第八話「汚れた存在」

 一通りメイの手伝いを終え、スクイはまた街を出歩いていた。特に行き先があるわけではなかったが、聞いたところによるとこの街には教会があるとのことだったのでそこを訪ねるのもいいか、もしくはまた買い物でもいいかもしれないなどと考える。お金に余裕はあるのだ。


 そんなことを考えながら人で賑わう大通りを何か目ぼしいものでもないかと物色していると、少し、気になる感覚に襲われた。

 感覚、それは匂いであった。出店が立ち並ぶ大通り、店も構えてあることからそこにはあらゆる商品の匂いが混ざり合っていたが、スクイの気を引いたのはその中でも小さなとある匂いであった。


「死がいらっしゃる」


 日常で見せない僅かな興奮を見せながら、スクイはあたりを見渡すこともなく本能に突き動かされるように匂いのもとへ歩き始める。

 それは大通りから裏路地を抜け、かなり進んだ先であった。大通りの喧騒が収まると、徐々に昨日スクイが殺害したような治安の悪い通りになっていく。光が強いほど闇は強いという形で、人の多い街ほど少し潜れば一層危険な場所が潜んでいるものである。


 やがてこちらもまた商人のいる場所に出た。大通りのようにひしめき合ってはいないが、どれも明らかにまともな店ではない。値段の安さを大々的に出す怪しげな店や、犯罪商品の隠喩を感じさせるものなど、言えば胡散臭い店が多かった。


「なあ兄ちゃん」


 そんな露骨に危険な場所ではまた人間もまともではない。一目でそれとわかる半グレ、カタギでない人間の中で露骨に育ちの良さげなスクイは非常に目立った。

 言ってしまえば完全にカモである。汚れと悪臭で塗れた住人の中でこの街のいい例といえるような人間が話しかけてきた。

 明らかにまともではない。薬物か、そもそも根がおかしいのか、目は焦点があっておらず、隠しもせずに使い込まれた大振りのダガーを引っ提げていた。

 その異様な雰囲気の彼は匂いの元を探し歩くスクイの前に立った。


「いい面だなあ。ちょっとお恵みくれねえかあ?ちょっとでいいんだちょっと」


 そう言いながら歩き続けるスクイに詰め寄った。言い方は不自然で発音も不明確であったが、少なくともそのダガーが脅しでないことは明確だった。スクイと同じ、躊躇なく小さなきっかけで人を殺せるタイプだろう。

 そういった異常者を相手に、しかしスクイは目の前の人間が見えてもいないようにずっと同じ方向を見ていた。


「うるさい」


 そう言ってスクイはただ今まで通り歩を進める。

 その言葉に目の前の異常者はダガーを抜こうとしたが、彼の腰元にはダガーはなかった。遅れてくる強烈な違和感、痛み、それが自分の腹から生えるように根本まで突き刺さっている自分のダガーによるものだと気付くのに時間はかからなかった。

 絶叫が道端にこだまする。しかしこの周りの人間は大して気にも留めなかった。大怪我程度の諍いなどここでは珍しくもないのだ。


 その声にスクイもまた気を払いはしない。彼はただ匂いの元へと歩き、とあるテントの入り口に来ていた。

 そこは少し不思議と言えた。他の店に比べると少し豪奢であったし、入り口にも店員が立っている。

 実の所この場所はアングラながら店によっては上流も使う場所もいくつか存在した。一概に大通りの店と上下とは言えないのだ。薬物や非合法な魔法器具。そういったものはあらゆる層に人気がある。

 このテントもそういった場所であった。


「いらっしゃいませ」


 そう言いながらお辞儀をするテントの前の店員は、この場所に似つかわしくないほどきちんと教育がされているように見えた。

 スクイは目をやることもなくテントの中に入る。

 そこはあまり良い環境ではなかった。大きな檻がいくつもあり、中にはさまざまな人間が入っている。一目でわかるだろう。ここは奴隷商のテントだったのだ。


「素晴らしい」


 スクイは感嘆の声を上げた。ここには死が充満している。わかるのだ。一見檻の中の人間は商品として問題なく管理されている。檻の中とは言え栄養が不自然に足りていないことも、寝れていないようにも感じられなかった。しかし少し奥からは濃密な死の気配が漂ってくる。日常のように人が死んでいて、それが雑多に処理されている空気。その強い死の匂いに惹きつけられ、スクイはさらに奥に目をやった。


「ようこそいらっしゃいました」


 そう出迎えたのは、ピエロの格好をした1人の男性であった。テントということにあやかってなのか、道化の格好をした中年太りの男性はこの場所に対する皮肉とも言えた。


「これはまたお若いお客様だ。どのようなものをお探しで?」


 そう接客するピエロの目には、しかしながら少しの疑念が入っていた。奴隷の値段はピンキリである。入り口近くには絵画のような美しい女性も、優秀な冒険者に引けを取らない肉体を持つ筋肉質な男性もいるが、中には貴族の一食に満たない値段で命を売られるものもいる。

 その中でスクイは変わった客であった。金がないようにも見えないが上流の人間ではない。上流の人間が1人で来ることは滅多になかったし、かといって色欲のままに赴いたようにも見えない。

 奴隷は一般人の中ではいまだに嫌厭される存在である。普通の人間はあまり買いにこない。スクイが何を求めているのか、ピエロには少し判断がつきかねた。


「この奥に入っても?」


 そう言うスクイの声はいつものように優しげだった。誰もが心を緩めるような話し方。しかしこの時のスクイはいつものように話し相手に安心を与えるような笑みを浮かべることはなく、ただ自分の行き先を見ていた。


「ええどうぞ、ただしそちらの商品は」


 そう説明しようとするピエロを無視し、あるいは聞こえていないかのように歩みを続ける。通りにはいろんな奴隷がいた。人によっては自分から誘惑し買われようとするものも少なくない。スクイは見るからに優しげであったし、女性はもちろん、せめて良い飼い主にと思う男も含めてそれなりに声をかけられた。


 しかしスクイはその全てを聞きもせず、ただ歩き、一つの檻の前に来た。

 その周りはもはや死体置き場に近い風体であった。痩せこけた老人や、ピクリとも動かない者、中には虫が集っており、骨の見えるものまでいた。


「お客様こちらの方はあまり推薦しませんな」


 ピエロはスクイに追いつくと息を切らせてそう進言した。

 明らかに質の悪いものばかりだったのは明白で、何より安い。スクイの泊まる安宿の一泊よりも安い金額で、それだけあって生きているのが不思議なもの、というよりほとんどが死んでいた。


「なにぶん管理不足をお許しください。売れないものは正直こちらでも触れにくくてですな。病気持ちがいてもおかしくない。業者に処理させるまでこちらも何もできんのです」


 と説明する。つまりここの者たちは売れずに弱りただ死を迎えているのみらしい。どうにもそういった商品の引き取りは別が行っているらしく、そこがその商品をどうするのかはピエロも知らないことであった。


 スクイは興奮を隠せずにいた。ここなのだ。ここにこそ彼の求めるものがあるとすら言えただろう。

 彼の求める死が蔓延する場所、周りの腐臭、床を汚す汚水、集る虫の一匹すら彼には楽園の1ピースのように感じられた。


 スクイはピエロの言葉に耳など傾けなかった。彼は少ししゃがむと、目の前の檻の錠に手をやる。


「お、お客様?その檻を見られるのでしたら鍵を」


 本当にここに?と思いながら案内をしようとするピエロをわき目に、スクイがすこし錠前を撫でたかと思うと、がシャンという音と共に鍵が開いた。

 そして躊躇いもせずその汚れた檻の中に入り込む。


 中にいたのは薄汚れた子供であった。息をしているのがやっとという風貌で、身動きもせず足を抱えて座り込んでいる。髪は赤いのだろうが、脂や排泄物で汚れているのか、髪も肌も黒っぽく、その容姿を窺い知ることはできなかった。

 中の子供は怯えを僅かににじませた目をゆっくりこちらに向けたが、ただそれのみで指一本動かない。もはや動かせないと言うべきだろう。あと数日、否今日のうちにでも死んでしまいそうな状態だった。


「美しい」


 そんな子供にスクイは躊躇いなく近づく。檻の中は垢や排泄物で塗れ、虫の死骸や卵がべちゃりと音を立てており、そこに身をかがめ入り込むスクイには服にも顔にもその汚れが否応なくへばりついたが、彼は見向きもしなかった。


「なんと美しい存在か。全身に死が蠢いている。生を意味する吐く息すらも死に覆われ、身体の一部はすでに死に捧げたかのようだ。死を感じる虫たちも君のことは死者としか見ていない」


 彼はうっとりと目の前の子供に語りかけた。子供はその異様さに何かを感じそうになったが、死にかけの身でうまく言葉にならない。思考すら朽ちかけているのを感じるのみであった。

 その子供にスクイは近づき、そっと抱きしめた。


 子供は困惑した。自分が何をされているのか理解できなかったのだ。ただ、自分が奴隷に拾われてからずっと小汚く、女とは言え、買われるどころか奴隷商にすら触れられないほど汚れた存在であったことは理解していた。

 なぜこの男が自分を抱きしめているのか、なにもわからなかったのだ。


「君は死を望むだろう」


 そうスクイは目の前の子供に囁く。子供はぼんやりする意識の中でその言葉を理解した。

 死。その通りであった。ここで飢えに苦しみ汚れて朽ちていくのを待つだけならば、きっと死こそが自分に相応しく、救いであるのかもしれなかった。

 子供はただ力なく、抱きしめたスクイすらもわからぬほどに小さく頷いた。


「結構」


 子供は自分が死ぬと悟った。思考したのではない。ただ本能で、この男は自分を殺しにきたのだと、そのためにここにいるのだと感じ取ったのだ。そしてそれもよかった。思考できなくとも子供はこの抱きしめられた状況を決して不快には思わなかったのだ。


「死の救いを」


 そう耳元で呟くスクイの顔は、最後まで穏やかで、声音は優しく、聖者のように清らかだった。

 こんな人間にならば殺されたって構わない。そう思えるほどそこに悪意はなく、ただ真摯な想いだけが感じ取れる。

 だが彼は抱きしめた体に力を入れることはなく、ゆっくりと子供の目を見た。


「君に死の救いを与えたいが、しかし君ほどの人間にはもっとできることがある」


 スクイは子供の髪を撫で、耳に髪をかけた。語りかけるように話し始める。


「世の中にはまだ生の苦痛にうめき、生こそが正しいとその目を眩ませ自分の苦しみから解放されずいるものが大勢いる。君はその大勢の人間を救うことができる」


 スクイの目は本気だった。子供はその言葉を理解できなかったが、彼が適当を言っていないことを感じたし、何より親身に自分に寄り添っていると感じていた。


「死の救済を求める君こそ、その救いが与えられるのだ。死を理解してこそ死を与えられる。君ほど素晴らしい存在は世の中にいないのだ。どうか」


 子供は気づいた。思考するまでもなかった。霞がかった頭でも、彼の言うことも、彼のしたことも、彼の目の奥も、彼の全てが異常だと気づいた。

 しかしそれは、誰もが近寄り難い自分に躊躇いなく近づき、抱きしめ、賛美し、子供の目を見てくれたことが異常だということだった。


「私と共に来てくれないか」


 子供は涙を流していた。理由は分からなかった。それほど子供は衰弱しきっていた。涙も汚れにまみれ、落ちるほどの水分は体に残っておらず、泣き喚く体力もなかった。傍目に子供は何も動きはしなかったとすら言えるだろう。

 ただ、誰にも気付かれぬほどに子供は小さく頷いた。

 誰にも、スクイ以外には見えないほどの、小さな肯定であった。

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