により、例え場所が分かり隣の建物から見ても組織の拠点は廃墟にしか見えない。
中には大勢の人員がいるはずだが、入り込めば途端に囲まれる可能性もある。
「というわけでこの地図です」
スクイは用意した地図を見せる。
マルセとフリップの情報を合わせて得た建物の図である。人のいないところをピックアップし、そこに爆弾を仕掛ける。
「もしかしたらこの最初の侵入が一番大事かもしれません。準備はいいですか?」
「はい、ご主人様」
そういうとホロはスクイに捕まる。
スクイはナイフを建物に投擲する。スクイのナイフは音がしない。
そしてそのままナイフについた紐を利用して建物の外壁に飛ぶ。
「折れないナイフというのはこういう時に便利ですね」
そう言いながら目の前の変化に気づく。外壁に触れた瞬間、建物の見た目が変形する。
少し大きさも異なるようだ。8階ほどの大きな建物は新しく綺麗で、中からは急に移動や人の騒ぎ声が聞こえる。
幸い飛び移る姿は見られなかったらしい。短距離で即座の飛び移りとは言え、これを見られていたら逃げるしかなかった。
「ここの窓ですね」
スクイは目の前にきた窓を確かめる。ガラスではなく、木で柵のように塞がれた窓から、中を確認する。
「1人いますね。倉庫に用があるのでしょうか」
スクイが目をつけていたのは倉庫だった。とは言え大切なものがあるわけではない。雑多なものを適当に放るためにあるような部屋で、人も少ないと聞いていた。
しばらく観察するとどうやらサボっているらしい。部屋の中の男は適当なものに座ると、そのまま眠り始めた。
このまま外壁に捕まり続けるのも得策ではない。いつバレてもおかしくない状況である。
「入って即座に殺します」
「騒がれませんか?投げナイフはどうですか?」
「投げナイフだと即死でもバランスを失って音を立てる可能性があります」
そういうとスクイは窓枠に捕まり、ナイフを回収する。
窓枠はナイフで切り、音がしないようにしながら自分の体と一緒に部屋の中に入れた。
「とりあえず潜入成功ですね」
そう呟きながら、ホロと大量の荷物を適当なところに下ろすといつも通りの足取りで目の前の男に近寄り。
喉元を掻き切った。
一瞬、目を開けた男だったが、声を上げることも許されず血飛沫を上げて力なくスクイの腕の中で息絶える。
「問題なし。ホロさん。爆弾をセットしましょう」
「はい、ご主人様」
そう言いながらホロは練習通り爆弾をセットする。
遠隔爆発などというものは用意できなかったが、スクイには魔法がある。
今回のスクイの作戦の多くを握るのが植物魔法である。遠隔からも植物を操れるこの魔法は植物を扱う以上の利用方法が多く存在する。
例えば爆発に関しても、爆弾に植物の種を利用し、発芽が爆発のトリガーになるようにしてあった。
他にもスクイが直接行くことなく発動させる作戦がいくつか用意されている。
当然スクイがここにきたのは1度2度ではない。建物に入るのは初だったが、何度かこの周辺に来ては準備物を置いてあった。
そのあとスクイは壁伝いに移動し爆弾をセットした。
10を超えるセットであったが、あらかじめ人のいない部屋を把握していたこともあり、作業はスムーズに終わる。
「それでは準備は一通りですね」
スクイは元の部屋に戻るとホロに完了報告を行いながら次の確認をする。
「ここからは息をつく暇もありません。確認だけしておきましょう」
まずスクイが爆弾と共に仕掛けたマロフィ草を一度に発芽。
建物中に行き渡らせ枯れさせると共に爆弾を爆発、同時に全ての入り口に大樹を育て妨害しながら、もう一つの出入り妨害も行う。
その後中の人間を奇襲により殺害しながら、ある程度でスクイはボスの部屋に向かい、補佐とボスを撃破。その後ホロと合流し残党狩り。
その流れである。そう確認した時。
倉庫の扉が開いた。
「おっと」
人が来ないとは言え倉庫である。もちろんホロとスクイは扉を開けた所からは見えないよう、荷物の影で待機していた。
人が来ても問題ない。去るまで待てばいいし、逆にスクイが見える位置に来れば殺しても外の人間にはバレないだろう。
しかし、その人間はスクイの知る顔であった。
「幹部ですね」
幹部5人の1人、セルベロと呼ばれる男だ。能力は不明だが、直接戦うタイプではないというのがフリップの予想だった。
戦うところを見たことも、身体から戦闘に向いているとも思えない。
その通りで、スクイを超えるほどの長身であったが全身はひょろながく、落ち窪んだような眼窩は不気味であったが、戦闘要員の多い組織の幹部とは思えなかった。
しかし、フリップは同時に最も不気味な男だったと話していた。
スクイもその意味を理解する。爬虫類のような白く感情の見えない表情、そして真っ黒な目。
ピンクの目立つ服を着ていたが、何一つ心が読み取れない。
なぜ幹部がこのようなあまり使われない倉庫に来るのか、それもわからなかった。
今相手すべき存在ではない。スクイは救済の想いを抑えホロの口を押さえながら息を殺した。
「誰かいますね?」
しかし、セルベロはドアを閉めると部屋に向かい大して確認するでもなくそう呟いた。
「血の匂いが鮮明にします。何者ですか?」
殺したのがミスだった。そうホロは感じる。死体は隠せ、血は洗えてもその匂いは消えない。
拭き取り、ホロの水魔法で洗ったため、一般人であれば気付かない程度であったがここは犯罪組織。しかも幹部相手に隠せるものではなかった。
しかしスクイはそう考えない。組織の人間、見るだけで過去のあらゆる犯罪の匂いがする男、救えるなら救う。
つまり死を疑いはしない。
「私の部下が死んでいますね。潜んでいるのはわかります。出てきなさい」
好機。スクイは考えを巡らせる。
なぜかわからないがこの男はたまたまここにきて血の匂いに気づいたのではない。部下の死が遠隔でわかる、魔道具か?魔法か?わからないがその確認に来た。
わざわざ幹部が来たのだ。他の者には話していない。他の者と相談したのならその部下が確認に来ているはず。
自分から確認しに来たということはこの遠隔での察知は部下には秘密にしている?ならば魔道具より魔法の可能性が高いか?
いやそれは問題ではない。問題は彼がおそらく誰にも話さずここに来たこと。
つまり、彼さえ殺せば問題ない。
幹部、それも未知の相手。
その上で騒ぎになる前に倒しておきたい。どちらにせよもう爆発させるのみであるが、幹部を作戦の前に減らしておけばこの後のホロの仕事が減る。
スクイは一瞬でそう考えると、ホロにここにるよう合図し。
セルベロの前に躍り出た。
「驚きました。本当にいたとは。身を隠すのが上手い。そして組織に入り込めるとは」
このレベルの暗殺者、領主の持ち駒ではありませんねと、侵入者に驚く素振りも見せずセルベロは話した。
「一般人と変わらない素振り、相当な手練れですね?」
セルベロのプロの目でもスクイからは血生臭さが一切ない。しかしここにいる以上そんなはずはない。
つまり相当な腕前を完全に隠せる擬態、セルベロはスクイの腕前を称賛した。
なにより部屋にいるとわかりながら場所も掴ませず、この雑多な部屋の中で足音ひとつしない。
訓練されている。この組織の中にもこれほどの人間がいるだろうか、セルベロはそう思い。
舌なめずりを抑える。
「結構、私は組織の幹部セルベロ、今ここであなたを始末しても良いですがこれほどの実力者を殺すのは惜しい」
戦うまでもなく、セルベロはスクイの実力を確認し提案する。
「私が雇いましょう。どこの手のものです?この組織は実力が全て。戦いに来た実力者が今や組織の重役など珍しくもないのです。今出ている給与の桁を一つ増やして見せますよ」
そう提案するセルベロ。実際スクイは誰に雇われたわけでもないが、この状況は飲んでもいい。
まず近づくことである。大袈裟に音を立てない程度に殺せればいい。
「いい話です。給与が出れば私はどこにでも行きますよ」
そう雇われの暗殺者のような台詞を吐きながらスクイは一歩近づく。
「そうでしょう。仲間を殺したことも内密にしましょう。何、そんなつまらない死を気にするほど組織は偏狭ではありません」
ピタッ、とスクイの動きが止まる。
「つまらない死?」
その瞬間、尋常でないプレッシャーがセルベロを襲った。
雨が降ったかと錯覚するほどの水分量、セルベロが思わず顔に手を当てると、それが自分の汗だと気づいた。
理解が追いつかない。目の前の、一般人にしか見えなかった男が急に発した強烈な殺意。
そのギャップに、プロであるはずのセルベロが気圧される。
組織の人間でもここまで圧力があるだろうか、否殺されそうになったとて、ここまで恐怖できるのか?
セルベロはその戸惑いの中でも、かろうじて思考する。
目の前の人間は今この瞬間、人間ではなくなった。
その変化に柔軟に対応する。
そして、欲張った。
「なんという殺意、これほどの感情を表に出さずいられるその才覚」
素晴らしい、半分は強がりであったが、セルベロはそういうと、スクイに手を向ける。
それは異様な光景であった。スクイはその手に対応しない。
しかし、セルベロは勝ち誇るようにスクイを見て。
その表情が大きく歪む。
「が、いや、嫌、なんだ、これは」
「ああ」
スクイは納得したように呟く。
閾下侵入。セルベロの魔法は相手の心のうちを読み取り、操作する精神感応系の魔法。
その中でも最高峰と言われるセルベロの技術は、自分の直属の部下全てを無意識のうちに操っている。好きに行動させることも、視界や思考を覗き見ることも、部下が死ねば確認することもできる。
幹部でも最強と言える魔法、しかしセルベロは今、組織で一度も見せたことのない表情で膝から崩れ落ちる。
「い、いい」
何が起こったのか理解できない、そのような反応をとれたのは彼が極めて優秀な魔法使いだったからである。
その後彼は膝をつくと、大声を上げることもできずただ、口から言葉を漏らす。
「い、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、ごめんなさい許してなんでどうしてこんな目にずるい無理だ愛して頑張りたくない最悪愛さないで見るな苦しい助けて生まれて」
「精神感応系でしたか」
スクイは、逆に怒りが収まったように冷静に縮こまったセルベロを見る。
セルベロは今、スクイの心の裡を見た。そしてその心に直接触れたのだ。
狂人の心情に触れるという禁忌。
実際精神感応系の魔法は相手の心に直接触れる故に、自分の心にダメージを負うことはある。しかしそれは行使を重ねた場合に稀に起こることであり。
百戦錬磨のセルベロがこうなる相手は、たとえこの世界のどこを探しても存在しない。
「普通ならば止めるんですけれど、でもこれで貴方もわかってくれましたよね」
スクイはそっと、自分の大切なナイフを渡す。
うずくまりぶつぶつと言葉を漏らしていたセルベロはそのナイフを見ると、ゆっくりと手を伸ばし。
「あ、ああ、死よ」
そう、もはや言葉にならない声で呟くと。
自らの喉を掻き切った。
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