第十七話「不可視」

 スクイは頭に入れた地図から最短距離で泥のある沼地へ走る。

 スクイの足は速い。平地とはいえ、あたりには障害となるものがたくさんあった。木々、岩、足を取りそうな泥濘、そして草。

 そういった物がまるでないようにスクイはスピードを落とさない。ただ直線で走り続け、目的地にたどり着いた。


 ここで1つ失策に気付く。スクイの予定では先に沼地に着き、用意をしてアロンダ狼が来たところを奇襲する予定だった。

 しかし沼地にたどり着くと、そこには既にアロンダ狼の群れがたどり着いていた。


 スクイの目はホロがアロンダ狼を見るより遥か前にアロンダ狼を見ていた。しかし、明らかにアロンダ狼はその前からスクイがこちらに来ていることに気づいていただろう。


 一般的な狼ですら人間の何倍もの嗅覚と聴覚を持つ。獲物として先ほど確認された時点でスクイたちの匂いは覚えられているはずである。スクイは異様な視覚を持つが、アロンダ狼の索敵能力には遠く及ばない。


 スクイは警戒を強くした。


 アロンダ狼は確かに逃げた。群れの大多数をやられ、獲物を放棄し、ボスの身を1番に逃走したのだ。

 しかしこの状況、逃走のために沼地に来ておきながらそこに追って来たスクイに気付こうがいち早く逃走しない。

 到着が僅差であったことが1番の理由だろうが、こうも思っているはずだ。


 もういい。追ってくるならいっそ殺してしまおう、と。


「ホロさん。作戦を伝えます」


 状況を理解したスクイは沼地で待ち構えるアロンダ狼に出会う直前に言った。


「相手はボス1体と、取り巻き5体です。取り巻きは先程の集団より強いでしょうが大差はないと考えます」


 それだけならすぐに終わる話だったと考える。


「しかしボスに集中して対等という戦いの中でその5頭も相手をするのは極めて困難です」


 スクイはアロンダ狼のボスを極めて警戒していた。

 4mという体躯は本来さほど心配ではない。大きいということは急所も大きくなり的も大きくなる。見てくれの威圧に負けるスクイではない。むしろ安定してダメージすら与えることができるだろう。


 しかし狼という形が非常に厄介である。つまり速いのだ。大きいだけならともかくその大きさを弱点としないスピードがあるとすれば。

 大きいということは致命傷を与えにくいということになる。もちろん攻撃力も高い。


 こちらの攻撃は通りにくく、1度攻撃を許すと敗北。そういった図式すら考えられるとスクイは考えていた。


 その中で先ほど3頭ですら同時に相手できないと感じたアロンダ狼が5頭取り巻きにいる。それらは先ほどより連携を密にするだろう。


「そこでホロさんには」


「私が離れてあの5頭を足止めすればいいんですね」


 スクイが答える前に、ホロが答える。


「できますか?私でもあの5頭を引きつけづけることは困難でしょう。数日魔法の練習をした病み上がりのあなたに頼む役割でないことは」


「いえ、や、やらせてください」


 ホロはまたも言葉を遮って話す。勇ましく話そうとしていたが、最後に少し言葉に詰まった。

 ホロは1人で行動することができない。しかしこの作戦はホロがスクイから離れて動くことが前提となっていた。


 精神的な話不可能だと思うホロもいた。しかし同時に、それ以上の想いもあった。

 スクイの足手纏いでいてはいけない。

 明らかにホロはスクイに与えられて生活をしている。生活自体もそう、魔法の特訓やサイクルといった部分もスクイが用意している。


 しかしスクイはホロを対等な同志として扱った。部下でも後輩でもない仲間。そうであれば。


 甘えていられないとホロは思っていたのだ。


「では、お願いします」


 実の所、スクイのホロに対する要求はもう少し、いやかなり易しいものであった。

 スクイの元を離れずに、アロンダ狼5頭を足止めするという形を考えていたのだ。

 実際、難易度は異なりつつも、結果は変わらないということを考えればそちらの方が良かったろう。


 だがスクイは言わなかった。

 何人も、成長しようとする人間の心意気を邪魔する権利はない。スクイはそれを知っていた。


 短くも濃いやり取りの中、スクイは大きく跳躍する。そして着地。

 アロンダ狼の目と鼻の先までスクイは到着した。


 大きい。スクイはまずそう考えた。

 アロンダ狼のボスは遠目で見たように体長は4m、毛並みは白い他のアロンダ狼と異なり、少し緑を帯びている。

 他に特別見た目の違いはない。ただ大きいだけとも言える。

 しかしそれだけで他50頭を上回る威圧感。そして感覚だけでない強さを持っていることが容易に計り知れた。


 到着と同時、既にこちらの動きを察知していたアロンダ狼の動きは早かった。

 ボスはこちらを見定めながらも一歩、距離を取る。それと同時に、残り5頭が一斉に襲いかかって来た。


 想定していない動き。50頭を捨て駒にさせられておきながら5頭をボスとの連携ではなく、個別で襲わせることに使う動き、明らかにこちらが5頭同時に相手できないことを理解した動きであった。


 ナイフを出すスクイ。しかしスクイの元にアロンダ狼が到着する直前、5頭はスクイの目の前から姿を消した。


 現れたのは土の壁である。超速の岩の土台がアロンダ狼の足元から生え、アロンダ狼たちを遠くへ飛ばしたのだ。


 それとほぼ同時に、スクイは手の中にいるホロを地面に下ろす。言葉はない。ホロは即座に飛ばしたアロンダ狼の方向へ走った。


「地面から面での攻撃による強制移動ですか」


 スクイ自身その方法は考えなかったわけではない。ただこの方法は土台という大きなものを出す都合上、極めて魔力を消費する上に、タイミングが難しい。

 また、練習でホロはこれを可能とするほど高速で岩を出せなかった。


「ちょっとMVPは譲る必要があるかもしれませんね」


 ホロの成長速度に喜びながら、スクイはボスと対峙する。


 ボスは動かなかった。ただじっとスクイを見る。

 スクイはこのボスの性格をすでに大方見切っていた。つまり、警戒心が強く、短気な臆病者。

 極めて高い戦闘力に見合わないほど自分は後方での指示に徹し、危うくなれば部下の大半を見捨てても逃げる選択を選び、かつ自分の周りには常に精鋭を置く。その精鋭とも共には戦わず、自分が戦うのは本当に戦う必要に迫られてからという徹底ぶり。

 それでありながらプライドは高く、いざ戦うとなれば自分が負けることは想定していない。


 バカにしたのではない。むしろボスの器であるとすらスクイは感じていた。


 スクイからボスに近づき、対峙する。

 ボスはゆっくりと戦闘体勢に入った。対するスクイは手にぶら下げるようにナイフを持つだけでただ目の前に棒立ちになる。


 彼には構えがない。


 直後、先程まで動く気配すら見せなかったボスの攻撃がスクイを襲った。明らかなフェイント。もっとも速いとボスが判断した前足での横薙ぎを、スクイはすぐさま懐に入り込むことで回避した。


 そして駆け抜ける。懐に入ったスクイを押しつぶすようにボスは体を押し当てに来たが、それをかろうじてかわしスクイはボスの左後方まで走り抜けた。


 同時にその距離から投げナイフを放つ。人間であればまず反応できない速度の投げナイフの準備に、ボスはかろうじて反射で対応しようとするが、同時に気付く。


 自分の体が滅多切りにされているという事実に。


 一瞬の動きが止まる。ボスは判断が遅れた。いつ切られたのかすら判断できない。そしてそれは先ほどスクイが自分の近くを駆け抜けた時としか判断できない。

 しかしまるで気づかなかった。人間より遥かに高い感知能力を持つアロンダ狼のボスであっても、スクイのナイフは見えもせず、音もしない。


 その隙を投げナイフが襲った。スクイが狙ったのは目であった。同時に2本の投げナイフがボスの目に命中する。

 完璧な動き。しかしナイフは目に突き刺さることはなく、当たってぼとりと落ちた。


「硬いですね」


 その言葉は何も眼球に対してのものだけではない。

 スクイは駆け抜けざま、かなり深くまで、それも多くボスの側面を切りつけた。スクイのナイフには絶対切断が付いている。毛皮によって深く傷つけられないということはなかった。


 しかしまるでダメージになっていない。不可視の攻撃に驚いた節は見受けられたがそれだけである。目も一瞬瞑るような動きは見せたが、潰せてはいない。


「地道に削る形ですかね」


 そう覚悟する。しかし今のところさした危うさもない。こちらはダメージを与えており、向こうの攻撃はギリギリかわし切れる。学習される前に削り切れば勝てると踏んでいた。

 しかし、その瞬間アロンダ狼がその姿を消す。

 一瞬の出来事、スクイも目を逸らしたつもりはない。しかし即座に防御姿勢を取った。


 目に見えぬほどの移動から来るボスの横薙ぎは、反応できぬほどの速度であったが、スクイは反射的に攻撃の来る方向をガードしていた。

 しかし結論から言えばその姿勢は無意味であったと言えよう。重さなどなかったかのように吹き飛ぶスクイの体は、全身の骨という骨、内臓という内臓がぐしゃぐしゃにかき混ぜられ、全身は引きちぎれゴミのように着地した。


 想定外の動き、否、想定してどうなるものではない。

 隠し持っていた。目に見えぬようにしているが明らかに体力を使い切ったボスを見て、否見ることもできず感じ取りスクイは思う。


 スクイに対抗するかのような不可視の攻撃。スクイの目でも捉えきれないその攻撃は明らかにアロンダ狼のボスの情報にはなかった動きである。


 強い個体を引いた。その可能性を考えなかったわけではない。しかしそれは大きさや速さと言った部分の差異であって、固有の技術を持つとまでは推測できても、その内容までは考えられなかった。


 そしてこの時点で、スクイの負けは、確定する。


 スクイの体は全身がバラバラにされていた。スクイは魔法により死にはしない。それは細切れのようになった今もそうであった。

 しかしスクイは離れた体を動かせない。バラバラになった上に中身まで壊されつくした本体を這わせて全身を再生するのにいったいいくら時間がかかるかと思うと気が遠くなった。


 その間にホロが死ぬ。ボスは警戒からか動きはしなかったが、部下が戻ってこなければ確認に行くだろうし、ホロでは確実にボスには勝てない。奥の手を使い体力は消耗していたが、それでもボスの速度にホロは対応できないだろう。


 体がゆっくりと再生を始めるのを感じる。そしてその速度がいかに絶望的であるかも理解していた。

 スクイは再生し、ボスを見ることのできるようになった目を、ゆっくり閉じた。


「では」


 第2策と参りましょう。


 その言葉を、ボスは聞き取る。ありえない。目の前にいたはずの人間は死んだ。あそこに散らばるのがその元だったものだ。人間は、否全ての生物はああなればもう動くことはできない。


 しかし彼に取って聞き間違いということはありえない。そちらの方向を見ると、謎の違和感をボスは覚えた。


 先程までこの沼地には植物など生えていただろうかと。


 しかし見間違えでなければ、否見間違えではありえない。その植物はさらに勢いを増し成長し、動き出した。


 警戒、ボスの取った行動は死体の近くで動く植物から距離を取ることであった。そして目を離さない。ありえないが万が一、その死体が植物を操るのなら、攻撃される可能性があった。


 しかし結果を言えば、ボスの勝機は攻撃にこそあった。その植物は確かに異様であったが、ボスと倒すような強固さも素早さもなかったのだから。


 そしてゆっくりとその場を覆うように動く植物は広がり、やがて黒ずんで朽ちて、消えていった。


 そしてその黒い木片が降り注ぐ中からは、1人の男が歩み寄ってくる。


「さあて」


 ボスは吠えた。この地域全体に溢れるほどの高らかな咆哮。

 この平原の主は誰か、全ての生き物が思い出す大きな叫び。


 しかしそれは決して遥か高みから発されたものではなかった。下々の生き物に対し、これまで同格と思える存在すら見つけてこなかったボスが初めてあげる雄叫び。


 それは闘争心。目の前の初めて見る同格の敵に対する攻撃を示す。雄叫びであり、威嚇。この平原の頂点を決める争いを始めようという決意表明。


 そして僅かな、極めて僅かな、ボスすらも気づかないほどの微量の。


 怯えを隠す咆哮であった。

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