第三十一話「金余り」

 そんなはずがない。ディーラーは思った。

 なぜならこの賭け事、早いだけではない。玉がコップの中を自動でワープするのである。


 ディーラーはコップを高速で動かすが、同時にこのコップは魔道具。今までも多くの人間が目で追おうとし、熟練の者は追い切ったこともあった。

 だがそれだけでは当てられない。その中でさらにワープする玉を、確実に当てるなどと言うことは不可能なのだ。


 無論視線の置き方や手の動き、強張りで当てられるほどディーラーも素人ではない。彼も職がかかっている。連続で負けるわけにはいかないのだ。


 第一、音でわからないようにこの玉は重さを感じさせないようになっていた。スクイの洞察力でも手を見て中身を当てることはできないのだ。


 いきなり素人に50回も玉を当てられるようなことがあってはクビである。


 一方ホロは驚きが顔に出ないようにスクイの服に顔の半分を埋めて見ていた。絶句である。

 ホロはスクイの勝ちを疑わなかった。何せいつもスクイはこれどころでない速さでナイフを扱うのだ。コップくらい目で追えて当然である。スクイにより訓練されたホロも50回のうち2回は目で追い続けられた。


 だがスクイがしたのはそれではなかった。スクイは始まると同時にディーラーの手が遅く感じるほどの速度でコップから玉を奪い取り、終わる寸前に入れ直したのだ。


 観衆ができる中、プロの扱う道具に気付かれることもなく手を加える。ホロがそれに気づけたのはスクイが1度目、スクイがホロに手の中の玉を見せたからである。

 そのあとどれだけ注視しても、わかっていたホロでさえそのタイミングは測れなかった。


 その上でスクイはずっと話しかけ続けていた。会話のみで視線や呼吸を操り、測る。それを含めての技量だったと言える。

 結果としてスクイは50回全てで玉の位置を当てた。数枚だった金貨は高く積み上がり、元々袋に入っていた金貨の枚数とも変わらなくなっていた。


「じゃあ次をお願いします」


 そう変わらぬ笑みを浮かべるスクイにディーラーは冷や水を流した。


「その辺にしておきなさい」


 しかし、スクイがディーラーに次をさせようとする前に、女性がスクイの肩に手をおいた。


「この賭けの上限金額を超えてるはずよ」


 ディーラーはそう言われ気づく。そういえば少し前の賭けから、金額は上限を超えていたのだ。

 気付かないわけがない。いや、誤魔化されていた。終わるたびにスクイはディーラーに何度も、このまま負け続けることの恐怖をしっかりと教え込んでいたのだ。


 もう負けるわけにはいかないと言う恐れと、動揺、そして何度も全額をかけるスクイに、次勝てば取り戻せると思わされた。


 なんてことはない。賭けをさせられていたのは他でもない。スクイでなくこのディーラーだったのだ。


「あれ?気づきませんでした。失礼」


 スクイはさらりとそういうと、立ち上がる。

 その瞬間、フロアの人間は全員、スクイに手を叩いた。


「単純なギャンブルだがこうも当てるとは」

「あの賭け方。往年のギャンブラーでもできますまい」

「彼は強運に愛されてますなあ」

「流石レディのお手つきは違う」


 そう言った声が広がった。盛り上がったのなら上々。賭場に悪く思われすぎると揉め事になるが、スクイの勝った金額は他のハイレートに比べてしまえばそれほど大きなものでもなかった。

 これほど盛り上がればお目溢しももらえよう。


「しかし恐れ入りました。何をされたの?」


 女性はスクイに体を預けるようにもたれ掛かり、ひっそりと囁いた。


「日頃の善行ですよ」


「ふふ、ケチな男」


 そう呟くと、女性はすっとスクイから離れ、歩き始める。


「さて、せめて一度は私の希望の賭けをしてもらわないとね」


 そう言いながら、女性は歩いて行く。

 どうやらこの女性はこの賭場では有名らしい。スクイが声を聞くと、スクイのこと以上に、この女性の知り合いならと言う納得や、女性に対する賛辞が聞こえてくる。


「さて、じゃあこれなんていいかしら」


 女性はそんな周りの声など聞こえないように堂々とスクイを連れ回すと、1つのテーブルに着く。


「単純な賭けが好きみたいだしね」


 そこにあったのは大きな回転する円盤。中には黒と赤のマス円状に並んでおり、そこには数字と、穴があった。

 つまるところの、ルーレットである。


「ルーレット。内容は」


「ルーレットを回転させながら投げた玉がどこに入るかを当てるゲームですね?」


 ルーレットと呼ばれる円盤を回転させ、玉を投げ込み穴に入れる。

 その色や数字を当てて楽しむゲームである。


 色は2択、奇数偶数でも2択。数字をより詳細にすれば確率は下がるが倍率は上がる。

 確かにシンプルな内容だった。


「わかってるなら話が早いわ。そして」


 ここからは私たちのルール。そう女性は言う。


「私たちはそれぞれ別の色を選択する。そしてあなたは全財産、先程の勝ち金を入れ、私も同額を賭ける」


 先程の賭け金が全財産だと見抜かれていた。スクイはそこを気にしたが、あとは気にしない。想定通りの提案と言えた。


「そして負けた方は勝った方の言うことを一つ聞く」


 会場がざわめく。レディとはいえなんという賭けをするのかと。

 スクイは笑う。間違いない。この女性はギャンブル中毒者だ。しかも質が悪い。


「構いません。その程度で礼が返せるとあれば喜んで」


 スクイはにっこり微笑むと、ホロを抱き寄せる。


「ただしそちらのディーラーさん以外にしていただきたい。ホロさん、他のルーレットのディーラーさんを呼んできてくれませんか?」


「はい」


 スクイは言うとホロはスクイの元から離れる。


「構いませんね?」


「ええ、むしろ順当な警戒でしょう」


 ホロはそれだけ聞くと、他の従業員に話しかけ、ディーラーを連れてきた。


「それとディーラーさんに一言」


 スクイはホロの連れてきたディーラーににっこりと微笑みかける。そして右を指さした。

 途端、近くにあったテーブルの空きグラスが床に落ちる。大きな破壊音が響き渡る。


 遠脇にレディの賭けを見にきた人間はその方向を見てギョッとした。グラスが割れたからではない。グラスのあった机にはクラスの持ち手部分だけが残っていた。まるで鋭利な刃物で切られたようにグラスの上部だけが落ちていた。


「わかりますね?」


 それは明らかな脅迫であった。

 しかしレディはため息をつく。


「呆れたわ。そんな脅しで賭けが揺らぐなら賭場なんて成り立たないのよ」


 少し気落ちしたようにするレディ。そこにスクイは笑いかけ、そっとその顔に触れた。

 色めく周囲を無視して、スクイはレディの目をじっと覗き込む。レディは少し動揺したようだったが、すぐに冷静になる。


「まあそうかもしれませんね」


 スクイはそういいながらゆっくりと首筋を撫で、色っぽく笑うと席に戻った。


「そういうことですディーラーさん。失礼しました。始めましょうか」


 そういうと、何事もなかったように再びホロを抱き寄せると、頭を撫でながら労った。


「さて、それではどちらの色がいいですかね?女性ですし赤にされますか?」


「どちらでもいいけれど、そうね。ならあえて逆にするわ」


 つまりレディが黒、スクイが赤である。


「私よりも赤の似合う彼女がそちらにいらっしゃるものね」


 そう言いながらレディはホロを見た。今まで一度も、レディはホロを意識していなかったようだが、先程の使いで少し気になったのかもしれない。

 レディは机を数度叩くと、ディーラーに指示する。


「私は黒、彼は赤に賭けるわ」


 そういうと使いの男に金貨を出させる。スクイは同じく持ち金を全て台に乗せた。

 他の賭けはいない。当たれば賭け金は1.5倍になる。


「かしこまりました。では始めさせていただきます」


 ルーレットを回す。


 ここで両者のイカサマを紹介する。

 レディのイカサマひどく簡単であった。というのもレディはここの従業員の大半を自分の手駒にしている。そしてこの賭場にも顔が効いた。本来ならばできないディーラーの仕込みを、レディはその貢献で見逃されていたのだ。


 友人への賭場の紹介や取り締まりへの対応、レディなくしてこの賭場はなかった。


 そしてこのディーラーもそうである。というよりルーレットを行うディーラーは全員レディの息がかかっていた。

 他のディーラーに変えるなどと言う素人考えでは何も変わらないのだ。


 一方スクイは順当に脅しをかけた。誰もスクイがグラスを割った方法を理解できない。やろうと思えば即座にディーラーの顔を同じように床に落とせる。誰だって命は惜しいものだ。


 しかしそれはあまりにもこの賭場を知らない。賭けに負けて暴れる客など対応していない賭場は存在しないのだ。

 ディーラーはたとえ殺されようがルールを守る。そう躾けられている。賭場のルールが人生のルールであると教え込まれ、技術と思想を蓄えたもの、いうまでもなく奴隷を育ててディーラーとすることでこの賭場はできているのだ。


 安直な脅しで何が変わるのか、そうレディは思った。面白い男を見つけたと思えば、小手先は効くようだがそれまでだったのかと思い嘆息した。


 念のため、レディは指を鳴らしてディーラーに女の言うことは嘘だから聞くなと伝えた。万が一ホロが、「今回は男を勝たせるようにレディから伝言をもらっている」などと言えば負ける可能性はあった。実際勝ちすぎないようレディはわざと負けたりして場を盛り上げたりもしていたのだ。


 レディは対策しきっていたと思った。不自然なホロの使い方。何かあるとすればそこだと。


 そして玉が投げ入れられる。

 その直前、スクイは。


 レディを指さした。


 何をしているのか、しかし大した動作ではない。レディは何も反応しなかった。

 ただにこにこと人畜無害そうに笑うスクイを見損なっていただけである。あれだけでそこまで満足できる器の小ささ、勝てると思っている笑みに少し苛立ちすら覚えた。


 そして玉が穴に入り、ルーレットが減速する。

 その結果は言うまでもなく。


 赤色に玉が入っていた。

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