第十八話「その優しさ」

 魔法。スクイは初めて意図的にそれを使用した。


 植物の魔法はスクイがこの世界に来て真っ先に使おうと考えた魔法であった。特に戦術的理由があったわけではないが、魔法がその元となるものに対する接触量から習得できるのならば、植物は早めに習得可能な魔法の一つだと考えていた。


 そして数日であったが、スクイは植物に接し続けた。

 それは畑仕事だけでなく、植物屋への訪問、図鑑の読破や紅茶といった植物を扱うことにも向けられる。


 実際、スクイはこの数日ほとんど寝ていない。この魔法を使えるようになることは今回のクエストの策の大きな要であった。

 そしておそらく失敗したと感じていたものでもあった。

 魔法は数日で身につくものではない。例えいくら密度を濃く、ずっと試行錯誤しても間に合わないことは想定できたし、スクイもこの策は間に合わなかったと思っていた。


 しかし土壇場も土壇場、念の為と試した部分が効果を発揮した。

 もっとも上等な魔法ではない。植物の魔法であるが植物を生やすことはできず、スクイの持ってきた種を発芽させることしかできず、動きも極めて遅い。数も持ってきた種全てを発芽させるには至らなかったし、成長し切った植物は黒く変色し硬くなって砕けてしまった。


 だが、これで十分である。スクイはその全身を植物に集めさせ、片っ端からくっつけた。見てくれは人間の形になったが、継ぎ接ぎもいいところである。中身はいまだにぐちゃぐちゃであり、動きもぎこちなかった。


 ボスと対面して、少しでも時間を稼ぐことに注視したかったが、しかしボスはあまり待ってはくれそうになかった。

 急に生えた植物に死んだはずの人間の復活、このインパクトはボスの動きを止めるに十分であったが、次第にボスの頭は切り替わる。


 同時にスクイは次はないとも気づいていた。不死に魔力はいらない。故に魔力を意識したのは初めてであったが、スクイの魔力は大半が尽きていた。無理矢理な魔法の発現のせいか、そもそもスクイは魔力がほとんどないのか、ともかくもう1度同じことはできないと理解する。


 しかしそれで十分である。スクイはナイフを持ち、だらりと腕を下げる。


 彼には構えがない。

 しかしそれがスタートの合図だった。


 ボスはスクイに突進した。不可視というスピードではなかったが、爆発力のあるその攻撃は、意表をつかれなくとも即座に対応することは難しかったろう。


 しかしスクイはゆっくりと1歩を踏み出す。体のガタは関係ない。ゆっくりとしていながらもスクイの動きはボスの突進を躱していた。


 スクイのこのゆっくりとした避け方の秘密の1つは初手の速さである。相手が動くよりもはやく、スクイは一歩を踏み出す。相手の筋肉の動き、視線から相手の動きを理解し、先に動くことで傍目にはゆっくりうごいていても対峙したものには高速で対応されたように映る。


 さらにスクイはそこに自分の視線の動きによる誘導を行なっている。相手の動きを読む技術の上に、そもそも相手の動きを自分であ操っているのだ。そこまですればスピードは関係ない。スクイの動きは遅くとも相手の攻撃に合わせることができた。


 そしてもちろんタダでは避けない。避けると同時に高速で動く相手に投げナイフを放った。

 同じ攻撃であったが今後は仕込みが違う。


 投げナイフは同じく2本ボスの目に直撃し、先ほどと違って突き刺さった。


 ボスは大きな悲鳴をあげる。2本、スクイが自ら研ぎ用意した秘蔵品である。本来骨にも効果があるようにと用意したものであったが、まさか目にもこの2本でないとダメージがないとはスクイも思わなかった。


 続いてそのナイフにはスクイの肉片と植物の種子が付けられている。

 即座に残り魔力で魔法を行使する。妥協はしない。このナイフから狙える最高ダメージは目の傷口からの侵入である。

 いくら硬い外側を持っていても中身まではそうはいかない。スクイの想定通り遠方の種は発芽できないが、スクイの身に触れていれば魔法が使える。


 肉片と共に飛ばすこの方法なら遠隔でも植物の攻撃が可能であった。


 魔法を使い体内への攻撃をするのに一拍、そしてそれがダメージに変わると同時にスクイは駆ける。


 目からの攻撃を脳に届かせ、止めを刺す方法は放棄した。理由としてはそこまで簡単に脳みそを攻撃することはできないという点である。

 まずスクイの植物魔法は力が弱い。大してボスの体内は筋肉や骨、神経とあまりに硬く、はらわたのように簡単に掻き乱せるものではなかった。

 その中ではノロノロと痛みを驚きを与えることが1番のメリットである。視界というインパクトのある部分への破壊と予想だにしない体内への侵入に怖気付かないものはいない。


 そこを一度に攻める。場所は首元、絶対切断のナイフとスクイのナイフの速度で喉元を掘る。一閃では止めにならないことは先程思い知った。今度は急所を掻き切り続け、止めに届かせるという戦法を取る。


 強敵の急所前、本来1度攻撃することも難しい箇所であるが、現状一瞬以上の怯みを可能にしている。スクイは自分のナイフ速度なら急所への連続攻撃も可能であると考えていた。


 しかし、ここで、怯み、身動きすら取れなくなっていたはずの、ボスが姿を消す。


 スクイは驚嘆した。ボスの体力は先程の攻撃でほとんど削れていたはずだ。その上目に対する攻撃と体内侵入。まともな思考を取り戻すまでに一瞬以上の猶予が必要であると考えていた。


 その中でボスは即座に振り絞った。咄嗟の状況の中で、限界以上の動きを見せる。それは先程の攻撃を上回る速度の攻撃であった。走ることもおぼつかないスクイに対しては、ともすれば大袈裟にも思える攻撃。


 故に、その攻撃はスクイに届かなかった。


「それは、もう怖くないのです」


 スクイは届くかもわからない言葉を発する。


「体力を振り絞ったあなたの最高速度の攻撃。この真髄は全身のバネをフルに使った飛び付きだと先程気づきました。言えば簡単ですが体の全関節の連携、このサイズの生き物が簡単にできる芸当ではない。しかも方向すら即座に変えられるとなれば尚のことです」


 相当な技術である。そうスクイは確信する。アロンダ狼のボスが能力差関係なく一括りに見られているなら、このボスの討伐はランクを見誤っていてもおかしくはない。それほど特出した技である。


 そしてこの攻撃は直線に限らない。やろうと思えば相手の背後に回ることすらできるこの攻撃は、だからこそスクイに取ってすら不可視になりえた。

 直線での猛スピードの攻撃はスクイも想定していたが、まさか方向自由にこれほどの速度を出せるとは考えていなかったのだ。


「しかし焦りが見えれば話は違う。残り少ない体力、徐々に侵入する植物、そして死角に隠れる私。そうなれば攻撃方法は直線に限られてしまう」


 誘われたのだと、言葉を理解できないボスにも理解できた。自分は焦っていた。明らかに異様なこの男、その攻撃に、さらに残り少ない体力では高速で攻撃はできても方向を変えながら動くことはできない。


 そしてこの男は、ボスが攻撃するよりも早く、宙へ飛んだのだ。

 ボスはそんな避け方は想定していなかった。できて横に飛ぶと、そうすれば体当たりは失敗しても次手の薙ぎ払いで終わると思っていたのだ。

 しかしその動きは見たことがあった。それは、最初。彼の付き添いが自分の部下を吹き飛ばした動き。


 スクイは一本の植物を生やし、それを土台に高く飛んでいた。


「では、終わりです」


 スクイは自分のいたところに、もはや身動きできぬほど疲れ果て倒れ込むボスに上から攻撃し。


 即座に首元を掻き切った。


 一瞬の出来事であった。スクイの落下を止めすらしないほどの速度の斬撃は、ボスの首を跳ね飛ばした。

 着地と同時に全身にダメージが入るのを感じる。


「ちょっと無茶しましたね」


 そう呟く。実際、スクイの体は未だに治り切ってはいなかった。むしろ繋ぎ合わせた時よりも体の調子は悪い。

 しかしボスを倒してゆっくりもしてられないのだ。ホロはおそらく今アロンダ狼5頭と戦っている。両方帰ってこないということは決着もついていないと考えるべきだろうが、明らかに手に余る敵のはずである。


 スクイは死を信奉している。ホロがここで死んでもそれは救われたと思うだけである。

 しかし彼女は共に死を理解した同胞である。まだ生きて成してもらわねばならないことがたくさんあるのだ。


 そう思い、一瞬体勢を整えると、スクイはホロが狼を飛ばした方向に走り寄った。


 結論から言うと、かなり危ない状況ではあった。平野ということもあり、ホロはかなり遠くまでアロンダ狼を飛ばすことに成功してはいたが、スクイはすぐに見つけることができた。


 ホロは1頭を倒し、2頭の動きを岩で封じていた。スクイの戦闘から相手の数を減らす動きを学んだのだろう。

 ホロは岩の土台の吹き飛ばしを自分に使用し、移動することや、足場にし相手を翻弄すること技術を身につけていた。その動きで隙を作り相手の動きを封じる攻撃をしていたようであるが、今は適応されており、残り2頭からは逃げ惑っているとも言っていい立ち回りであった。


 スクイは即座に投げナイフで動きを止められた2頭に止めを刺しながら走り、加勢に対応できない2頭を即座に切り殺した。


「ご主人様!」


 ぱあっと顔を明るくするホロにスクイは勢いよく近づくと、ホロは応えるようにスクイの体を抱きしめた。


「お疲れ様ですホロさん。お怪我はないですか?」


「はい!いえ、ないことはないですが、ご主人様に比べれば……」


 そう気遣うホロ。実際ホロの体はボロボロであった。岩による移動を身につけはしたが、土壇場の技である。自分に岩をぶつけることが少なからずダメージになっていたし、避けきれない攻撃ももちろんたくさんあった。


 しかしスクイの体は明らかに死人に近いそれである。それに比べればというが、不死のスクイと比べることがそもそもおかしいと言える。


 ホロは気遣うと同時に、力が抜けたように全体重をスクイに預けた。


「すみませんご主人様。安心すると急に力が抜けて」


 指一本も動かないというようにスクイに倒れ込むホロをスクイは抱きしめる。しかしスクイもまた限界のようで、一緒に倒れ込んだ。


「大変な戦いでしたね」


「はい」


「初めての実戦にしては過酷だったでしょう」


 そう言いながらスクイは気遣うようにホロの体を抱き抱える。動くこともままならないはずのホロの体は、震えていたのだ。


「ええ、でも私、きっと強くなったと思います」


 ホロは震えながらも元気にそう答える。その反応にスクイは嬉しそうに頭を撫でた。


「ところでホロさん。私が意図的にあなたにあらかじめ情報交換をしなかったことに気づいていますか?」


「え?はい。それは思いましたけど」


 ホロは不思議そうに反応する。確かにスクイはホロに一切情報を出していなかった。そして戦闘と同時に急に戦略を伝え、指示を出すのだ。


「あれはホロさんに戦場を理解して欲しかったからです」


 戦場、スクイが予め全ての策を話していたら、ホロはただそれに従えばよかった。もちろんスクイが並行して多くの策を用意する都合、かなり多くの策が不策に終わったが、その場合の動きも用意してあったし、ホロが急な状況に動揺することもなかっただろう。


「戦場では想像もできないことが急にいくらでも起きます。そのときの焦り、そして咄嗟の対応、死と隣り合わせの現実。そういったものを肌で経験して欲しかったんです」


 スクイは簡単に戦場という言葉を使う。まるで自分がそこにいたように、そこが日常だったことがあるように話した。

 そしてホロは実際今回でかなり成長した。ただスクイにつくだけでなく、負ぶわれながらもアロンダ狼の対処を考え、スクイに取り巻きの対応を聞けば自分でやり方を考え、その後の戦闘でもスクイの戦いを真似し、自分の魔法の使い方を考え直した。


「まあ、無理もさせましたけどね」


「いえ、そんなことありません!」


 ホロは力強く言った。たしかにホロは土壇場に焦りもしたし、急な指示に驚きもしたが、スクイが1度もホロを1人にしようとしなかったことにも気付いていた。

 自分で言わなければスクイはずっとホロを抱えながら、サポートに徹させていただろう。ホロは危機を感じる状況に置かれながらも、最後の戦闘以外一度も危機に陥ることはなかった。


「ずっとご主人様が守ってくれてました!そして一番傷ついているのも、苦労しているのも、ご主人様じゃないですか!」


 ホロは叫ぶ。スクイはその言葉にも穏やかに笑うだけであった。少し困ったようだったかもしれないが、しかし不死が痛みを消さないとは思えないほどの、いつも通りの笑みであった。


「思えばずっと準備されてたんですよね。私の特訓に時間を割いて、私とお話ししてくださって、いつも楽しく過ごしているようで、ずっと陰で準備をしてくれてました」


 ホロは自分の声に嗚咽が混じるのを感じていた。

 ホロはスクイが日常を送っているようにしか思えなかった。ホロも楽しかったのだ。訓練をつけてもらい、買い物をして、一緒に紅茶を飲んでおしゃべりをして、夜はいつも一緒に寝て、眠れない時は寝かしつけてくれた。


 そうやって過ごす間にも、スクイは様々な準備を行っていた。魔法の習得、敵の情報、道具の準備、極めて短い時間しか用意できなかったのは明白であった。それは多くの時間をホロとの時間に割いたからだ。


「どうしてこんなに」


 良くしてくれるのか、そう聞こうとしてホロはやめる。

 きっとスクイはいつも通りの言葉しか言わないだろう。ホロが同志だからだ。死を理解する、死の救済を共に感じるものだからだと。彼はホロを救った、その優しさを決して認めてはくれないのだ。

 だからホロはやめた。代わりに次の言葉を吐く。


「約束、守ってください」


 ホロはスクイの目を見て言う。


「ご主人様がなんで、死を信奉するようになったのか。ご主人様の過去を、聞きたいです」


 ホロはそう話した。

 スクイはここで話すと思っていなかったというように驚きの顔をしたが、すぐにホロの頭を撫でて答える。


「ええ、約束してましたもんね」


 スクイはそう言って、空を見る。

 遠く、遠くに置いてきた過去を思い返すように。


 誰にも理解できない異常の発端を、ただ優しげに語り始めた。

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