第十五話「専門」
スクイは心配するカーマを説き伏せると、いくつかの準備物を用意し、服を着替えた。
私服のようでありながら、耐刃に優れた服はアロンダ狼の攻撃もある程度防げるだろう。
「ホロさんはこちらに着替えてください」
そう言うとホロには灰色のローブを手渡す。
「買い物中に見つけたものです。岩魔法の能力向上の祈祷がされているとのことですよ」
祈祷。スクイも詳しい把握は後回しにしたが、この世界ではあらゆるものの神が存在する。
当然岩の神も存在すると言うことで、その神の祈祷が魔法能力の向上に繋がるらしい。
ホロの持つ愛の神の加護も祈祷によるものである。
スクイの中で神の存在は不服であるが、使える能力は使う。現状ホロの岩魔法はパーティの要と言えた。
もっとも、自分が使うと言うことは絶対にしなかったろう。
日が上り切り、少し過ぎたあたりでスクイは準備を終え宿を出た。
「もう少しゆっくりしてからにしようかとも思いましたが、カーマさんを心配させすぎたようですし」
そう言いながらホロの手を引く。
ホロは未だに1人で大通りを歩けない。それは身体的な問題ではなく、心理的なものであった。
人混みがダメなのではない。開けた場所がダメなのだ。彼女はスクイに檻から出してもらったが、檻にいる間に彼女は檻の外に恐怖心を抱くようになっていた。
自分を助けてくれたスクイの存在は彼女に安心を与えたが、逆にそれがなければ今にでも蹲ってしまったろう。
この制限は今回のクエストにも大きく影響することは間違いなかったが、もとよりスクイはホロを自分から遠ざける気はなかった。
「でもご主人様」
少し大きめのローブを被せられたホロは、頭を覆うようにしたフードを指でどかしながらスクイを見る。
「クエストをするにしてもアロンダ狼の居場所はわかるんですか?」
「ええ」
もっともな疑問をスクイは即答した。
「まず、我々がクエストを受けていると言うことは依頼者がいると言うことです」
「そうですね」
ホロは話の先を理解できないままとりあえず頷いた。
「魔物を倒す理由は大体、危険だからか、素材が欲しいかです。今回は討伐が依頼。つまり危険だからというわけですね」
今回のクエストは「アロンダ狼の群れとボスの討伐」である。皮や毛のの剥ぎ取りではない。もちろん、死体によってはギルドで買取を行なっているため、討伐のみのクエストであっても需要があれば持ち帰るものは多い。
「依頼主はとある商人ギルドです。とある道中の行き来にアロンダ狼が襲ってくると言う話だったわけです」
つまり被害が出ているなら場所の特定は簡単と言うわけですねとスクイは話す。
大通りをしばらく歩くと、スクイは待ち合わせていた荷馬車に会う。
荷馬車の荷物は大きく、主に野菜や肉、魚と食べ物が詰められた大きな袋が多くを占めている。
待ち人は早めに来たスクイに驚いたらしいが、むしろ早く出発できると言うことで喜んでいた。
「ようこそ来てくれた。さあ乗ってくれ」
そう言うとその人物は馬に乗り、スクイとホロは荷物と共に荷馬車に乗った。
「これで目的地に向かうのですか?」
「はい。なんとか都合をつけられてよかったです」
いざとなれば自分で馬車を用意しないといけなかったですから、と笑う。スクイは未だに大金を持っているものの、荷馬車を貸し切るとなればそれなりの値段になったろう。
「この方はヴェンディにまで荷物を売り買いしながら旅をするいわゆる行商の方とのことです。街を歩いていたら偶然話す機会がありまして、助かりました」
「いやあこちらの方こそ助かりましたよ」
ホロに説明するスクイの言葉に、前方で馬を操作する行商人は反応した。
「私みたいな細々とやっているタイプの行商は護衛を雇うのも一苦労ですから。まさかCランクの冒険者さんが無償で着いてきてくださるなんて」
「いえいえこちらこそ馬車もタダではないですから。目的地まで運んでくださるなら喜んでですよ」
和気藹々と話す2人の会話を聞き、ホロは少し違和感を覚えた。
まずスクイはCランクの冒険者ではない。Cランクのクエストを受けているだけである。おそらく嘘をつかない程度に受注クエストの話でランクを誤認させたのだろうとホロは思った。
しかし護衛?スクイがどのような話を行商人としたのかホロは首を傾げる。
「ああ、ホロには言ってなかったですね。アロンダ狼の出る道は隣町への近道になってるんです」
しかしそこを少人数で通ろうとすると狼の群れに襲われる。護衛がいても戦力によっては襲われ、積荷を奪われる。そこの判断力がアロンダ狼の群れの強みということらしい。
「護衛もバカにならない費用ですし、数匹狩っても焼け石に水ってことで。全滅は無理だからこの道を少人数で通るのは諦めようって話になってたらしいんです」
しかし今回の依頼である。
アロンダ狼の恐ろしいところはその統率にあった。
自分たちの勝てない相手には牙を向かず、勝てる相手と見れば数で押しきりに来る。
こうやって護衛がいれば通れるが、いなければ通れない道が完成していた。
「で、どうにもそれは1匹のボスが指示を出している故みたいでして」
アロンダ狼は性質として、行動をとあるボス1匹に託している。
そのボスは明確に別の個体であり、体も大きく、知恵も回る。
このボスの存在が統率の取れ、高い判断力を持つ群れにしているが、逆に言えばこのボスがいなければアロンダ狼の危険度は低い。
はぐれアロンダなどとも呼ばれるボスを失ったアロンダ狼は集団性すら弱まり、散り散りになるか、他の群れに属するなどといったか弱い存在となる。
「だからクエスト内容に群れの討伐と書けば良いところを、ボスの討伐が明記されてるんですよ。つまり全滅の必要はないってことですね」
そう簡単に言うスクイにホロは感嘆する。何もしていないと言われていたが、スクイは依頼書1枚から極めて多くの情報を得ていたのだ。
もちろんアロンダ狼に関してはその後調べたのだろうが、同じものを見た時の得る情報量が多いことは情報収集において大きなアドバンテージとなる。
ホロはスクイがクエストを受けているとは聞いていた。そして大部分を自分との時間に使ってくれているとも感じていた。
しかしその中でも得るべき情報は得ているらしい。と思うと、ホロは尊敬と申し訳なさが入り混じった複雑な感情になった。
「というわけで今私たちは行商人さんとその道を通ろうとしているわけですね」
「えっ」
突然の言葉にホロは動揺するが、よく考えれば至極当然だった。
この行商が助かると言ったのは、本来多くの護衛を連れないと行けないアロンダ狼の出る道を護衛してくれるからである。アロンダ狼を討伐のクエストを受けているスクイからすればお互い理のある関係というわけだ。
しかしこの考えには重大な欠点があった。
「いや、ご主人様そうはいいますけど、これ無理じゃないですか?」
ホロは小声でスクイに囁いた。
ホロはスクイを信用している。周りが無理だというCランククエストをクリアすることもスクイならなんとかできると信じていた。
しかし今回スクイはアロンダ狼の引き付けのために行商人の護衛を引き受けてしまっている。いくらスクイが強くても、複数で襲い来る狼から荷馬車を守れるとは思わなかった。
「ああ、その点は解決してあります」
そう言うと同時に、スクイは遠くの道から外れた丘を見る。ホロの目にはまだ平原が広がるばかりだったが、スクイの目には何かが映ったらしい。
「ここらへんですね」
スクイは呟くと、行商人と少し話し、ホロに向き直る。
「先ほどくらいからですね。もうここはアロンダ狼のテリトリーです」
「そうなんですか?」
ホロの目には狼どころか獣の跡は見当たらない。ここで行商が襲われたことがあるなら、悲惨な痕跡の一つ残っていても良さげだが、周りは普通の平原である。
「明白に血の匂い、土に紛れていますが狼の糞と似た肉食動物ならではの匂いがします。奇襲に向けた狩場の隠蔽が売りと聞いていましたがそこは大したことないようですね」
そう飄々と答えるスクイに行商人は感心したように声を漏らす。専門でやっていたのかとスクイに問うたが、スクイはあくまで齧っただけだと返した。
「それでは行商人さん。またお会いすることがあれば」
「おう、ありがとな」
そうまるで別れのような言葉を吐くと同時に、道の周りに突然狼の大群が囲った。
正確には挟んでいると言った形だろうか。道の上にはいないいが、両側にびっしりと並んだアロンダ狼は、何かを待つように待機し。
遠くから聞こえた大きな獣の唸り声と同時に荷馬車に襲いかかった。
「さあ!」
その奇襲のスタートと同時に、スクイは荷馬車の上にあったほとんどの荷物を両脇にこれでもかと抱える。
「ホロさんこれらを持って私の背に捕まってください」
「へ?は、はい!」
きょとんとしたホロだったが、言われるがままに荷物を持ち、スクイの背に抱きつく。
それを確認したスクイは、そのまま荷馬車から飛び降りた。
「ご、ご主人様!?」
途端のスクイの行動にホロは絶叫するが、スクイは気にした様子もなく、荷物をクッションに利用しながら地面に着地する。
周りを囲むアロンダ狼の群れは、一瞬困惑したようだったが、何かに指示を得たように、全員がスクイに襲いかかった。
荷馬車には一見荷物は残っていない。対して狙うべき荷物は荷馬車を落ち、人間と地面にある。
「とりあえず第一段階」
スクイの考えはとりあえずここにあった。
さきほどの行商人は食料の売り人ではない。野菜や肉、魚はこのためにスクイが用意したものである。
本来貴金属やその他を取扱う行商であるが、アロンダ狼は縄張りの荷馬車は食べ物でなくともとりあえず襲う。
そのため護衛が必要だったが、スクイはそこに自分の荷物を大きく乗せた。
荷馬車に乗る多くの食べ物が全て転がり落ちればアロンダ狼も流石に獲物を変えるだろう。
もっとも、スクイの予定では一部は行商を襲うと読んでいた。そのための対策も講じてあったが、空っぽの荷馬車は襲う必要がないと判断したようで、全てのアロンダ狼がスクイに向かっていた。
「本来の荷物を二重底で隠した成果が出ましたね」
行商の荷物はスクイたちの乗っていた部分の下にあった。上に乗せてあった食べ物は全てスクイの準備品である。
しかし全てが行商を襲わなかったと言うことをスクイは僥倖とは受けなかった。荷馬車が空と見るや即座にそちらを切り、落ちた荷物に全勢力を注ぐ思い切りの良さ。そして一匹残さず即座に命令変更に従う従順さ。司令塔のアロンダ狼は相当厄介だとスクイは踏んでいた。
「まあなんにせよ初手は上手くいったと言うことで」
そう言いながらも、周りには30ほどのアロンダ狼が向かってきていた。
上手くいったと言えどこちらの対処の方が遥かに難易度は高いことが知れる。
「じゃあホロさん。次の動きといきましょう」
あっさり言うスクイに、状況の判断のつかないホロはただ困りながら頷いた。
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