第3話

 ふと足元を見下ろせば、風に吹かれて落ちた桜の花びらがコンクリートを疎らに彩っていた。陽射しに暖かさは感じるものの、肌を撫でる風自体はまだ冷たい。もうしばらく薄手のカーディガンは手放せないな、と考えながら小さく溜息を吐いた。

「朝、コンビニで適当に買っておけばよかったなぁ」

 昼休憩は一時間あるとはいえ、普段なら持参した弁当かコンビニで事前に買っておいたものをそのまま会社で食べているため、外に出て飲食店を探すことに若干の億劫さを感じる。それでも、わざわざ外に出た以上コンビニで何かを買って会社に戻って食べる気にはなれなかった。

「あそこでいいかな」

 あたりを適当に見渡して目についた定食屋に足を進める。過去に何度か利用したことがある店であるから、味の心配がいらないだろう。一番の懸念は混雑だったけれど、団体で来たならともかく一人だったお陰で待つこともなくカウンターへと通された。ざっくりとメニュー表を見て、お冷を持ってきてくれた定員にそのまま注文を通す。繰り返された言葉に首肯を返して、鞄からスマートフォンを取り出した。

「急ぎの連絡は来てないね。他も特にはないか」

 サッと連絡ツールに目を通し、何もないのを確認してからソシャゲを立ち上げる。数度タップしてしまえばあとは放置して周回してくれるソシャゲは、こういう隙間時間に扱いやすい。テーブルの上にスマートフォンを置いて机の下で手を組んだあと、ぐうっと背を伸ばした。ぴり、とした痛みが腰に走って肩を竦める。一日の半分以上を座って過ごす生活をしていると、どうしても体が硬くなってしまうな、と苦笑する。

「そろそろ整体行かないとなぁ」

 そんなことをぼやいていると、先程とは違う店員が、注文したメニューを持ってきた。まだ周回の終わっていないスマートフォンを鞄に放り込んで場所を開け、軽く会釈する。ほかほかと湯気の立つてんぷらうどんは見るからに美味しそうで、ぐうぅ、と腹が鳴った。

「いただきます」

 音を立てないように手を合わせてから一瞬目を閉じる。その後でうどんののせられた盆の上にある箸に手を伸ばした。上に乗せられた天ぷらを横に避けて、数本のうどんを箸で挟む。流れた髪を耳にかけながら上体を倒し、ふぅふぅと息を吹きかけた。薄く唇をくっつけて温度を確かめた後に、つるつるとうどんを啜ったところで薬味を入れ忘れたことに気が付き、あ、と小さく声を零す。

「……まぁいいや」

 一度薬味の並べられている場所に目を向けたあとで小さく首を横に振った。はふはふ、と熱さを誤魔化しながら食べ進め、時折、ふにゃふにゃになった天ぷらへ浮気する。元々食べるのが早いこともあり、無言で食べ進めていれば十分もかからずに丼ぶりの中身はすっかりと空になってしまった。

 満腹になった腹部をぽんぽんと叩くように撫で、置かれていた水で喉を潤す。鞄に入れておいたスマートフォンに手を伸ばすと、既に周回は終わっていた。アプリを落とし、何のメッセージも来ていないことを確認してまた鞄に戻す。それから、ふーっと息を吐いて目を閉じた。

「……元気にしてるかな」

 目を閉じると、自然に神様の姿が瞼の裏に浮かんでくる。今日もにこりと笑って送り出してくれた神様は、どうやら私の家から外に出られないらしい。その上食事や睡眠といった人間であれば誰しもが必要とすることも、神様には不要だった。当たり前といえば当たり前なのだろう。神様の元になった、私が恋していた彼は人間であったけれど、ここにいるのは私が捨て損ねた恋心が形を変えて拠り所にしてしまった偶像だ。なぜ私の目に見える形となってしまったのかは不明だけれど、今のところ特別困ったこともないから解決する気にはなれなかった。

「一人暮らしじゃなければまた違ったんだろうけど……いや、一人暮らしじゃなければきっと、こんなことにはなっていないか」

 自嘲するように笑って、勘定を払うために席を立つ。うっかり神様のことを思い出してしまったせいで、午後の業務中ずっと頭の片隅に居座られてしまいそうなことが少しだけ心配だった。

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