雑談のホワイト
「中島さん、最近よくこっちの方乗ってるよね」
竹原の方向に動こうとする列車に乗り込んで空いてる角の座席に腰を下ろす。中島さんも同じ列車に乗り込んで、私の隣に座った。去年の暮れ辺りからずっとこの調子で、話す相手がいる分暇をしなくて済むようになったがどうにも理由が気になってしまってそう彼女に尋ねてみる。
「ええ、去年の暮れ辺りから和徳さんと同棲し始めたので」
「わお、まじか」
彼女から発された言葉はある程度予想は出来ていたものの、やはり驚きを隠せなくなってしまう。
「かく言う先輩はどうなんですか? ずっと帰りが一緒ってことから良縁には恵まれてはいなさそうですけど」
ふっと嘲るような笑いを織り交ぜつつ彼女は私に聞いてきた。ふざけているとわかっていても少しイラっとしてしまうが、答えない義理はないので答えるだけ答えておこうと思って口を開く。
「失敬な、良縁かどうかは知らないし三十路の焦りかもしれないけど同級生と……まあここまで言えばわかるよね?」
「……ふぇっ!?」
私の返答を聞いた彼女は満席の列車に響いてしまう程大きく声をあげた。どれだけ意外だったのかが見るだけでわかってしまう程で、思わずくすっと笑ってしまう。
「驚くのはわかるけどさすがに声が大きすぎるって」
「相手は誰なんです!? どっちから告白したんですか!?」
彼女の耳には私の注意なんて一切届いていない様子で、でも自分でさっきの声は大きすぎたと自覚したのだろうか、普段電車の中でしゃべる時の大きさに戻して機関銃の如く質問を投げてきた。
「中学生みたいな反応しないでよ……この前時計あげた人、って言ったわかるかな?」
「やっぱりそうなりましたか、で、告白は?」
「私からしようとしたけど、うじうじしてたら相手に先行かれちゃった」
「うわあああ……最高じゃないですか! そういうシチュエーションは本当に美味しいですっ……!」
中島さんは頬を両手で抑えながらにやけ顔を抑えている。
「人の恋愛をオタク目線で語らないでよ」
「別にいいじゃないですか、それより和徳さんから聞きましたよ? 山茂樹さん……でしたっけ? あのスイートラジオの店長さん。凄いじゃないですか……料理関係は心配いらないですし、玉の輿じゃないですか」
「ちょっと待って、聞いたって何?」
なぜそこまで調べるのかが気になったが、それ以上にそこまでの情報を得ていることに驚いてしまった。
「時計の時の後から気になってて、クリスマスの時にオヒルデスヨを見ていたらスイートラジオの取材の時に優花さんの声が入っているような気がしたので和徳さんに聞いてみただけですよ。で、料理上手なんですってね」
「まぁ……でも茂樹くん片付けるの下手なんだよなぁ……」
「それくらいは手伝ってあげればいいじゃないですか」
「まあそうなんだけど」
私がそう返した次の瞬間、彼女は私の太腿に手を載せて、「で、なんで山さんに告白しようと思ったんですか?」とまた尋ねてくる。本当に恋バナをしている中学生のようだ。
「秘密」
「何なんですか、教えてくださいよ」
ぎゅっと彼女の手が私の太腿をつねってくる。私はその手をやんわりと払いのけて、いくつ目かの駅の明かりが差し込む車窓を眺めながら話した。
「茂樹くんは結構悲惨な生涯を生きてきた人だからね」
「あんなに成功しているのに?」
中島さんは心底不思議そうな表情を浮かべながら私に尋ねてくる。確かに、今ではあれほどに世間の関心を得ている『スイートラジオ』店主の彼が過酷な人生を送っていたとは到底考えられないだろう。
「和徳から聞かなかった? 茂樹くんは小学校の頃にほぼ全員の生徒からいじめられて、病んじゃって入院してたんだよ」
「そんな……それからどうしたらああいう風になるんですか?」
「中学でも先生から睨まれてて、高校で一生懸命打ち込んだ研究が技術革新で駄目になって、それから経営を学んでやっとの思いでスイートラジオを開店させたはいいものの大手デパートとの経営戦争で店員に逃げられて、私も一回裏切っちゃったし」
「それは本当に壮絶としか言いようがないですね……」
彼女は先程の不思議そうな表情から一転、心底憐れむような表情を見せていた。
「そうでしょ? しかも彼の凄い所はこの試練にずっと一人で立ち向かってきたところなんだよ。私は茂樹くんの傍に居て、足手まといになるかもしれなくても一緒に頑張りたいと思ったの」
「ほうほう、私はそんな理由で人を好きになることはできませんね……」
無意識的に私の表情が曇っていたのだろうか、中島さんはこちらの顔を見ると少しびっくりした顔をして「あ、変な意味じゃないですよ?」と付け加えて言う。
「え、じゃあどういう?」
「まあ、私は先輩ほど強い人ではないのでそんな覚悟のいる選択はできない……ってことですね」
「……失礼だけどさ、要は試練にぶち当たるのが嫌なだけなんじゃないの?」
ふと、思いついたことを言ってしまった。一瞬、私の顔を見ていた中島さんの顔が険しくなったような気がする。
「自分が試練の中に飛び込むのが嫌だから…… たしかにそうかもしれません。でも、それ以上に試練や決断に対してトラウマがあるんです。MARテックに入社したのは元々工学部生で、機械が作りたかったからです。ただ、ものづくりには大きな選択が伴うのを悟って営業部に転任させてもらったんです。私は昔、自分のした決断で人を追い詰めてしまったので……」
ごめん、言い方悪かったよね。と言おうとしたとき、彼女は顔を私から逸らして悔いるように言った。
「どういうこと?」
「私は高校で生徒会役員をやらせてもらってました。ある時にあった会議で『部活動の必要人数を上げる』という議案に賛成し、一票差でそれが通ったんです。結果二部が存続の危機に瀕しました。その部活の部長さんは頑張って部員を増やすために奮闘してたんですが、あえなく廃部ないし同好会落ちとなり、廃部になってしまった方……テニス部の部長さんはその部活の為に入学したんだと言って退学してしまいました。しばらくしてその部長さんが自殺に失敗して入院してしまったと小耳に挟んだんです。あの時私が反対していれば、あの部長さんはあんな目に合うはずじゃなかったんですよね……」
私の問いにそう返す彼女の口調は痛々しいほどに饒舌で、そのことが今の彼女にどれほど作用しているのかが考えずともわかってしまう。どう返そうか必死に考えて出てきたのは「なるほど……それはきついね」という一言だった。
「まぁ先輩と山さんならそんなことになる可能性は低いでしょうけど」
先程とは一転、彼女はからっと自棄になったような喋り方をしてそう言う。
「試練を乗り切れなくても、私は茂樹くんと一緒にいるつもりだよ。茂樹くんがああなったのは私のせいでもある。私は茂樹くんに責任を持たないといけないと思うから」
「へえ……そうですか」
私の不用意な言葉に端を発した冷たい空気の間に何とも形容し難い小さくも深い沈黙が走った。その沈黙の沼の中でお互いを引き上げようと声を出そうにも余計な思考が働いて踏みとどまってしまう。でも、踏みとどまっていてはどんどんと沈みゆく声が完全に飲み込まれてしまうと思って「そう言えばお腹は大丈夫?」となるべく自然になるように意識して尋ねてみた。
「ええ……まあ、なんとか」
「ならよかった。ところで天かすってどれぐらい載ってたの?」
「載ってるんじゃないんです。混ざってたんです」
「……え?」
中島さんが言っていた『かつ丼』とは果たして本物の『カツ丼』なのだろうか、彼女の話を聞く分には到底本物の『カツ丼』とは思えない風貌と食感をしているような気がする。
「ご飯が大盛りだなーって思ったら、もはや天かす六割……カロリーのことしか考えないセレブ用刑務所の白飯ですよ」
「わお……よく完食したね。私は絶対一口食べる前にもうアウトだよ」
「お腹も空いてたし、凄くおいしかったので……」
「おい……しい……? 鬼畜の所業としか思えないそれが?」
「まあ食べ終わってすぐ死んじゃいましたけどね、だいたい十分くらい」
へへっと笑う彼女からは先程の陰鬱さは全く感じ取ることはできず、まるで多重人格のようにも見えた。
「よかったね、消化終わる前で」
「まあそのせいでお腹がすごく空いてるんですけどね……和徳さんのビーフシチューが待ち遠しいです」
「ビーフシチューか……久しく食べてないな……作ろっと」
「え、先輩料理できたんですか?」
中島さんは私の独り言をつまみ上げるとそれを何度か反芻し、まるで千年経っても健在な一夜城を見ているかのような目で私を見つめる。
「茂樹くんに教えてもらったからね。煮物から揚物まで大体マスターしたよ」
「へえ、凄いじゃないですか」
私の答えを聞いた彼女は不思議そうな表情から「こいつ、なかなかやりおる」といったようなものに変わって、大きく息を吐きながらそう言った。
「次は仁方、仁方です。切符はお近くの係員に渡すか、改札の集札箱にお入れください……IC乗車券、IC定期券は自動改札機にタッチしてください。降り口とホームの間が空いている駅、段差がある駅があります。お降りの際は足元にお気を付けください…… Attention please……」
いい話題が尽きてお互いが手探りで話そうとし始めたとき、いつもの放送が車内に響いて、せっかちな乗客の一部は減速し始めた車両のドア前に立っている。行先表示に『三原』と書かれたそれは私たちを降ろすと一分ほどそこに留まって、さっさと走り出した。改札を抜けて中島さんと別れ、それぞれの帰途に就く。
「ただいま……っと」
片付け途中で半端に広くなった真っ暗な部屋のドアを開け、もう少しでお役御免になるだろうダイニングテーブルの上に社用鞄を投げた。私の空腹中枢は中島さんから『和徳のビーフシチュー』と聞いてからずっとそれを求めている。でも明日は片付けの苦手な茂樹くんの手伝いにスイートラジオに行くことになっているから、手の込んだ料理をすると睡眠不足で倒れかねないことに気が付いてしまった。
「あーあ、明日帰ってきてから作るか……」
諦めた私はそう呟いて冷蔵庫の戸を開け、真っ先に目に入ったパックのもやしと豚肉を取り出して炒める。頃合いを見て醤油と味醂を入れて軽く混ぜると香ばしい匂いと煙がふわっとあがり、私の眼前を埋め尽くした。ある程度焼けたなと思ったあたりでIHコンロの電源を落として、フライパンに乗った料理を皿に移し鞄に占領されているテーブルの上に置きラジオの音量を上げる。スピーカーからは「シルバー・コーストのど金ど金(どきどき)放送局のお時間です」と下岸と後田が息ぴったりに喋る声が聞こえて来た。今日も私たちの月下氷人(キューピッド)はどうでもいいような緩やかな日常の一コマをおもしろおかしく語っている。近頃料理も上手くできるようになってきて、レトルトやコンビニの冷凍食品に頼ることも少なくなってきた。夕食と風呂は早めに済ませて普段の金曜日よりも早く寝床に入ると、体は久々の早寝に戸惑っている。でも目を閉じると、疲れていたのかすぐに意識は遠のいて深い眠りに落ちて行った。
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