第14話 「ならここで腹をくくれ」

 二日目の夜、初めて千秋の父親と対面した。

 血の繋がりがあるだけあり、千秋は父親によく似ている。

 友人だと伝える彼の目が泳いでいて、かくいう大地も目を逸らした。

「よく来たね。何もないところだが、ゆっくりしていってくれ」

「父さんには事情を話すけど、いろいろあって大地はストーカーに追われているんだ」

「なんだって?」

「今、実が大地の家の回りや相手方の家の調査をしてる。その間の預かりもかねて、ここに来た」

「それはずいぶん怖い思いをしただろう」

「千秋さんや保坂さんに、たくさん助けられています」

「失礼だが、未成年?」

「いえ、成人を迎えています。大学生です」

「いくらでも泊まればいい。なんなら、こっちに引っ越すかい?」

 口を大きく開けて笑った。

「都会に慣れたらここなんて退屈なだけだ」

「自然がいっぱいで、楽しんでいます。今日も千秋さんに、いろいろ案内してもらいました」

 夕食は唐揚げと卵スープ、そしてトマトサラダだ。大皿に乗る唐揚げが次々となくなっていく。

 おろおろする大地を見て、千秋がいくつか皿に乗せた。

「子供の食欲は侮らない方がいい」

「すごいですね」

「美里はどうした?」

「部屋から出てこないのよ。食欲ないって」

 母親は心配そうに言うが、思い当たる原因は一つしかなかった。

 千秋も感づいているはずなのに、触れる様子も見せない。

 大所帯の夕食を終えて部屋に戻ると、千秋は端末を持って部屋から出ていった。

 長い電話の間、机に置いてある法律の本を開く。初心者用なのか、絵つきで分かりやすい。

「面白いこと書いてますね。本を読むのは好きですし、これは分かりやすい」

「貸そうか?」

「じゃあこれ、お守りにする。千秋さんが死んだら代わりだと思います」

「おい」

「誰と電話ですか?」

「お察しの通り、実と。お前にとっちゃ朗報だ。鮎川達彦は任意同行されたらしい」

「本名初めて知りました。ストーカーで任意同行?」

「お前に対するストーカー以外にも、いろいろあったらしい。被害者が他にもいたってことだ」

 大地もほっと胸を撫で下ろす。

「ひとまず安心なのに……明日で最後ですね」

 しんみりな雰囲気にはならなかった。無理やり顔を持ち上げられ、唇を奪われたからだ。

「最後にはならない。明日でまたお別れだが、必ず会いにいく」

「わがまま言ってもいいですか?」

「ん」

「将来は、もっと側にいたい」

「そうだな」

 千秋は微笑むが、今までにないような柔らかい笑みだった。

 断れなかっただけで、心が軽くなる。夢のまた夢だが、千秋も同じ気持ちでいてくれる。今はそれが支えだ。

 嬉しさの反面、不安要素は別に溜まっていく。彼の家族のことだ。

「美里ちゃんは大丈夫ですか?」

「それはお前が気にすることじゃない。が、難しい年頃なんだよな。自覚はあるが、俺に懐きすぎているくらいなんだ。そのうち好きな男の子でもできたら離れていくとは思うが……正直言うと、ちょっと心配はしてる。まあ明日でも話してみるさ」

 暖房が止まると寒さで震えるが、布団と隣の体温で熱が全身を巡っていく。

 加えて身体を弄られ、頭が下がると抵抗は諦めて身体の力を抜いた。


 ほぼ昨日の朝以来の顔合わせだった。

 洗面所でばったり会った美里はあまり顔色が良くない。

「おはよう」

 挨拶をしてみるが、目すら合わせようとしない。

 先にリビングにいる千秋は、新聞を読んでいた。

 子供たちはまだ眠いのか、昨日とは違っておとなしい。

 一番下の子は千秋にまとわりついていたが、大地を見るなり膝の上に乗る。

「懐かれたな」

「子供に好かれたのは初めてかも。嬉しいです」

 最後に美里が座り、いつもよりおとなしい朝食の時間が始まった。

「今日まで本当にお世話になりました」

「解決したのか?」

「保坂さんが動いてくれたおかげです」

「でも引っ越しはした方がいいな。都会で一人なんて危なすぎる」

「東京に戻ったら、さっそく準備をしようと思います」

「ああ。それがいい」

「美里ちゃん、いろいろありがとうね」

 あえて声をかけてみた。美里は音を立てて箸を置くと、静まり返る。

「千秋お兄ちゃんってさ、ホモなの?」

 ぎょっとしたのは大地だ。それに千秋の両親も。

 当の本人は憮然とした態度で、茶碗を置いた。

「なぜ?」

 いつもと全く変わらない。それどころか、聞かれるのを想定していた様子だ。

「聞いちゃったんだよね。お兄ちゃんの部屋で、その人との会話」

「もし、そうだと認めたら、美里はどうする?」

「どうもできないじゃん。気持ち悪いだけ。ご飯やっぱりいらない。食べたくない」

 半分以上残ったまま、美里は立ち上がる。

 語尾が泣きそうに声が震えていた。

 重すぎる責任と重圧がのしかかる。もし、ここに来なかったら? 千秋の秘密はばれることはなかった。

「美里には俺が話す」

「僕も行きます」

「……分かった。父さんと母さん、後でちゃんと話すから」

「なんとなく気づいていたよ。美里を頼む」

 力強い言葉だ。震える膝をなんとか立て直し、彼女の部屋へ向かった。

「美里、少し話そう」

「あいつもいるんでしょ? 嫌だ」

「美里ちゃん、僕と話してほしい」

「嫌に決まってるでしょ! お兄ちゃんを巻き込まないでよ!」

「俺は巻き込まれてない。元からこうだ。男性が好きなんだ」

「嘘ばっかり。近所のおばさんから自分の娘と結婚はどうって進められてたじゃん。あれはどうなったの?」

「断ったよ。あのときは夢があるから考えられないって話した。でも本当は、女性を好きになれないからだ。俺を生んだ母親は俺を捨ててどこかに行ったって知ってるだろう? あれ以来、女性に対する不信感があって、年を重ねるたびに苦手しか残らなくなった。大地は関係ないんだ」

「友達って……嘘までついて……」

「ああ。いきなり本当のことを言うと、驚かせるだけだと思ったし、ショックを与えると思った。だから言わなかった。それに、俺が臆病なのもある。今すぐ分かってほしいとは言わない。でも、美里にも知ってほしいし、受け入れてほしい。家族に拒絶されるのは、もうこりごりだ」

 中からすする音が聞こえる。美里はもう何も言わなかった。年頃の女性にとっては、衝撃しかないだろう。

 重い足取りで戻ると、母親はお茶を入れてくれた。

 言葉が出ない。口を開いてもすぐに閉じ、何から切り出していいものか考えあぐねていると、先に切り出したのは千秋だった。

「美里とは話せなかった。泣かせたのは俺だ。大地とは付き合っている。この先も一緒にいたい気持ちは変わらない。家族に受け入れてもらえないのは寂しいが、押しつけようとも思ってない」

「ふたりで出かけたんだろう? 友達同士ってわりには実とはまた違った雰囲気だし、もしかしたらそうなんじゃないかと思ってたんだ。俺が聞きたいのは、この先も一緒にいたいという点だ。大地君は大学生だったな」

「はい。そうです」

「就職はどうするんだ?」

「東京で就職します」

「矛盾してるじゃないか。千秋はここで仕事をしている。どうやって会う? 一緒になる?」

「それは、」

 千秋は言葉を詰まらせた。家族が大事だから残りたい、けれど田舎を出て弁護士として働きたい。二つの気持ちの間で揺れている。

「千秋、お前は家を出ろ」

「待ってくれ。それだと……」

「お前は長男だからって重荷を背負う必要はないんだ。子供を守るのは長男じゃなく、親のつとめだ」

「兄ちゃん、いなくなるの?」

「いやだ」

「のこってよ」

 何よりも大切な存在を前に、千秋の顔が歪む。

「大地君と一緒になりたいって言った話は嘘か?」

「嘘なわけない。ずっと側にいたい」

「ならここで腹をくくれ」

「俺は…………、」

 これは千秋にとってではない。大地にとって、最後の覚悟だった。

 もし、千秋がここに残る選択肢をとったのなら。

 ポケットにある端末にそっと触れる。連絡先を消し、二度と会うことはないだろう。

 千秋が人生を決めるのなら、同じ覚悟を持って望む。

 前に進めるように、最後にありがとうと伝えられるように。

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