第十二話「ご主人様」

 その後スクイがしたことをその場にいた店主が見ることはなかった。

 スクイはマルセを連れてしばらく店を出ると、1人で帰ってきたのだ。


 殺された。最も簡単に店主はそのことを理解する。それも拷問されたのだ。直前の勉強し足りないという言葉からもそれは明白であった。


 店主はマルセとはそれなりの付き合いであったが、別に仲が良かったわけではない。ただマルセのことはとんでもない腕前だと思っていた。ナイフ自体の腕はともかく、総合的な戦闘能力は世界トップクラスと言われても疑わなかったろう。


 しかしどうか、現実として目の前のスクイはあっさりとマルセを倒し、相当硬いはずの口をどうやってかすぐに割らせて帰ってきたのだ。


 とんでもない量の恐怖、目の前にいるスクイという人間の恐ろしさに改めて気付かされる。

 同時に先程マルセの足を刺したナイフ捌きには店主もまるで反応できなかった。ナイフでない。腕が見えないのだ。さらに予備動作も思考も見えない。これほど優秀な動きはない。


 もう、戻れないのだ。店主はそう気付いた。自分はこの悪魔に魂を捧げている。


「お待たせしました店主さん。横入りしてすみませんね」


「あ、ああ」


 そう、実際現状の店主の立場はあまり良いものではない。何せ店主へのメッセンジャーを務めた男が死んだのだ。明日には店主の元には組織の人間が押し寄せるだろうし、そうなれば責任の取り方は選ぶべくもない。


 しかしスクイはその点を最も簡単に解決する。


「とりあえず20日ほどこの住所に匿ってもらってください。カーマという男がいます。私の名前を出してこれを渡してください」


 そういうとスクイは先程出したのと同量ほどの金貨が入った袋を渡す。


「20日って兄さんどういう……」


「ええ、先程で組織についてはおおよそわかりました」


 なので、とこともなげに続ける。


「20日もあれば全員救えるかと思いまして」


 救う、その言葉が皆殺しを指すと既に店主は理解していた。

 たかが20日でこの街に巣食う大物マフィアを滅ぼす。

 そんな芸当をもう、店主は疑うことができなかった。


 その後スクイは元の話通り店主とナイフの話をした。

 スクイは使っているナイフでいくつかものを切ったり動きを見せた。

 店主は大量の金貨に対する分のナイフを用意しようと考えていたようだが、それは無駄だろうと話す。


「兄さんのそのナイフ、おそらく魔道具だろ」


 スクイの持つナイフは一般的な家庭用のナイフであった。スクイはこのナイフを頑なに使い続けている。

 試しにと店主がナイフで切れるべくもない鉄塊を運んできたが、そこにナイフの刃を刺すと、穴に入れるようにすっと通ったのだ。


「絶対切断の魔法か。これならナイフとしては申し分ねえな。刃こぼれもしねえし、切る対象によって使い分けもいらねえ」


 こんな理想のナイフ持ってりゃ俺も何もできねえよと、お手上げのように店主は笑った。


 しかしスクイは少し考えた。もちろんというべきか、このナイフは前の世界からこのようになんでも切れたわけではない。この世界で切れ味に違和感は常にあったが、まさかなんでも切れるなどという能力がついているとは思わなかったのだ。

 無理な材質を切ったりすれば刃こぼれしないナイフの存在は明確であったが、スクイはこの世界でも前の世界同様ナイフは大切に扱ってきた。


「まあ特殊な魔法のつくナイフもあるが、兄さんほどのナイフ使いには逆に足枷だろうな」


 刃に熱を持たせたり、刃を射出するなどというナイフもあるようだが、どれもスクイのようなナイフ使いにはむしろ余計な機能になりかねない。

 第一スクイはこれ以外のナイフを使うつもりはなかった。

 

 店主は代わりと言ってはといいながら先程の回復用のナイフを持っていってくれと話した。不死のスクイには無用の長物かも知れないが、先程のように使える場面もあるだろうし、戦闘用のナイフよりはスクイも使う場面はあると考えた。


 その後スクイは再び安静にしている少女の様子を伺う。ずいぶんマシになっており、体は清潔、壊死しかけた手足もかなりマシになっていた。


 とんでもない性能だとスクイは回復用のナイフに驚く。もちろん万能ではないだろうが、生命力を与える基盤としてこのナイフは非常に有用である。これなしで看病しても下手すれば体を治す体力が尽きて死んでいただろう。


 スクイは少女を抱き抱え、店主と別れの挨拶をすると、宿に戻った。


 宿はなんとか空いていたようで、スクイが扉を開けると、どたどたと足音が聞こえる。


「おかえりっす旦那!ってうお!」


 急いで走り寄ってきたメイはスクイを見て驚いたように声を上げた。無理もない。スクイは現在両腕を切り落とされたせいで袖が根本からなく、血で塗れており、しかも衰弱したメイと年の変わらぬ少女を連れていた。


「何があったらこんな帰還になるんすか」


「いやちょっと大変な魔物と戦いまして。そのとき助けた女の子の身元がわからないのでとりあえず助けた私が引き取ることになってんです」


「うわあそれはお疲れ様です。旦那も苦戦するんすね」


 あっさりと信じて少女の容体をみるメイ。


「この子も夕食は摂り終わったのでとりあえず寝るところをもう一部屋」


 そう言おうとすると、寝かけていた少女がスクイの服を強く掴んだ。

 困惑するような素振りを見せるスクイにメイはにやっと笑う。


「随分と好かれてますなあ。まあ魔物から守ったならそれも頷けます。今日は一緒に寝てあげましょうよ」


 そう言われ流石にそれはと思うスクイだったが、確かに一晩放置するのもどうかという容体である。まして精神的な追い詰められようを考えると、抱いて寝るくらいが優しさかも知れなかった。

 

 少し思案したがやむを得ないということでスクイは少女を抱えて2階に上がる。


 今日は戦闘もあったのでスクイも早めに休もうと考えていた。明日も朝から畑の様子を見たかったのだ。

 スクイの服を離さない少女を抱き抱えながらスクイはベッドについた。


 次の日、スクイはメイと共に畑の世話を終えると、少女を起こしに自分の部屋へと戻った。


「すみません。起きれますか」


 そう声をかけると少女はゆっくりと起き上がり、現状を理解できないというようにまたゆっくりとあたりを見渡すと、急ぐようにベッド脇に立つスクイの腰元に抱きついた。


「安心してください」


 スクイはゆったりとした口調で少女にそう声をかけると、頭を撫でながら話す。


「ここはもうあそことは違うところです。あなたは死の尊さを理解し私と共に死の素晴らしさを広める救世主へと生まれ変わったのです」


 そう話すと、少女は昨日のことを思い出したようにスクイに顔を擦り付けながら、上目遣いにスクイを見た。


「あ、ありがとうございます。ご、ご主人様」


 本日初めて話した言葉は感謝と極めて真っ当なもののように思えたが、後の言葉は一般的とは言い難かった。


「すみません。あなたは奴隷という立場にはありましたが、今や私たちは死の元に平等な一信者に過ぎません。私はあなたの主人ではないのですよ」


「で、でもあそこから助けてくださったので」


「それは死のお導きです。感謝は死にすべきですよ」


「はい。ご主人様」


 物分かり良さそうにきっちりと少女は言葉を返し、ベッドから立ち上がる。もう1人で歩けるのかという関心をしたかったが、スクイは少女が自分の呼び名を直さなかったことに気を向けていた。

 メイといいこの世界の人間は相手の呼び名にプライドがあるのだろうかと少し考えた。よく考えれば自分の名前をしっかり呼んでいる人は何人いるのかとも考える。


 さておき、まだ足元のおぼつかない少女の手を引きながらスクイは1階に朝食を摂りに行く。

 メイは早くから出かけており、朝食は2人分机に用意されていた。


 朝畑仕事のとき、宿の主人であるメイの父親に少女に事情を話した時、朝食代を追加で払う話をしたのだが、目も合わせず「いらん」と返されていた。


「いただきます」


 机に着くなり少女は行儀良く一礼し、おぼつかない手取りでやさいにフォークを刺し食べ進める。


「おいしいです」


「良いことですね。ここの野菜はとても質が高い。リハビリがてら一緒に畑仕事もしましょう」


「はい」


 少女は嬉しそうに頷くと、また野菜を頬張った。


「あとフォークの持ち方が危ういです。持ち方はこうですね」


 そう言いながらスクイは握り拳でフォークを持つ少女の手を、自らの手で正しい形に治す。

 少女はじっとその手を見て、フォークを置くと、もう一度持ち直しスクイに見せた。


「そうです。そう持つと安定します。あとナイフは」


 そう言いながらスクイは食べ方を少女にレクチャーした。もっとも、フォークやナイフの使い方は前の世界のものなので多少違いはあるかも知れないが、大きな違いはないとスクイは踏んでいた。

 少女は覚えの良い方で、食事が終わる頃には随分違和感なく食事ができていた。


「ところで、あなたのお名前を聞いていませんでした。なんとおっしゃるんですか?」


「名前……」


 少女は少し思案するような素振りを見せた。スクイは疑問に思う。見たところ目の前の少女は10歳前後であろう。奴隷としての監禁生活のせいで言葉がたどたどしくなるのはわかるし、動きがおぼつかないのもわかるが、食器もまともに使えないことがあるだろうか。まるで幼児のような動きである。


「私の名前はホロです。ベインテから連れてこられました」


「ベインテ……」


 ベインテはこの世界の別の国だった。ここがヴァン国、横がベインテだったと記憶している。国柄は知らないが、奴隷の交易があるということはある程度交流もあるのだろうか。


「こちらの言葉は勉強していたのと話しているのを聞いて覚えました。向こうでは箸を使って食べていたのでこの食器は初めて見ます」


「箸があるんですね」


 意外だった。スクイ自身箸はなぜ生まれたのかわからないほど使い勝手の悪い食器だと思っていたので、この世界には無くてもおかしくないと思っていたが、ベインテでは主流らしい。


 さらに聞くと、ホロは村を魔物に襲われた生き残りらしく、そこを運悪く人攫いにあい、あちこち買われもせずにたらい回しにされながら最終的にあそこに行き着いたとのことだ。


 人気なかったらしい。スクイの目にもホロは可愛らしく映った。赤い髪に赤い目、小動物的な小柄ルックスは人気が出てもおかしくはない。だが、どうにも魔物に襲われた時点で見目はかなり汚れており、杜撰な管理の中で見た目を良くされることもなく薄汚れていったためここにきた時ほどではないが、誰も触れたがらない状態となっていたようだ。


「だからまだ処女なので安心してくださいご主人様」


「そういう関係ではありません」


 ピシャリと言い放つスクイにキョトンとしたように小首を傾げるホロ。これは教義をしっかりと教えねばならないとスクイは考えながら、ホロを外へ連れ出したのだった。

 

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