第二十九話「金詰まり」
「というわけで本日は私が作りました」
スクイは料理を運ぶと、メイと起きてきたホロの目の前に差し出す。
作ったのはシチューだった。横にパンも添えてある。すこし朝食の材料費を超えている気がするが、今日はメイの父も多めに見たのだろう。
パンを見るだけでわかる。当然というべきかスクイは刃物の扱いが上手い。
料理に自分の魔道具であるナイフは使わなかったが、厨房の普通の包丁でもスクイは変わらずの手捌きでナイフを扱った。パンはミリ単位で同じ幅に切られている。
野菜も同じである。大体このくらいの大きさで切ろうと決めれば、全く同じ欠片が量産される。見ようによっては面白みのない料理だが、素材のサイズを揃えるのは均等な火入れのために大切なことである。
「やっぱ旦那は器用にこなしますねえ。もうおとーさんより上手なんじゃないですか?」
「ご主人様のご飯嬉しいです!いただきますね!」
2人は運ばれてきた料理を見て、シチューをスプーンで掬って見ながらスクイを褒め称えた。まあ2人ともスクイが変な料理を作るとは思っていなかったが、思っていた通り完璧にこなしていた。
「いただきまーす」
メイがそういうと、ホロも続いて礼をしながらシチューを口に運ぶ。
その瞬間、2人の表情が固まった。
まずい、そういった顔ではない。想像していないものに急に出くわした。迷惑ではないけど少し困る。そういった表情である。
「あれ?火が通ってなかったですか?すみませんシチューが簡単と思ったのですがやはり時間をかけないとダメですね」
「いえそういうことではなく」
ホロは困ったようにスクイに話しかけるが、なんというべきか悩むように押し黙った。
メイは目を見開きながらじっとシチューを見ると、もう一度口に運ぶ。
咀嚼。噛むのに困るようには見えない。よく味わうような行為からは、まずいといった表情は感じられない。
嚥下。そしてまたシチューを眺めると、確信したように立ち上がった。
「味がないっす!」
メイは大声で言うと、スクイに向き替える。
「なんですかこれ?めちゃくちゃ丁寧な料理なのになんで味がないんすか?おとーさんに塩とか使わせてもらえなかったっすか?」
「いや、ちゃんと入れましたよ?」
スクイは不思議そうにシチューを見た。
「なんでしょう?足りなかったかな?塩は適量ですよね?」
料理本で見た記憶があるとスクイは思う。適量はわからなかったが、こんなに大雑把な描かれ方をするのだからそんなに多くはないのだろうと思ったのも覚えている。なのでなくてもいい程度に入れたのだ。
「すみませんご主人様……今まで食べた薄いシチューも、実はしっかり味があったんだなと思えるほどの無味です」
元奴隷のホロが絶句するようにシチューを眺める。むしろ素材からはここまで味がしなかったのかと勉強になってしまった。
悪い意味で素材の味のするシチューはメイにさんざん批判されたあと、メイの父親にオッケーをもらうまで朝食禁止となった。
「だいたい味見したらわかるっすよ旦那!今度からは食べて調整してください」
「そうですね……」
まさか自分が料理をここまでしくじるとは思っても見なかったと苦笑いするスクイ。
確かに、彼は味音痴である。というより彼は味覚がない。味を一切感じないのだ。なので味が薄くてもなんとも思わない。むしろ体に良くないのでは?と感じていた。
無論味覚がないなどとは言わなかったが、もう少し味をつけるのが正しいのかと覚えた。スクイは飲み込みが早い。メイの父親に味見をして貰えばすぐ朝食を出せるだろう。
「気をつけます」
「でも切るのは上手ですご主人様」
そうフォローしながらホロはシチューを完食する。綺麗な食べっぷりだった。メイも少し遅れてなんとか完食し、味のないシチューにパンをつけるなと思いながらパンを頬張った。
「甘やかしたら旦那のためにならないですよホロちゃん。しっかり練習しないと味付けは料理の顔ですから」
「そ、そうですね……。ご主人様!」
ホロはスクイの方を見ると、厳しい顔を作りながら手を挙げた。
「ファイトです!」
ホロはそう言うと、メイの方を向き直り、小声で言った。
「ところで、明日からは私も教えてもらっていいですか?」
その言葉にメイは小さく笑った。
朝食が終わると、スクイはしたい話があるとメイと部屋に戻った。昼間に2人が中にいることは少ない。外で何かをしない時も、話は大体歩きながらか、店に入っていた。
しかし今日は部屋で話すと言う。スクイの言葉にホロは首を傾げた。
「どうされたのですか?」
「いえ大した話ではないのですが」
スクイはそう言うと大きめの袋をクローゼットから取り出す。クローゼットにはスクイによって大量に買われたホロの私服が並んでいたが、その奥に隠れるように袋があったのだ。
その中身をひっくり返すと、数枚の金貨が落ちてくる。この国でもっとも高価な金貨である。
「私がこの世界に来た初日、20日ほど前ですかね、この袋は金貨で満杯でした」
「この袋がですか!?」
ホロは驚いたように袋を見る。明らかにかなりの大きさである。これに満杯ということは数年働く必要がない。そしてホロは気づいた。だからスクイはあれほどお金に頓着せずなんでも買えていたのだなあと。
しかし、ホロはまた思った。
「これ全部、その数日で使い切ったんですか?」
「ええ」
スクイは当たり前のように笑顔で頷く。
ホロは青くなってクローゼットを見た。高級な服の数々。今ホロが着ている洋服も、Aランク依頼の報酬くらいの値段がした。青くふんわりとしたスカートのついたドレスのような服で、ところどころにフリルがついているほか、丁寧な刺繍も施されている。そういった乙女趣味の服がクローゼットを埋め尽くしていたのだ。
「ご、ごめんなさいご主人様。私が甘えてました……」
そういって服を脱ごうとするホロをスクイは困ったように止める。
「いや、そういうことじゃなくて、というよりホロさんの服はこのお金のほんの一部ですし」
さらに言えばホロは練習として行っていた依頼の報酬を全てスクイに渡していた。トントンとは言わないまでも、贅沢しすぎとは言えなかった。
ちなみに一番高かったのはスクイのナイフを使うための紐と風の魔道具である。この2つでホロの服がもう5セット買える。
「つまり、今日はお金稼ぎを考えたいということなのです。このままでは救うものも救えませんからね」
世の中は世知辛い。お金がなければ信仰もままならないのだ。
と、スクイは別に思わなかったが、差し支えは出る。
ホロもその意見には大きく頷いた。
「でしたらご主人様!早速依頼をたくさんこなしましょう!私も力をつけたのでお役に立てると思います!」
ホロは胸を張った。ここでこそ恩返しの時である。スクイのおかげで培えた技術でスクイを手伝えると思うとホロは嬉しかった。
「そうですね。確かに現状は依頼をこなして地道に稼ぐのが一番なのですが」
スクイはホロの気持ちを少し汲みながらも、別の提案をする。
「なんというか、こう、時間をかけてコツコツお金を稼ぐのって違うと思いませんか?」
スクイは言った。
「それはつまり……?」
「お金ってたくさん一気に稼いで、何も考えずに使って、また足りなくなったら増やす方が楽だと思うんですよ」
「ご、ご主人様それは……」
ホロはスクイの言葉に少し考える素振りを見せると、拳をぐっと握る。
そして大声で言った。
「確かにその通りですね!」
そう、この2人、金銭感覚が一切なかった。
スクイは貧困の塊で生きてきた。何も与えられない虐待の幼少期。ものは全てもらうか拾うか、親の気まぐれを待つしかなかった。死を理解してからも治安の悪い中時々大きな仕事をしたり金持ちを襲ったりして大金を得ることもあったが、泡銭と即座に使い切り、傭兵時代には金のことを考えず戦いに明け暮れた。
そもそもスクイは死を恐れない。つまり金を使って次儲けることができなかったら困るから少し残しておこう、などといった保守的な考えは人生に要らなかったのだ。
ホロの金銭感覚はスクイに壊されていた。
あまりお金に触れる必要のない村の娘で、稼ぐだとか自分でお金を使うことは珍しく、基本親の仕事を手伝って親から生活や物といった形でそれが返ってきた。
そこから奴隷になり、貧困とすら言えない日々ののち、スクイには大金を使われ甘やかされ、依頼でお金を得てもスクイに任せていた。
2人ともお金がわからなかったのである。だから思っていた。たくさん稼いでたくさん使えばいいや!と。
「よし、ホロさん!そうと決まれば何か方法を考えましょう。なにがいいですか?」
「うーん。あ、すごく高難度の依頼をカーマさん名義で受けさせてもらいましょう!ご主人様ならどの依頼も余裕ですし、高価な依頼はたくさんあります!」
違反である。
ホロは天使のような笑顔で規約違反を提案した。その笑顔にはスクイの役に立ちたい、そしてできれば褒めてもらいたいとしか書いていない。
「いい案ですね。カーマさんにも少し分け前をあげればいいですし」
しかしそれはダメです。とスクイは言った。
「カーマさんはあれで固い人なのとギルドに恩を感じてますからギルドに叛くやり方は嫌うでしょう」
ホロは固さが何に関係するのかわからなかった。規律違反であるという自覚がなかったのだ。ホロの冒険者登録はスクイが代理でしたため、ホロは規律を聞いていなかった。
「では悪人の方々を見つけて救いながらお金をもらいましょう!これはお互い幸せですね!」
犯罪である。
ホロは今度こそスクイが喜んでくれると期待の眼差しでスクイを見た。ホロも随分と毒されてきたようで、悪人に死を与える救いにもう違和感はなかった。
「とてもいい案です。死の救いを悪人に伝える我々の本分を忘れない提案」
やはりホロさんには信仰の素質がある!そうスクイは喜び手を伸ばす。
ホロはそれを見るとスクイに駆け寄った。
スクイはそのままホロを抱き抱え、クルクルと踊るように部屋を回る。2人で部屋を回りながら死の信仰を分かち合った。
「しかしどうでしょう」
スクイは一通りホロを愛でると、ゆっくりと床に下ろす。
「死の布教の結果金銭を得るのはともかく、金銭を得るための布教は死に失礼かもしれません」
「たしかにそうですね」
2人の間で不可解な共通認識が湧き上がる。2人とも作戦会議と、スクイは死の信仰によって、ホロはスクイの役に立てると思い、完全に浮かれていた。
「うーん他ですと」
ホロは思い悩む。咄嗟に出てきた2つが平気で悪事なのはスクイの教育の負の側面である。ホロは優秀な冒険者として、そして教養ある人間として育ちつつあったが、人格の大部分にスクイの影響を受けていた。
思春期の多感な時期を狂人と過ごすリスクを、両親が見れば嘆いたかもしれない。
「ごめんなさいご主人様。すぐには出てきそうにありません」
ホロはしょんぼりと項垂れた。せっかくの役立ちの機会を活かせなかったと思ったのだ。
「いえホロさん。こういった意見が後々ヒントになったりするものです。形を変えれば使える案かもしれません」
そう言いながらスクイは袋をクローゼットに戻す。
「とりあえず外を歩いて見ましょう。考え事は大通りを歩きながら。外にヒントを求めるのも一策ですからね」
「はい!」
そうホロは大きく頷くと、スクイの手を握って部屋を出た。
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