第三十二話「金溢れ」
レディは目を見開く。同時にスクイを見た。しかし彼は何事もないかのように笑みを崩さず、淡々と賞金を受け取った。
会場で見ていたものたちも驚きと賞賛を浴びせる。まさかレディに勝つとは。しかもこの大勝負でである。なにをレディに望むのか羨ましいと言った言葉も聞こえた。
「昔から2択には強いのです。これも日頃の行いですかね」
そう言いながら立ち上がった。稼ぎは十分である。もうしばらくここに用はないだろうとスクイは考えていた。ホロの手をとって出口の方へ歩いた。
誰もそれを止めない。レディの男は随分余裕がある。よく見ればかなりの美形ではないか。主人を負かす気概がレディの気に入りなのでしょうと周りは口々に称賛した。
スクイが外に出ると、レディの男たちが道を塞いだ。
「何か?」
スクイは彼らに微笑んだ。なんてことのない笑みだったが、男たちは瞬時に理解する。
勝てない。この男には。自分たちは知らないうちにつまらない優男のような、とんでもない怪物を中に入れてしまっていたのだと。
「手荒な真似のためではないわ」
そう背後から声がする。
スクイが振り返ると、レディがゆっくりと後を追って出てきていた。
「どうやったの?」
端的にそう聞く。
レディは自分のイカサマはバレていると思っていたし、それくらい前提でなければ負けないとも思っていたのだ。
「脅しました」
スクイはそれを踏まえてまた端的に返した。
「嘘。あの子たちに脅しは聞かないの。殺す殺されるなんて言葉で動くようなら賭けは成立しないわ」
「それは殺す殺されるを軽く見た人の意見ですよ」
スクイは言いながら思う。なんて間の抜けたルールなのだろうと。
こんなルールでは何も正当に遊べない。自分みたいな奴が勝つだけだろうと。
「じゃああなたはディーラーの子を殺すと暗に脅しかたら、あの子がイカサマであなたを勝たせたと言いたいの?」
ケチな男、勝っても何も言わないなんてとレディは少しむくれたように背を向けた。
理由はディーラーに聞こう。そうすれば大体裏もわかるだろうと思ったのだ。
「それは違います」
しかしスクイの言葉にレディは動きを止める。
「私は暗に脅したりしていませんし、あのディーラーさんを殺すとも言いませんでした」
スクイは単純にと言い、続きを述べる。
「私はあなたを殺すと言ったのですよ。レディ」
レディはその瞬間、急激に全てを理解した。
すっと氷解していく。
「脅したのはその女の子に伝言させたのね」
「はい」
「グラスを壊したのは本当に殺せると伝えるためね」
「はい」
「私に触れたのもいつだって殺せると伝えるため?」
「はい」
「私を指さしたのは、直前にグラスを壊すことで私を殺すイメージをディーラーにより強く植え付けるためね」
「はい」
「そして私を殺すと脅せばディーラーたちが止まるということは」
もちろん私があの子たちと通じていたことも気づいていたのね。
その言葉にも、スクイはただ、はいと答えた。
客を殺すと言えば止まるのか?その疑問に関しては5分と言える。結局脅しで賭けが成立しないという状況には変わらないのだ。
しかしここは貴族の遊び場である。ディーラーにけちをつけるものはいても客同士で揉め事はほとんどない。まして殺す殺されるを客同士で脅しあうなどあり得ないのだ。
そしてレディ。間違いなくこの賭場の顔である。実際に殺すかどうか不安定な中でもこの人の命の価値は極めて高い。もし万が一実際に殺されるようなことがあれば、たとえルール通りでもディーラーの明日はない。
ディーラーは、命は惜しくなくてもディーラーという職に対する執着を植え付けられている。
それはコップのディーラーと同じである。なのでディーラーを殺すと言う脅しは通用しなくとも、ディーラーという立場に対する脅しは効く。
そして殺しが確実かどうかと言う天秤、それは極めて印象的にスクイによって刻み込まれた。
「さらに言えばこの件であなたを勝たせれば私はあなたを殺しますが、私を勝たせてもそれがあなたを守るためだと言えばディーラーも助かると言うことです」
逃げ場のない2択にある唯一の逃げ道。ディーラーはそこに縋ったのだ。
結局のところ1度目と変わらない。スクイはディーラーに2択の賭けを強要したのだ。
レディは何も言わなかった。表情は窺い知れず、ただ下を見ている。
「なんて素晴らしいの!」
しかし途端に笑いながら、レディはスクイに抱きついた。
「イカサマも準備もまた賭けの醍醐味!運に身を任せる怠け者は負けて当然!でもこんなにイカれた人間見たことないわ!」
レディはすごいすごいとまるで少女のように笑いながらスクイを褒め称える。
そのあどけなさから案外、言動よりも実年齢は幼いのかもしれないとスクイは思う。おそらくスクイとさして変わらない。
「どれだけおかしな人なの?私を殺すですって!ああでもそうね!その脅し方は思いついても良かったかも!これもまた未熟さかしら!」
レディはそう言いながら考え始める。今回の反省点、その対処を話し始めた。
「で?私に何を求めるの?なんでもいいわよ。賭けに負けたからには仕方ないわ!貴族の家督かしら?土地?それとも私の純潔?それともねえあなたみたいなおかしな人は一体何を望むの?」
キャッキャと自分の負け金を嬉しそうに話す彼女。
スクイは思う。この人は本物のギャンブル中毒者だ。確実に勝つためのイカサマではない。勝負の一環として当然にイカサマがあるだけで、彼女は常に敗北による身の崩壊すら楽しむ。
だからスクイのようなおかしな人間も受け入れるし、話もする。今回はそこに助けられたが、こんなリスク好きは関わると面倒だとスクイは当然のように思った。
はしゃぐ彼女だったが、スクイはもう要求は決めていた。
「ではレディにお願いをいいます」
「ええ、なにかしら?」
期待に満ちた目をするレディに、スクイは言った。
「今賭けに持ってきた資金、くれません?」
スクイの言葉に、レディは虚を突かれたようだったが、一瞬戸惑うと、また笑った。
「あなたって本当に謙虚。全財産でもいいのに」
「それは持ち運べないので」
スクイは何も大金持ちになりたいわけではないのだ。必要なものを問題なく買えればそれでいい。
もう初日より大金を持っていた。これにレディの持参金が加われば当分お金には困らないだろう。
「あれ?もしかして私の遊ぶお金が持ち運べると思っているの?」
そう言うと、レディは指を鳴らす。レディの付き人が店に入ると、しばらくして大きな荷車が何台も出てきた。
中には当然のように金貨がぎっしり詰まっている。大金というレベルではない。一生を遊んで暮らせてしまうだろう。
「今日はこれだけ。来る時は先に持って来させるの」
持てるだけのお金じゃ遊び足りないわとレディは笑った。
「えーと」
流石のスクイも動揺する。金銭感覚がない故にこれほどの大金への対応がまるでわからなかったのだ。
「いいわ。このお金はあなたのものってことで置いといてあげる。その代わりあなたの住んでるとこ教えて。必要な分だけ欲しい時に送ってあげるから」
その代わり、レディは続けながら、抱きついたスクイに悪戯っぽく笑いかける。
「今回の要求はなかったことにしましょ。これは私からの勝者への祝金ってことにするわ」
あなたの本当の願いを聞いてみたいもの。そういいながら、レディはあろうことかスクイの目の前で仮面を外した。
やはり思っていたより幼い。スクイより少し上、19か20くらいだろう。同い年でもおかしくはない。
綺麗な女性だった。貴族という立場によるものか、環境のよさが窺い知れる美しさ。
金色の髪は傷一つない絹のようで肌も陶器のように透き通っている。そしてその赤い目には世の喜びしか映っていないかのようだった。
「マイエンヌ公爵の一人娘。フランソワ・マイエンヌといいます」
「では、死の信仰者。須杭謙生といいます」
フランソワはその言葉に笑うと、また会う日を楽しみにしていますと告げる。
そしてスクイの頬に口づけをし再び仮面をつけると、フランソワは軽い足取りでもうスクイを振り返ることもなく男たちを従えて去っていった。
一応男に泊まっている宿の名前を告げ、その背中を見守る。
「今回ばかりは勝った気がしません」
なんとなく呟いたスクイに、ホロは頷きながら。
スクイの反対の頬にキスをした。
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