第8話 「大地」

 昼食は千秋のリクエストで、学食になった。

 大学生が開いている喫茶店で食べればいいのに、頑なに学食がいいと言い続け、けっきょく大地が根負けした。

 人がほとんどいないのは、文化祭を楽しむ人々はこの日にしか味わえない出店やカフェを利用しているからだろう。こんな日に学食を選ぶ人なんて、そうそういない。

「パスタが食べたかったんだ」

「ナポリタンってパスタ? パスタっておしゃれなイメージだけど、スパゲッティって田舎っぽい言い方に聞こえる」

「イタリア語におしゃれも何もあるのか?」

「僕の田舎だとそうなんです」

 きっちりとふたり分の支払いをした千秋はナポリタン、彼方は冷やしうどんの大盛りだ。大盛りを頼むと、なぜか千秋は嬉しそうな顔をする。

「子供にはたくさん食べさせたいんだ」

「子供? 子供相手にあんなこと毎回してるんですか?」

「大人大人」

「そう、僕は大人」

 贅沢なカスタードプリンもつけてもらい、有り難く食べた。ひとりだとこんなに注文できない。

「早川啓介君は、因縁の相手なのか?」

「うん……そこそこです。僕が高校生のときに告白して、学校中に広まった挙げ句、ゲイばれしました」

「それは悲惨だな。田舎だとなおさら広まるだろうに」

「家族にもばれました。それどころか近所中にも。ふたりっきりのときに告ったんで、ケイちゃんがばらしたとしか思えない」

「お前はああいうタイプが好きかのか?」

「……………………」

「なんだよ」

「さっき、名前で呼んでくれた」

「そうだったか?」

「僕の名前、忘れてるかと思った。いっつもおい、とかお前、とかだし」

「大地」

「ふふふふ……ふふ…………っ」

 異物を見るような目だ。

「大地クン、ケイちゃんとはそれからどうなりましたか?」

「どうもなってないです。親友だったのに、亀裂が入って終わり。北海道を出たくなって、都会に来ました。なのに、なぜかケイちゃんもこっちに来ていて、しかも同じ大学」

「災難だな。運命の相手だったりして」

 ぎろりと睨むが、千秋は無視をしてナポリタンを頬張った。

「運命の相手なんて、冗談じゃない」

「そういうのに憧れてるんじゃないのか?」

「人は選ぶってことです」

 千秋のトレーには、まだカスタードプリンが残っている。

 黙って見ていると、無言で移動してきた。

「最近、あってもいいかもと思い始めた」

「プリンですか?」

「違う。運命の相手ってやつ」

「そういえば、どうしてそんなに嫌うんです? 運命とか糸とか、想像しているだけでも楽しいのに」

「恋とか愛とか、そんなの想像してニヤニヤする年でもないんだよ。現実は厳しい」

「僕だって分かります。ケイちゃんが運命の相手だったらいいのにって、数年前は思ってました。今は違って良かったって思いますけど」

「お前は乗り越えるのが早いのな。年を取るとあと何回恋愛ができるんだろうとあせりも加わって、それなら一生独り身の方が楽だと感じるようにもなる」

 千秋はテーブルの上に置かれていた大地の手に、そっと重ねた。

「……僕なら、千秋さんに寂しい思いさせないのに」

「嘘つけ」

「嘘じゃないです」

「それは嘘だ。絶対。寂しい」

「寂しいんですか?」

「……………………」

 重なった手は離れていきそうになり、大地は掴む。

「今日、泊まります?」

 隣にあるスーツケースが、千秋を遠くへ誘おうとしているように見える。

 大地は返事を待った。辛抱強く、彼が首を縦に振るまで。

 千秋は手を握り、大地の足にとん、とくっつける。

「ただし、地獄が待ってますけど」

 大地はどこか遠くを見つめ、嘆息をついた。


「狭いアパートへようこそ」

「二度目だから知ってる。お邪魔します」

 今日は千秋から襲われることもなく、スーパーの袋の中身が傷まないで済む。ちなみに今回もリクエストのカレーだ。

 大地はほっと息を吐いた。安堵のため息だ。千秋の持つスーツケースを見ていると、遠くへ行ったまま戻ってこなそうで、不安に駆られるのだ。

「これなんだ?」

「それ、地獄への登竜門なんで」

「どうりで俺を部屋に呼びたがると思った」

「それは三割くらいの理由です」

「割合多すぎだろ」

 床にはタオル。ぽっこりと浮き出た形は、目を伏せたくなるほどおぞましい。

 数日前、SNSで千秋から教わった通りにセミを閉じ込めた跡だ。

 処分しなければ当然そのままで、残念ながら異世界へ消えたりしない。

「タオルは使うか? 使うなら中身だけ取り出すけど」

「全部捨ててほしいです」

 千秋はいとも簡単にタオルを包んで結び、ゴミ箱へ入れた。

「すごい。魔法使いみたい」

 千秋は呆れた目で長め、ビニール袋の中身を冷蔵庫へつめた。

「俺の案、採用したんだな」

「ん?」

「いや……、今日は大地が飯作ってくれ。俺はちょっと昼寝したい」

「ええ? ひとりで寝るんですか?」

「一緒に寝たいのか?」

「別の意味では寝たい」

「それは夜。ちょっと体力回復させてくれ」

 千秋は大きなあくびを一つ残し、ふらふらしながら大地の部屋に向かった。

 限界だったらしく、ベッドに倒れるとぴくりとも動かない。

 真夏とはいえ、クーラーをかけている部屋では風邪を引く。千夏は薄手のタオルケットをかけてやり、カーテンを閉めた。

「ここ……居心地いいな……」

 千秋は声を漏らすが、今度は大地の耳にも届いた。

 大地はキッチンへ行き、エプロンを身につけ、鍋を取り出した。


 少し遅めの夕食は好評で、鍋が空っぽになるほど食べ尽くした。

 残ったカレーはドリアが美味いとおすすめする千秋は、グラタン皿に一人分のドリアをつくり、冷蔵庫へ入れる。

「明日、チーズが溶けるまで焼いて食べればいい」

「ドリアとか贅沢。一人暮らししてから食べたことないです」

「それは良かったな」

 砂糖たっぷりのアイスコーヒーで乾杯し、テレビをつけた。

 ちょうど大学の文化祭について特集していて、ミスコンの結果発表だ。

 SNSでの投票もしていたようで、接戦だったとインタビューを受けている。

「お前の大学の結果はどうなったんだ?」

「ケイちゃんは二位みたい」

「へえ」

 千秋は聞いたわりに興味がなさそうに、ストローを口にくわえる。

「真面目な話、ケイちゃんのどこが良かったんだよ」

「眼鏡フェチかも」

「それだけで?」

「千秋さんだってたまにかけるじゃない? けっこうポイント高い」

「分からんではないな。ギャップに惹かれるのは」

「僕にギャップはあります?」

「清純そうな可愛い顔して、エロい。のわりにはキスは下手」

「それだけで?」

「ポイント高いだろ。乗ってせかされたのは初めてだわ……いてっ」

 千秋の耳をおもいっきり引っ張った。

「長く付き合うなら、身体の相性は大事だ」

 電話が鳴った。千夏は画面を見たとたんにしかめっ面になり、外へ出てしまった。

 戻ってきたのは三十分後で、なんでもないとキスをしかける千秋だが、いつもと違い荒々しい。

 身体の関係を持つ雰囲気にはなれなくて、この日は寄り添って眠るしかなかった。

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