第13話 「一番はお前だ。勘違いするな」
シャワーを借りて千秋の部屋に戻ると、客人用の布団はたたまれたままだった。
本棚には法律の本がぎっしりとつまり、机には殴り書きされた紙がいくつも貼ってある。
「弁護士の先生だって、保坂さんから聞きました」
「ここだと仕事がほとんどないんだよ。鍵をかけないで出かけても問題ないくらい平和だからな。あるのは大根の収穫手伝えだの、釣りに行くから朝五時に集合とかそんなんばっかだ」
「弁護士の仕事じゃないですね、それ」
千秋は勉強イスから立ち上がり、隣に腰を下ろす。
「ひどい田舎だろ?」
「千秋さんがあまりプライベートなことを言いたがらなかった理由って、これだったんですね。てっきり結婚してて、妻子を隠したいからだと思ってました」
「安心したか? 田舎すぎて言いたくなかったんだよ」
「保坂さんの実家も近くなんですか?」
「ここから歩いて五分もかからない場所だ」
もう一度、唇が降ってきた。吸われすぎて痛かったが、今日はしたい気分だった。
「話はほぼ聞いてる。実に任せておけばいい。それと、引っ越しした方がいいな。念のため」
千秋は長々と息を吐き、大地の背中を包む。
「家まではばれてないんで、大丈夫です」
「その大丈夫に保証はあるのか?」
「ないですけど……」
「しばらくはここにいろ。安全が確認できたら、実から連絡が来ることになったから」
「明日には戻るつもりでいたんですけど……ご家族にも迷惑がかかりますし、学校もありますし」
「これだけ人数がいるんだ。ひとりくらい増えても大したことはない。それに俺を誰だと思ってる? 勉強ならみっちり教えてやるから覚悟しろ」
「わー、たのしみだなー」
「それと……」
千秋は強く抱きしめる。大地も返事をしない理由はない。
「お前に会えて、嬉しい」
「僕も……嬉しい。千秋さんは、ずっとここで生活してるんですか?」
「そうだな……まあ」
「東京でよく僕と会ってたじゃないですか? 保坂さんの事務所に用事があったとか?」
「……そんなにない」
千秋の口が重くなる。
「都会が好きとか?」
「それもある。ああ、もう。別にいいだろ」
飛行機に乗っていただの、千秋は過去に漏らしたことがあった。もしかしたら関東に住んでいないのではないのかと考えていたが、こんなにも距離が遠いとは思いもしなかった。
「『……心の距離感は、ずっと遠いまま』」
「ん?」
「以前お前が俺に言った。心の距離は遠くない。お前の気持ちは分かっていたが、物理的な距離はどうしても埋められないんだ。生半可で適当な答えでお前を傷つけたくなかった。もし気持ちに答えて、お前が会いたいなんて漏らしたら、すぐに会いに行けない。俺は……ここを離れられない。チビどもがまだ小さいんだ。義理の母親と父親を残しておけない。俺ひとりだけが夢を叶えて、自由に生きるなんてできない」
「義理の母親?」
「小さい頃に母親が蒸発してるんだ。田舎暮らしが嫌だって書き置きを残して、俺を置いていなくなってる。今の母親は親父の再婚相手で、美里は義理の母親の子供。さっきの鼻水垂らしたおチビは、親父と今の母親の子供。あとの五人は、俺とは血の繋がりはない」
「千秋さんとさっきの子は、異母兄弟なんですね」
「ああ」
「どうしよ……涙が出てきそう」
「泣け泣け」
「うう……失恋した」
「勝手に失恋するな。俺は振ったわけじゃない」
「じゃあ、遠距離?」
「お前は耐えられるのか? 次に会うときが半年後だったとしても」
「耐える。がんばる。千秋さんじゃないと嫌だ」
「うん。俺も。親不孝だなって常々思うよ。親に俺の子供は見せてやれねえし」
「女性が嫌い?」
「怖い。それにお前がいい。エロいし」
「結局それかっ」
廊下で物音がした。反射的に振り向くが、千秋が押し倒してきたので確かめようがなかった。
昨日とは打って変わり、天気も良く風もほとんど吹かなかった。真冬にしては暖かい気温であり、散歩やデートにはちょうどいいと、千秋はぼやく。
残り五人とも顔を合わせ、挨拶をする。冬休み真っ只中であり、朝から遊ぼうと元気いっぱいだ。
千秋が母親に話したようで、ぜひ泊まっていってと嬉しそうに微笑む。
「千秋兄ちゃんは今日遊べないの?」
「無理。暇なら畑の収穫手伝ってやれ」
「はーい」
「お手伝いなんてえらいね」
子供への接し方なんて分からなかったが、褒めると得意そうに、いかに自分が役に立っているか自慢げに語る。
「美里ちゃんは中学生?」
「…………うん」
「宿題たくさんで大変だね」
「別に。終わったし」
こちらはなかなか難しい年頃だ。不機嫌を隠そうともせず、朝食のパンを放り込む。
「ごちそうさま」
美里は一番に皿を片づけ、部屋にこもってしまった。
午前中は千秋の案内で、ドライブすることになった。
「親父のなんだ。色気のない車でデートには向かないけど」
「うちにもありますよ。懐かしいです」
軽トラックには、お守りや子供の書いた絵が飾られている。
「さっきは悪かったな。お前の味方をしたら美里の立場がなくなる」
「大丈夫です。美里ちゃんを一番に考えてあげて下さい」
「一番はお前だ。勘違いするな」
「なんか、今日の千秋さんは誘惑してきますね」
「もう遠慮はいらないだろ? ここが幼稚園。その先が小学校」
幼稚園では、子供が砂遊びをしている。車に気づいた園児は手を振ると、千秋は振り返した。
「知り合いですか?」
「知り合いといえば知り合い。人口は二百人もいないんだ。みんな親戚みたいなものだからな」
「楽しそうだけど、苦労もすごそう」
「お前がケイちゃんに告白したって話だが、近所に伝わったときの苦しみはよく分かる。ガキの頃、幼稚園でおもらししたときは島中に広がっていて、人間の残酷さを初めて知った瞬間だった」
「子供でも内緒にしておきたいことはありますからね」
「大人でもある。たとえば、こういう関係とか」
「家の人に言わないつもりですか?」
「お前はどうしたい?」
「うちは僕がゲイだってばれてますけど、まだ勇気が出ない」
「……昨日から、お前に委ねてばっかりだな。かっこ悪」
「千秋さんはかっこいいですよ」
「俺と同じ年齢になったときに分かる。いかに俺がダサい男か」
「あ、でも保坂さんは千秋さんのこと、子供だって言ってました。嫌いな食べ物が多いとか。昨日の印象から変わったことといえば、千秋さんってけっこう恋愛に臆病なんだなあと」
「その通り。赤い糸がないだの言っているが、単に逃げ回っているだけだ。はあ……」
海沿いで車が停車する。車の中まで潮の香りがして、我慢できずに大地は飛び出した。
「海っていいですね! 北海道で海に囲まれていても、気づけないことってあるんだなあ」
「ここに住みたい?」
「それとこれとは別です」
強風が吹き、顔を覆うと首元が暖かくなる。
千秋は自分のマフラーを外し、大地にかけた。
「お前は……偉いよ。いろんなものと戦っているんだな。家族の元を離れて一人暮らしで、自分の成すべきことをしようとしている。俺はぬるま湯に浸かっているだけだ」
「弁護士っていう夢を叶えただけで、充分すごいと思いますけど」
「勉強さえすりゃ誰でもなれる」
「千秋さんの、本当に夢が知りたい。望んでいることってなんですか?」
「俺の望みは……好きな人とずっと一緒にいて、都会で弁護士をすること」
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