第二十六話「死神」
緊張感、そういった単語が似合わない場所のはずであった。
冒険者ギルド1階の飲み屋。昼夜関係なく喧騒の絶えない場所。
荒くれも多いその酒場では常に酔っ払いが騒ぎ、時に喧嘩し、笑い合っている。
だがその日、開業依頼初めてその酒場は沈黙に包まれた。
スクイは1人で酒場にいた。食事を摂るでもなければ、頼んでいる酒に口をつけることもしない。ただ少し待ち侘びるように足を組み、ゆったりとした姿勢で座るのみであった。
そこに違和感はない。スクイはよくここに来たし、時間の過ごし方に厳しい場所でもなかった。
問題は席である。
酒場のど真ん中、そこの席はたとえ満席でも埋まらない特等席。
死神の定位置なのだ。
もっとも、そこに座ることが死神から禁止されているわけでもなく、同席するカーマからお触れが出ているわけでもない。
それでも、悪いことこそやりたがるような連中も多いこの場所でも、その席には誰も座らなかったのだ。
そこに座るという意味、そして先日の発言。
それを全員が感じ、沈黙が場を制す中、酒場の扉は開く。
目深にフードを被った存在、誰も顔を見たことも、声を聞いたこともない。
だが全員その人物の恐ろしいまでの強さだけは知っていた。
Sランク冒険者。それは一般の規定にはない。本来Aランクまでのギルドが特例により認めた冒険者につける特権付きのランク。
それを唯一与えられた存在。
それが死神であった。
死神は酒場の静けさに反応しない。否、反応したとしても見えはしない。
そして悟ったようにただ中央の席に向かった。
スクイは立ち上がらない。迎えもしない。憤りも見せず、ただ座るのみであった。
死神はいつも通り中央の席に着くと、まるで待ち合わせたかのようなスムーズさでスクイの前に座った。
数秒の沈黙、目は合わない。ただお互い、言いたいことはわかっているかのようだった。
「死を、与えようとは思いません」
スクイは口を開いた。そこに怒気はない。ただいつものように聞きやすく、優しげなトーンで話し始めた。
「カーマに聞きました。どうやらあなたは死を必要とするような存在ではないらしい。私がそう思うかはともかく、近い人間の言うことです。理屈もあるでしょう。なので」
ただ謝罪してくれれば構いません。そうスクイは、なんの声の変化もなく続ける。
「死の名を無為に冠したことを。ましてその神などというありもしない無礼を働いたことを心から死に詫びて、自分がいかに知恵の足りぬ存在だったかを悔い、そしてその名を捨てると涙ながらに語ってさえすれば良いのです」
たったそれだけで私は溜飲を下げる。そう、さも譲歩に譲歩、寛大と言わんばかりにスクイは話した。
死神は反応しない。ローブの下の素顔は見えず、そのうちでどのような感情が蠢いているのかもわからない。
「全ては死の下に平等。だからといってやっていいことと悪いことがあります。死はきっとあなたを許す。いや、許しも許さないもない。だから死は素晴らしいのです」
けど私は違う。
「だから単に謝って欲しい。それだけでいいのです」
異常。スクイを取り囲む全員に怖気が走る。今日に関しては全員あまり酔い切れていなかった。誰もがこの場を見ることを主題に席にとどまっていたからである。
それ故に気づく。一緒に飲み、スクイと笑い合ったものでさえ擁護できぬほどの、むしろ自分からその異常性を語り出すほどの存在。
死に対する常軌を逸した信仰は、彼の語り口からよりわかりやすくその理解できなさを滲み出させた。
そしてそれはその矛先によってさらに増大する。
例えどんな善人でも、死神に友を貶されては言い返せまい。
親友も、恋人も、家族も、神でさえ、死神の前では信仰など消える。
だから死神なのだ。
確実に勝てはしない。スクイの最近の快進撃といえる依頼の達成。カーマとの一戦やカーマのスクイへの高い評価を聞いた人間も、確信する。
人間では勝てないのだ。同じ道の遥か先にいる、そういった存在ですらない。文字通り雲の上、飛べない人間では届かないところにいる。
もっとも、スクイの中身全てを知ってどれほどが彼をまだ人間だと思えるかは定かでない。
スクイの言葉の後、行動を起こしたのは死神であった。
ただ席を立つというもの。付き合っていられないと思ったのか、だとすれば正常な判断である。
全員がその動きに対するスクイの反応に目をやる。
するとゴン、という音を立て。
スクイの首が床に落ちた。
死神は腰に刀を携えていた。長刀である。太刀とも呼ばれるそれは、そもそも腰に携えたまま抜くことができるものではない。
それ以外の武器か、それとも魔法。その場にいた全員はしかしそれを死神の太刀による一閃と信じて疑わない。
それほどの差。理解できない実力という現実だけを理解できるほどの存在。
そしてスクイは欠損部分を動かすことができない。この場合スクイの本体を脳とするなら、スクイには頭1つしか動かすことはできない。あらゆる存在が攻略し得なかった不死という魔法に対する文句なしの答え。
もっとも、答えとは正常な問題にのみ正当に操作する。
立ち上がり死神が出口に振り向いた瞬間、ガタンと音が鳴った。
スクイの首より高い音ではあるが、重量は負けていない。
全員が見た。床に落ちる大振りの刀。
最初に気づいたのは他でもない死神であった。重さがない。自分の武器の変化に嫌でも気づく。
そして全員が気づくと同時に、首の外れたスクイの体が1人でに動いた。
立ち上がり後ろの首を蹴り上げ、自分の体に落とす。
スクイは既に不死の強化方法を試していた。そして魔法の精度を成長させることにも成功していた。
「じゃあ、そういうことで」
あなたにも死の素晴らしさを理解していただくしかないようですね。
スクイの言葉を聞くのとどちらが早いか。
スクイの姿が消えた。
スクイが高速で動いた。その場にいた人間がそう考えるよりも早く、答えが来る。
それは轟音。そして酒場には特大の穴が空いていた。先程スクイがいた場所には死神が明らかに攻撃を終えたというポーズで立っていた。
吹き飛んだのだ。死神の攻撃でスクイは酒場の外に、視認も許さぬ速度で。
その場で状況を見届けていたフリップも何も言えない。
死神はフリップに近寄ると、懐から金貨の入った大袋を渡す。
「いや、これでチャラって話でも」
そう常識的に返そうとするフリップを無視し、死神は今度はその穴からジャンプで外に飛び、見えなくなった。
「勘弁してよ」
そう呟くギルド店長の苦労に耳を傾けるものは、意外にも主役の去った酒場にはそれなりにいた。
スクイは吹き飛ばされていた。一瞬思考の止まった彼だったが、即座に思考を持ち直す。スクイが喰らったのは蹴りである。しかも恐ろしく速い。スクイの体が吹き飛ぶなどという良心的な結果に終わったのは、スクイが蹴りに合わせて直撃部分に仕込んだ植物を成長させ衝撃を吸収したからである。
対応はできる。それがスクイの二撃に対する感想であった。一撃目は首を斬りにかかったのを見てナイフで弾こうとし、二撃目は躱せないと踏み防御に走った。
しかしどちらも埒外の攻撃力によって対応できていないも同然にされていた。刀は破壊したものの結局首は落とされ、防御しても蹴りで場外まで吹き飛ばされるほど。
しかし負けではない。そして向こうも決着をつける気でいる。スクイは吹き飛ばした自分を死神が追っているのに気づいていた。
攻撃の余波とは思えない対空時間の後、スクイは街の外に墜落した。幸い用意の時間は十分にあったため、スクイは完全に威力を抑えて着地することができた。
それとほぼ同時、スクイの少し離れたところに死神が到着する。勢いを殺さない、単なる着地。それができるほどの身体能力。
しかしその姿を見て或いは、その驚異的な跳躍や着地に目がいかなかったかもしれない。
何故ならそこに着地したのは、1人の。
女性だったからである。
長い緑の髪を後ろにしばり、大仰な鎧を着た女性がそこには立っていた。
鎧からは音が一切しない。スクイはそういった魔道具かと考えたが、即座に考えを打ち払う。
鎧から音がせぬほど完璧な動作しかしてしないのだ。
スクイの動作から一つも音がしないことと同じだと、スクイは感じとる。しかし鎧という鳴りやすいものでそれができるのは不可能なはずの偉業と言えよう。
そしてその尖るようなきつく、大きな目は到着するとスクイを向く。
死神が女性であった。スクイですら動作から感じ取らせない完璧な擬態を解いた彼女は、一切開かなかった口をゆっくりと開き、ともすればこの街に来て初めて鎧を着て言葉を発した。
「なんなんだお前は!」
その口からは、もっともと言わざるを得ない怒声が出た。
「なんだ死を信仰するとかなんだとか意味わからんことで難癖をつけて!死神が気に食わない?周りに呼ばれた名前だぞ!泣いて謝れじゃないだろ!人に話す態度か!どういう教育を受ければそんな挨拶ができるんだ!」
死神はこの世界の全員が持つ寡黙なイメージとは真逆に、スクイに怒り散らかした。
「こちとらA級魔法隠して目立たずギルドでそれなりの地位を保って余生を過ごしたいだけなんだよ!やりすぎて慕われるのは百歩譲っていい!悪くない!だがお前みたいなやつ初めてだ!お前人の剣折っておいて謝罪もなしか?お前の斬りかかりでローブも切れて危うく姿を見られるところだったんだぞ!どれだけ素性を隠して私が生きていると思っているんだ!」
止まらない文句にスクイは流石に即座に攻撃せず耳を傾ける。剣を折ったのは首を切り落としたからだと言おうかと思ったが、流石に聞いてはもらえないだろう。
「カーマや酒場とも仲良くやっていると聞いていたから会わねば問題ないと思っていたが、喧嘩を売るなら上等だ!二度と舐めた口聞けなくしてやる!」
「そういったセリフは私たちは言わないものです」
そういうとスクイは一歩死神に近づく。
彼には構えがない。死神はそれ故に対処が一瞬遅れた。
同時に死神の周りを大量の火花が囲む。周りから死神が見えなくなるほど多数の小さな火花の乱立。
しかしそれに驚かされたのはスクイの方だった。
「驚くか?それはそうだ。むしろこっちこそ驚いた。それほどの速度での攻撃、しかも構えなしで中距離まで自在となればカーマ程度なら相手にもなっていないだろう」
スクイの紐を使ったナイフによる振り回し。その恐ろしいところはまず速度。見えないナイフでの攻撃が可能なスクイであればそこに遠心力のかかったナイフはそのさらに上の速度となる。人間の反応速度を超えた攻撃は不可視を超え不可避のはずであった。
だが初撃を繰り出す前に距離を取るでなく、純粋に剣で弾かれた。
ありうるのか?とすらスクイが思う反応速度。
しかし、これがAクラス。世界を統べる神聖魔法を習得したものの実力。
「ほとんど根本から折れた剣、上クラス魔法の封印、これで少しは戦いになるか?」
死神はそういうと、スクイを挑発するように嘲笑った。
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