第15話 「孫の顔を見せられなくてごめん」
決着をつけなければならないこともある。
春休みを利用して、広大な大地に降り立った。
雪が残り、春の香りがするのはほど遠い。まだくすんだ雪が残っていた。
「大地! こっちこっち!」
人目をはばからず、大声で呼ぶ声に懐かしさ込み上げてきた。
「お母さん、人見てるよ」
「ちょっと背伸びた? ご飯は食べてる?」
「食べてるよ、大丈夫」
「ちょっと見ない間に大人っぽくなって……」
目が潤み出す前に、背中を押して急かした。
久しぶりの地元は感動も特になく、寒いとしか思えなかった。
出たくて出たくてたまらなかった北海道だ。帰ってくると、不思議な感覚がある。
母は車に乗ってもずっと話していて、もっぱら近所の話や新しくできたスーパーや映画館の話ばかりだ。
近所の人が外で庭の手入れをしていて、大地を見るなり歓声を上げる。
大地は頭を下げて、適当に挨拶を交わすと、さっさと家に戻った。
自室は家を出たままの状態になっていた。
千秋の部屋にある本棚とは違い、統一性のない本だらけ。彼と比べると、覚悟がない。そんな大地でも、一つの覚悟を持って北海道をまた踏んだ。
「今日はお寿司でいい? お父さんも寿司にしたらっていうんだけど」
「寿司がいい」
「普段は何食べてたの?」
「カレーとか」
「作っておけば数日食べられるものね」
最近は千秋の好物ばかり作っている。カレーにハンバーグ、オムライス。子供が好きな定番料理だ。
「ちょっと出かけてきてもいい?」
「いいわよ。どこに行くの?」
「早川の家」
母は意外そうな顔をする。
思った以上に寒かったため、父のコートを借りて彼の家に向かった。
早川も実家に帰っていると情報は得ている。勇気を出してインターホンを押すと、当の本人の声が聞こえた。
「大地だけど、ちょっと話できない?」
『……分かった』
渋々出てきた早川は、普段のファッションではなく上下ともにスウェットだ。似ても似つかないのに、千秋と重なる。
「お前も帰ってたのか」
「うん。すぐ帰るよ。誤解を解きたくて」
「誤解?」
「もしかして、ダイちゃん?」
背後で顔を出したのは、早川の母親だ。
嬉しそうにスリッパの音を立ててやってきては、中へ入るよう促す。
嫌そうな早川を尻目に、お邪魔した。
「早川君のご両親にも話がしたくて」
「何かしら? パパは仕事なのよ」
コーヒーを出してくれる彼女にお礼を言い、すぐに話を切り出した。
「雑誌の件です。早川君は僕が彼のプライベートをべらべらと話したって思い込んでいますが、絶対に僕じゃないです。卒業アルバムの写真が出回ってましたが、僕のもらったアルバム自体どこにあるのか分からないです。処分してしまったかもしれません。ご家族にもご迷惑をかけてしまってますので、どうしても誤解は解いておきたかったんです」
「あら、まあ……」
母親はしどろもどろになり、目線が泳ぎ出す。
申し訳なさそうに口を開き、
「ダイちゃんにも迷惑をかけちゃったのね」
と、小声で呟いた。
「どういうことですか?」
「あの写真を渡したの、私なのよ」
「ええ?」
「うちから芸能人が出て、つい舞い上がっちゃって……。過去の写真がほしいって言うものだから、渡しちゃったのよ。まさか相撲部だった頃がそんなに嫌だったなんて思いもしなくて」
早川はむすっとしたまま、そっぽを向いた。
「そうだったんですか……。僕は、相撲部で一生懸命やっていた早川君はとても魅力的に感じました。言いたかったのはそれだけです」
「啓介はダイちゃんを疑ったのね。本当にごめんなさい」
「いいえ。過去のことで、いろいろご迷惑をかけてしまいましたから。疑うのも無理はないと思います。コーヒーごちそうさまでした」
「啓介、送ってあげなさい」
「なんでだよ。家そこだろ」
「いいから」
早川は嫌々立ち上がった。大地もあまり気乗りしなかったが、送られるしかない。
帰り道、早川は一言も喋らなかった。「じゃあな」や「また」も何もない。家まで来て、そのまま帰った。
思うところがあっても、過去にできたわだかまりはそう簡単に消えるものではない。それでも、いつか心のしこりが解れたらと願う。大人になってからでも、また里帰りをしたときでも。大地もまだ、話す術を知らない。
家には寿司が届いていた。こっそり撮影して愛する人に送ると、
──俺も今日食べる。引っ越し寿司。
と返ってきた。今は荷物を解いている頃だろう。
「なに笑ってるの?」
「お父さんが帰ってきたら話すよ」
母は何か悟ったようだった。
久しぶりに三人揃い、父は二日ぶりだと缶ビールを開ける。
父も母も口を揃えるのは「大人になった」だ。
「あのさ……突然の話なんだけど」
「なに?」
「引っ越しするんだ、春休みの間に」
「お金は貯めたのか?」
「一応。少しだけど、貯金してある。好きな人ができて、一緒に住もうって言ってくれた」
分かりやすいほどに、二人の箸が止まる。
好きな人。つまり、そういうことだ。
父と母は大地の性癖を知っている。だからこそ、良かったなとはすぐに出ない。
自分にない世界を持つ者は、脅威に見える。
「相手は……その……」
「弁護士やってる人」
母は目を大きく見開く。
「どこで知り合ったのよ。騙されてるんじゃない?」
「一応、相手のご両親に挨拶は済ませた。そのうち彼も北海道へ来てご挨拶したいって言ってたけど、仕事が忙しいからしばらくは難しいってさ」
さらっと性別を伝える。無反応だ。反応に困るだろう。眉毛がハの字になり、困惑している。
「好きになってすぐに決めたわけじゃないよ。たくさん話し合ってきた」
「弁護士って言ってたけど、家柄がそういう家庭の方なの?」
「その人だけだよ。むしろ本人がいろんなしがらみがあって家を出られないって思い込んでた。お母さんとお父さんは、家を出ろの一点張りで、まずそこで争いになったし。家族の多い人だから、側で食わせていかなきゃいけないって考えと、子供のくせに人生を粗末ににするなって考えがぶつかって、なかなかまとまらなかった」
「うーん……」
あのとき、両親に説得されて残る選択肢を取ったのなら。
大地はきっぱり縁を切るつもりだった。これ以上傷が深くなる前に。結局、大地自身も臆病だった。
──臆病者同士、一緒になろうか。
諦めと覚悟が混じった顔で、彼は両親の前でプロポーズめいた言葉を口にした。
頷くと、千秋とは対照的に妹は別の意味で忘れられない顔で拳を握った。
山ほど乗り越えなければならない問題はある。今が正念場だ。
「なあ……その、本当に女性は好きじゃないのか?」
「ない」
きっぱりと断言する。
「何度も聞いたよ。孫の顔を見せられなくてごめん。田舎だし、世間体とかいろいろあると思うけど、……本当にごめん」
家族といえど、しょせんは他人だ。理解は難しい。けれど、彼の件で学んだ。彼の家族は、血の繋がりがあろうがなかろうが、歩み寄って理解してくれた。彼方も、そうでありたいと願う。
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