Ⅲ-リコレクションズ・オブ・チョコレート
小休止のプラリネ
今年の一月からスイートラジオに毎週一日の休業日ができた。毎週水曜日に設定されているそれは実質『元祖ノーマルビターチョコレート』復活のために作られた研究時間である。そして私は今日が祝日なのをいいことに彼のする研究の手伝い……もとい片付けをしていた。
「テンパリング温度は問題ないはずだし、原料も問題ない。一体何が問題なんだろう……」
茂樹くんはそう呟いて、何冊目かのノートに今日使った材料、工程をメモし、最後に『失敗』と書き加えてノートを閉じる。
「やっぱ、なんか違うよね」
「それはわかってるんだけどな……」
私たちは出来上がったチョコレートを口に含んで頭を抱えた。ここまで工程を過去に近づけてもなおどうにもならないと言うことは何か根本的に違うとしか言いようがない。材料が違うのか、それとも分量が違うのか。そう考えているときに、ふとあることに気がついた。
「そういえば、元のチョコレートって成分分析とかしてないの?」
「あー、それなら前に広島大に味覚センサーで調査してもらったよ」
茂樹くんはハッとした様子でそう答えると、私の「で、成分は?」という質問を言い終える前に口を開く。
「ごくごく一般的な原料だった。ただ違うとしたら、今使ってる材料よりも全体で脂肪分の量が二パーセント少ないことかな」
「ってことは、脂肪分をどうやって減らしてるかがわからない……ってこと?」
「その通り」
茂樹くんは指をぱちんと鳴らすとこちらを指差した。
「脱脂粉乳は使ったことあるんだよね?」
「使ってみたけど上手くいかなかった。といってカカオバターを減らすと味が変わってくるんだよね……って、カカオバター?」
彼はそうとだけ言ってすぐに厨房の冷蔵庫を漁り、フィルムに包まれたいくつかのカカオバターを取り出して印刷されている文字を凝視している。私は彼が何をしたいのか、おおよその推測はついていた。そして「あった!」と彼の嬉しそうな声が聞こえてきたのはそのすぐあと。
「この前新商品の試作のためにあえて品質を落としたカカオバターを買ってたんだよ!」
嬉しそうな顔をしながら報告する茂樹くんはそれと小分けにされた他の材料をコンチェ(攪拌機)に投入してスイッチを押した。コンチェは小さく控えめな唸り声を上げながら一つの成功の可能性をかき混ぜ始める。
「じゃあ、あとはこれができたら結果がわかるね」
「待ち時間、どうする?」
「じゃあ商店街にでも行こうか。色々したいことがあるし」
「ん、わかった」
ここから約七十時間チョコレートと電気から栄養分を吸い取りながら撹拌し続けるコンチェを放置して、私たちは昼過ぎの賑わう商店街に足を踏み出した。
「どこ行くの?」
「久しぶりに服を買いに行こうかな……って思ってね」
茂樹くんはそう言って、ガラスのショーウィンドウに数体のマネキンが立てられた井戸本服店(いどもとふくてん)に足を踏み入れる。前にいたマネキンで大体わかっていたが、中にはやはり男性用の服や小物でいっぱいだった。
「うわあ……何気にこういう所は初めてかも」
私は彼の後について店に入ると、そう呟いて辺りを見渡す。そもそも実の父親の記憶が薄すぎて、過去に両親に連れられてきたことはあるはずなのだろうが一切覚えていない。私が滅多に見ない服に驚いている後ろで茂樹くんはジャケットやシャツを手に取り鏡の前に立って確認している。
「ねえ、どう思う?」
「いいと思うよ」
「うーん、じゃあこれは買おうかな」
彼はそう言うと体を回して小物類が並べられている棚から一つの財布を取り上げると値札を確認し、顔をしかめた。そして鞄から彼の財布を取り出すと、少し考える仕草を見せて軽く頷く。
「その財布買うの?」
「いやぁ、今の財布も古くなってきたし、それにいいことも最近あったし買い換えるのもありかなって思って」
彼が手に持っていたのは本革でできた黒い財布。値札を見ずとも結構な値段がするのだろうな、と直感でわかる。彼はそれとさっきからずっと腕にかけていたジャケットとシャツをレジに持って行き、対応してくれていた店員に「あのウィンドウのところにあるセットアップって買えますか?」と尋ねた。
「ええ、大丈夫ですよ。サイズはいかがしましょう」
「XLでお願いします」
「承知いたしました」
店員は店の奥に入ると、中から丁寧に畳まれた状態の黒色のジャケットとパンツ、白のカットソーをレジの上に置いてタブレットの画面を操作する。
「合計四二六五〇円になります」
「これで」
茂樹くんは財布から一切の躊躇なく、まるで千円札を五枚出して五千円を払うかのように五万円をトレイに置いた。
「では、五万円よりお預かりします…… 七三五〇円のお返しです。少々お待ちください」
お釣りを渡した店員は彼の買った服を丁寧に紙袋に詰めて手渡した。少し上機嫌な様子でこちらに向かってくる。彼が手に持っている袋やそれまでの行動を見て、彼の財力の恐ろしさを改めて認識させられた。
「優花さん、次どこへ行く?」
「うーん、モリブデン?」
店を出た茂樹くんは私にそう尋ねてくる。私は一度時計を確認し、ちょど三時手前だったことをいい事に「喫茶店に行けば何か美味しいおやつが食べれるのでは?」という短絡的な思考の下、質問に答えた。たぶん、私の魂胆は彼には見え見えだろう。ただし、『表面上のもの』に限った話だが。
「よし、じゃあ行こう」
「やった」
荷物を片手に持つ彼の隣を歩幅を合わせるようにして歩き、商店街を斜めに横切る。『Open』と書かれた札が掛かる正面の入り口のドアを引くと、前のような重たい感触はなくすっとドアが開き、木製ベルの柔らかい音が響いた。
「いらっしゃいませ……って小林さんじゃないですか。それに山店長まで」
「……優花さん、もしかして図ってました?」
茂樹くんと魚村さんの目が合った時、二人は驚いたような表情を見せて私の方に視線を向ける。どちらとも驚きの表情を浮かべているのが見えた。
「まあ……図ってないって言ったらウソになるかな」
両者の間であはは、と笑う私を彼らは「何をやっているんだ」というような目で見つめてくる。店の入り口で店長たる魚村さんと奇怪なやり取りをしている私たちは店の中にいる客たちの興味も買ってしまい、ちらちらと視線を断続的に向けられた。
「うーん、ちょっとここにいたら邪魔みたいですし、お席に案内しますね」
「ありがとうございます」
彼女はそう言って私たちを先導し、店の隅にある少し広めのファミリーレストランにあるようなパーティションで区切られた半個室のような席に連れられる。
「……山店長、時効でしょうしいろいろお話を聞きたいのですが」
「まあ、いいんじゃないですか? 何でもお話ししましょう」
席について早々、そう切り出した魚村さんに茂樹くんはあっけらかんとした様子でそう言った。予想と真反対のことを言われて驚いているのか、それとも思った通りに事が運びすぎて驚いているのかはわからないが、私の目の前にいる魚村さんは目を丸くしている。
「あ、あー……じゃあまずはお金の話から」
「あの封筒の話ですか。あれは君の履歴書に店を開くためのノウハウを知りたいとあったからですね。お金自体は貯金から出しました」
「なるほど……納得できるのは山店長が話しているからでしょうね」
彼女はうんうんと頷きながら茂樹くんの話を聞いていた。実に興味深そうに、過去の疑問という糸の絡まりをひとつひとつ解いていくように。
「次に僕が君に直接会わず、優花さんに会ってもらった件についてですが……僕がつけられた場合は情報の重要度が上がって厄介だと思ったからです。なにはともあれ、あのときはお世話になりましたよ、魚村くん」
「いえいえ。さすが私が尊敬する山店長ですよ」
「そうやって言われるのも嬉しいですね。ありがとうございます」
茂樹くんがそう彼女に言うと、彼女は少しばかり嬉しそうな表情を浮かべてから、「何か、ご注文はございますか?」と私たちに尋ねる。
「じゃあ、マンデリンを頂けますか?」
「はい、ついで……と言っては何ですが、コーヒーシフォンケーキもいかがでしょう」
「いいですね。それもお願いします」
「かしこまりました」
彼女は彼の注文を伝票に書き込むと、私の注文も取り始めた。
「私は……オリジナルブレンドとプレーンシフォンケーキを」
「かしこまりました。少々お待ちください」
彼女は伝票とテーブルに置かれていたメニューを回収し、そのまま厨房へと入っていく。そして、二人分のコーヒーとシフォンケーキが運ばれてきたのはそれから五分ほどが経った後。どことなく近世の雰囲気が漂う食器に盛り付けられた少し大きなシフォンケーキと、コーヒーカップの中でほろ苦い香りを漂わせるコーヒーはやってきた。
「……おいしい!」
シフォンケーキを一欠片口に含んでみれば、一瞬で溶けてなくなるかのような感覚と柔らかい甘みが口内に広がり、コーヒーを飲んでみれば濃くて苦い味も後からくる酸味で中和され、すっと芳香が鼻を駆け抜ける。
「うん、ほんとに。すごくおいしい」
茂樹くんもこの味にはご満悦のようだ。シフォンケーキとコーヒーを交互に口に含み、甘党たる私よりも早く食べきってしまう。かちゃん、とフォークを置く音が聞こえ彼の方向を見てみると、空になったシフォンケーキの皿と優雅にコーヒーを飲む茂樹くんがいた。
「そういえばさ、カウンターに置いてあるプラモデルっていつ作ってるの?」
「あれ僕は作ってないんだよね」
「え? じゃあ誰かからもらってるの?」
「そうだね、まあ秘密だけど」
彼はコーヒーを飲みながら私の質問に答える。その風貌はどこか裏情報をたくさん持っていそうな切れ者の産業スパイのようにも、何か重大なことに気が付いてしまった探偵のようにも見えた。
「え、だれだれ?」
「秘密にしてくれって言われてるんだよね」
「えー、教えてくれたっていいじゃない」
「またの機会にね」
彼はそう言った後、「そろそろ戻ろうか」と言って立ち上がり、カウンターに伝票を持って行く。会計になり「私が行くって言ったんだから」と言って代金を払おうとしたが茂樹くんは「お礼もありますし、こういうのって男が払うものでしょう?」と言って手早く会計を済ませてしまった。財布に入っている額が少なかったから少しラッキーだなとは思ってしまったが、私が行きたいと言っただけに払わせてしまったことには少し申し訳ないと思う。
「ありがとうございました」
「美味しかったです。また来ます」
私たちはそう軽く挨拶をして、スイートラジオへと歩を進めた。
「優花さん、今月のプラモデルって何かわかる?」
「大瑠皇紀(だいるこうき)に出てくる瑠国の宇宙戦艦だよね?」
「そうそう、大瑠皇紀の二期に登場する瑠国の旗艦『拔〇〇二 タンバ(ぬ まるまるに たんば)』だね」
茂樹くんは私にスマートフォンで撮った写真を見せながら話す。趣味の話をするのは相当楽しいようで、彼の目は夜に瞬く一等星のように光り輝いていた。
「大瑠皇紀っていったらどんな話だったっけ?」
「西暦二八三六年、地球連邦はそれまで戦っていた瑠国と呼ばれる宇宙国家と平和条約を結び国交を樹立した。瑠国の歴史を知り、瑠国の歴史を収めた歴史書を刊行するために地球連邦政府は歴史研究者 、古島蒼汰(ふるしまそうた)を瑠国歴史博物館に派遣した。古島は瑠国の担当者須崎本絽(すざきほんろ)と共に瑠国と地球の歴史をまとめた歴史書『大瑠皇紀』『地球全史』を編纂していく。一方、同盟を結んだ地球連邦と瑠国の連合艦隊は突如として兵機人(ぼーぐにあん)を名乗る敵の攻撃を受け、地球・瑠国連合軍VS兵機人の戦争が始まる……みたいな話だね」
「あー、そうだったね。兵機人ってたしか背後で操られてなかったっけ」
「ラソン帝国かな?」
「そうそう。須崎さんって最強キャラだよね、かっこいいのにかわいいし」
大瑠皇紀生粋のファンである茂樹くんは、よくネットにいるような『にわかを嫌うオタク』ではなく、私の見方に近付いた形で話してくれる。そして帰り道に見つかった意外な共通点は、今日一日が終わるまで話題から下がることはなかった。
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