祝福のザッハトルテ

 戦後数年間から高度経済成長、現在にかけての呉や仁方周辺に関する物品と模型が展示されていた第二展示室を抜けて最後のメイン、第三展示室に足を踏み入れると、博物館によくあるような簡単に動かすことのできる壁に囲まれてほんの少し暗くされた空間が先に出迎え、それは展示室の一番奥と思われる場所まで伸びている。

「なんか珍しいやり方だね」

「そうだね、でもこの先はそれだけ凄いものがあるってことだと思うよ」

 茂樹くんの口調はなんだかすべてを知っていて、私を期待させるような口ぶりだった。「何回か来たことあるでしょ」と聞いてみれば、彼は「写真は見せてもらったことがあるけど、実際には入ったことがない」と言う。真偽はわからないけれど、彼が言うなら本当なのだろうと勝手に思って、一番奥、突き当たるところまで進んだ。

「……なんでこんなところにドア?」

 博物館の展示品を映えさせるための方法だということはわかったが、先程までの無機質を通り越してもはや『無』に近かった簡易的な壁とは大違いな東京にあるようなホテルのドアに似た形をしたそれは先の展示を知らない私にとって違和感でしかない。この先にはどのような景色が広がっているのだろう、そんな小さな期待を胸にしてドアを押した。



「わあ……凄い……」

 私の目の前に広がるのはとても奇麗なスイートルームのような空間。窓は円形で、ほんの少しお粗末なつくりで呉の港から見える瀬戸内海の写真がはめ込まれている。


――かつての呉の象徴、戦艦から生まれ変わった豪華客船『あさま』


 そう大きくキャプションされた全体写真の横には私にとってとても難しい説明書きが長々躍っていた。

 かつて世界最大の戦艦『信濃』として今治海軍工廠で帝国海軍が秘密裏に建造した本船は未完のうちに終戦を迎え、その容積の広さと大きさのために戦後日本の復興の一端を担うべく徹底的に艤装を解除させられた状態で残されることとなり、日本の技術屋たちは唯一残った帝国海軍の超・超弩級戦艦(ちょう・ちょうどきゅうせんかん)を客船として再び造り上げた。

 一九八五年に引退した『あさま』は翌年船籍を置いていた三菱造船の仁方工場に係留され、そのまま解体されると思われていた。バブル崩壊の煽りを受けて解体計画が中止されたまま約二十五年を過ごし、その後観光需要の増加を見込んでほぼ新造と言えるほどの改修工事を経て二〇一五年に再就航。新型コロナウイルスの終息後は絶え間なく世界の海を駆けている。



 なんというか、職人魂を感じるような歴史だと思う。限界まで嚙み砕いて理解しようとしても、その程度の感想しか出てこなかった。語彙力が薄いとこの辺りで苦労するのだとひしひしと感じられる。

「そういえばそんな船、昔ずっと造船所に停まってたよね」

「そしたらいつの間にかいなくなっててね。ランドマークがすぐに消えたのは不思議でしかなかったよ」

「いなくなったと思ったら、ああやって活躍してたんだ……ほんとにすごいよね」

「そうだね……あ、この奥に十分の一スケールの模型があるんだって」

 少し興奮気味にそう言って歩き出す彼の後ろについて私ももう一つ区切られた部屋に入った。



 眼前に巨大なあさまの模型が見えて、周りの明かりが一層強くなったとき、突然頭の上から紙吹雪が襲い掛かってくる。唐突過ぎる状況に理解が追い付かずフリーズしていると、順路を逆に辿るようにして数人がやってきて私たちの前に並んだ。そしてその面子の中にはなぜか私の叔父もいる。

「なっ……何これ?」

「結婚、おめでとう」

 困惑する私をよそに隣にいる茂樹くんは「ありがとうございます」と船員服を模した博物館の制服を着た白髪の男と私の叔父に言った。彼らはたいへんにこやかな表情を浮かべていて、私たちの結婚への嬉しさが伺い知れる。

「あ、ありがとうございます…… というか、なんで知ってるの? 確かにちょっと前に婚姻届けは書いたけどさ」

「ええ、『サプライズ』というやつですよ」

 未だに状況の整理がついていない私に白髪の男が言った。

「あの、申し訳ないんですけど……どちら様ですか?」

「ああ、まだ名乗っておりませんでしたね。私はこの呉商業博物館、館長の杉本千早(すぎもとちはや)です」

「杉本さん……」

 私の記憶の中では『杉本』という苗字で白髪の老人というのは誰一人いないはずだ。近頃の鮮明な記憶と過去の薄い記憶を総合的に見てそう判断した。

「父が生前お世話になった人でね、そのつながりで僕の面倒を一時期見てくれてた人なんだよ」

 頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かんでいたのだろうか、茂樹くんは私に杉本さんのことを説明してくれる。彼の手の先にいる杉本さんは小さく微笑んでいた。

「艦長、それに琢郎(たくろう)叔父さん、今回はありがとうございました」

「いやあ、礼には及ばんよ。茂樹くんこそ我々の提案に乗ってくれてありがとう」

 館長と茂樹くんはお互いにぺこぺこと腰を折りあっている。その光景を見ているとほんの少し嬉しくて、でも少し恥ずかしくて。最後に出てきたのは小さな笑いだった。

「館長、それにしてもすごい人脈ですね」

「一応茂樹君が生まれる前からここの館長をさせてもらってるからね。琢郎先輩、協力してくれてありがとうございます」

「なあに、優花が結婚すると言われて喜ばない方がおかしいですよ」

 私の叔父もそう言って笑っている。父代わりとして育ててもらっていたこともあってか、叔父が私の結婚を喜んでくれているのはとても嬉しかった。でも、なんで叔父たちは私たちが結婚したことを知っているのだろう、気にしないという方法もあったが、どうしても気になってしまうから思い切って茂樹くんに聞いてみる。

「茂樹くん……もしかして」

「僕は館長に結婚したと言っただけだよ。企画は全部館長さ」

「なるほど……ありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして」

 小さな謎が解け、私はこのサプライズの起案者たる館長に改めて礼をした。彼はまだにこにことした笑顔を崩さないままでいる。そして​紙吹雪を投げていた職員たちが各々の持ち場に戻ろうと動き出した頃、叔父が「さあ、お好み焼き、みんなで食いに行くか!」と景気良く宣言した。もちろん、私は茂樹くんとだけ食べるとばかり思っていたものだから、「みんな来るの!?」と素っ頓狂な声をあげてしまう。

「いやあ、二人を邪魔するわけにはいかんから俺たちは家で食べるのさ」

 ​叔父は笑いながらそう言った。なんだ、そういうことか。

「早苗さんのお好み焼きですね。確か彼女、元料理部だそうじゃないですか」

「ああ、料理は今でも絶品ですよ」

「へえ、そりゃ凄い」

 みなが話しているように、私の叔母は料理の名手。それに掃除洗濯エトセトラ、家事全般を短時間で器用にこなすという常人離れした技能の持ち主だ。そして彼女の料理の中で特段美味しいのがお好み焼き。そんじょそこらの下手なお好み焼き屋のものよりも美味しいと思う。

「え、叔母さんのお好み焼き? いいな、私も食べたい」

「あれ、茂樹くんは置いて行ってもいいのかい? そうなったら彼は一人で寂しく食べることになっちゃうぞ?」

 私がぽろっとこぼした言葉に叔父が反応して、けらけらと笑いながらそう言ってきた。確かに、私がみんなについて行けば、茂樹くんは一人で寂しくご飯を食べることになってしまう。

「そうだ、茂樹くんも叔母さんのところ行こうよ」

「じゃあ……そうさせてもらおうかな」

 ​茂樹くんの脇腹を軽く小突いてそう言ってみた。すると彼は少しばかり嬉しそうにして、「あの、僕たちも一緒に行ってもいいですか?」と叔父たちに尋ねる。

「ほう、そう来るのか。邪魔するかもしれんがいいのか?」

「むしろそっちの方がいいかもしれません。家族とのコミュニケーションは大切なので」

「それもそうだな。じゃあ、みんなで食べるとしようか」

「私は着替えとスタッフに礼を言ってこなくちゃならんので少し待っていてください」

 そう言って展示室から出て行った館長を見送りながら、私は茂樹くんのことをぺしぺしと叩いて笑っていた。

「あはは、茂樹くんやるじゃん!」

「まぁ、やるときはやるってもんです……って痛い痛い」

 そうして茂樹くんと笑っていると、横から叔父が「久しぶりに見たな」とどこか感慨深そうに話しかけてくる。

「優花は昔、君の父さんによくそんなことをしてたな」

「……そうなの? 全然覚えてないや」

「ああ、二十何年も前だから記憶にないかもしれんけどな」

 死んだ肉親に対して失礼すぎるかもしれないが、叔父が教えてくれた過去の父との記憶を聞いて思ったことは「へえ……」という無味乾燥な感想。これはいけないな、と思ってそれは飲み込んだが、その代わりに口から落ちたのは自分でも驚くような言葉。

「父さんってさ、なんで死んだの?」

 一瞬、周りの空気が凍り付いたように感じた。表情が曇った叔父と驚きのまま固まった茂樹くんが私の方を強く眺めている。それでも私の疑問は収まらず、とうとう「お母さんは借金に追われて逃げた先で事故して死んだって言ってたんだけど」とまで口走った。目の前にいた叔父は悲しそうな顔をして、「とうとう話すときが来たか」というような様子で口を開く。

「優花のお父さん……義兄(にい)さんは逃げてなんかないんだ。何なら借金すらしていなかった」

「……え? どういうこと」

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