Ⅱ-Ⅳ レインボー・フューチャー
開戦のブラック
気だるい週初めの仕事も特に何のトラブルもなく終わり、普段よりも一本早く乗れた電車の中で私は中島さんと談笑していた。
「昼休みの営業部長の答え、面白かったね」
「流石にあれは笑ってしまいますよ」
「『MARテックの知名度を上げて日本に真空管ラジオを広めたい』だって、もう知名度にしちゃ国内トップに等しいメーカーになってるのにね」
私は笑いながらそう言う。隣で中島さんもお腹を押さえて笑っていた。
「まさか看板商品の生産はそのままに真空管の生産を拡大するつもりじゃないでしょうね……」
「そのまさかかもよ?」
「嘘だァ……でもあの部長と社長ならやりかねませんね……」
笑いながらシニカルで低い声を響かせて中島さんが呟いた。でも本当にあの社長なら熱い賛同が得られそうで、真空管ラジオの生産が拡大される可能性はかなり高いと思う。
「ご乗車ありがとうございます。まもなく呉、呉です。お出口は右側です開くドアにお気を付けください。呉を出ますと、次は安芸阿賀(あきあが)に停まります。車内不審物の発見に伴う調査で五分程度の遅延が発生したこと、誠に申し訳ございませんでした……」
会話を遮るようにして大音量の車内アナウンスが響き渡った。先週の末辺りから車内騒音に応じた音量制御システムが導入されたらしいが、直近の記憶を遡ってもこれほどにうるさかった覚えは一度もない。
「え、凄いうるさくない?」
「先週はこんなことなかったんですけどね」
「だよね、てかもう呉なんだ……やっぱ快速って偉大だね」
そう話していると電車はだんだん減速して、定刻二分遅れで呉駅に到着した。すでに暗くなり星が出ている空を見上げながら電車はモーターをアイドリングする音を響かせ静かに人々を迎え入れる。その中に岩国の基地から来たと思しきアメリカ軍の人たち数人が何かを話しながら乗り込んで私たち近くの座席に陣取った。
「日曜日でもないのに来ているということは休暇を取ったんですかね」
中島さんが少し下に下がった眼鏡をくいっと上げて軍人さんを観察している。私も少し気になって、彼らを観察した。
「Hey(おい)」
「What?(なんだい?)」
「Which bought "the Koh-rui Shochu" or "the Otsu-rui Shochu"?(甲類焼酎か乙類焼酎、どっちを買ったんだ?)」
「Second(二類さ)」
「Hah? What did you say?(は? 何を言ってるんだ)」
「In Japanese, "second" is "Otsu" (日本語だと『2』は『乙』ってんだ)」
「I see(なるほど)」
人だかりの中で鮮明に聞こえる英語に耳を傾け聞けてくる「甲類」「乙類」「焼酎」といった言葉たちから察するに、顔が赤っぽく見えるのは恐らくお酒のせい。大きな声で話す隣では日本酒の瓶を包んでいるであろう風呂敷包みを開けようと悪戦苦闘している人もいる。日本人とは違う大柄、筋骨隆々とした体で席にどかっと座り、太い指の先で細かい風呂敷包みの結び目をほどこうとしている様子はかなりシュールだった。
「We'll next go?(次はどこ行くんだ?)」
「Hmm... Mihara? it's famous for Octopus. How's that?(三原はどうだ? タコが有名だぞ)」
「I never heard that. sounds grate!(それは聞いたことないな、すごくいいじゃないか)」
そして焼酎の話をしていた二人組は今日の夕食のことについてでも話しているのだろう。三原のタコも一昔前だと全く有名じゃなかったのに、最近は知名度がかなり上がってきたように感じられる。
「Well, let's go(よし、じゃあ行こう)」
二類焼酎を買ったと言っていた軍人が発した「さあ行こう」という言葉に呼応するように電車はドアを閉め、少し長い停車時間を経て呉駅を出た。
長い長いトンネルを抜けて安芸阿賀、広で数人を降ろすと、また短いトンネルに入り、そこを過ぎればようやく仁方。
「じゃあ、私はいつも通りこっちなので」
「うん、また明日」
中島さんはホームに降りてそのまま北口に、私は跨線橋を渡って南口から出て帰途を辿る。
「そういや、留守番のカメ連れて行かないと」
コンビニ前の大きな交差点でそう呟いて、スイートラジオとは逆方向に歩を進めた。日曜日の夜以前はずっと通っていたはずなのに、何故か懐かしく感じる。荷物の減ったアパートに足を踏み入れ、ベッドの上に鎮座している亀を取り上げるとそのまま彼を抱きかかえて来た道を逆にたどって再びスイートラジオに向かった。
「お帰り……って何その亀」
客のいないスイートラジオのカウンターに立つ茂樹くんはかなり不思議そうな目を亀に向けながら尋ねてくる。
「私の家にいた子、連れて帰ってきた」
私は腕の中にいる亀を撫でながらそう答えた。やはりこの柔らかさとかわいさに勝る物はないと思う。
「じゃあ、中に入ってお風呂とか先に済ませといて。店閉めたらご飯にしよう」
「うん、わかった」
カウンターの横にあるスイングドアからカウンターの中に入って、そのままバックヤードを通って居住区に入った。茂樹くんに用意してもらった部屋に亀を連れ込んで子亀を上に乗せる。ここに来る前にずっと見ていた光景が復活し、子亀も親亀も表情なんて変わらないはずなのに心なしか嬉しそうに見えた。そしてジャケット類をハンガーにかけ、彼に言われたように先に風呂を済ませる。厚着で浮かんだ汗と一日の汚れを落とし、体を冷やさないように少し長めに湯船に浸かった。
「あー、温かかった……ってどうしたの」
私がそんな間抜けな声をあげながら風呂場からダイニングに入ると、茂樹くんはテーブルに肘をついて何か深刻そうな表情を浮かべている。
「優花さん……まずいことが起こったよ」
彼は手元にあったスマートフォンの画面を何度かタップしてそう言った。すぐにLINEの通知が来て、そこには大きくボールペンで『これは演技だヨ!!』と書かれたノートの写真が貼られている。少し笑いそうになったが、必死に笑いを押し殺して「な、何があったの?」と深刻そうに尋ねてみた。
「……貸金庫関連の書類が盗まれてた」
「え、それやばくない?」
「銀行に連絡は入れてみたけど、駄目だった。もう引き出されてる」
「……ってことは、レシピが流出したってこと!?」
我ながら迫真の演技だと思う。あまりこうして声や仕草を作るのは苦手だが、好きで声優の舞台やらを見ていた経験が活きたような気がした。
「そういうことになるよね……」
「もしかすると盗聴か何かで作戦がバレてたのかもしれない」
茂樹くんはそう言うと、携帯サイズのラジオを電話台になっているチェストから取り出して周波数ダイヤルをくるくると回し出す。
「ダイヤル回して、コンセントとかの近くに立って何してるの」
「これで探してるんだ……あー、でもやっぱり広帯域受信機は必要だろうな……」
「なんか聞いたことあるんだけどWi-Fiも傍受できるんじゃなかったっけ? 少し前までは駅前とかでよくやられてた感じの」
「確かに、少しパソコンを見てみるよ」
私の提案に茂樹くんはパソコンを起動させてタスクバーにある通信設定のタブを選択した。ふわっと浮かんできた接続が可能なWi-Fiの一覧に、前に私が茂樹くんに繋げてもらったものとは違うものが一つ表示されていた。
「『TDDI-be-te11ss』……たぶんこれだな。しかも気付かないうちに概定無線LANに設定されてる……これを接続拒否して普段通りのものを概定にすればいい……はず」
茂樹くんは『パソコンができる方』だと思っていた自分でも理解できないような単語をぽんぽんと独り言で空に投げながらコマンドプロンプトやコントロールパネルを使って複雑そうな作業を数分でこなしてみせる。
「優花さん、前に田中さんが忘れて行ったペン、ペン立てに刺さってるんだけど取ってくれる?」
「これ?」
私はペン立てにある十二色ボールペン並みの太さをしたそれを取って茂樹くんに手渡した。すると彼はそれをすぐに分解して大きく溜息をもらす。
「ああ、やっぱりそうだったか……これで他のマイクからの情報を拾って流してたんだ」
「じゃあこれと一緒に被害届を出したら第一ラウンド終了って訳だね」
「うん」
立ち上がった茂樹くんは携帯ラジオを元あった場所にしまうと、何事もなかったかのようにコンロの電源を入れて鍋を温め始めた。いかにも『和』という感じの香りが立ち、ダイニング一帯に広がる。
「今日は何を作ってくれたの?」
「おでんだよ、今朝からずっと大根に味を染み込ませてた。味は保証する。煮崩れてるかもしれないけど」
「味が良ければオールオッケー!」
私は食器棚から二枚皿を出して彼の隣に置いた。彼はそこにおでんを盛り付け、私はそれをダイニングテーブルに置いて椅子に座る。茂樹くんが椅子に座った後、「いただきます」と言って、おでんに箸を伸ばした。熱々の大根を口に運んで少し齧ると濃厚な出汁が口の中にしみ出した。
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