第十四話「単なる狂人」

 ホロと買い物に出かけた日から数日を、スクイは存分に休暇に使った。

 フラメに貰ったナイフのおかげもあり、ホロはその期間で随分動けるようになった。手足に残っていた壊死の後も綺麗になくなり、スクイにナイフの扱いを聞きながら岩を触ることまで始めている。


「ホロさんの魔法は優秀ですね」


 宿で2人は買ってきた紅茶を飲みながら談笑していた。


「守りとしても厚いですし、飛ばすこともできます。まだ質量は大きく出せませんが十分使える範囲です」


 スクイはかなりの紅茶好きであった。というよりティータイムが好きなのだ。ここ数日は先日の植物屋に通い紅茶の葉をもらって、朝訓練を終えてからは茶菓子と一緒にホロとの時間を過ごしていた。


「ただ攻撃に使うには飛距離や速度は足りていませんね。その点発動までの速度は目を瞠るものがあります。前方に壁として出すのは今後多用することになるでしょう」


「はいご主人様」


 2人は紅茶を楽しみながらその日の訓練の振り返りをする。振り返りと言っても雑談の延長であった。スクイの話は叱責が混じらない。褒めるか、提案するかである。

 そもそもスクイは今のところ魔法が使えない。戦闘という側面を話してはいても魔法の未熟さを叱責できる立場にはいない。


「でもご主人様みたいにナイフは使えません」


 ホロはしょんぼりするように話した。実際ホロは魔法面では優秀であった。岩の魔法はもちろん、炎と水においても拳大の球を飛ばしたり、継続して射出することもできた。

 しかし体術面ではまだ難しかった。そもそも病み上がりなのだ。明確な病気でなかったとは言え飢えで死にかけていた状態。スクイはまず普段の生活に基礎体力をつける程度のものを提案していたが、ホロはナイフ使いを聞きたがった。

 それだけスクイのナイフ使いは異常に映るのだ。まず見えない。そして確実に相手が死んでいる。ホロが見たのは奴隷商での一度だが、それが目に焼き付いていた。


「ナイフは難しいものです。シンプルゆえに経験がものを言いますからね」


 スクイは慰めるというよりは事実を告げるという形でそう返す。実際スクイはセンスもあったが、数多くの経験あってこうしているのだ。


「ナイフに関しては役割としてはそこまで求めないでしょう。今は私の代わりに魔法を使ってくれているだけで助かりますよ」


 そう話す。実際もう1人の仲間が3種類の魔法を使えるというのは極めて戦略の幅が広がるものであったし、スクイの強さがどれほど魔物にも及ぶかわからない現状ホロの能力は非常に役立つものだった。


 そんな話をある程度行い、いつものルーティンを終えようとする。

 そのとき、ホロはモジモジと、聞きづらそうに言葉を発した。


「あの、ご主人様」


 スクイはホロの様子を気にするように首を傾げて言葉を待つ。


「その、私なんかを拾っていただいてありがとうございます」


 もう何度目にかなる言葉を放つ。言葉にするのもおかしな拾われ方であったし、そもそもスクイは拾ったのでなく、一緒に来て欲しいと自分から願ったのだが、それでもホロは何度も感謝を伝えた。

 そして、もう1つ、この言葉を口にするには聞かねばならないと思っていたことがあった。


「ご主人様は死を信奉してらっしゃるのはわかるのですが、その」


 ホロは言葉を選んだ。率直に怖かったのかもしれない。ホロはスクイが自分などより死を大切にしていると思っていたし、そこに踏み込めば急に自分がポンと捨てられてしまうのではないかとも感じていたのだ。


 しかし聞かずに一緒にいることの方がホロは不誠実に思えた。


「ご主人様はなんで死を信奉されるようになったのですか?」


 ひどく当然の疑問だった。

 ホロの目には、否これまで会ったどの人間の目にも、スクイはまともな育ちの人間に見えたのだ。

 死を信奉する。スクイの持つ死への思想は、ホロのような人間が持つのであれば納得もできた。死を望むほどの苦痛、不平等。死を救いとして持ち、それが救済につながるのはわかる。


 しかしどうだろう。スクイは傍目にそのような人間には見えなかったのだ。まだ18と若く、能力もある。死を信奉する故か頭のネジは飛んでいるが、それ以外ではコミュニケーションにも優れ、人好きのする話し方、表情を持っている。その声はよく通り、人の心を掴む。

 所作も美しく、人に不快感を感じさせるどころか品を感じさせる立ち振る舞いを持ち合わせた。

 容姿も整っており、身体能力は言うまでもない。頭も悪いとは思えないし、死の信奉を除けば人格も問題はない。


 ただ明確に狂っている。それほど深い死への狂信。そしてそれを可能にするようになった極めて高い殺しのスキル。

 スクイという人間は謎でしかなかったのだ。しかしホロはスクイを単なる狂人として扱いたくはなかった。もっとスクイのことを知りたかったのだ。


「んー」


 言い淀む、わけではない。ただどう話そうか、というスクイの表情にホロはじっと様子を見続ける。

 数瞬の沈黙を経て、スクイが口を開こうとした途端に部屋のドアがガタンと開いた。


 ビクッと肩を震わすホロ。入り口を見ると、いかにもイカつい顔をした大男が入り口に怒ったような顔をして立っていた。それを見ると、ホロはすっと立ち上がり、スクイの前に立つ。急なことにも関わらず素早い動き、この数日で成長したものだとスクイは思うが、ホロの手はスクイの服をぎゅっと握っていた。


 対してスクイはどうもしない。ただ扉が開いて話すタイミングがなくなると紅茶を飲もうとしたところを、ホロに服の袖を握られたため、紅茶の行き所がなくなっていた。


「何者ですか!」


 とっさに相対するホロを見て入り口の大男は少し困ったように頭をかいた。


「どういう関係だよ兄さん」


「こちらは我が同胞です。怯えさせてはいけませんよ」


 そうスクイは目の前の大男、カーマに向けて話す。

 カーマは少し心外という表情を浮かべた。


「ホロさん。この方は知り合いです。安心してください」


 そう話すと、ホロは少し不可解そうな顔をしたが、よく考えればスクイにどんな知り合いがいても不思議はないと納得したようで、再び自分の席に戻った。

 実際、カーマは一度スクイの身体を臍あたりまで両断しているため、あながちその警戒は間違いではない。


「おおっとお客さんっすね!」


 そう言いながら今度はメイが控え室からかけよってくる。カーマは次々に来る少女の妨害に戸惑った。


「悪い嬢ちゃん。今日は泊まりじゃなくこいつに話しにきたんだ」


 そう言いながらカーマはスクイを指さす。

 メイはそれを聞くと不服そうな顔でスクイとホロの座っている机に座った。暇だったらしい。この店は食事も宿泊客に対する朝食しかないため、カーマに出すものもなかった。


 カーマは少し出迎えに翻弄されたものの、本来の役目を思い出したようで再び顔を硬らせてスクイに向き直る。


「おい兄さん、いやスクイ。先日のおっさんはなんなんだ」


 スクイはやっと自分の名前をちゃんと呼ぶ人間が増えたと思った。

 そしてもっともな質問が飛ぶ。スクイは先日組織に追われそうなフラメを金を持たせてカーマの家にやったのだ。そこから一度も会いに行かなかった。カーマに宿を教えた記憶はなかったので、調べてきたのかもしれない。


「そもそもどうして俺の家を知ってんだよ」


「一度知り合った人間の個人情報は知るようにしているので」


 当然のように答えるスクイに、カーマはゾッとする。そういえばこう強く出れる相手だったろうか、そう思い直した。スクイと一度相対したカーマはスクイと戦闘することに恐怖を覚えていたし、その出所の不明な強みのようなものを素直に尊敬していた。


「なんか事情があるらしいが、前提として」


 カーマは懐から小袋を取り出すと、ドンっと机の上に置いた。


「あの程度の頼みにこんな金はいらねえ」


 受け取ると性根が腐る、と鼻を鳴らして返そうとするカーマにだったが、スクイは制すように手を突き出した。


「あなたにはこれからも世話になりますから」


 そう言って返しを拒む。カーマはそうはいかないと言ったが、スクイの考えを変えさせるという行為がいかに無駄かという思いにいきついたので、「とりあえず預かっとく」と小袋を再び袋にしまった。


「で?小言と律儀な返金に来られたのですか?」


「まあそれも重要だが、もう一つあるだろ」


 カーマはダンっと机の上に一枚の紙を置いた。

 紙の内容はギルドの依頼書である。内容はアロンダ狼の群れとボスの討伐。

 スクイが先日受けた依頼だった。


「それがどうしました?」


「どうしましたじゃねえよ!」


 カーマが大きく机を叩くと、メイがじろっとカーマを睨む。カーマはそれに気づいて、「おお、すまねえ」と小さく謝った。


「この依頼の達成期限は今日だぞ!それなのにお前最近ずっと紅茶の選別くらいしかしてねえらしいじゃねえか」


「そういう私の話はどこから漏れてるんですか?」


 何よりも緊急で知るべきはそっちだろうとスクイは紅茶を飲みながら思ったが、カーマは気に留めていないようだった。


「いいか?スクイ。こういうクエストは何も期限内に行けばいいって話じゃねえんだ。狼の生息地、行動パターン、弱点。そういったものを調べて行く期間も含まれてるんだ。にも関わらず心配したレジスタちゃんが植物屋の婆さんと話をしてたら、明らかにお前としか思えない奴が最近紅茶と畑弄りに凝ってる話をしてるとか言うじゃねえか」


 植物屋の婆さんが犯人だった。スクイはいつも紅茶を買いに行くついでに紅茶の話を聞きつつ、世間話をしていたのだが、そういった話はすぐに漏れるらしい。


「お前まさか一度もアロンダ狼に会いに行ってないとか言わないよな」


「一度もと言うか」


 スクイは素直に答える。


「まだこの街に来てから魔物と戦ってません」


 さらに言えばスクイはまだ魔物を見たことすらなかった。人間としか戦っていないと思い返す。さらにこの数日はホロと戯れるだけで戦ってもなかった。

 そう聞くともう驚かないと言うようにカーマは口を開く。


「スクイ、お前はギルドを知らなすぎるんだ。今からでも見栄を張らず俺の手を借りろ。俺ならあと優秀な冒険者を何人か知ってるし手配もできる。この預かってる金を使うかもしれんが今日クリアはできるだろう」


 何よりクエスト未達成は契約金がなくなるだけではない。著しくギルドからの信頼は落ちるし、繰り返すとペナルティもあるのだ。

 スクイが優秀なのはカーマにも分かっていたが、流石にCランクを1人で、それも何も準備せずにできるとは思っていなかった。


 スクイはカーマの言葉に困ったように笑う。


「カーマさん心配してくれるのは素直に嬉しいんですけど」


 想像以上の面倒見の良さにスクイは納得する。酒場であれほど周りに人を置き、慕われていたのは何も力だけのものではないらしい。もっともこれはカーマがスクイを相当気に入っているからと言う部分もあった。


「まあ大丈夫ですよ」


 そう酒場と同じ言葉を吐く。そして席を立ち上がってホロの頭を撫でた。


「頼りになる同胞の力もありますから」


 そう当たり前のように告げた。カーマは正気を疑う表情でスクイを見たし、誰よりホロが信じられないと言った表情だった。


「ホロさん、先程の話ですが」


 スクイはホロに話しかける。


「このクエストが終わったら話しましょう」


 そう約束した。ホロはその言葉を聞くと、ぐっと表情を硬くする。

 もちろんこのクエストで成果を出せと言われたわけではない。スクイは終わればただ自分の過去を教えてくれるだろう。

 ただホロは思ったのだ。それならなおさらこのクエストで役立って、スクイの話を聞くに値するようになりたいと。

 誰もがクリアできると思えないクエストを、ホロはクリアすると強く思った。

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