第九話「正義より私たちを助ける者」
「この子にされるので……?」
スクイが檻の中の子供を抱き抱えてくるとピエロは当惑したように言葉を放つ。
彼も一応檻の中の言葉を聞いてはいたものの、半分は理解できなかったのだ。触らぬ神に祟りなし。やばい客は早めに帰すに限る。
「ところで」
さっさと金を貰って帰らせようと考えるピエロにスクイは話しかける。
「なんでしょう」
「この奴隷たちはどうして奴隷になっているのですか?」
「んー、まあ人攫いがもってきたり、悪徳な孤児院が売っぱらったり」
これいけなかった。ピエロは早く帰って欲しかったのだ。普段ならば彼も素性の知れない人間に対してこういう質問ははぐらかす。しかしはぐらかせば問答になることもあるだろうし、それだけ滞在時間が長くなる。
まして奴隷を購入する人間だ。奴隷の入手方法を聞いて眉を顰めても問題にしようとはしないだろう。
さらにこの店は権力者のお膝元である。彼1人が騒ぐことがあっても取るに足らない。
そうピエロは考えたのだった。
「あと親が売ることもありますね。厄介な子供もいますから」
「ふうん、つまりあなたは悪人というわけですね」
最後の言葉が良くなかったのかも知れない。そういった推測をする暇はピエロには与えられなかった。
気づくとピエロの首には綺麗な裂け目がついており、彼が反射的に首を押さえようとした瞬間に倒れ、絶命した。
「人の人生を奪い管理し平気で苦痛を与える。なんという生き方でしょう。だがそんな生き方すらも死は無にしてくださる。また人を救えました」
スクイは感慨深げに笑った。それは心からの祝福を感じさせる華やかな笑顔であった。
近くのまだ話せる奴隷が事を話し出した。とまらず他のものに伝え、話が大きく広がっていく。
初めは大声などあげれば折檻が待っていた故話すこともできなかった奴隷たちも、事の大きさに話始め、やがて声は広がっていった。
ピエロが死んだ。殺された。
イカれた客が来た。
死にかけの奴隷を望んで手にしたらしい。
彼は死を信奉している。
だから殺したのか?
死が救いだと思い込んでいる。
彼は腐食した女の子を抱き抱えている。
彼はイカれている。
イカれた狂信者だ。
だが、正義より私たちを助ける者だ!
「さあ死を理解する方々よ!」
ピエロの死体をぐちゃりと踏みつけ、スクイは大きな声で言い放つ。
それはテント中に響き渡った。
「苦しい時を迎えたでしょう!生きてきた事を後悔する日もあったでしょう!あの時死んでおけばと何度も感じ、生まれてきた事を呪いさえしたでしょう!」
スクイは抱き抱えた女の子の髪を撫でた。スクイの手には汚れが染み付いていたが、彼は嫌な顔一つしない。
「そう!死は救いなのです!誰もそれを理解していない!生に犯されこのように他者を苦しめても、何があっても死ぬよりは生きていることが正しいと騙されるものがどれほど多いことか!」
彼の声はよく通り、弱りきり、絶望しきった全員の心に届いた。彼らは理解した。今まで人の人生を奪い、売れなければ汚らしいと触りもせず、放っておいて死に至らしめてきた人間は生きるべきだったか?我々は今まで生きていることは絶対の正義だと思っていたが果たしてそうだったか?死ぬよりは良かったと思っていたが奴隷にならずに死んだ方が幸せではなかったか?生まれてきた者を祝福しなかった親もいるのに?
我々は生に騙されていたのだ。
「おめでとう!あなた方は気づいたのです!死は救済なのです!死こそが平等!だからあなたたちは多くを救える!」
「さあ死を救いとしてここに信仰しましょう!そして御旗を立てましょう!我々は」
その言葉をしかしどれほどの者が聞いただろうか。
彼の言葉は奴隷という弱った者たちの心にひどく刺さった。
それは心が弱っていたこともあったし、いきなりピエロの死という絶対者の死を見せられたことによる昂り、非現実感による昂りもあった。
そしてスクイの声だ。よく通り人好きがし、聞こうという気持ちにさせられる。
そして全員がスクイの言葉に納得し、心酔した。
だからこそだろう。
真っ先に死んだのは悪人であった。
スクイの言葉に自分の人生の汚さに気づいた。自分たちもピエロと同じなのだ。薄汚れ生きる価値のない存在。しかし死は気にしない。死ねば皆同じなのだ。
彼らは救われた気持ちになった。
次に死んだのは苦しんだ者たちだった。
罪もなく奴隷にされ明日もない人生。奴隷になる前から奴隷以下の人生を歩んだものもいる。
苦痛を知らぬ者もいるのに自分たちはただ死んだ方がマシだと思うほどに苦しみ続けた。
生きていれば幸せが来るなどもう信じられなかった。
彼らはそれでも幸福な人間もいつかは同じく死に帰すと思えた。
彼らは救われた気持ちになった。
最後に死んだのはただの奴隷だった。
苦しむというほど苦しんでもいない。悪事を犯してきたわけでもなかった。
しかし彼らも思ったのだ。生きるとはそれほど尊いことか?
命とは無条件に素晴らしいものか?
死は忌避すべきものか?
彼らは生に疑問を抱いた。
彼らは死を受け入れたのだ。
彼らは救われた気持ちになった。
「我々はもう、生に期待などしない」
最後の言葉は小さく、死を受け入れた者たちの出す最後の音にかき消されそうなほどであった。
しかしその言葉は確実に、残った者の耳に残った。
死を選んだものが死に絶え、テントに静寂が戻る。
多くの奴隷が詰め込まれたテントだったが、今生きているのは10数人程の人間であった。
「あの」
その中でもスクイに近い者が声をあげる。
「私たちはどうすれば」
そうポツリと言った。その声はひどくガラガラであり、発音も怪しい。彼女は檻の中で舌を噛み切ろうとし、失敗したのだ。
そういった者も何人かいた。純粋に死を選ばなかった者も、死ねなかった者も、同じくスクイの言葉を待った。それは双方選択は違えど、スクイに心酔しきっていたためであった。
スクイは何も言わず、ただ出口まで子供を抱きながらゆっくりと歩いた。
自分の言葉で死んだ大勢の者の間を歩く彼は一度もその者たちのことを見ようともしなかった。
ただ、出口に立ち、振り返らずに言った。
「自由に」
その言葉はただ死を選ばなかった事を責める言葉ではなかった。
どうでもいいと放る言葉にも聞こえなかった。
残された奴隷は今後を考えやはり自殺しようと思った者も多かった。それでも死を選ばなかった者もいた。
彼らは気づいたのだ。我々は自由になった。ただこの身が奴隷でなくなっただけでなく、生という呪縛から、その洗脳から解放されたのだ。
そう感じ、彼らはスクイが去ったあと、彼らは自由に動き出した。
テントを去ったスクイは入り口にいた店員がいないことに気づいた。どのあたりか、ピエロが死んだのは奥である。となると奴隷の集団自殺を見てどこかに報告に行ったと考えるべきだろうか。異常を感じれば中を確認すべきだが、あまりの状況に恐怖したのかも知れない。
ともあれスクイは何食わぬ顔でテントから出た。流石にこの治安の良くない場所でも汚泥に塗れた子供を抱き抱えた人間がいればその匂いと異常さに顔を顰める。しかし近づくことはなかった。スクイはその目線など気にせぬかのように歩き、元来た道を戻り、大通りまで帰った。
大通りを筆頭に多くの人間がスクイを見た。もしくは子供を見たというべきか、スクイは普通の青年だったが、子供はとてつもない匂いがしたし、全身は泥を被ったように汚れ、生きていると思わないものの方が多かった。誰もがスクイを狂人と思い避け、一部のものは罵り、嘲笑う者もいた。
それもスクイは見なかった。ともすれば手の中の子供の方がその状況に素直であった。ほとんど意識のない彼女であったが、今起きている状況で自分が忌み嫌われていることもわかったし、当然だと思っていた。
当然でないと思っているのは自分を抱き抱える異常者のみだったのだ。
しかし、それでも、異常であってもその男の腕は鉄格子より暖かかった。
スクイはやがて一つの店の前についた。商業街を少し外れた場所である。またもう遅く商業街もほとんど灯りがなかった。
その店も営業が終わっていることは明白であったが、スクイは気にもせず、足で蹴るように2回ノックをした。
少し待つと、店の中から物音が聞こえ、扉が開く。
「待ってたぜ。ってうお!」
扉を開けたのは昨日出会ったナイフ屋の店主であった。扉を叩いたのがスクイだと気づいていたらしいが、流石に死にかけの子供を連れているとは思わなかったらしい。
彼は鼻をつまみながら理由を尋ねた。
「彼女は素晴らしい私の共感者なのです。体を洗ってやりたい。風呂はありますか?それと清潔な服を」
「兄さんなあ……」
店主はあらゆる言葉を飲み込んだ。この状態で街を歩いてきたのか、この女の子は一体何だ、共感とはなどであったが、とりあえず全て飲み込むことにした。
「風呂なんて貴族でもないのにあるか。そっちに水浴びできる場所はある。お湯も沸かしておく。服は買ってくるから待ってろ。あとは?」
「湯かスープに浸したパンが欲しい、あとはこれです」
スクイは汚れた手を少し拭い、ポケットから大きめの袋を出し、近くの棚に置いた。
店主は訝しんだが、とりあえず見てみるかとそれを手にすると中身を見る。中にはこの国の最高額の金貨がぎっしり詰められていた。およそ店主の半年の給料にはなるだろう。
「兄さんほんと何もんなんだよ」
そう言いながらも答えが返ってくるとは思っていなかったようで、店主は金貨を数枚だけ持って店を出た。
スクイは店主のいう部屋に行くと、大量の水が溜めてある部屋があった。
桶もあるが冷水である。風呂ではなくこれをかぶる形だろう。
「自分で体を洗えますか?」
スクイは一応女の子ということで聞いたが、明らかに水場に1人でできる容体ではない。
ということでスクイは桶に水を入れ髪を洗い、適当なタオルで手足を拭いた。
明らかに容体は良くない。体が弱っているという生易しいものでなく、手足の先は黒ずみ、壊死しかけている。
「兄さん今いいか?」
店主が戻ったらしく、扉越しに話しかけた。
「買い物はしてきた。飯も食わせてやりたいがちょっとそのレベルの病人には白湯も怖い」
店主のいう通り、スクイは体を清潔にしたがそれで目に見えて何かは変わらない。
食事を取る体力もない子供の生命力は何も変わらないだろう。
「そこでこれをやる」
からん、と風呂場に何かが投げ込まれる音が聞こえた。
店主が投げたそれはナイフだった。
頭身は緑で、極めて小さい。両刃で、切るというより刺すのに適した形であった。
「店主さん気持ちはわかりますがこの子は」
「それは魔道具だ。」
スクイが殺すためのナイフと捉えようとしたところを店主が遮る。
「刺してやれば風邪くらいならすぐ治る代物だ。とりあえずこれを使ってやれ」
「いいんですか?魔道具は高かったですが」
そう言いながらスクイは待ちもせずそのナイフの刃を握る。刺さっている感覚はあるが痛みはない。どうやら本物らしい。
そう確認すると返事を聞かずに子供の胸元にナイフを差し込んだ。ナイフは特別な反応を見せなかったが、わずかに子供の肌に生気が戻ったのをスクイは見逃さなかった。
「いいってことよ。高いとはいえ量販品だし、兄さんにはその子のこともナイフのことも聞き足りねえからな」
そう言われスクイは子供の顔を見る。
子供はゆっくりと寝息を立てていた。
それは初めて見せる、安心した寝顔であった。
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